今年の夏、信州の保福寺峠を訪れてウエストンの碑を見たとき「日本アルプスの登山と探検」を読みかえしてみようと思いました。上高地にあるレリーフのウエストンはオジサン顔ですが宣教師としてはじめて来日したときは27歳、まだ青年です。1891年(明治24年)30歳のときから日本の山に登りはじめます。アングロサクソン系ですからスゴイ体力です。上松から木曾駒ケ岳(2956m)に登って伊那まで1日で踏破します。博学です。動植物、地理学、地質学、民俗学、政治、経済、信教まですべてに通じています。日本語も達者です。
1992年赤石山に登ってます。前の年に木曾駒ケ岳で見た赤石山(3120m)に魅入られたからです。写真は伊那谷の桃源郷、大鹿村の大河原から見た赤石山です。
汽車で上田へ、人力車で松本(泊)へ、馬車で松島(箕輪町)へ、徒歩で高遠へ(泊)、市野瀬峠(分杭峠1424㍍)を越えて市場(泊)、大鹿村大河原から湯場(小渋湯泊)、湯場から10時間で赤石山へ、もと来た道を引き返して暴風雨の中で野営をしています。猟師を案内人に強力も連れていったようです。道は現在と変わらないようです。
小渋川を遡行して広川原へ、尾根に取り付いて大聖寺平経由で登ったようですが記述があいまいです。何しろ地図も無い時代です。通訳もいません。ただただ、そのタフさに感心します。
伊那は私のふるさとです。大鹿村へは何回か行ったことがあります。いまは南アルプス赤石岳といいますが、むかしは赤石とか荒川とか塩見と呼んでいました。
青木枝朗訳「日本アルプスー登山と探検」(岩波書店1997年刊)
この話の続きは。
1992年赤石山に登ってます。前の年に木曾駒ケ岳で見た赤石山(3120m)に魅入られたからです。写真は伊那谷の桃源郷、大鹿村の大河原から見た赤石山です。
汽車で上田へ、人力車で松本(泊)へ、馬車で松島(箕輪町)へ、徒歩で高遠へ(泊)、市野瀬峠(分杭峠1424㍍)を越えて市場(泊)、大鹿村大河原から湯場(小渋湯泊)、湯場から10時間で赤石山へ、もと来た道を引き返して暴風雨の中で野営をしています。猟師を案内人に強力も連れていったようです。道は現在と変わらないようです。
小渋川を遡行して広川原へ、尾根に取り付いて大聖寺平経由で登ったようですが記述があいまいです。何しろ地図も無い時代です。通訳もいません。ただただ、そのタフさに感心します。
伊那は私のふるさとです。大鹿村へは何回か行ったことがあります。いまは南アルプス赤石岳といいますが、むかしは赤石とか荒川とか塩見と呼んでいました。
青木枝朗訳「日本アルプスー登山と探検」(岩波書店1997年刊)
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