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郷原 佳以
1975年生
2005年3月 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程 単位取得満期退学
2007年6月 パリ第7大学大学院テクストとイメージの歴史と記号学研究科博士課程 修了
These soutenue : Il y a de l’image – Maurice Blanchot et l’image minimale de la litterature(atelier national de reproduction des theses, 2009, 38euros, ISBN : 978-2-7295-7201-3)
日本学術振興会特別研究員(東京大学)、放送大学非常勤講師、東京大学UTCP共同研究員を経て、
2008年4月より 関東学院大学文学部比較文化学科専任講師、2010年4月より同准教授
2015年9月より東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻准教授
単著
発表した文章
研究発表・講演
翻訳
科研費
仏語教育
単著
・『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』 左右社、2011年2月20日発行、3800円(税別)、ISBN : 978-4-903500-49-2
発表した文章
・「デリダの文学的想像力12 発明の再発明の夢」『みすず』2020年12月号(699号)、36-45頁。
・「デリダの文学的想像力11 アポカリプスとインヴェンション」『みすず』2020年10月号(697号)、35-43頁。
・「力の過剰としてのエクリチュール」「コメット通信」(メールマガジン)第1号、水声社コメット・ブッククラブ、2020年8月31日、1頁。
・「ジャック・デリダ「テレパシー」――テレパシーの試練」『現代思想 総特集 コロナ時代を生きるための60冊』2020年9月臨時増刊号(vol.48-11)、121-126頁。
・書評:森本淳生/ジル・フィリップ編『マルグリット・デュラス 〈声〉の幻前』(水声社、2020年)、日本ヴァレリー研究会Blog-Le vent se lève、2020年8月7日。
・「デリダの文学的想像力10 他なる語りのインヴェンション」『みすず』2020年8月号(695号)、34-43頁。
・「ブランショ」『現代フランス哲学入門』川口茂雄・越門勝彦・三宅岳史編、ミネルヴァ書房、2020年、187-191頁。
・「デリダの文学的想像力9 形而上学の壮大な連鎖、あるいは、星を太陽とみなすこと――「白い神話」読解4」『みすず』2020年6月号(693号)、47-57頁。
・「「作者の死」の歴史性」、東京大学教養学部編『知のフィールドガイド 異なる声に耳を澄ませる』白水社、2020年、152-167頁。
・「訳者補記 モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、67-68頁。
・郷原佳以+桒山智成+中尾麻伊香+岡田温司+木下千花、共同討議「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、16-58頁(「世界の終わりに見る夢――書物を燃やす、書物になる」:16-23頁)。
・「デリダの文学的想像力8 摩滅と類比のエコノミー――「白い神話」読解3」『みすず』2020年4月号(691号)、41-57頁。
・「第1章 テクスト」、三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード 文学理論』フィルムアート社、2020年、16-44頁。
・「「今」を見つめるマラルメのアイロニー」(原大地『ステファヌ・マラルメの〈世紀〉』書評)『週刊読書人』2020年3月6日(第3330号)、6面。
・「非性器的センシュアリティを呼び戻すために――松浦理英子論序説」『現代思想 総特集 フェミニズムの現在』2020年3月臨時増刊号、102-113頁。
・「「わかること」と「なること」と小説」(千葉雅也『デッドライン』書評)『週刊読書人』2020年1月31日(第3325号)、4面。
・「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』について――」『立命館大学人文科学研究所紀要』120号、2019年12月、129-150頁。
・「デリダの文学的想像力7 一般的隠喩論の不可能性へ向けて――「摩滅」の形而上学2」『みすず』2019年12月号(688号)、44-55頁。
・「デリダの文学的想像力6 「白い神話」という神話――「摩滅」の形而上学1」『みすず』2019年10月号(686号)、2-13頁。
・「「あけぼのの赤らみ」を見上げて」(野村喜和夫訳『ルネ・シャール詩集』書評)『図書新聞』2019年10月5日(第3417号)、3面。
・「デリダの文学的想像力5 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ4」『みすず』2019年8月号(684号)、12-22頁。
・「デリダの文学的想像力4 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ3」『みすず』2019年6月号(682号)、26-36頁。
・「デリダの文学的想像力3 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ2」『みすず』2019年4月号(680号)、14-25頁。
・「拓き貫く記号論」(石田英敬先生を送る言葉)『教養学部報』2019年2月1日号、6面。
・「デリダの文学的想像力2 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ1」『みすず』2018年12月号(677号)、30-39頁。
・「空に投げ出された言葉について」(ピエール・パシェ『母の前で』書評)『週刊読書人』2018年12月7日(第3268号)、5面。
・「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」高桑和巳編著『デリダと死刑を考える』白水社、2018年、169-203頁。
・「デリダの文学的想像力1 脱構築は「文学的」テクスト読解である」『みすず』2018年10月号(675号)、10-18頁。
・「「共鳴体」、吉増剛造」、林浩平×建畠晢×郷原佳以鼎談、『図書新聞』2018年9月8日号(第3366号)、1-2面。
・「襖絵から犬が飛び出す――『犬ヶ島』で鼻面を愛でる」『ユリイカ 総特集 ウェス・アンダーソンの世界』2018年6月臨時増刊号、41-51頁。
・「どんな母語でもない言語」(多和田葉子『地球にちりばめられて』書評)『週刊読書人』2018年5月18日号(第3239号)、2面。
・「『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』――「僕がメモリだ」 メモリをめぐる「除籍者」たちの闘い」『現代思想 総特集 現代を生きるための映像ガイド』2018年3月臨時増刊号、180-183頁。
・ « Le chant des Sirènes et la “voix narrative” – le mythe, la voix et le récit », Cahiers Maurice Blanchot 5, Hiver 2017-2018, Les presses du réel, p. 70-83.
・「指呼詞を折り襲ねる――『怪物君』の歩行」『三田文學』132号(2018年冬季号)、慶應義塾大学出版会、2018年1月、190-207頁。
・「知恵の木の実をかじる前の言葉」(ミシェル・レリス『ゲームの規則Ⅰ 抹消』『ゲームの規則Ⅱ 軍装』書評)『週刊読書人』2018年1月5日〔12月29日合併〕号(第3221号)、4面。
・「「すべて」をめぐる断片の運動――ブランショにおける共同体の(非)実践的射程」、岩野卓司編『共にあることの哲学と現実 家族・社会・文学・政治』書肆心水、2017年、187-226頁。
・「訳者あとがき」、モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』筑摩書房、2017年、335-350頁。
・「すべては「かのように」」(フィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』書評)『ふらんす』2017年10月号、白水社、70頁。
・「理論のフィクション性、あるいは、「デリダ派」蓮實重彦」『ユリイカ 総特集 蓮實重彦』2017年10月臨時増刊号、370-383頁。
・「『終わりなきデリダ――ハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話』書評」『フランス哲学・思想研究』第22号、日仏哲学会、2017年9月、293-297頁。
・「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」、塚本昌則・鈴木雅雄編『声と文学 拡張する身体の誘惑』平凡社、2017年、74-102頁。
・「デリダにおける《ミッション:インポッシブル》――灰、自伝、エクリチュール」『言語・情報・テクスト』第23巻、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2016年12月発行、41-60頁。
・「文学は本当に「ゆっくり」なのか?」(イルマ・ラクーザ『ラングザマー』書評)『週刊読書人』2016年12月9日号(第3168号)、5面。
・「連用日記のダイヤグラム、あるいは、記憶と記録」(「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」Review)『現代の眼』第620号、東京国立近代美術館、2016年10-11月号、10-11頁。
・マルグリット・デュラス『愛人』紹介、『東京大学新聞』第2775号、2016年10月4日号、2面。
・「他なる声、他なる生、比喩形象フィギュール――「訳者解説」にかえて」、ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年、335-365頁(「訳者あとがき」367-372頁)。
・「「すべて」に向かって「間」にいること」『現代詩手帖』2016年4月号(特集 粟津則雄 批評と詩魂)、74-78頁。
・「死を完遂させようとする試み」(ステファヌ・マラルメ+ジャン=ピエール・リシャール『アナトールの墓のために』書評)『週刊読書人』2016年3月11日号(第3131号)、5面。
・「バートルビーというFigure」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年12月28日。
・「生誕を生き直す」(J・M・G・ル・クレジオ『嵐』書評)『週刊読書人』2016年1月1日号(第3121号)、5面。
・「〈時に沿って〉捏造記憶」『教養学部報』第578号、2015年11月4日、4面。
・「「なぜ書くのですか?」」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年10月23日。
・「書くことと赦しを求めること シクスーによるデリダ」『ふらんす』〈特集 ジャック・デリダ〉2015年11月号、17-18頁。
・「教員コラム:非ポジティヴ思考のすすめ」2015年8月14日。
・「作家の記憶」(河野多惠子『考えられないこと』書評)『文學界』2015年8月号、288-289頁。
・「近い他者 遠い他者――デリダと文学的想像力」『早稲田文学』2015年夏号(通巻1014号)、2015年5月、38-51頁。
・「手紙とアーカイヴの思想家の伝記」(ブノワ・ペータース『デリダ伝』書評)『図書新聞』2015年4月4日号(第3201号)1面。
・「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」『現代思想 総特集 デリダ』2015年2月臨時増刊号、76-100頁。
・「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」『関東学院大学文学部紀要』第131号、2014年12月発行、121-141頁。
・「伝記的なものをめぐる伝記的エッセイ」(訳者解説)、クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年、609-620頁。
・「教員コラム:飼い犬になりたい?」2014年11月21日。
・「あの頃のようには、もう読めない」『群像』2014年11月号、323頁。
・「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」『マルグリット・デュラス 生誕100年 愛と狂気の作家』河出書房新社、2014年、143-153頁。
・「巣穴の底で夢見るデリダ」(ニコラス・ロイル『デリダと文学』書評)『週刊読書人』2014年8月6日号(第3051号)、4面。
・ « Atsushi Miyakawa et Maurice Blanchot – fascination de l’image », Cahier de L’Herne Blanchot, Editions de l’Herne, 2014, pp. 370-376.
・「バタイユとブランショの分かちもったもの 「一九五二年一〇月一八日付のノート」から出発して」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、125-139頁。
・「否定性の文学史に抗して」(中田健太郎『ジョルジュ・エナン』書評)『現代誌手帖』2014年6月号、153頁。
・「想像と生成」(J・M・G・ル・クレジオ『隔離の島』書評)『文學界』2014年4月号、294-295頁。
・「訳者解説――「蚕」、あるいは、脱構築の告白」、エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』郷原佳以訳、みすず書房、2014年、163-201頁。
・「 教員コラム:シュルレアリスム@金沢文庫」2013年12月6日。
・「海外文学・文化回顧2013フランス:日本という磁場?」『図書新聞』2013年12月21日号(第3139号)、7面。
・recension de Yasuhiko MURAKAMI, Levinas – Kowaremono toshiteno Ningen [ Levinas – l’homme : etre fragile], Cahiers d’etues levinassiennes, No. 12, “La Nature”, l’Institut d’Etudes Levinassiennes, novembre 2013, pp. 217-220.
・「「物語」と第三の空席――村上春樹とモーリス・ブランショ」『早稲田文学』6号、2013年9月、478-495頁。
・「インファンスと神託の声」(モーリス・ブランショ『他処からやって来た声』書評)『図書新聞』2013年6月15日号(第3114号)5面。
・「デリダが〈散種〉したもの」(藤本一勇・立花史と鼎談、ジャック・デリダ『散種』をめぐって)『週刊読書人』2013年4月5日(第2984号)、1-2面。
・「海外文学・文化回顧2012フランス:恋愛小説の国」『図書新聞』2012年12月22日号(第3091号)、7面。
・「教員コラム:顔を上げて読むこと」2012年12月14日。
・「謎かけの人ブランショ」(安原伸一朗と対談、M・ブランショ『謎のトマ』をめぐって)『図書新聞』2012年9月29日号(第3080号)、1-2面。
・「夢に呑み込まれたデカルト」(スーザン・ソンタグ『夢の賜物』書評)『図書新聞』2012年9月1日号(第3076号)、5面。
・「ヴェロニカ、あるいはファリック・シスターの増殖 ブランショとセクシュアリティ」『別冊水声通信 セクシュアリティ』水声社、2012年7月、259-283頁。
・「フレンホーフェル効果」『組立-作品を登る-』「組立」、2012年3月、52-64頁。
・「なんとなく、ノワズゥズ」『ユリイカ 特集 辞書の世界』2012年3月号、170-179頁。
・「「顔」と芸術作品の非 - 起源」『現代思想 総特集 レヴィナス』2012年3月臨時増刊号、285-299頁。
・「新人小説月評」『文學界』2012年2月号、259頁、『文學界』2012年3月号、264-265頁、『文學界』2012年4月号、274-275頁、『文學界』2012年5月号、260-261頁、『文學界』2012年6月号、306-307頁、『文學界』2012年7月号、258-259頁。
・「海外文学・文化回顧2011 フランス:小説と回想」『図書新聞』2011年12月24日号(第3043号)、7面。
・「「白日の狂気」の治癒」(鹿島田真希『来たれ、野球部』書評)『すばる』2012年1月号、378頁。
・「ジャンルによるジャンルの乗り越え」(池田雄一『メガクリティック』書評)『週刊読書人』2011年12月2日号(第2917号)、5面。
・「透明人間の肉体、あるいは、模倣と接触――アポリネールと「絵画の起源」神話」『ART TRACE PRESS』第1号、2011年11月、104-119頁。
・「廃墟に踏みとどまる亡命者たち」(四方田犬彦『書物の灰燼に抗して』書評)『図書新聞』2011年8月13日号(第3026号)、4面。
・「書評:ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』」『週刊文春』2011年7月21日号、116頁。
・「日常との向き合い方 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』」『現代思想 総特集 震災以後を生きるための50冊』2011年7月臨時増刊号、242-245頁。
・「読書日録」『すばる』2011年7月号、280-281頁、『すばる』2011年8月号、284-285頁、『すばる』2011年9月号、316-317頁。
・「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――ドゥギー/ジュネット論争(1)」『関東学院大学人文科学研究所報』第34号、2011年5月(「3月31日発行」)、3-19頁。
・「不実な忠実」『文學界』2011年6月号、241頁。
・「「あいだ」の換喩的なきらめき[オスキルム]――岡田温司『半透明の美学』書評」『表象』第5号、2011年4月、301-307頁。
・「「同期」する時代と筆」(神山睦美『小林秀雄の昭和』書評)『図書新聞』2011年4月2日号(第3008号)、4面。
・「教員コラム:「オレンジのような青さ」の方へ」2011年3月10日。
・「書評:湯浅博雄『応答する呼びかけ』(未來社、2009年)」『言語・情報・テクスト』Vol. 17、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2010年12月、75-78頁。
・「合一しないこと、あるいは、果てなき愛――ジュネ/ブランショ」『ユリイカ 特集 ジャン・ジュネ』2011年1月号、200-209頁。
・「海外文学・文化回顧2010 フランス:沈黙する術を学ぶこと」『図書新聞』2010年12月25日号(第2995号)、7面。
・「「脱創造」へのいざない」(今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』書評)『図書新聞』2010年9月25日号(第2983号)、3面。
・「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るブランショ」『関東学院大学文学部紀要』第119号、2010年7月、1-31頁。
・「既読感のドーナツ」(ジョルジュ・ペレック『煙滅』書評)『図書新聞』2010年3月20日号(第2958号)、4面。
・「海外文学・文化回顧2009 フランス:コミュニケーションのひび割れ――饒舌と沈黙を描き出す小説の言葉」『図書新聞』2009年12月26日号(第2947号)、3面。
・「教員コラム:機械的なものの美」2009年11月26日。
・「書評:ミシェル・ヴィヴィオルカ『暴力』」 Revue japonaise de didactique du francais, Vol. 4, no. 2、日本フランス語教育学会、2009年10月、192-194頁。
・「自己を/で織る詩――蚕になるデリダ」『ユリイカ 総特集 昆虫主義』2009年9月臨時増刊号、192-208頁。
・「簡便な消費を拒む身体-書物の世界」(今福龍太『身体としての書物』書評)『図書新聞』2009年8月29日号(第2931号)、4面。
・「「外光」に浸される現代性[モデルニテ]の「典型」と「様相」――マラルメの詩論展開におけるマネ論の位置」『関東学院大学文学部紀要』第116号、2009年7月、7-37頁。
・「アブラハムから雄羊へ――動物たちの方を向くデリダ」『現代思想 特集 人間/動物の分割線』2009年7月号、156-171頁。
・“ “ Il faut ” de la traduction ” in Association des amis de Maurice Blanchot (ed.), Blanchot dans son siècle, Lyon, Parangon/Vs, 2009, pp. 140-146.
・「芸術作品といかに出会うか――美術館の遍在と「美術館病」」『比較文化をいかに学ぶか【増補改訂版】』関東学院大学文学部比較文化学科編、明石書店、2009年、174-195頁。
・「舞踊は詩のように、詩は舞踊のように、「……のよう〔comme〕」が世界を駆動する」(ミシェル・ドゥギー『愛着』書評)『図書新聞』2009年3月21日号(第2910号)、4面。
・「透明フィルムのたゆたい」吉増剛造 DVD+Book『キセキ――gozoCine』オシリス、2009年2月、163-165頁。
・「俯瞰的な視点を妨げる細部の横溢」(ブランショ『アミナダブ』書評)『図書新聞』2009年2月14日号(第2905号)、4面。
・「デリダにおける死刑の問題」『現代思想 特集 裁判員制度――死刑を下すのは誰か』2008年10月号、162-179頁。
・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
「言語のショート・サーキット――マラルメとポーランが出会う場所」342-359頁。
「非人称性の在処――「語りの声(「彼」、中性的なもの)」解題」229-241頁。
「ブランショ研究の近況――スリジーのブランショ・コロック報告」61-69頁。
座談会(湯浅博雄・上田和彦・西山雄二と)「来るべきテクストのために――ブランショの現在」84頁-119頁。
「解題」:『踏みはずし』360頁、『火の部分』361頁、『終わりなき対話』363-364頁。
・「複製技術時代のラヴレター」(ジャック・デリダ『絵葉書I』書評)『環』第34号、藤原書店、2008年夏、314-319頁。
・「書評:西山雄二『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』」『cahier』01、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、21-22頁(Web版はこちら)。
・“ “ Il y a ” de l’image – Sartre, Levinas, Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第92号、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、122-138頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・“ L’enseignement par le dis-cours. La forme de l’enseignement selon Blanchot ” in Philosophie et Education. Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse, “UTCP Booklet 1”, Tokyo, UTCP, 2008, pp. 23-42.(UTCPのサイトでPDF版が公開されています→閲覧)
・「死体の重さ、あるいはアネット・メサジェの反ベルクソニスム」 SITE ZERO Review、2007年12月28日、http://site-zero.net/_review/post_44/
・「文学、この「ほとんど何でもないもの」――ドミニク・ラバテ『破れ鍋』によせて」『Resonances』第5号、東京大学教養学部フランス語部会、2007年10月、128-129頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「言語のアポリアから言語の魔術へ――ブランショとシュルレアリスム」『水声通信』第20号(特集:思想史のなかのシュルレアリスム)、水声社、2007年9-10月、76-84頁。
・「美術館病、あるいは展示価値のアウラ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 1、メディア・デザイン研究所、2007年9月、132-159頁。
・“ L’œuvre d’art en tant que Musee – autour des textes de Blanchot sur Malraux – ” 『フランス語フランス文学研究』第90号、日本フランス語フランス文学会、2007年3月、101-119頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「「殺して終わり」の欺瞞性――「死刑廃止をめぐるヨーロッパの経験」シンポジウムに参加して」『未来』第483号、未來社、2006年12月、10-13頁。
・「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月、36-37頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・“ Passion de la figuration – La figure d’Abraham chez Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第89号、日本フランス語フランス文学会、2006年7月、108-124頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「待てないこと――コレットの場合」『アルゴ』第17号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2006年4月、172-184頁。
・「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」『関東支部論集』第14号、日本フランス語フランス文学会、2005年12月、237-251頁。
・「海外文学・文化回顧2005 フランス」『図書新聞』2005年12月24日号(第2755号)、4面。
・「プロブレム――デリダの〈前〉に」『現代思想 特集 イメージ発生の科学』2005年7月号、196-206頁。
・「第三部訳者解題 証言――記憶しえないものを忘れないこと」『ブランショ政治論集 1958-1993』、月曜社、2005年、332-377頁。
・「「マラルメの神話」、あるいは、言語の虚構[フィクション]としての詩――ブランショによるマラルメ」『Resonances』第3号、東京大学教養学部フランス語部会、2005年3月、28-29頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「「夜のように広々とした」――ブランショとバシュラールの詩学におけるイメージ概念の相違」『年報 地域文化研究』第8号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2005年3月、108-132頁。
・「言語によって言語に抗する」(ブランショ/ポーラン/内田樹他『言語と文学』書評)『図書新聞』2005年3月12日号(第2717号)、5面。
・「デリダと(は)自動車(である)」『現代思想 緊急特集 ジャック・デリダ』2004年12月号、219-227頁。
・ “ “Figures” feminines comme prosopon dans Au moment voulu ” in L’OEuvre du Feminin dans l’ecriture de Maurice Blanchot, coll. “ Compagnie de Maurice Blanchot ”, Grignan, Les Editions Complicites, 2004, pp. 157-179.
・「プロソポンとしての形象[フィギュール]――ブランショ『望みの時に』より」『Resonances』第2号、東京大学教養学部フランス語部会、2004年3月、123-131頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「研究手帖 「表象しえない」ものの写真」『現代思想』2004年4月号、206頁。
・「死刑存廃議論の沸騰のなかで――一九七〇-八〇年代フランス」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、214-221頁。
・「彼女の名、この不気味な驚異――ブランショにおける命名行為」『未来』第449号、未來社、2004年2月、9-19頁。
・“ Sur la traduction de l’oeuvre de Blanchot au Japon ” in Christophe Bident et Pierre Vilar (ed.), Maurice Blanchot. Recits critiques, Tours, Editions Farrago / Editions Leo Scheer, 2003, pp. 245-249.
・「人権リーグ」紹介、コリン・コバヤシ編著『市民のアソシエーション――フランスNPO法100年』太田出版、2003年7月 、133-149頁。
・「ブランショは何を見ていたか、あるいは、カトリーヌ・レスコーの足」[付―「モーリス・ブランショ主要著作目録」]『d/SIGN』第5号、太田出版、2003年10月、74-77頁。
・「モーリス・ブランショ 国際シンポジウム報告 批評的物語[レシ]」(1)~(6)『図書新聞』2003年6月7日号(第2632号)~7月12日号(第2637号)、3面連載。
・「無気味な類似――ブランショにおけるイメージ」『Resonances』第1号、東京大学教養学部フランス語部会、2003年3月、8-14頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「フランスでの死刑廃止二〇周年集会に参加して」『年報・死刑廃止2002 世界のなかの日本の死刑』インパクト出版会、2002年7月、126-134頁。
・「ブランショにおける「中性的なもの」」、『年報 地域文化研究』第5号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2002年3月、147-165頁。
・「しるしを残すルパン――『エギュイユ・クルーズ』を読む――」『アルゴ』第16号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2001年8月、118-132頁。
・「疲労の語り/語りの疲労――ブランショ「終わりなき対話」から――」『言語態』第2号、言語態研究会、2001年6月、5-15頁。
・「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」『フランス語フランス文学研究』第77号、日本フランス語フランス文学会、2000年10月、36-48頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「二重のトーラーをめぐって――「デリダに感謝」するブランショ――」『年報 地域文化研究』第3号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2000年3月、131-146頁。
・「マルグリット・デュラス著作解題」『ユリイカ 特集マルグリット・デュラス』1999年7月号所収。
研究発表・講演
2020年9月24日
中動態研究会研究集会「言語の中動態、思考の中動態」ディスカッサント@Zoom+慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎
2020年2月9日
『形』レクチャーシリーズ
「語りの形 フィクションの始まり」@北千住BUoY
2019年10月22日
「話しているのは誰?現代美術に潜む文学」展「タムラの空耳アワー」
「こことよその交叉――田村友一郎Sky Eyes/空目について」@国立新美術館3階講堂
2019年7月6日
表象文化論学会第14回大会シンポジウム「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」
「世界の終わりに見る夢」@京都大学吉田キャンパス稲森ホール(芝蘭会館本館2階)
2019年3月16日
亀井大輔『デリダ 歴史の思考』合評会@立命館大学衣笠キャンパス末松記念館第三会議室
「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』書評」
2018年6月2日
バタイユ・ブランショ研究会@獨協大学西棟W-425
「『終わりなき対話』第3部における叙事詩としての文学」
2018年5月24日
6th Derrida Today Conference, May 23-26th, 2018, Concordia University, Montreal, Canada
« La mémoire et la/là cendre – Généalogie de la Deuxième lettre chez Derrida »
2018年2月17日
村上克直『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』合評会@日本大学文理学部本館2階会議室A
「非-主題としての動物――村上克尚『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』について」
2017年10月29日
日本フランス語フランス文学会秋季大会ワークショップ「ラスコーの曙光から~バタイユ、シャール、ブランショ」@名古屋大学C22教室
「ラスコーと「永遠の誕生」――シャールとバタイユを読むブランショ」
2017年10月7日
シンポジウム「デリダと死刑を考える」@慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎2階大会議室
「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」
2017年7月15日
シンポジウム「デリダと宗教的なもの」第1部「赦すことと信じること」@慶應義塾大学三田キャンパス東館8階ホール
コメント「デリダはなぜ自らを「最後のユダヤ人」として提示したのか――あるいは、キリスト教的エコノミーをいかにかわすか」
2017年3月11日
成蹊大学アジア太平洋研究センター主催シンポジウム「カタストロフィと詩――吉増剛造の「仕事」から出発して」@成蹊大学10号館2階大会議室(poster)
「「忘れがちの記憶」、吉増剛造」
2017年1月26日
竹峰義和『救済のメーディウム』合評会@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「「毒をもって毒を制する」療法的思想――竹峰義和『救済のメーディウム』に見られるベンヤミン、アドルノらの弁証法」
2016年7月30日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅱ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「喪をめぐる2つのファンタスム――最晩年のセミネールと過去の著作」
2016年6月30日
フランス語・イタリア語部会談話会@東京大学駒場キャンパス18号館6階ラウンジ
「デリダにおける « Mission Impossible »――自伝の脱構築論に向けて」
2016年4月18日
ブリュノ・クレマン来日講演「声なき者たちの声、プロソポペイア――文学と哲学の間の比喩形象」( « La voix des sans voix : la prosopopée, une figure entre littérature et philosophie ») ディスカッサント@日仏会館1階ホール(コメント commentaire)
2016年3月19日
Journée d’étude : « French Theory au Japon », CIPh, Grande Salle, Maison Heinrich Heine, Paris
« Critique et traducteur – la passion du « tout » et de l’« entre » » (résumé)
2015年12月17日
UTCP Workshop Bartleby revisited@東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室
“On Gisèle Berkman’s L’Effet Bartleby, philosophes lecteurs” (handout)
2015年5月30日
バタイユ・ブランショ研究会 大森晋輔『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』書評会コメンテーター@明治学院大学
「「言語が足りない」ときにどうするか――シミュラークルの必要性とその様態」(書評原稿および著者からの応答)
2015年2月22日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅰ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
第6回-第9回解説(配布レジュメ)
2015年1月31日
日仏文化講座 シンポジウム「美術を哲学する――現代フランス思想とイメージ」@日仏会館ホール
「ジャコメッティを見るサルトルとブランショ――距離について」
2014年11月22日
ジャック・デリダ没後10年シンポジウム@早稲田大学小野記念講堂
「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」
2014年9月27日
シンポジウム「声と文学」第1回「声の不在と現前」@東京大学文学部1号館315教室
「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」
2014年5月25日
日本フランス語フランス文学会2014年度春季大会ワークショップ「人間と動物」@お茶の水女子大学共通講義棟105教室
「animotをめぐって、あるいは、デリダにおける動物論の脱構築はなぜ必然的か」
2013年12月21日
第2回脱構築研究会 ワークショップ ジャック・デリダ『散種』@早稲田大学文学部キャンパス36号館581
「「散種」と枠(cadre)の問題・序説」
2013年6月2日
日本フランス語フランス文学会2013年度春季大会ワークショップ「来たるべき修辞学――文学と哲学のあいだで――」@ICU252教室
「「文彩」の学から「比喩形象」の学へ――ミシェル・ドゥギーとブリュノ・クレマン」(音声)
2012年7月20日
ジゼル・ベルクマン来日講演「バートルビーと現代哲学」コメンテーター@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3(UTCP)
2011年11月5日
シンポジウム「フロイトの時代――文学・人文科学・無意識」@東京大学本郷キャンパス情報学環福武ラーニングシアター
「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」
2011年10月1日
合評会「『文学のミニマル・イメージ』を読む」@関東学院大学関内メディアセンター
自著について
2011年7月10日
人文社会科学系若手研究者セミナー@日仏会館5階501会議室
「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――60-70年代隠喩論争」
2011年4月3日
『文学のミニマル・イメージ』刊行記念対談〈ブランショのまなざし〉若森栄樹×郷原佳以@sound cafe dzumi
2010年12月4日
日本サルトル学会第26回研究例会 シンポジウム「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」@立教大学
「遺骸としてのイメージ――サルトルに応えるブランショ」
2010年7月21日
2nd Derrida Today Conference, 19th-21st July, 2010, dir. Nicole Anderson @ Goodenough College, London
“ From Abraham to a ram – Derrida’s focus on animals”
2010年5月29日
バタイユ・ブランショ研究会@早稲田大学
「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るまで」
2010年3月27日
A Workshop on Maurice Blanchot’s Le Pas au-delà, 26-27 March, 2010, dir. Christopher Fynsk, The Centre for Modern Thought @ the Court Room, University of Aberdeen (Scotland)
« « La passion du tout » ou d’une totalité à « facettes » infinies »
2009年12月5日
関東学院創立125周年記念事業 文学部国際シンポジウム「東アジアの異文化理解とジェンダー」@県民共済みらいホール
基調講演「ジェンダーのアポリアを前に――日本とフランスの事例から」
2009年7月25日
キリスト教と文化研究所「キリスト教と日本の精神風土」研究グループ2009年度第1回研究会@関東学院大学
「西洋思想におけるイサク奉献の解釈――カントからデリダまで」
2009年5月23日
バタイユ・ブランショ研究会 吉田裕『バタイユの迷宮』合評会コメンテーター@中央大学後楽園キャンパス
2008年1月8日
Forum « Philosophie et Education Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse », College international de Philosophie(UTCPとの共催)
« L’enseignement par le dis-cours – la forme de l’enseignement selon Blanchot »
2007年8月31日
フォーラム「イメージ(論)の臨界――イメージの氾濫を前にいかに思考するか――」@京都大学(科学研究費萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」(代表:岡田温司))
「「逆説的なオブジェ」としての文学言語――ブランショにおけるマラルメとジャコメッティ」
2007年5月20日
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治大学
「イメージの〈イリア〉――サルトル、レヴィナス、ブランショ」
2006年10月28日
シンポジウム 死刑の様々な表象について@東京日仏学院
「デリダにおける死刑の問題」
2006年10月21日
シンポジウム モーリス・ブランショ――文学、言語@東京大学駒場キャンパス
« « Court-circuit du langage » – ce qui rapproche Mallarmé et Paulhan chez Blanchot »
2006年5月21日
日本フランス語フランス文学会春季大会@慶應義塾大学
「〈美術館〉としての芸術作品――ブランショのマルロー論をめぐって」
2005年10月15日
日本フランス語フランス文学会秋季大会@新潟大学
「形象化のパッション――ブランショにおけるアブラハム」
2005年5月28日
バタイユ・ブランショ研究会 『ブランショ政治論集』ミニ・シンポジウム@立教大学
「証言――記憶しえないものを忘れないこと(『ブランショ政治論集』第三部をめぐって)」
2005年 3月21日
日本フランス語フランス文学会関東支部大会@東京大学駒場キャンパス
「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」
2003年 11月7日
Journee d’etudes doctorales sur Maurice Blanchot, Université Paris 7
« Qu’est-ce que Blanchot a vu ? ou le pied de Catherine Lescault »
version remaniée : “Il y a” de l’image ou le pied de Catherine Lescault”
(résumé : Travaux en cours, no. 1, octobre 2004, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 14-15.)
2002年 12月6日
Journée d’études sur Maurice Blanchot, Université Paris 7
« La ressemblance inquiétante – l’image chez Blanchot »
(résumé : Cahiers de Théorie Littéraire, no. 4, juin 2003, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 18-19.)
2000年 5月21日
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治学院大学
「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」
翻訳
・モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、59-66頁(Maurice Blanchot, « L’apocalypse déçoit » (1964), L’Amitié, Gallimard, 1971)。
・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗・湯浅博雄訳、筑摩書房、2017年11月(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅰ』湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳、筑摩書房、2016年11月、「終わりなき対話」(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年4月(Bruno Clément, La Voix verticale, Belin, 2013)。
・クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年(Christophe Bident, Maurice Blanchot. Partenaire invisible, Champ Vallon, 1998)。
・ジャック・デリダ『獣と主権者[Ⅰ]』西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年、第6回-第8回(Jacques Derrida, Séminaire La bete et le souverain Volume I (2001-2002), Galilée, 2008)。
・ジョルジュ・バタイユ「一九五二年一〇月一八日付のノート(ノート十一、未発表断章)」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、69-70頁(Georges Bataille, 18 octobre 1952, Carnet 11, fragment inédit, Gramma, no 5, 1976)。
・ブリュノ・クレマン「もうひとつの声の必要性――モーリス・ブランショとプロソポペイア」『関東学院大学人文科学研究所報』第37号、2014年3月31日発行、87-137頁(Bruno Clément, « Besoin d’une autre voix : Maurice Blanchot et la prosopopée »)。
・エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』みすず書房、2014年3月(Helene Cixous, Jacques Derrida, Voiles, Galilée, 1998)。
・ジャック・デリダ「散種」『散種』藤本一勇・立花史・郷原佳以訳、法政大学出版局、2013年2月、461-592頁(Jacques Derrida, « La dissémination » (1969) in La Dissémination, Seuil, 1972)。
・カトリーヌ・マラブー「ピエールは恐怖のオレンジを好む レヴィナス-サルトル-ナンシー、哲学におけるファンタスティックなものへのアプローチ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 2、メディア・デザイン研究所、2008年10月、56-80頁(Catherine Malabou, « Pierre aime les horranges : Levinas-Sartre-Nancy ; Une approche du fantastique en philosophie », Le Sens en tous sens. Autour des travaux de Jean-Luc Nancy, Galilee, 2004)。
・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
フィリップ・ラクー=ラバルト「忠実さ」22-41頁(Philippe Lacoue-Labarthe, « Fidélités », L’Animal autobiographique. Autour de Jacques Derrida, Galilée, 1999)。
モーリス・ブランショ「語りの声(「彼」、中性的なもの)」219-228頁(Maurice Blanchot, « La voix narrative (le “ il ”, le neutre) » (1964)in L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・エレーヌ・シクスー「フィシュとカルソン」『別冊 環13 ジャック・デリダ』、2007年12月、104-118頁(Helene Cixous, « Fichus et caleçon », Cahier de l’Herne : Derrida, no. 83, 2004)。
・ソフィー・ヴァニッシュSophie Wahnich「伝えること――歴史との感性的関係を創り出す」『前夜』11号、2007年4月、118-129頁。
・クリスティーヌ・フェレChristine Ferret「民族の名のもとに――ドイツの曖昧さについて」『前夜』9号、2006年10月、205-208頁。
・J= L・ナンシーJ-L Nancy他「ターブル・ロンド 無-無神論」郷原佳以・西山達也・西山雄二書き起こし+訳、『水声通信』2006年8月号、85-119頁。
・ジョエル・トラヴァールJoël Thoraval「哲学的なものと非-哲学的なものに関する考察――人類学者の視点から」『いま、哲学とはなにか』小林康夫編、未來社、2006年、205-240頁。
・モーリス・ブランショ『ブランショ政治論集 1958-1993』安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳(第三部担当)、月曜社、2005年(Maurice Blanchot, Écrits politiques : Guerre d’Algerie, Mai 68, etc. 1958-1993, Éditions Lignes & Manifestes, 2004)。
・ジャン・ラプランシュ「人間性剥奪への道(死刑に関して)」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、206-213頁(Jean Laplanche, « Les voies de la déshumanité (à propos de la peine de mort) » in Le Primat de l’autre en psychanalyse, Champ Flammarion, 1997)。
・ドゥルシラ・コーネル『脱構築と法――適応の彼方に』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、お茶の水書房、2003年4月 (Drucilla Cornell, Beyond accommodation Ethical feminism, deconstruction, and the law, Rowman and littelefield publishers, inc., Maryland, 1999)。
・ハーシム・フォーダ「連れ添って」『現代思想 総特集 思想としてのパレスチナ』2002年6月臨時増刊、154-173頁 (Hachem Foda, « En compagnie », Cahiers Intersignes : « Rencontre avec J. Derrida », no. 13, 1998)。
・ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、情況出版、2001年3月 (Drucilla Cornell, At the heart of freedom Feminism, Sex, and Equality, Princeton University Press, New Jersey, 1998)。
・ジャック・デリダ『滞留 [付―モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』]』湯浅博雄監訳、郷原佳以・坂本浩也・西山達也・安原伸一朗共訳、未來社、2000年11月 (Jacques Derrida, Demeure – Maurice Blanchot, Galilée, 1998 / Maurice Blanchot, L’Instant de ma mort, Fata Morgana, 1994)。
科研費等による研究
・2019-2022年度 科学研究費 基盤研究(C)
「バルト、ブランショ、デリダにおけるエクリチュール概念と発話理論の関係」(研究課題番号 19K00513)(研究代表者)
・2016年度日仏会館人文社会系セミナー招聘事業により2016年4月17日から27日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
4月18日から22日まで4回の講演会・セミナーを開催。→詳細
・2015-2018年度 科学研究費 基盤研究(C)
「ジャック・デリダにおける「自伝」の脱構築」(研究課題番号 15K02393)(研究代表者)
・平成24年度日本学術振興会外国人招聘研究者(短期)により2013年3月7日から3月21日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
3月9日から3月20日まで5回の講演会を開催。→詳細 →ポスター(PDF) →3月9日講演報告 →連続講演会報告
・2012-2014年度 科学研究費 若手研究(B)
「20世紀フランス文学・文学理論における「類似性」の脱構築」(研究課題番号 24720159)(研究代表者)
・2009-2011年度 科学研究費補助金 若手研究(B)
「モーリス・ブランショと現代芸術」(研究課題番号 21720116)(研究代表者)
仏語教育
・「2011年度秋季出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2012年度版 2級』駿河台出版社、2012年3月、183-213頁。
・「2010年度春期出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2011年度版 2級』 駿河台出版社、2011年3月、132-162頁。
・工藤庸子、笠間直穂子、郷原佳以、南玲子「生涯学習と初修外国語――面接授業「初歩のフランス語」の教材作成と全体構想」『放送大学研究年報』第23号、放送大学、2006年4月、51-63頁。
2020/12
郷原 佳以
1975年生
2005年3月 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程 単位取得満期退学
2007年6月 パリ第7大学大学院テクストとイメージの歴史と記号学研究科博士課程 修了
These soutenue : Il y a de l’image – Maurice Blanchot et l’image minimale de la litterature(atelier national de reproduction des theses, 2009, 38euros, ISBN : 978-2-7295-7201-3)
日本学術振興会特別研究員(東京大学)、放送大学非常勤講師、東京大学UTCP共同研究員を経て、
2008年4月より 関東学院大学文学部比較文化学科専任講師、2010年4月より同准教授
2015年9月より東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻准教授
単著
発表した文章
研究発表・講演
翻訳
科研費
仏語教育
単著
・『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』 左右社、2011年2月20日発行、3800円(税別)、ISBN : 978-4-903500-49-2
発表した文章
・「デリダの文学的想像力12 発明の再発明の夢」『みすず』2020年12月号(699号)、36-45頁。
・「デリダの文学的想像力11 アポカリプスとインヴェンション」『みすず』2020年10月号(697号)、35-43頁。
・「力の過剰としてのエクリチュール」「コメット通信」(メールマガジン)第1号、水声社コメット・ブッククラブ、2020年8月31日、1頁。
・「ジャック・デリダ「テレパシー」――テレパシーの試練」『現代思想 総特集 コロナ時代を生きるための60冊』2020年9月臨時増刊号(vol.48-11)、121-126頁。
・書評:森本淳生/ジル・フィリップ編『マルグリット・デュラス 〈声〉の幻前』(水声社、2020年)、日本ヴァレリー研究会Blog-Le vent se lève、2020年8月7日。
・「デリダの文学的想像力10 他なる語りのインヴェンション」『みすず』2020年8月号(695号)、34-43頁。
・「ブランショ」『現代フランス哲学入門』川口茂雄・越門勝彦・三宅岳史編、ミネルヴァ書房、2020年、187-191頁。
・「デリダの文学的想像力9 形而上学の壮大な連鎖、あるいは、星を太陽とみなすこと――「白い神話」読解4」『みすず』2020年6月号(693号)、47-57頁。
・「「作者の死」の歴史性」、東京大学教養学部編『知のフィールドガイド 異なる声に耳を澄ませる』白水社、2020年、152-167頁。
・「訳者補記 モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、67-68頁。
・郷原佳以+桒山智成+中尾麻伊香+岡田温司+木下千花、共同討議「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、16-58頁(「世界の終わりに見る夢――書物を燃やす、書物になる」:16-23頁)。
・「デリダの文学的想像力8 摩滅と類比のエコノミー――「白い神話」読解3」『みすず』2020年4月号(691号)、41-57頁。
・「第1章 テクスト」、三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード 文学理論』フィルムアート社、2020年、16-44頁。
・「「今」を見つめるマラルメのアイロニー」(原大地『ステファヌ・マラルメの〈世紀〉』書評)『週刊読書人』2020年3月6日(第3330号)、6面。
・「非性器的センシュアリティを呼び戻すために――松浦理英子論序説」『現代思想 総特集 フェミニズムの現在』2020年3月臨時増刊号、102-113頁。
・「「わかること」と「なること」と小説」(千葉雅也『デッドライン』書評)『週刊読書人』2020年1月31日(第3325号)、4面。
・「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』について――」『立命館大学人文科学研究所紀要』120号、2019年12月、129-150頁。
・「デリダの文学的想像力7 一般的隠喩論の不可能性へ向けて――「摩滅」の形而上学2」『みすず』2019年12月号(688号)、44-55頁。
・「デリダの文学的想像力6 「白い神話」という神話――「摩滅」の形而上学1」『みすず』2019年10月号(686号)、2-13頁。
・「「あけぼのの赤らみ」を見上げて」(野村喜和夫訳『ルネ・シャール詩集』書評)『図書新聞』2019年10月5日(第3417号)、3面。
・「デリダの文学的想像力5 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ4」『みすず』2019年8月号(684号)、12-22頁。
・「デリダの文学的想像力4 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ3」『みすず』2019年6月号(682号)、26-36頁。
・「デリダの文学的想像力3 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ2」『みすず』2019年4月号(680号)、14-25頁。
・「拓き貫く記号論」(石田英敬先生を送る言葉)『教養学部報』2019年2月1日号、6面。
・「デリダの文学的想像力2 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ1」『みすず』2018年12月号(677号)、30-39頁。
・「空に投げ出された言葉について」(ピエール・パシェ『母の前で』書評)『週刊読書人』2018年12月7日(第3268号)、5面。
・「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」高桑和巳編著『デリダと死刑を考える』白水社、2018年、169-203頁。
・「デリダの文学的想像力1 脱構築は「文学的」テクスト読解である」『みすず』2018年10月号(675号)、10-18頁。
・「「共鳴体」、吉増剛造」、林浩平×建畠晢×郷原佳以鼎談、『図書新聞』2018年9月8日号(第3366号)、1-2面。
・「襖絵から犬が飛び出す――『犬ヶ島』で鼻面を愛でる」『ユリイカ 総特集 ウェス・アンダーソンの世界』2018年6月臨時増刊号、41-51頁。
・「どんな母語でもない言語」(多和田葉子『地球にちりばめられて』書評)『週刊読書人』2018年5月18日号(第3239号)、2面。
・「『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』――「僕がメモリだ」 メモリをめぐる「除籍者」たちの闘い」『現代思想 総特集 現代を生きるための映像ガイド』2018年3月臨時増刊号、180-183頁。
・ « Le chant des Sirènes et la “voix narrative” – le mythe, la voix et le récit », Cahiers Maurice Blanchot 5, Hiver 2017-2018, Les presses du réel, p. 70-83.
・「指呼詞を折り襲ねる――『怪物君』の歩行」『三田文學』132号(2018年冬季号)、慶應義塾大学出版会、2018年1月、190-207頁。
・「知恵の木の実をかじる前の言葉」(ミシェル・レリス『ゲームの規則Ⅰ 抹消』『ゲームの規則Ⅱ 軍装』書評)『週刊読書人』2018年1月5日〔12月29日合併〕号(第3221号)、4面。
・「「すべて」をめぐる断片の運動――ブランショにおける共同体の(非)実践的射程」、岩野卓司編『共にあることの哲学と現実 家族・社会・文学・政治』書肆心水、2017年、187-226頁。
・「訳者あとがき」、モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』筑摩書房、2017年、335-350頁。
・「すべては「かのように」」(フィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』書評)『ふらんす』2017年10月号、白水社、70頁。
・「理論のフィクション性、あるいは、「デリダ派」蓮實重彦」『ユリイカ 総特集 蓮實重彦』2017年10月臨時増刊号、370-383頁。
・「『終わりなきデリダ――ハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話』書評」『フランス哲学・思想研究』第22号、日仏哲学会、2017年9月、293-297頁。
・「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」、塚本昌則・鈴木雅雄編『声と文学 拡張する身体の誘惑』平凡社、2017年、74-102頁。
・「デリダにおける《ミッション:インポッシブル》――灰、自伝、エクリチュール」『言語・情報・テクスト』第23巻、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2016年12月発行、41-60頁。
・「文学は本当に「ゆっくり」なのか?」(イルマ・ラクーザ『ラングザマー』書評)『週刊読書人』2016年12月9日号(第3168号)、5面。
・「連用日記のダイヤグラム、あるいは、記憶と記録」(「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」Review)『現代の眼』第620号、東京国立近代美術館、2016年10-11月号、10-11頁。
・マルグリット・デュラス『愛人』紹介、『東京大学新聞』第2775号、2016年10月4日号、2面。
・「他なる声、他なる生、比喩形象フィギュール――「訳者解説」にかえて」、ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年、335-365頁(「訳者あとがき」367-372頁)。
・「「すべて」に向かって「間」にいること」『現代詩手帖』2016年4月号(特集 粟津則雄 批評と詩魂)、74-78頁。
・「死を完遂させようとする試み」(ステファヌ・マラルメ+ジャン=ピエール・リシャール『アナトールの墓のために』書評)『週刊読書人』2016年3月11日号(第3131号)、5面。
・「バートルビーというFigure」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年12月28日。
・「生誕を生き直す」(J・M・G・ル・クレジオ『嵐』書評)『週刊読書人』2016年1月1日号(第3121号)、5面。
・「〈時に沿って〉捏造記憶」『教養学部報』第578号、2015年11月4日、4面。
・「「なぜ書くのですか?」」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年10月23日。
・「書くことと赦しを求めること シクスーによるデリダ」『ふらんす』〈特集 ジャック・デリダ〉2015年11月号、17-18頁。
・「教員コラム:非ポジティヴ思考のすすめ」2015年8月14日。
・「作家の記憶」(河野多惠子『考えられないこと』書評)『文學界』2015年8月号、288-289頁。
・「近い他者 遠い他者――デリダと文学的想像力」『早稲田文学』2015年夏号(通巻1014号)、2015年5月、38-51頁。
・「手紙とアーカイヴの思想家の伝記」(ブノワ・ペータース『デリダ伝』書評)『図書新聞』2015年4月4日号(第3201号)1面。
・「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」『現代思想 総特集 デリダ』2015年2月臨時増刊号、76-100頁。
・「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」『関東学院大学文学部紀要』第131号、2014年12月発行、121-141頁。
・「伝記的なものをめぐる伝記的エッセイ」(訳者解説)、クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年、609-620頁。
・「教員コラム:飼い犬になりたい?」2014年11月21日。
・「あの頃のようには、もう読めない」『群像』2014年11月号、323頁。
・「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」『マルグリット・デュラス 生誕100年 愛と狂気の作家』河出書房新社、2014年、143-153頁。
・「巣穴の底で夢見るデリダ」(ニコラス・ロイル『デリダと文学』書評)『週刊読書人』2014年8月6日号(第3051号)、4面。
・ « Atsushi Miyakawa et Maurice Blanchot – fascination de l’image », Cahier de L’Herne Blanchot, Editions de l’Herne, 2014, pp. 370-376.
・「バタイユとブランショの分かちもったもの 「一九五二年一〇月一八日付のノート」から出発して」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、125-139頁。
・「否定性の文学史に抗して」(中田健太郎『ジョルジュ・エナン』書評)『現代誌手帖』2014年6月号、153頁。
・「想像と生成」(J・M・G・ル・クレジオ『隔離の島』書評)『文學界』2014年4月号、294-295頁。
・「訳者解説――「蚕」、あるいは、脱構築の告白」、エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』郷原佳以訳、みすず書房、2014年、163-201頁。
・「 教員コラム:シュルレアリスム@金沢文庫」2013年12月6日。
・「海外文学・文化回顧2013フランス:日本という磁場?」『図書新聞』2013年12月21日号(第3139号)、7面。
・recension de Yasuhiko MURAKAMI, Levinas – Kowaremono toshiteno Ningen [ Levinas – l’homme : etre fragile], Cahiers d’etues levinassiennes, No. 12, “La Nature”, l’Institut d’Etudes Levinassiennes, novembre 2013, pp. 217-220.
・「「物語」と第三の空席――村上春樹とモーリス・ブランショ」『早稲田文学』6号、2013年9月、478-495頁。
・「インファンスと神託の声」(モーリス・ブランショ『他処からやって来た声』書評)『図書新聞』2013年6月15日号(第3114号)5面。
・「デリダが〈散種〉したもの」(藤本一勇・立花史と鼎談、ジャック・デリダ『散種』をめぐって)『週刊読書人』2013年4月5日(第2984号)、1-2面。
・「海外文学・文化回顧2012フランス:恋愛小説の国」『図書新聞』2012年12月22日号(第3091号)、7面。
・「教員コラム:顔を上げて読むこと」2012年12月14日。
・「謎かけの人ブランショ」(安原伸一朗と対談、M・ブランショ『謎のトマ』をめぐって)『図書新聞』2012年9月29日号(第3080号)、1-2面。
・「夢に呑み込まれたデカルト」(スーザン・ソンタグ『夢の賜物』書評)『図書新聞』2012年9月1日号(第3076号)、5面。
・「ヴェロニカ、あるいはファリック・シスターの増殖 ブランショとセクシュアリティ」『別冊水声通信 セクシュアリティ』水声社、2012年7月、259-283頁。
・「フレンホーフェル効果」『組立-作品を登る-』「組立」、2012年3月、52-64頁。
・「なんとなく、ノワズゥズ」『ユリイカ 特集 辞書の世界』2012年3月号、170-179頁。
・「「顔」と芸術作品の非 - 起源」『現代思想 総特集 レヴィナス』2012年3月臨時増刊号、285-299頁。
・「新人小説月評」『文學界』2012年2月号、259頁、『文學界』2012年3月号、264-265頁、『文學界』2012年4月号、274-275頁、『文學界』2012年5月号、260-261頁、『文學界』2012年6月号、306-307頁、『文學界』2012年7月号、258-259頁。
・「海外文学・文化回顧2011 フランス:小説と回想」『図書新聞』2011年12月24日号(第3043号)、7面。
・「「白日の狂気」の治癒」(鹿島田真希『来たれ、野球部』書評)『すばる』2012年1月号、378頁。
・「ジャンルによるジャンルの乗り越え」(池田雄一『メガクリティック』書評)『週刊読書人』2011年12月2日号(第2917号)、5面。
・「透明人間の肉体、あるいは、模倣と接触――アポリネールと「絵画の起源」神話」『ART TRACE PRESS』第1号、2011年11月、104-119頁。
・「廃墟に踏みとどまる亡命者たち」(四方田犬彦『書物の灰燼に抗して』書評)『図書新聞』2011年8月13日号(第3026号)、4面。
・「書評:ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』」『週刊文春』2011年7月21日号、116頁。
・「日常との向き合い方 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』」『現代思想 総特集 震災以後を生きるための50冊』2011年7月臨時増刊号、242-245頁。
・「読書日録」『すばる』2011年7月号、280-281頁、『すばる』2011年8月号、284-285頁、『すばる』2011年9月号、316-317頁。
・「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――ドゥギー/ジュネット論争(1)」『関東学院大学人文科学研究所報』第34号、2011年5月(「3月31日発行」)、3-19頁。
・「不実な忠実」『文學界』2011年6月号、241頁。
・「「あいだ」の換喩的なきらめき[オスキルム]――岡田温司『半透明の美学』書評」『表象』第5号、2011年4月、301-307頁。
・「「同期」する時代と筆」(神山睦美『小林秀雄の昭和』書評)『図書新聞』2011年4月2日号(第3008号)、4面。
・「教員コラム:「オレンジのような青さ」の方へ」2011年3月10日。
・「書評:湯浅博雄『応答する呼びかけ』(未來社、2009年)」『言語・情報・テクスト』Vol. 17、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2010年12月、75-78頁。
・「合一しないこと、あるいは、果てなき愛――ジュネ/ブランショ」『ユリイカ 特集 ジャン・ジュネ』2011年1月号、200-209頁。
・「海外文学・文化回顧2010 フランス:沈黙する術を学ぶこと」『図書新聞』2010年12月25日号(第2995号)、7面。
・「「脱創造」へのいざない」(今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』書評)『図書新聞』2010年9月25日号(第2983号)、3面。
・「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るブランショ」『関東学院大学文学部紀要』第119号、2010年7月、1-31頁。
・「既読感のドーナツ」(ジョルジュ・ペレック『煙滅』書評)『図書新聞』2010年3月20日号(第2958号)、4面。
・「海外文学・文化回顧2009 フランス:コミュニケーションのひび割れ――饒舌と沈黙を描き出す小説の言葉」『図書新聞』2009年12月26日号(第2947号)、3面。
・「教員コラム:機械的なものの美」2009年11月26日。
・「書評:ミシェル・ヴィヴィオルカ『暴力』」 Revue japonaise de didactique du francais, Vol. 4, no. 2、日本フランス語教育学会、2009年10月、192-194頁。
・「自己を/で織る詩――蚕になるデリダ」『ユリイカ 総特集 昆虫主義』2009年9月臨時増刊号、192-208頁。
・「簡便な消費を拒む身体-書物の世界」(今福龍太『身体としての書物』書評)『図書新聞』2009年8月29日号(第2931号)、4面。
・「「外光」に浸される現代性[モデルニテ]の「典型」と「様相」――マラルメの詩論展開におけるマネ論の位置」『関東学院大学文学部紀要』第116号、2009年7月、7-37頁。
・「アブラハムから雄羊へ――動物たちの方を向くデリダ」『現代思想 特集 人間/動物の分割線』2009年7月号、156-171頁。
・“ “ Il faut ” de la traduction ” in Association des amis de Maurice Blanchot (ed.), Blanchot dans son siècle, Lyon, Parangon/Vs, 2009, pp. 140-146.
・「芸術作品といかに出会うか――美術館の遍在と「美術館病」」『比較文化をいかに学ぶか【増補改訂版】』関東学院大学文学部比較文化学科編、明石書店、2009年、174-195頁。
・「舞踊は詩のように、詩は舞踊のように、「……のよう〔comme〕」が世界を駆動する」(ミシェル・ドゥギー『愛着』書評)『図書新聞』2009年3月21日号(第2910号)、4面。
・「透明フィルムのたゆたい」吉増剛造 DVD+Book『キセキ――gozoCine』オシリス、2009年2月、163-165頁。
・「俯瞰的な視点を妨げる細部の横溢」(ブランショ『アミナダブ』書評)『図書新聞』2009年2月14日号(第2905号)、4面。
・「デリダにおける死刑の問題」『現代思想 特集 裁判員制度――死刑を下すのは誰か』2008年10月号、162-179頁。
・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
「言語のショート・サーキット――マラルメとポーランが出会う場所」342-359頁。
「非人称性の在処――「語りの声(「彼」、中性的なもの)」解題」229-241頁。
「ブランショ研究の近況――スリジーのブランショ・コロック報告」61-69頁。
座談会(湯浅博雄・上田和彦・西山雄二と)「来るべきテクストのために――ブランショの現在」84頁-119頁。
「解題」:『踏みはずし』360頁、『火の部分』361頁、『終わりなき対話』363-364頁。
・「複製技術時代のラヴレター」(ジャック・デリダ『絵葉書I』書評)『環』第34号、藤原書店、2008年夏、314-319頁。
・「書評:西山雄二『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』」『cahier』01、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、21-22頁(Web版はこちら)。
・“ “ Il y a ” de l’image – Sartre, Levinas, Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第92号、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、122-138頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・“ L’enseignement par le dis-cours. La forme de l’enseignement selon Blanchot ” in Philosophie et Education. Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse, “UTCP Booklet 1”, Tokyo, UTCP, 2008, pp. 23-42.(UTCPのサイトでPDF版が公開されています→閲覧)
・「死体の重さ、あるいはアネット・メサジェの反ベルクソニスム」 SITE ZERO Review、2007年12月28日、http://site-zero.net/_review/post_44/
・「文学、この「ほとんど何でもないもの」――ドミニク・ラバテ『破れ鍋』によせて」『Resonances』第5号、東京大学教養学部フランス語部会、2007年10月、128-129頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「言語のアポリアから言語の魔術へ――ブランショとシュルレアリスム」『水声通信』第20号(特集:思想史のなかのシュルレアリスム)、水声社、2007年9-10月、76-84頁。
・「美術館病、あるいは展示価値のアウラ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 1、メディア・デザイン研究所、2007年9月、132-159頁。
・“ L’œuvre d’art en tant que Musee – autour des textes de Blanchot sur Malraux – ” 『フランス語フランス文学研究』第90号、日本フランス語フランス文学会、2007年3月、101-119頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「「殺して終わり」の欺瞞性――「死刑廃止をめぐるヨーロッパの経験」シンポジウムに参加して」『未来』第483号、未來社、2006年12月、10-13頁。
・「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月、36-37頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・“ Passion de la figuration – La figure d’Abraham chez Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第89号、日本フランス語フランス文学会、2006年7月、108-124頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「待てないこと――コレットの場合」『アルゴ』第17号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2006年4月、172-184頁。
・「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」『関東支部論集』第14号、日本フランス語フランス文学会、2005年12月、237-251頁。
・「海外文学・文化回顧2005 フランス」『図書新聞』2005年12月24日号(第2755号)、4面。
・「プロブレム――デリダの〈前〉に」『現代思想 特集 イメージ発生の科学』2005年7月号、196-206頁。
・「第三部訳者解題 証言――記憶しえないものを忘れないこと」『ブランショ政治論集 1958-1993』、月曜社、2005年、332-377頁。
・「「マラルメの神話」、あるいは、言語の虚構[フィクション]としての詩――ブランショによるマラルメ」『Resonances』第3号、東京大学教養学部フランス語部会、2005年3月、28-29頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「「夜のように広々とした」――ブランショとバシュラールの詩学におけるイメージ概念の相違」『年報 地域文化研究』第8号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2005年3月、108-132頁。
・「言語によって言語に抗する」(ブランショ/ポーラン/内田樹他『言語と文学』書評)『図書新聞』2005年3月12日号(第2717号)、5面。
・「デリダと(は)自動車(である)」『現代思想 緊急特集 ジャック・デリダ』2004年12月号、219-227頁。
・ “ “Figures” feminines comme prosopon dans Au moment voulu ” in L’OEuvre du Feminin dans l’ecriture de Maurice Blanchot, coll. “ Compagnie de Maurice Blanchot ”, Grignan, Les Editions Complicites, 2004, pp. 157-179.
・「プロソポンとしての形象[フィギュール]――ブランショ『望みの時に』より」『Resonances』第2号、東京大学教養学部フランス語部会、2004年3月、123-131頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「研究手帖 「表象しえない」ものの写真」『現代思想』2004年4月号、206頁。
・「死刑存廃議論の沸騰のなかで――一九七〇-八〇年代フランス」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、214-221頁。
・「彼女の名、この不気味な驚異――ブランショにおける命名行為」『未来』第449号、未來社、2004年2月、9-19頁。
・“ Sur la traduction de l’oeuvre de Blanchot au Japon ” in Christophe Bident et Pierre Vilar (ed.), Maurice Blanchot. Recits critiques, Tours, Editions Farrago / Editions Leo Scheer, 2003, pp. 245-249.
・「人権リーグ」紹介、コリン・コバヤシ編著『市民のアソシエーション――フランスNPO法100年』太田出版、2003年7月 、133-149頁。
・「ブランショは何を見ていたか、あるいは、カトリーヌ・レスコーの足」[付―「モーリス・ブランショ主要著作目録」]『d/SIGN』第5号、太田出版、2003年10月、74-77頁。
・「モーリス・ブランショ 国際シンポジウム報告 批評的物語[レシ]」(1)~(6)『図書新聞』2003年6月7日号(第2632号)~7月12日号(第2637号)、3面連載。
・「無気味な類似――ブランショにおけるイメージ」『Resonances』第1号、東京大学教養学部フランス語部会、2003年3月、8-14頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。
・「フランスでの死刑廃止二〇周年集会に参加して」『年報・死刑廃止2002 世界のなかの日本の死刑』インパクト出版会、2002年7月、126-134頁。
・「ブランショにおける「中性的なもの」」、『年報 地域文化研究』第5号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2002年3月、147-165頁。
・「しるしを残すルパン――『エギュイユ・クルーズ』を読む――」『アルゴ』第16号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2001年8月、118-132頁。
・「疲労の語り/語りの疲労――ブランショ「終わりなき対話」から――」『言語態』第2号、言語態研究会、2001年6月、5-15頁。
・「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」『フランス語フランス文学研究』第77号、日本フランス語フランス文学会、2000年10月、36-48頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。
・「二重のトーラーをめぐって――「デリダに感謝」するブランショ――」『年報 地域文化研究』第3号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2000年3月、131-146頁。
・「マルグリット・デュラス著作解題」『ユリイカ 特集マルグリット・デュラス』1999年7月号所収。
研究発表・講演
2020年9月24日
中動態研究会研究集会「言語の中動態、思考の中動態」ディスカッサント@Zoom+慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎
2020年2月9日
『形』レクチャーシリーズ
「語りの形 フィクションの始まり」@北千住BUoY
2019年10月22日
「話しているのは誰?現代美術に潜む文学」展「タムラの空耳アワー」
「こことよその交叉――田村友一郎Sky Eyes/空目について」@国立新美術館3階講堂
2019年7月6日
表象文化論学会第14回大会シンポジウム「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」
「世界の終わりに見る夢」@京都大学吉田キャンパス稲森ホール(芝蘭会館本館2階)
2019年3月16日
亀井大輔『デリダ 歴史の思考』合評会@立命館大学衣笠キャンパス末松記念館第三会議室
「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』書評」
2018年6月2日
バタイユ・ブランショ研究会@獨協大学西棟W-425
「『終わりなき対話』第3部における叙事詩としての文学」
2018年5月24日
6th Derrida Today Conference, May 23-26th, 2018, Concordia University, Montreal, Canada
« La mémoire et la/là cendre – Généalogie de la Deuxième lettre chez Derrida »
2018年2月17日
村上克直『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』合評会@日本大学文理学部本館2階会議室A
「非-主題としての動物――村上克尚『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』について」
2017年10月29日
日本フランス語フランス文学会秋季大会ワークショップ「ラスコーの曙光から~バタイユ、シャール、ブランショ」@名古屋大学C22教室
「ラスコーと「永遠の誕生」――シャールとバタイユを読むブランショ」
2017年10月7日
シンポジウム「デリダと死刑を考える」@慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎2階大会議室
「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」
2017年7月15日
シンポジウム「デリダと宗教的なもの」第1部「赦すことと信じること」@慶應義塾大学三田キャンパス東館8階ホール
コメント「デリダはなぜ自らを「最後のユダヤ人」として提示したのか――あるいは、キリスト教的エコノミーをいかにかわすか」
2017年3月11日
成蹊大学アジア太平洋研究センター主催シンポジウム「カタストロフィと詩――吉増剛造の「仕事」から出発して」@成蹊大学10号館2階大会議室(poster)
「「忘れがちの記憶」、吉増剛造」
2017年1月26日
竹峰義和『救済のメーディウム』合評会@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「「毒をもって毒を制する」療法的思想――竹峰義和『救済のメーディウム』に見られるベンヤミン、アドルノらの弁証法」
2016年7月30日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅱ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「喪をめぐる2つのファンタスム――最晩年のセミネールと過去の著作」
2016年6月30日
フランス語・イタリア語部会談話会@東京大学駒場キャンパス18号館6階ラウンジ
「デリダにおける « Mission Impossible »――自伝の脱構築論に向けて」
2016年4月18日
ブリュノ・クレマン来日講演「声なき者たちの声、プロソポペイア――文学と哲学の間の比喩形象」( « La voix des sans voix : la prosopopée, une figure entre littérature et philosophie ») ディスカッサント@日仏会館1階ホール(コメント commentaire)
2016年3月19日
Journée d’étude : « French Theory au Japon », CIPh, Grande Salle, Maison Heinrich Heine, Paris
« Critique et traducteur – la passion du « tout » et de l’« entre » » (résumé)
2015年12月17日
UTCP Workshop Bartleby revisited@東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室
“On Gisèle Berkman’s L’Effet Bartleby, philosophes lecteurs” (handout)
2015年5月30日
バタイユ・ブランショ研究会 大森晋輔『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』書評会コメンテーター@明治学院大学
「「言語が足りない」ときにどうするか――シミュラークルの必要性とその様態」(書評原稿および著者からの応答)
2015年2月22日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅰ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
第6回-第9回解説(配布レジュメ)
2015年1月31日
日仏文化講座 シンポジウム「美術を哲学する――現代フランス思想とイメージ」@日仏会館ホール
「ジャコメッティを見るサルトルとブランショ――距離について」
2014年11月22日
ジャック・デリダ没後10年シンポジウム@早稲田大学小野記念講堂
「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」
2014年9月27日
シンポジウム「声と文学」第1回「声の不在と現前」@東京大学文学部1号館315教室
「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」
2014年5月25日
日本フランス語フランス文学会2014年度春季大会ワークショップ「人間と動物」@お茶の水女子大学共通講義棟105教室
「animotをめぐって、あるいは、デリダにおける動物論の脱構築はなぜ必然的か」
2013年12月21日
第2回脱構築研究会 ワークショップ ジャック・デリダ『散種』@早稲田大学文学部キャンパス36号館581
「「散種」と枠(cadre)の問題・序説」
2013年6月2日
日本フランス語フランス文学会2013年度春季大会ワークショップ「来たるべき修辞学――文学と哲学のあいだで――」@ICU252教室
「「文彩」の学から「比喩形象」の学へ――ミシェル・ドゥギーとブリュノ・クレマン」(音声)
2012年7月20日
ジゼル・ベルクマン来日講演「バートルビーと現代哲学」コメンテーター@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3(UTCP)
2011年11月5日
シンポジウム「フロイトの時代――文学・人文科学・無意識」@東京大学本郷キャンパス情報学環福武ラーニングシアター
「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」
2011年10月1日
合評会「『文学のミニマル・イメージ』を読む」@関東学院大学関内メディアセンター
自著について
2011年7月10日
人文社会科学系若手研究者セミナー@日仏会館5階501会議室
「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――60-70年代隠喩論争」
2011年4月3日
『文学のミニマル・イメージ』刊行記念対談〈ブランショのまなざし〉若森栄樹×郷原佳以@sound cafe dzumi
2010年12月4日
日本サルトル学会第26回研究例会 シンポジウム「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」@立教大学
「遺骸としてのイメージ――サルトルに応えるブランショ」
2010年7月21日
2nd Derrida Today Conference, 19th-21st July, 2010, dir. Nicole Anderson @ Goodenough College, London
“ From Abraham to a ram – Derrida’s focus on animals”
2010年5月29日
バタイユ・ブランショ研究会@早稲田大学
「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るまで」
2010年3月27日
A Workshop on Maurice Blanchot’s Le Pas au-delà, 26-27 March, 2010, dir. Christopher Fynsk, The Centre for Modern Thought @ the Court Room, University of Aberdeen (Scotland)
« « La passion du tout » ou d’une totalité à « facettes » infinies »
2009年12月5日
関東学院創立125周年記念事業 文学部国際シンポジウム「東アジアの異文化理解とジェンダー」@県民共済みらいホール
基調講演「ジェンダーのアポリアを前に――日本とフランスの事例から」
2009年7月25日
キリスト教と文化研究所「キリスト教と日本の精神風土」研究グループ2009年度第1回研究会@関東学院大学
「西洋思想におけるイサク奉献の解釈――カントからデリダまで」
2009年5月23日
バタイユ・ブランショ研究会 吉田裕『バタイユの迷宮』合評会コメンテーター@中央大学後楽園キャンパス
2008年1月8日
Forum « Philosophie et Education Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse », College international de Philosophie(UTCPとの共催)
« L’enseignement par le dis-cours – la forme de l’enseignement selon Blanchot »
2007年8月31日
フォーラム「イメージ(論)の臨界――イメージの氾濫を前にいかに思考するか――」@京都大学(科学研究費萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」(代表:岡田温司))
「「逆説的なオブジェ」としての文学言語――ブランショにおけるマラルメとジャコメッティ」
2007年5月20日
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治大学
「イメージの〈イリア〉――サルトル、レヴィナス、ブランショ」
2006年10月28日
シンポジウム 死刑の様々な表象について@東京日仏学院
「デリダにおける死刑の問題」
2006年10月21日
シンポジウム モーリス・ブランショ――文学、言語@東京大学駒場キャンパス
« « Court-circuit du langage » – ce qui rapproche Mallarmé et Paulhan chez Blanchot »
2006年5月21日
日本フランス語フランス文学会春季大会@慶應義塾大学
「〈美術館〉としての芸術作品――ブランショのマルロー論をめぐって」
2005年10月15日
日本フランス語フランス文学会秋季大会@新潟大学
「形象化のパッション――ブランショにおけるアブラハム」
2005年5月28日
バタイユ・ブランショ研究会 『ブランショ政治論集』ミニ・シンポジウム@立教大学
「証言――記憶しえないものを忘れないこと(『ブランショ政治論集』第三部をめぐって)」
2005年 3月21日
日本フランス語フランス文学会関東支部大会@東京大学駒場キャンパス
「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」
2003年 11月7日
Journee d’etudes doctorales sur Maurice Blanchot, Université Paris 7
« Qu’est-ce que Blanchot a vu ? ou le pied de Catherine Lescault »
version remaniée : “Il y a” de l’image ou le pied de Catherine Lescault”
(résumé : Travaux en cours, no. 1, octobre 2004, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 14-15.)
2002年 12月6日
Journée d’études sur Maurice Blanchot, Université Paris 7
« La ressemblance inquiétante – l’image chez Blanchot »
(résumé : Cahiers de Théorie Littéraire, no. 4, juin 2003, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 18-19.)
2000年 5月21日
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治学院大学
「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」
翻訳
・モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、59-66頁(Maurice Blanchot, « L’apocalypse déçoit » (1964), L’Amitié, Gallimard, 1971)。
・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗・湯浅博雄訳、筑摩書房、2017年11月(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅰ』湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳、筑摩書房、2016年11月、「終わりなき対話」(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年4月(Bruno Clément, La Voix verticale, Belin, 2013)。
・クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年(Christophe Bident, Maurice Blanchot. Partenaire invisible, Champ Vallon, 1998)。
・ジャック・デリダ『獣と主権者[Ⅰ]』西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年、第6回-第8回(Jacques Derrida, Séminaire La bete et le souverain Volume I (2001-2002), Galilée, 2008)。
・ジョルジュ・バタイユ「一九五二年一〇月一八日付のノート(ノート十一、未発表断章)」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、69-70頁(Georges Bataille, 18 octobre 1952, Carnet 11, fragment inédit, Gramma, no 5, 1976)。
・ブリュノ・クレマン「もうひとつの声の必要性――モーリス・ブランショとプロソポペイア」『関東学院大学人文科学研究所報』第37号、2014年3月31日発行、87-137頁(Bruno Clément, « Besoin d’une autre voix : Maurice Blanchot et la prosopopée »)。
・エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』みすず書房、2014年3月(Helene Cixous, Jacques Derrida, Voiles, Galilée, 1998)。
・ジャック・デリダ「散種」『散種』藤本一勇・立花史・郷原佳以訳、法政大学出版局、2013年2月、461-592頁(Jacques Derrida, « La dissémination » (1969) in La Dissémination, Seuil, 1972)。
・カトリーヌ・マラブー「ピエールは恐怖のオレンジを好む レヴィナス-サルトル-ナンシー、哲学におけるファンタスティックなものへのアプローチ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 2、メディア・デザイン研究所、2008年10月、56-80頁(Catherine Malabou, « Pierre aime les horranges : Levinas-Sartre-Nancy ; Une approche du fantastique en philosophie », Le Sens en tous sens. Autour des travaux de Jean-Luc Nancy, Galilee, 2004)。
・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
フィリップ・ラクー=ラバルト「忠実さ」22-41頁(Philippe Lacoue-Labarthe, « Fidélités », L’Animal autobiographique. Autour de Jacques Derrida, Galilée, 1999)。
モーリス・ブランショ「語りの声(「彼」、中性的なもの)」219-228頁(Maurice Blanchot, « La voix narrative (le “ il ”, le neutre) » (1964)in L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。
・エレーヌ・シクスー「フィシュとカルソン」『別冊 環13 ジャック・デリダ』、2007年12月、104-118頁(Helene Cixous, « Fichus et caleçon », Cahier de l’Herne : Derrida, no. 83, 2004)。
・ソフィー・ヴァニッシュSophie Wahnich「伝えること――歴史との感性的関係を創り出す」『前夜』11号、2007年4月、118-129頁。
・クリスティーヌ・フェレChristine Ferret「民族の名のもとに――ドイツの曖昧さについて」『前夜』9号、2006年10月、205-208頁。
・J= L・ナンシーJ-L Nancy他「ターブル・ロンド 無-無神論」郷原佳以・西山達也・西山雄二書き起こし+訳、『水声通信』2006年8月号、85-119頁。
・ジョエル・トラヴァールJoël Thoraval「哲学的なものと非-哲学的なものに関する考察――人類学者の視点から」『いま、哲学とはなにか』小林康夫編、未來社、2006年、205-240頁。
・モーリス・ブランショ『ブランショ政治論集 1958-1993』安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳(第三部担当)、月曜社、2005年(Maurice Blanchot, Écrits politiques : Guerre d’Algerie, Mai 68, etc. 1958-1993, Éditions Lignes & Manifestes, 2004)。
・ジャン・ラプランシュ「人間性剥奪への道(死刑に関して)」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、206-213頁(Jean Laplanche, « Les voies de la déshumanité (à propos de la peine de mort) » in Le Primat de l’autre en psychanalyse, Champ Flammarion, 1997)。
・ドゥルシラ・コーネル『脱構築と法――適応の彼方に』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、お茶の水書房、2003年4月 (Drucilla Cornell, Beyond accommodation Ethical feminism, deconstruction, and the law, Rowman and littelefield publishers, inc., Maryland, 1999)。
・ハーシム・フォーダ「連れ添って」『現代思想 総特集 思想としてのパレスチナ』2002年6月臨時増刊、154-173頁 (Hachem Foda, « En compagnie », Cahiers Intersignes : « Rencontre avec J. Derrida », no. 13, 1998)。
・ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、情況出版、2001年3月 (Drucilla Cornell, At the heart of freedom Feminism, Sex, and Equality, Princeton University Press, New Jersey, 1998)。
・ジャック・デリダ『滞留 [付―モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』]』湯浅博雄監訳、郷原佳以・坂本浩也・西山達也・安原伸一朗共訳、未來社、2000年11月 (Jacques Derrida, Demeure – Maurice Blanchot, Galilée, 1998 / Maurice Blanchot, L’Instant de ma mort, Fata Morgana, 1994)。
科研費等による研究
・2019-2022年度 科学研究費 基盤研究(C)
「バルト、ブランショ、デリダにおけるエクリチュール概念と発話理論の関係」(研究課題番号 19K00513)(研究代表者)
・2016年度日仏会館人文社会系セミナー招聘事業により2016年4月17日から27日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
4月18日から22日まで4回の講演会・セミナーを開催。→詳細
・2015-2018年度 科学研究費 基盤研究(C)
「ジャック・デリダにおける「自伝」の脱構築」(研究課題番号 15K02393)(研究代表者)
・平成24年度日本学術振興会外国人招聘研究者(短期)により2013年3月7日から3月21日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
3月9日から3月20日まで5回の講演会を開催。→詳細 →ポスター(PDF) →3月9日講演報告 →連続講演会報告
・2012-2014年度 科学研究費 若手研究(B)
「20世紀フランス文学・文学理論における「類似性」の脱構築」(研究課題番号 24720159)(研究代表者)
・2009-2011年度 科学研究費補助金 若手研究(B)
「モーリス・ブランショと現代芸術」(研究課題番号 21720116)(研究代表者)
仏語教育
・「2011年度秋季出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2012年度版 2級』駿河台出版社、2012年3月、183-213頁。
・「2010年度春期出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2011年度版 2級』 駿河台出版社、2011年3月、132-162頁。
・工藤庸子、笠間直穂子、郷原佳以、南玲子「生涯学習と初修外国語――面接授業「初歩のフランス語」の教材作成と全体構想」『放送大学研究年報』第23号、放送大学、2006年4月、51-63頁。
2020/12