2006年4月、長崎県島原、天草の乱の舞台「原城」から不知火の海を見ていました。
桜の季節でした。
1945年4月7日未明、巨大戦艦「大和」は山口県徳山沖より豊後水道を通って天一作戦実行のため沖縄方面に向かいます。
4月7日朝6時、「大和」は九州鹿児島の大隅半島の沖を航行、陸地は桜が満開だったそうです。
「これが日本で見る桜の見納めか」と乗組員は呟いていたそうです。
4月7日午後2時23分、「大和」は鹿児島県坊の岬から南400㎞の沖で海の藻屑に。
乗組員3000余名の9割以上は「水漬く屍」となりました。
桜の季節でした。
1945年4月7日未明、巨大戦艦「大和」は山口県徳山沖より豊後水道を通って天一作戦実行のため沖縄方面に向かいます。
4月7日朝6時、「大和」は九州鹿児島の大隅半島の沖を航行、陸地は桜が満開だったそうです。
「これが日本で見る桜の見納めか」と乗組員は呟いていたそうです。
4月7日午後2時23分、「大和」は鹿児島県坊の岬から南400㎞の沖で海の藻屑に。
乗組員3000余名の9割以上は「水漬く屍」となりました。
※戦艦「大和」に関するわたしの過去ログ。
2012年10月28日のブログ→クリック→吉田満の・・・戦艦大和のさいご・・・人間による人間に対する加虐の状況
2013年4月7日のブログ→クリック→今日4月7日は68年前・・・巨大戦艦「大和」の最後の日
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