戦前・戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でもお互いに世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
私は表記のことを終戦記念日のある8月と年の初めの1月に繰り返し投稿しています。
私が旧制の工業学校に在学中に生徒全員が集められ、校長から日本が米国に宣戦布告をしたと告げられました。その時生徒達は「これで戦争は勝てるの」かの派遣将校の耳に入らない様とひそひそと話し合ったものです。
その後の女性学者の指摘では当時の国民総生産、大砲、砲弾、工場の増産に繋がる粗鋼生産量はともに米国は日本の12倍。車の数、石油のの生産量は数百倍と知りました。だからら工業生徒でも心配するのは当然です。
蘆溝橋事件から中国の奥地から南方地域の戦地の拡大と(戦争の勝敗に大きく影響する)戦線が伸びきった1941年のハルノートの全面的な戦線撤退の要求を期に、日本の都合の悪い情報を無視し米国への宣戦布告。その頃使われた「大東亜共栄圏」、「八紘一宇」の標語。当事者も心に引っ掛かりながら国民をその気にさせる標語。
然しその前にも日本が戦争を思いとどまる機会があったのです。
1931年のリットン報告です。
当時は満州での関東軍の暴走に対して国連は反日一辺倒、米国主導のABCDライン(米・英・中・オランダ)による日本への石油封鎖の中で、国連はリットン調査団をアジアに派遣した。その結論は「樺太、朝鮮半島、台湾、満州の既得権益は認めるが、(関東軍主導による)満州国建国などそれ以上の権益拡大は認めない」というもの。当時の世界の考え方はこの程度なら国際法違反にならなかったのでしょう。しかも当時から軍部は関東軍の暴走に手を焼いていたのに。
然しば当時の国士、壮士が国内外で活躍、少年クラブで「敵中横断横断300里が出るなど、行け行けどんどんの空気に流されてこの好条件も蹴ってしまったのです。唯一良かったのは、国士たちが 毛沢東など中国の要人を匿い戦後の中国との国交回復に大きく貢献したことです。
当時の日本政府の判断を誤らせたのは眼に見えないが圧倒的な力を持つ国中に漲る私の言ういけいけどんどんの「空気」でした。
そして今も空気に流されて国の生存に関わる9条問題にまともに触れない日本。憲法がこれだけ議論されているのに、肝心の憲法学者の意見が全くと言って良いほど世にでない日本。9条の弱点を補うのが日米同盟という名の米国の保護国化、それでも9条を誇りに思う多くの人。その日本のウイークポイントをさらけ出して見せたのはアメリカ第一のトランプさん。それに翻弄される安倍さんを揶揄するマスコミ。元は変えられぬ9条から出ているのに。
温暖化の進行による大きな自然災害の続出に対する最大で最も有効な手段の一つの原発問題も空気に流されてまともな議論も出来ない日本。
福島第一の破壊にも「原子力安全神話」、「原子力村」の名に流されて、政府、国会調査団で素人同然か全く素人を選出。その結果はWikipediaから完全に黙殺。調査のないまま原子力規制委員会による原発の基準作成。原発訴訟で裁判官から原発事故の調査されてないとの判断。菅さんによる大型太陽光発電で常識では考えられない倍増の単価それも十年固定。それに対する批判はネット上だけ。
原発の停止のため火力発電所が温暖化ガスを排出(原発事故後はテレビで温室効果ガスと地球温暖化は無関係だと大真面目で議論されていました。) 現在はそれどころかむ日本は原発停止のため悪名高い石炭火力を止められず、温暖化合意の批准が遅れた自然災害先進国の日本。
繰り返しますが、原発だけでなく、九条、少子化など無難しい問題になると固まって立ちどまって仕舞う日本。
冒頭に書いていますように、「どのような事でもお互いに世論に流されずに自分の頭で考えましょう。」と言うのが若い方達へ戦中・戦後を経験した私の最後の申し送りです。
皆がそれぞれ良く考えて上での9条遵守、原発反対、少子化無視、軽視なら良いのですが、大戦突入以前からの空気に流され挙げ句、無残な敗戦を経験したた日本のように、また空気に流されて国の方向を間違えないことを祈っています。
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私は表記のことを終戦記念日のある8月と年の初めの1月に繰り返し投稿しています。
私が旧制の工業学校に在学中に生徒全員が集められ、校長から日本が米国に宣戦布告をしたと告げられました。その時生徒達は「これで戦争は勝てるの」かの派遣将校の耳に入らない様とひそひそと話し合ったものです。
その後の女性学者の指摘では当時の国民総生産、大砲、砲弾、工場の増産に繋がる粗鋼生産量はともに米国は日本の12倍。車の数、石油のの生産量は数百倍と知りました。だからら工業生徒でも心配するのは当然です。
蘆溝橋事件から中国の奥地から南方地域の戦地の拡大と(戦争の勝敗に大きく影響する)戦線が伸びきった1941年のハルノートの全面的な戦線撤退の要求を期に、日本の都合の悪い情報を無視し米国への宣戦布告。その頃使われた「大東亜共栄圏」、「八紘一宇」の標語。当事者も心に引っ掛かりながら国民をその気にさせる標語。
然しその前にも日本が戦争を思いとどまる機会があったのです。
1931年のリットン報告です。
当時は満州での関東軍の暴走に対して国連は反日一辺倒、米国主導のABCDライン(米・英・中・オランダ)による日本への石油封鎖の中で、国連はリットン調査団をアジアに派遣した。その結論は「樺太、朝鮮半島、台湾、満州の既得権益は認めるが、(関東軍主導による)満州国建国などそれ以上の権益拡大は認めない」というもの。当時の世界の考え方はこの程度なら国際法違反にならなかったのでしょう。しかも当時から軍部は関東軍の暴走に手を焼いていたのに。
然しば当時の国士、壮士が国内外で活躍、少年クラブで「敵中横断横断300里が出るなど、行け行けどんどんの空気に流されてこの好条件も蹴ってしまったのです。唯一良かったのは、国士たちが 毛沢東など中国の要人を匿い戦後の中国との国交回復に大きく貢献したことです。
当時の日本政府の判断を誤らせたのは眼に見えないが圧倒的な力を持つ国中に漲る私の言ういけいけどんどんの「空気」でした。
そして今も空気に流されて国の生存に関わる9条問題にまともに触れない日本。憲法がこれだけ議論されているのに、肝心の憲法学者の意見が全くと言って良いほど世にでない日本。9条の弱点を補うのが日米同盟という名の米国の保護国化、それでも9条を誇りに思う多くの人。その日本のウイークポイントをさらけ出して見せたのはアメリカ第一のトランプさん。それに翻弄される安倍さんを揶揄するマスコミ。元は変えられぬ9条から出ているのに。
温暖化の進行による大きな自然災害の続出に対する最大で最も有効な手段の一つの原発問題も空気に流されてまともな議論も出来ない日本。
福島第一の破壊にも「原子力安全神話」、「原子力村」の名に流されて、政府、国会調査団で素人同然か全く素人を選出。その結果はWikipediaから完全に黙殺。調査のないまま原子力規制委員会による原発の基準作成。原発訴訟で裁判官から原発事故の調査されてないとの判断。菅さんによる大型太陽光発電で常識では考えられない倍増の単価それも十年固定。それに対する批判はネット上だけ。
原発の停止のため火力発電所が温暖化ガスを排出(原発事故後はテレビで温室効果ガスと地球温暖化は無関係だと大真面目で議論されていました。) 現在はそれどころかむ日本は原発停止のため悪名高い石炭火力を止められず、温暖化合意の批准が遅れた自然災害先進国の日本。
繰り返しますが、原発だけでなく、九条、少子化など無難しい問題になると固まって立ちどまって仕舞う日本。
冒頭に書いていますように、「どのような事でもお互いに世論に流されずに自分の頭で考えましょう。」と言うのが若い方達へ戦中・戦後を経験した私の最後の申し送りです。
皆がそれぞれ良く考えて上での9条遵守、原発反対、少子化無視、軽視なら良いのですが、大戦突入以前からの空気に流され挙げ句、無残な敗戦を経験したた日本のように、また空気に流されて国の方向を間違えないことを祈っています。
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