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江戸時代から続く埼玉村(さきたま村)という小さな村の名前が県の前になった?・・・不思議だ。ホントウの埼玉村は1954年(昭和29年)行田市と合併。
「さきたま」は多摩の先、いまの東京の郊外あたりを呼ぶ「多摩」「玉」の先。古くは万葉集に「さきたま」、律令時代の正倉院の文書にも前玉、延喜式に「前玉神社」の記述があるそうだ。このあたりが埼玉の国司のいた場所かな。
ということで近畿地区にしか見られない大きな古墳(この地区の支配者の墳墓)が集中・・・さきたま古墳群だ。
古墳の発掘は昭和の初めごろから、ここらあたりの沼地の干拓と並行して行われたという。戦時中断してふたたび発掘開始、1976年整備した場所を公園化、26.5㌶。
9基の大型古墳、さらに半径数㎞の範囲に7つの小規模古墳があるそうです。
今日はこの公園の散歩です。
(←の写真は史跡博物館パンフレットより)
丸墓山古墳・・・円墳、軸長105m、高さ18.9m、6世紀前半、円墳としては日本一の規模。
和田竜著「のぼうの城」(小学館 2007年刊)、2009年コミック化、2012年映画公開、・・・の舞台となって一躍有名に。
1590年、豊臣秀吉の小田原城攻め、これに並行しての行田の忍城攻め、その攻城総司令官の石田三成は丸墓山に登って作戦を練った。考え出されたのは泥濘の地に囲まれた忍城の周囲を堤で囲って水攻め・・・後に石田堤といわれる。10万の人夫を使い5日で完成、しかし大雨により決壊、多くの石田方の兵が水に押し流された。そうこうするうちに小田原城が開城され、こちらも戦を交えることなく開城。石田三成は戦功を上げることなく無策の将といわれることに。
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←の写真(史跡博物館パンフレットより)はその鉄剣。
5世紀中期の第21代天皇といわれる「雄略?」の部下であるこの地の管理者の系譜が記してあります。
将軍山古墳・・・前方後円墳、軸長90m、高さ9.4、6世紀後半。明治の初期1894年民間で発掘調査が行われ馬冑、旗差し金具、銅碗、環頭大刀、馬具などを発掘。墳丘、堀を復元して将軍山古墳展示館を設置。
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(↑の写真は史跡博物館パンフレットより)
二子山古墳・・・前方後円墳、軸長138m、高さ14.9、6世紀前半。武蔵国最大の古墳。周囲は発掘調査されていますが、内部は未調査。
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愛宕山古墳・・・前方後円墳、軸長53m、高さ3.4、6世紀前半。最も小さい古墳。駐車場のそば、お寺、民家に接していて目立たない。
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瓦塚古墳・・・前方後円墳、軸長73m、高さ5.1m、6世紀中期。埋葬内部は未調査。
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奥の山古墳・・・前方後円墳、軸長66m、高さ5.6m。
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鉄砲山古墳・・・前方後円墳、軸長109m、高さ10.1m。2010年から発掘調査がはじめられ進行中のようです(ブルーシートの部分)。
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愛宕山古墳・・・前方後円墳、軸長53m、高さ3.4、6世紀前半。最も小さい古墳。駐車場のそば、お寺、民家に接していて目立たない。
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瓦塚古墳・・・前方後円墳、軸長73m、高さ5.1m、6世紀中期。埋葬内部は未調査。
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奥の山古墳・・・前方後円墳、軸長66m、高さ5.6m。
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鉄砲山古墳・・・前方後円墳、軸長109m、高さ10.1m。2010年から発掘調査がはじめられ進行中のようです(ブルーシートの部分)。
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※撮影日2月27日、カメラは Panasoni LUMIX DMC TZ-40。
この奥に中の山古墳がありますが割愛。今は梅の蕾が膨らんで、もう少したてば桜が、夏の緑陰、蓮池、水連池、花菖蒲の畑、古墳の法面の草地には菜の花、ヒガンバナ、釣鐘人参、キツネノカミソリ、ノカンゾウが。先祖の眠る墳墓の丘の公園です。
静かに見て歩きましょう。
《参考リンク》
「埼玉県立さきたま史跡の博物館」サイト
多摩の先から埼玉になったのですね(^^)
昔はこの地に力の有る豪族?が居たことは確かですね~
国宝の鉄剣が何よりの証拠ですね(^^)
埼玉や群馬を走っていると、いたるところで古墳の案内を目にします。
(サイクリングの途中では)なかなか足を延ばせなかったりもしますが、
ときにはこんな風にゆっくりとまわりを歩いて、実際の大きさを感じたり、
歴史を振りかえり、古の国家に想いを馳せる時間も良いですね。
古墳公園、また良いところをご紹介いただきありがとうございます。
行きたいところがいっぱいで、困っちゃう・・・
↑の説明はそのダイジェストです。
多摩地方より先ッポのほうにある・・・納得です。
多摩の由来は諸説あるようです。全国によくある丹波の変化したものではないかと思います。多摩川の上流は丹波川(たばかわ)です。
夏、冬はともかく、春、秋は散歩にいいところです。
行田忍城の桜、さきたま古墳の山野草、古代蓮の里。夏は暑くてつらいところですが。
そういえば群馬県も古墳の多いところですね。目的地を決めて自転車をスタート。自在にルートを変えられるのもいいところですね。
この近くに古代蓮の里があります。
工事中に偶然見つかった蓮の種、数千年の眠りから覚めたそうです。ロマンですね。
いちど訪ねてみてください。