☆「語り継ぐ責任・・・あの戦争」だけ見たいかたは・・・クリック
70前の4月7日は・・・太平洋戦争において世界最大の不沈戦艦といわれた日本海軍の戦艦「大和」が鹿児島県薩摩半島の南端の坊の岬から南400kmの海域で米海空軍の機動隊にメッタ打ちにあい沈没した日です。
1945年4月7日未明、巨大戦艦「大和」は山口県徳山沖より豊後水道を通って天一作戦実行のため沖縄方面に向かいます。
4月7日朝6時、「大和」は九州鹿児島の大隅半島の沖を航行、陸地は桜が満開だったそうです。
「これが日本で見る桜の見納めか」と乗組員は呟いていたそうです。
12時34分 米軍の艦載機が鹿児島県薩摩半島の南端の坊の岬から南400kmの海域で嵐のように襲いかかってきます。
14時23分 戦艦大和沈没・・・戦死者2740名 生存者269名(276名とも)。巡洋艦、駆逐艦など合わせて戦死者3700名。
8年の歳月をかけて、東海道新幹線と同等の建設費をかけたという戦艦大和は片道切符の燃料を載せて出撃して、たった2時間で海の底に消えていきました。
4月7日朝6時、「大和」は九州鹿児島の大隅半島の沖を航行、陸地は桜が満開だったそうです。
「これが日本で見る桜の見納めか」と乗組員は呟いていたそうです。
12時34分 米軍の艦載機が鹿児島県薩摩半島の南端の坊の岬から南400kmの海域で嵐のように襲いかかってきます。
14時23分 戦艦大和沈没・・・戦死者2740名 生存者269名(276名とも)。巡洋艦、駆逐艦など合わせて戦死者3700名。
8年の歳月をかけて、東海道新幹線と同等の建設費をかけたという戦艦大和は片道切符の燃料を載せて出撃して、たった2時間で海の底に消えていきました。
※写真は4月7日PM7:00NHKニュース番組から。
ニュース番組の中で元乗組員で出撃前に他艦に乗務異動になったため戦死を免れた広一志さんは戦友のことをこう語っていました。
「もし生きていれば勉強もするだろうし 恋もするだろうし いいろいろな夢や希望もあるだろうし・・・」
「もし生きていれば勉強もするだろうし 恋もするだろうし いいろいろな夢や希望もあるだろうし・・・」
今の世だから「何故片道しか・・・・・」と思うのでしょうが、人間性のなかった当時では、当然のことのように思う・それもまた、戦争の恐ろしさでもあると思います。
もう二度と! でも今の状況は・・・・・怖いことです。
いつも書いてくださり有難うございます。
別の局のニュースで沖縄のひめゆりの塔の語り部が引退、経験者でないかたが引き継いでいくようになるのだそうです。
語り部の方がこう語っていました「人は生きて人様のお役に立ちながら素直な気持ちで楽しみながら生きていくというのがね人間の使命であると思うよ」17歳の時に学友を亡くしその無念を語って来た人の本音です。
今週、首都圏同級会があります。何十年いくさ無き時代を過ごした。これからも戦なき時代を続けるように・・・この言葉が誰からも出てきます。
4月9日は、70年前あの大型戦艦大和が撃沈され
た日なんですね。私は、長崎の高校は造船科だった
ので講師の先生たちは、皆さん同艦の武蔵の建造
に携わっていたので、時々、武蔵の話を聞くことがで
きました。先人たちがいたから私達が幸せな毎日を
送っているんですね。いつまでも平和な日本であって
欲しいですね。
明仁天皇陛下が今ベルリュー島に慰霊の旅にいらっしてます。陛下の恒久の平和を祈る気持ちに感動しています。
石垣島にいらしてたんですね。。
私はウン十年前仕事で行ったことがあります。そのころはカメラ無しでしたから記録に残ってるものがありません。
海の美しさが今も記憶にあります。
バードからしばらく遠ざかっています。
今年はオオタカに逢えそうです。
信州に用事があり、鳥たちに逢いたいと思っていましたがスケジュールがきつくてうまく行きません。
奥様の花壇綺麗になりましたね。
コメントありがとうございました。