比企の丘

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師走の東京の街を探検・・・日暮里せんい街

2012-01-21 | 道をゆく 東京散歩
昨年の12月26日、東京にお上りさんしました。師走恒例の行事です。目的地はいつも行き当たりばったり。
まず最初は東武東上線の大山駅のそば大山銀座商店街・大山銀座美観街あらためハッピーロード大山、それから江東区の葛西臨海公園を散歩して、最後にアド街っく天国・・・日暮里・・・です。

JR山手線日暮里駅南口。駅舎の上になにやら尖がった塔がありますが何を意味するかわかりません。常夜灯をイメージしてデザインしたものでしょうか・・・どうでもいいことです。
山手線の内側には谷中墓地、夕焼けダンダンの谷中銀座がありますが今日は山手線の外側の日暮里の繊維街を散歩します。

ちなみに日暮里(にっぽり)とは新堀(にいぼり)をかっこいい漢字に直したものでしょうね。

日暮里駅南口は跨線橋の上。跨線橋から東側に降りると日暮里中央通り。日暮里せんい街です。
[布の街」「布の道」という響きがいい。

ここはハギレ、裁落とし品、見切り品、余剰反物、洋品小物、レザークラフトの材料などを扱う日暮里繊維卸協同組合員65社がそれぞれ店を出している町です。


《薀蓄》江戸時代から庶民は反物を洗い張り、縫い直し、パッチワーク、刺し子とリフォーム・リサイクルしていました。江戸の町にはそういうもの中古衣料を扱う店があり、在所から古着を仕入れに来る商人もいて神田岩本町、馬喰町、浅草寿町などは古繊維商の店が大いに栄え、大正時代の始めごろそういう業者が日暮里、三河島に集団移動したといいます。新しい卸商業団地の開発です。日中戦争から太平洋戦争の時代、そういった商品も統制品になり商いは途絶えますが、終戦後、旧日本軍の放出物資、進駐軍の払い下げ品、アメリカの古衣料などが出回りだしてふたたび活気を取り戻し現在に至ります。

こういう店は地方にはなかなか見当たりしません。私の住む村の近くにも○ンカ堂という店がありましたが撤退しました。個人で洋裁業をやっている方があるグループにユニフォームなど受注したとき材料はこういうところで買い求めるのだそうです。
地方からわざわざ来た方、どこで情報をいれたか?外人さんの姿も見えます。

別に買うものがあるわけではありません。オバサンはこういう街をブラブラするのが好きなようです。

師走の東京の街歩きはこれでお終いです。上野で友だちと会って少しおしゃべりして、それから池袋で軽くいっぱい飲らないで帰りました。


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