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郷原佳以

2020-12-18 06:50:25 | 🇫🇷
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郷原 佳以
1975年生
2005年3月 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程 単位取得満期退学
2007年6月 パリ第7大学大学院テクストとイメージの歴史と記号学研究科博士課程 修了
These soutenue : Il y a de l’image – Maurice Blanchot et l’image minimale de la litterature(atelier national de reproduction des theses, 2009, 38euros, ISBN : 978-2-7295-7201-3)
日本学術振興会特別研究員(東京大学)、放送大学非常勤講師、東京大学UTCP共同研究員を経て、
2008年4月より 関東学院大学文学部比較文化学科専任講師、2010年4月より同准教授
2015年9月より東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻准教授

単著
発表した文章
研究発表・講演
翻訳
科研費
仏語教育


単著

・『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』 左右社、2011年2月20日発行、3800円(税別)、ISBN : 978-4-903500-49-2 



発表した文章

・「デリダの文学的想像力12 発明の再発明の夢」『みすず』2020年12月号(699号)、36-45頁。

・「デリダの文学的想像力11 アポカリプスとインヴェンション」『みすず』2020年10月号(697号)、35-43頁。

・「力の過剰としてのエクリチュール」「コメット通信」(メールマガジン)第1号、水声社コメット・ブッククラブ、2020年8月31日、1頁。

・「ジャック・デリダ「テレパシー」――テレパシーの試練」『現代思想 総特集 コロナ時代を生きるための60冊』2020年9月臨時増刊号(vol.48-11)、121-126頁。

・書評:森本淳生/ジル・フィリップ編『マルグリット・デュラス 〈声〉の幻前』(水声社、2020年)、日本ヴァレリー研究会Blog-Le vent se lève、2020年8月7日。

・「デリダの文学的想像力10 他なる語りのインヴェンション」『みすず』2020年8月号(695号)、34-43頁。

・「ブランショ」『現代フランス哲学入門』川口茂雄・越門勝彦・三宅岳史編、ミネルヴァ書房、2020年、187-191頁。

・「デリダの文学的想像力9 形而上学の壮大な連鎖、あるいは、星を太陽とみなすこと――「白い神話」読解4」『みすず』2020年6月号(693号)、47-57頁。

・「「作者の死」の歴史性」、東京大学教養学部編『知のフィールドガイド 異なる声に耳を澄ませる』白水社、2020年、152-167頁。

・「訳者補記 モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、67-68頁。

・郷原佳以+桒山智成+中尾麻伊香+岡田温司+木下千花、共同討議「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、16-58頁(「世界の終わりに見る夢――書物を燃やす、書物になる」:16-23頁)。

・「デリダの文学的想像力8 摩滅と類比のエコノミー――「白い神話」読解3」『みすず』2020年4月号(691号)、41-57頁。

・「第1章 テクスト」、三原芳秋・渡邊英理・鵜戸聡編『クリティカル・ワード 文学理論』フィルムアート社、2020年、16-44頁。

・「「今」を見つめるマラルメのアイロニー」(原大地『ステファヌ・マラルメの〈世紀〉』書評)『週刊読書人』2020年3月6日(第3330号)、6面。

・「非性器的センシュアリティを呼び戻すために――松浦理英子論序説」『現代思想 総特集 フェミニズムの現在』2020年3月臨時増刊号、102-113頁。

・「「わかること」と「なること」と小説」(千葉雅也『デッドライン』書評)『週刊読書人』2020年1月31日(第3325号)、4面。

・「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』について――」『立命館大学人文科学研究所紀要』120号、2019年12月、129-150頁。

・「デリダの文学的想像力7 一般的隠喩論の不可能性へ向けて――「摩滅」の形而上学2」『みすず』2019年12月号(688号)、44-55頁。

・「デリダの文学的想像力6 「白い神話」という神話――「摩滅」の形而上学1」『みすず』2019年10月号(686号)、2-13頁。

・「「あけぼのの赤らみ」を見上げて」(野村喜和夫訳『ルネ・シャール詩集』書評)『図書新聞』2019年10月5日(第3417号)、3面。

・「デリダの文学的想像力5 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ4」『みすず』2019年8月号(684号)、12-22頁。

・「デリダの文学的想像力4 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ3」『みすず』2019年6月号(682号)、26-36頁。

・「デリダの文学的想像力3 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ2」『みすず』2019年4月号(680号)、14-25頁。

・「拓き貫く記号論」(石田英敬先生を送る言葉)『教養学部報』2019年2月1日号、6面。

・「デリダの文学的想像力2 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――バルト、バンヴェニスト、デリダ1」『みすず』2018年12月号(677号)、30-39頁。

・「空に投げ出された言葉について」(ピエール・パシェ『母の前で』書評)『週刊読書人』2018年12月7日(第3268号)、5面。

・「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」高桑和巳編著『デリダと死刑を考える』白水社、2018年、169-203頁。

・「デリダの文学的想像力1 脱構築は「文学的」テクスト読解である」『みすず』2018年10月号(675号)、10-18頁。

・「「共鳴体」、吉増剛造」、林浩平×建畠晢×郷原佳以鼎談、『図書新聞』2018年9月8日号(第3366号)、1-2面。

・「襖絵から犬が飛び出す――『犬ヶ島』で鼻面を愛でる」『ユリイカ 総特集 ウェス・アンダーソンの世界』2018年6月臨時増刊号、41-51頁。

・「どんな母語でもない言語」(多和田葉子『地球にちりばめられて』書評)『週刊読書人』2018年5月18日号(第3239号)、2面。

・「『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』――「僕がメモリだ」 メモリをめぐる「除籍者」たちの闘い」『現代思想 総特集 現代を生きるための映像ガイド』2018年3月臨時増刊号、180-183頁。

・ « Le chant des Sirènes et la “voix narrative” – le mythe, la voix et le récit », Cahiers Maurice Blanchot 5, Hiver 2017-2018, Les presses du réel, p. 70-83.

・「指呼詞を折り襲ねる――『怪物君』の歩行」『三田文學』132号(2018年冬季号)、慶應義塾大学出版会、2018年1月、190-207頁。

・「知恵の木の実をかじる前の言葉」(ミシェル・レリス『ゲームの規則Ⅰ 抹消』『ゲームの規則Ⅱ 軍装』書評)『週刊読書人』2018年1月5日〔12月29日合併〕号(第3221号)、4面。

・「「すべて」をめぐる断片の運動――ブランショにおける共同体の(非)実践的射程」、岩野卓司編『共にあることの哲学と現実 家族・社会・文学・政治』書肆心水、2017年、187-226頁。

・「訳者あとがき」、モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』筑摩書房、2017年、335-350頁。

・「すべては「かのように」」(フィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』書評)『ふらんす』2017年10月号、白水社、70頁。

・「理論のフィクション性、あるいは、「デリダ派」蓮實重彦」『ユリイカ 総特集 蓮實重彦』2017年10月臨時増刊号、370-383頁。

・「『終わりなきデリダ――ハイデガー、サルトル、レヴィナスとの対話』書評」『フランス哲学・思想研究』第22号、日仏哲学会、2017年9月、293-297頁。

・「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」、塚本昌則・鈴木雅雄編『声と文学 拡張する身体の誘惑』平凡社、2017年、74-102頁。

・「デリダにおける《ミッション:インポッシブル》――灰、自伝、エクリチュール」『言語・情報・テクスト』第23巻、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2016年12月発行、41-60頁。

・「文学は本当に「ゆっくり」なのか?」(イルマ・ラクーザ『ラングザマー』書評)『週刊読書人』2016年12月9日号(第3168号)、5面。

・「連用日記のダイヤグラム、あるいは、記憶と記録」(「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」Review)『現代の眼』第620号、東京国立近代美術館、2016年10-11月号、10-11頁。

・マルグリット・デュラス『愛人』紹介、『東京大学新聞』第2775号、2016年10月4日号、2面。

・「他なる声、他なる生、比喩形象フィギュール――「訳者解説」にかえて」、ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年、335-365頁(「訳者あとがき」367-372頁)。

・「「すべて」に向かって「間」にいること」『現代詩手帖』2016年4月号(特集 粟津則雄 批評と詩魂)、74-78頁。

・「死を完遂させようとする試み」(ステファヌ・マラルメ+ジャン=ピエール・リシャール『アナトールの墓のために』書評)『週刊読書人』2016年3月11日号(第3131号)、5面。

・「バートルビーというFigure」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年12月28日。

・「生誕を生き直す」(J・M・G・ル・クレジオ『嵐』書評)『週刊読書人』2016年1月1日号(第3121号)、5面。

・「〈時に沿って〉捏造記憶」『教養学部報』第578号、2015年11月4日、4面。

・「「なぜ書くのですか?」」言語態・テクスト文化論コースFacebook記事、2015年10月23日。

・「書くことと赦しを求めること シクスーによるデリダ」『ふらんす』〈特集 ジャック・デリダ〉2015年11月号、17-18頁。

・「教員コラム:非ポジティヴ思考のすすめ」2015年8月14日。

・「作家の記憶」(河野多惠子『考えられないこと』書評)『文學界』2015年8月号、288-289頁。

・「近い他者 遠い他者――デリダと文学的想像力」『早稲田文学』2015年夏号(通巻1014号)、2015年5月、38-51頁。

・「手紙とアーカイヴの思想家の伝記」(ブノワ・ペータース『デリダ伝』書評)『図書新聞』2015年4月4日号(第3201号)1面。

・「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」『現代思想 総特集 デリダ』2015年2月臨時増刊号、76-100頁。

・「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」『関東学院大学文学部紀要』第131号、2014年12月発行、121-141頁。

・「伝記的なものをめぐる伝記的エッセイ」(訳者解説)、クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年、609-620頁。

・「教員コラム:飼い犬になりたい?」2014年11月21日。

・「あの頃のようには、もう読めない」『群像』2014年11月号、323頁。

・「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」『マルグリット・デュラス 生誕100年 愛と狂気の作家』河出書房新社、2014年、143-153頁。

・「巣穴の底で夢見るデリダ」(ニコラス・ロイル『デリダと文学』書評)『週刊読書人』2014年8月6日号(第3051号)、4面。

・ « Atsushi Miyakawa et Maurice Blanchot – fascination de l’image », Cahier de L’Herne Blanchot, Editions de l’Herne, 2014, pp. 370-376.

・「バタイユとブランショの分かちもったもの 「一九五二年一〇月一八日付のノート」から出発して」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、125-139頁。

・「否定性の文学史に抗して」(中田健太郎『ジョルジュ・エナン』書評)『現代誌手帖』2014年6月号、153頁。

・「想像と生成」(J・M・G・ル・クレジオ『隔離の島』書評)『文學界』2014年4月号、294-295頁。

・「訳者解説――「蚕」、あるいは、脱構築の告白」、エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』郷原佳以訳、みすず書房、2014年、163-201頁。

・「 教員コラム:シュルレアリスム@金沢文庫」2013年12月6日。

・「海外文学・文化回顧2013フランス:日本という磁場?」『図書新聞』2013年12月21日号(第3139号)、7面。

・recension de Yasuhiko MURAKAMI, Levinas – Kowaremono toshiteno Ningen [ Levinas – l’homme : etre fragile], Cahiers d’etues levinassiennes, No. 12, “La Nature”, l’Institut d’Etudes Levinassiennes, novembre 2013, pp. 217-220.

・「「物語」と第三の空席――村上春樹とモーリス・ブランショ」『早稲田文学』6号、2013年9月、478-495頁。

・「インファンスと神託の声」(モーリス・ブランショ『他処からやって来た声』書評)『図書新聞』2013年6月15日号(第3114号)5面。

・「デリダが〈散種〉したもの」(藤本一勇・立花史と鼎談、ジャック・デリダ『散種』をめぐって)『週刊読書人』2013年4月5日(第2984号)、1-2面。

・「海外文学・文化回顧2012フランス:恋愛小説の国」『図書新聞』2012年12月22日号(第3091号)、7面。

・「教員コラム:顔を上げて読むこと」2012年12月14日。

・「謎かけの人ブランショ」(安原伸一朗と対談、M・ブランショ『謎のトマ』をめぐって)『図書新聞』2012年9月29日号(第3080号)、1-2面。

・「夢に呑み込まれたデカルト」(スーザン・ソンタグ『夢の賜物』書評)『図書新聞』2012年9月1日号(第3076号)、5面。

・「ヴェロニカ、あるいはファリック・シスターの増殖 ブランショとセクシュアリティ」『別冊水声通信 セクシュアリティ』水声社、2012年7月、259-283頁。

・「フレンホーフェル効果」『組立-作品を登る-』「組立」、2012年3月、52-64頁。

・「なんとなく、ノワズゥズ」『ユリイカ 特集 辞書の世界』2012年3月号、170-179頁。

・「「顔」と芸術作品の非 - 起源」『現代思想 総特集 レヴィナス』2012年3月臨時増刊号、285-299頁。

・「新人小説月評」『文學界』2012年2月号、259頁、『文學界』2012年3月号、264-265頁、『文學界』2012年4月号、274-275頁、『文學界』2012年5月号、260-261頁、『文學界』2012年6月号、306-307頁、『文學界』2012年7月号、258-259頁。

・「海外文学・文化回顧2011 フランス:小説と回想」『図書新聞』2011年12月24日号(第3043号)、7面。

・「「白日の狂気」の治癒」(鹿島田真希『来たれ、野球部』書評)『すばる』2012年1月号、378頁。

・「ジャンルによるジャンルの乗り越え」(池田雄一『メガクリティック』書評)『週刊読書人』2011年12月2日号(第2917号)、5面。

・「透明人間の肉体、あるいは、模倣と接触――アポリネールと「絵画の起源」神話」『ART TRACE PRESS』第1号、2011年11月、104-119頁。

・「廃墟に踏みとどまる亡命者たち」(四方田犬彦『書物の灰燼に抗して』書評)『図書新聞』2011年8月13日号(第3026号)、4面。

・「書評:ジョナサン・リテル『慈しみの女神たち』」『週刊文春』2011年7月21日号、116頁。

・「日常との向き合い方 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』」『現代思想 総特集 震災以後を生きるための50冊』2011年7月臨時増刊号、242-245頁。

・「読書日録」『すばる』2011年7月号、280-281頁、『すばる』2011年8月号、284-285頁、『すばる』2011年9月号、316-317頁。

・「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――ドゥギー/ジュネット論争(1)」『関東学院大学人文科学研究所報』第34号、2011年5月(「3月31日発行」)、3-19頁。

・「不実な忠実」『文學界』2011年6月号、241頁。

・「「あいだ」の換喩的なきらめき[オスキルム]――岡田温司『半透明の美学』書評」『表象』第5号、2011年4月、301-307頁。

・「「同期」する時代と筆」(神山睦美『小林秀雄の昭和』書評)『図書新聞』2011年4月2日号(第3008号)、4面。

・「教員コラム:「オレンジのような青さ」の方へ」2011年3月10日。

・「書評:湯浅博雄『応答する呼びかけ』(未來社、2009年)」『言語・情報・テクスト』Vol. 17、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻、2010年12月、75-78頁。

・「合一しないこと、あるいは、果てなき愛――ジュネ/ブランショ」『ユリイカ 特集 ジャン・ジュネ』2011年1月号、200-209頁。

・「海外文学・文化回顧2010 フランス:沈黙する術を学ぶこと」『図書新聞』2010年12月25日号(第2995号)、7面。

・「「脱創造」へのいざない」(今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』書評)『図書新聞』2010年9月25日号(第2983号)、3面。

・「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るブランショ」『関東学院大学文学部紀要』第119号、2010年7月、1-31頁。

・「既読感のドーナツ」(ジョルジュ・ペレック『煙滅』書評)『図書新聞』2010年3月20日号(第2958号)、4面。

・「海外文学・文化回顧2009 フランス:コミュニケーションのひび割れ――饒舌と沈黙を描き出す小説の言葉」『図書新聞』2009年12月26日号(第2947号)、3面。

・「教員コラム:機械的なものの美」2009年11月26日。

・「書評:ミシェル・ヴィヴィオルカ『暴力』」 Revue japonaise de didactique du francais, Vol. 4, no. 2、日本フランス語教育学会、2009年10月、192-194頁。

・「自己を/で織る詩――蚕になるデリダ」『ユリイカ 総特集 昆虫主義』2009年9月臨時増刊号、192-208頁。

・「簡便な消費を拒む身体-書物の世界」(今福龍太『身体としての書物』書評)『図書新聞』2009年8月29日号(第2931号)、4面。

・「「外光」に浸される現代性[モデルニテ]の「典型」と「様相」――マラルメの詩論展開におけるマネ論の位置」『関東学院大学文学部紀要』第116号、2009年7月、7-37頁。

・「アブラハムから雄羊へ――動物たちの方を向くデリダ」『現代思想 特集 人間/動物の分割線』2009年7月号、156-171頁。

・“ “ Il faut ” de la traduction ” in Association des amis de Maurice Blanchot (ed.), Blanchot dans son siècle, Lyon, Parangon/Vs, 2009, pp. 140-146.

・「芸術作品といかに出会うか――美術館の遍在と「美術館病」」『比較文化をいかに学ぶか【増補改訂版】』関東学院大学文学部比較文化学科編、明石書店、2009年、174-195頁。

・「舞踊は詩のように、詩は舞踊のように、「……のよう〔comme〕」が世界を駆動する」(ミシェル・ドゥギー『愛着』書評)『図書新聞』2009年3月21日号(第2910号)、4面。

・「透明フィルムのたゆたい」吉増剛造 DVD+Book『キセキ――gozoCine』オシリス、2009年2月、163-165頁。

・「俯瞰的な視点を妨げる細部の横溢」(ブランショ『アミナダブ』書評)『図書新聞』2009年2月14日号(第2905号)、4面。

・「デリダにおける死刑の問題」『現代思想 特集 裁判員制度――死刑を下すのは誰か』2008年10月号、162-179頁。
 
・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
「言語のショート・サーキット――マラルメとポーランが出会う場所」342-359頁。
「非人称性の在処――「語りの声(「彼」、中性的なもの)」解題」229-241頁。
「ブランショ研究の近況――スリジーのブランショ・コロック報告」61-69頁。
座談会(湯浅博雄・上田和彦・西山雄二と)「来るべきテクストのために――ブランショの現在」84頁-119頁。
「解題」:『踏みはずし』360頁、『火の部分』361頁、『終わりなき対話』363-364頁。
・「複製技術時代のラヴレター」(ジャック・デリダ『絵葉書I』書評)『環』第34号、藤原書店、2008年夏、314-319頁。

・「書評:西山雄二『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』」『cahier』01、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、21-22頁(Web版はこちら)。

・“ “ Il y a ” de l’image – Sartre, Levinas, Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第92号、日本フランス語フランス文学会、2008年3月、122-138頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。


・“ L’enseignement par le dis-cours. La forme de l’enseignement selon Blanchot ” in Philosophie et Education. Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse, “UTCP Booklet 1”, Tokyo, UTCP, 2008, pp. 23-42.(UTCPのサイトでPDF版が公開されています→閲覧)

・「死体の重さ、あるいはアネット・メサジェの反ベルクソニスム」 SITE ZERO Review、2007年12月28日、http://site-zero.net/_review/post_44/


・「文学、この「ほとんど何でもないもの」――ドミニク・ラバテ『破れ鍋』によせて」『Resonances』第5号、東京大学教養学部フランス語部会、2007年10月、128-129頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。


・「言語のアポリアから言語の魔術へ――ブランショとシュルレアリスム」『水声通信』第20号(特集:思想史のなかのシュルレアリスム)、水声社、2007年9-10月、76-84頁。

・「美術館病、あるいは展示価値のアウラ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 1、メディア・デザイン研究所、2007年9月、132-159頁。

・“ L’œuvre d’art en tant que Musee – autour des textes de Blanchot sur Malraux – ” 『フランス語フランス文学研究』第90号、日本フランス語フランス文学会、2007年3月、101-119頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。


・「「殺して終わり」の欺瞞性――「死刑廃止をめぐるヨーロッパの経験」シンポジウムに参加して」『未来』第483号、未來社、2006年12月、10-13頁。

・「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月、36-37頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。


・“ Passion de la figuration – La figure d’Abraham chez Blanchot – ” 『フランス語フランス文学研究』第89号、日本フランス語フランス文学会、2006年7月、108-124頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。

・「待てないこと――コレットの場合」『アルゴ』第17号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2006年4月、172-184頁。

・「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」『関東支部論集』第14号、日本フランス語フランス文学会、2005年12月、237-251頁。

・「海外文学・文化回顧2005 フランス」『図書新聞』2005年12月24日号(第2755号)、4面。

・「プロブレム――デリダの〈前〉に」『現代思想 特集 イメージ発生の科学』2005年7月号、196-206頁。

・「第三部訳者解題 証言――記憶しえないものを忘れないこと」『ブランショ政治論集 1958-1993』、月曜社、2005年、332-377頁。

・「「マラルメの神話」、あるいは、言語の虚構[フィクション]としての詩――ブランショによるマラルメ」『Resonances』第3号、東京大学教養学部フランス語部会、2005年3月、28-29頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。


・「「夜のように広々とした」――ブランショとバシュラールの詩学におけるイメージ概念の相違」『年報 地域文化研究』第8号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2005年3月、108-132頁。

・「言語によって言語に抗する」(ブランショ/ポーラン/内田樹他『言語と文学』書評)『図書新聞』2005年3月12日号(第2717号)、5面。

・「デリダと(は)自動車(である)」『現代思想 緊急特集 ジャック・デリダ』2004年12月号、219-227頁。

・ “ “Figures” feminines comme prosopon dans Au moment voulu ” in L’OEuvre du Feminin dans l’ecriture de Maurice Blanchot, coll. “ Compagnie de Maurice Blanchot ”, Grignan, Les Editions Complicites, 2004, pp. 157-179.

・「プロソポンとしての形象[フィギュール]――ブランショ『望みの時に』より」『Resonances』第2号、東京大学教養学部フランス語部会、2004年3月、123-131頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。

・「研究手帖 「表象しえない」ものの写真」『現代思想』2004年4月号、206頁。

・「死刑存廃議論の沸騰のなかで――一九七〇-八〇年代フランス」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、214-221頁。

・「彼女の名、この不気味な驚異――ブランショにおける命名行為」『未来』第449号、未來社、2004年2月、9-19頁。

・“ Sur la traduction de l’oeuvre de Blanchot au Japon ” in Christophe Bident et Pierre Vilar (ed.), Maurice Blanchot. Recits critiques, Tours, Editions Farrago / Editions Leo Scheer, 2003, pp. 245-249.

・「人権リーグ」紹介、コリン・コバヤシ編著『市民のアソシエーション――フランスNPO法100年』太田出版、2003年7月 、133-149頁。

・「ブランショは何を見ていたか、あるいは、カトリーヌ・レスコーの足」[付―「モーリス・ブランショ主要著作目録」]『d/SIGN』第5号、太田出版、2003年10月、74-77頁。

・「モーリス・ブランショ 国際シンポジウム報告 批評的物語[レシ]」(1)~(6)『図書新聞』2003年6月7日号(第2632号)~7月12日号(第2637号)、3面連載。

・「無気味な類似――ブランショにおけるイメージ」『Resonances』第1号、東京大学教養学部フランス語部会、2003年3月、8-14頁(『Resonances』のサイトでPDF版が公開されています)。


・「フランスでの死刑廃止二〇周年集会に参加して」『年報・死刑廃止2002 世界のなかの日本の死刑』インパクト出版会、2002年7月、126-134頁。


・「ブランショにおける「中性的なもの」」、『年報 地域文化研究』第5号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2002年3月、147-165頁。


・「しるしを残すルパン――『エギュイユ・クルーズ』を読む――」『アルゴ』第16号、フランス科研究室『アルゴ』編集委員会、2001年8月、118-132頁。


・「疲労の語り/語りの疲労――ブランショ「終わりなき対話」から――」『言語態』第2号、言語態研究会、2001年6月、5-15頁。


・「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」『フランス語フランス文学研究』第77号、日本フランス語フランス文学会、2000年10月、36-48頁(CiNiiでPDF版が公開されています→閲覧)。

・「二重のトーラーをめぐって――「デリダに感謝」するブランショ――」『年報 地域文化研究』第3号、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻、2000年3月、131-146頁。

・「マルグリット・デュラス著作解題」『ユリイカ 特集マルグリット・デュラス』1999年7月号所収。


研究発表・講演

2020年9月24日
中動態研究会研究集会「言語の中動態、思考の中動態」ディスカッサント@Zoom+慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎

2020年2月9日
『形』レクチャーシリーズ
「語りの形 フィクションの始まり」@北千住BUoY

2019年10月22日
「話しているのは誰?現代美術に潜む文学」展「タムラの空耳アワー」
「こことよその交叉――田村友一郎Sky Eyes/空目について」@国立新美術館3階講堂

2019年7月6日
表象文化論学会第14回大会シンポジウム「アポカリプスの表象/表象のアポカリプス」
「世界の終わりに見る夢」@京都大学吉田キャンパス稲森ホール(芝蘭会館本館2階)

2019年3月16日
亀井大輔『デリダ 歴史の思考』合評会@立命館大学衣笠キャンパス末松記念館第三会議室
「哲学的言説の隘路――亀井大輔『デリダ 歴史の思考』書評」

2018年6月2日
バタイユ・ブランショ研究会@獨協大学西棟W-425
「『終わりなき対話』第3部における叙事詩としての文学」

2018年5月24日
6th Derrida Today Conference, May 23-26th, 2018, Concordia University, Montreal, Canada
« La mémoire et la/là cendre – Généalogie de la Deuxième lettre chez Derrida »

2018年2月17日
村上克直『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』合評会@日本大学文理学部本館2階会議室A
「非-主題としての動物――村上克尚『動物の声、他者の声――日本戦後文学の倫理』について」


2017年10月29日
日本フランス語フランス文学会秋季大会ワークショップ「ラスコーの曙光から~バタイユ、シャール、ブランショ」@名古屋大学C22教室
「ラスコーと「永遠の誕生」――シャールとバタイユを読むブランショ」

2017年10月7日
シンポジウム「デリダと死刑を考える」@慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎2階大会議室
「ダイモーンを黙らせないために――デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」


2017年7月15日
シンポジウム「デリダと宗教的なもの」第1部「赦すことと信じること」@慶應義塾大学三田キャンパス東館8階ホール 
コメント「デリダはなぜ自らを「最後のユダヤ人」として提示したのか――あるいは、キリスト教的エコノミーをいかにかわすか」

2017年3月11日
成蹊大学アジア太平洋研究センター主催シンポジウム「カタストロフィと詩――吉増剛造の「仕事」から出発して」@成蹊大学10号館2階大会議室(poster)
「「忘れがちの記憶」、吉増剛造」

2017年1月26日
竹峰義和『救済のメーディウム』合評会@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「「毒をもって毒を制する」療法的思想――竹峰義和『救済のメーディウム』に見られるベンヤミン、アドルノらの弁証法」

2016年7月30日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅱ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
コメント「喪をめぐる2つのファンタスム――最晩年のセミネールと過去の著作」

2016年6月30日
フランス語・イタリア語部会談話会@東京大学駒場キャンパス18号館6階ラウンジ
「デリダにおける « Mission Impossible »――自伝の脱構築論に向けて」

2016年4月18日
ブリュノ・クレマン来日講演「声なき者たちの声、プロソポペイア――文学と哲学の間の比喩形象」( « La voix des sans voix : la prosopopée, une figure entre littérature et philosophie ») ディスカッサント@日仏会館1階ホール(コメント commentaire)

2016年3月19日
Journée d’étude : « French Theory au Japon », CIPh, Grande Salle, Maison Heinrich Heine, Paris
« Critique et traducteur – la passion du « tout » et de l’« entre » » (résumé)

2015年12月17日
UTCP Workshop Bartleby revisited@東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室
“On Gisèle Berkman’s L’Effet Bartleby, philosophes lecteurs” (handout)

2015年5月30日
バタイユ・ブランショ研究会 大森晋輔『ピエール・クロソウスキー 伝達のドラマトゥルギー』書評会コメンテーター@明治学院大学
「「言語が足りない」ときにどうするか――シミュラークルの必要性とその様態」(書評原稿および著者からの応答)

2015年2月22日
ワークショップ「ジャック・デリダ『獣と主権者Ⅰ』を読む」@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
第6回-第9回解説(配布レジュメ)

2015年1月31日
日仏文化講座 シンポジウム「美術を哲学する――現代フランス思想とイメージ」@日仏会館ホール
「ジャコメッティを見るサルトルとブランショ――距離について」

2014年11月22日
ジャック・デリダ没後10年シンポジウム@早稲田大学小野記念講堂
「L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか」

2014年9月27日
シンポジウム「声と文学」第1回「声の不在と現前」@東京大学文学部1号館315教室
「セイレーンたちの歌と「語りの声」――ブランショ、カフカ、三人称」

2014年5月25日
日本フランス語フランス文学会2014年度春季大会ワークショップ「人間と動物」@お茶の水女子大学共通講義棟105教室
「animotをめぐって、あるいは、デリダにおける動物論の脱構築はなぜ必然的か」

2013年12月21日
第2回脱構築研究会 ワークショップ ジャック・デリダ『散種』@早稲田大学文学部キャンパス36号館581
「「散種」と枠(cadre)の問題・序説」

2013年6月2日
日本フランス語フランス文学会2013年度春季大会ワークショップ「来たるべき修辞学――文学と哲学のあいだで――」@ICU252教室
「「文彩」の学から「比喩形象」の学へ――ミシェル・ドゥギーとブリュノ・クレマン」(音声)

2012年7月20日
ジゼル・ベルクマン来日講演「バートルビーと現代哲学」コメンテーター@東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3(UTCP)

2011年11月5日
シンポジウム「フロイトの時代――文学・人文科学・無意識」@東京大学本郷キャンパス情報学環福武ラーニングシアター
「「終わりなき対話」と「終わりなき分析」――ブランショとフロイト」

2011年10月1日
合評会「『文学のミニマル・イメージ』を読む」@関東学院大学関内メディアセンター
自著について

2011年7月10日
人文社会科学系若手研究者セミナー@日仏会館5階501会議室
「ミシェル・ドゥギーの「commeの詩学」序説――60-70年代隠喩論争」

2011年4月3日
『文学のミニマル・イメージ』刊行記念対談〈ブランショのまなざし〉若森栄樹×郷原佳以@sound cafe dzumi

2010年12月4日
日本サルトル学会第26回研究例会 シンポジウム「サルトルのイマージュをめぐって:その射程と批判的考察」@立教大学
「遺骸としてのイメージ――サルトルに応えるブランショ」

2010年7月21日
2nd Derrida Today Conference, 19th-21st July, 2010, dir. Nicole Anderson @ Goodenough College, London
“ From Abraham to a ram – Derrida’s focus on animals”

2010年5月29日
バタイユ・ブランショ研究会@早稲田大学
「「全体へのパッション」あるいは名前の射程――『彼方への一歩』に至るまで」

2010年3月27日
A Workshop on Maurice Blanchot’s Le Pas au-delà, 26-27 March, 2010, dir. Christopher Fynsk, The Centre for Modern Thought @ the Court Room, University of Aberdeen (Scotland)
« « La passion du tout » ou d’une totalité à « facettes » infinies »

2009年12月5日
関東学院創立125周年記念事業 文学部国際シンポジウム「東アジアの異文化理解とジェンダー」@県民共済みらいホール
基調講演「ジェンダーのアポリアを前に――日本とフランスの事例から」

2009年7月25日
キリスト教と文化研究所「キリスト教と日本の精神風土」研究グループ2009年度第1回研究会@関東学院大学
「西洋思想におけるイサク奉献の解釈――カントからデリダまで」

2009年5月23日 
バタイユ・ブランショ研究会 吉田裕『バタイユの迷宮』合評会コメンテーター@中央大学後楽園キャンパス

2008年1月8日
Forum « Philosophie et Education Enseigner, apprendre – sur la pedagogie de la philosophie et de la psychanalyse », College international de Philosophie(UTCPとの共催)
« L’enseignement par le dis-cours – la forme de l’enseignement selon Blanchot »

2007年8月31日
フォーラム「イメージ(論)の臨界――イメージの氾濫を前にいかに思考するか――」@京都大学(科学研究費萌芽研究「美術史の脱構築と再構築」(代表:岡田温司))
「「逆説的なオブジェ」としての文学言語――ブランショにおけるマラルメとジャコメッティ」

2007年5月20日
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治大学
「イメージの〈イリア〉――サルトル、レヴィナス、ブランショ」
2006年10月28日
シンポジウム 死刑の様々な表象について@東京日仏学院
「デリダにおける死刑の問題」

2006年10月21日
シンポジウム モーリス・ブランショ――文学、言語@東京大学駒場キャンパス
« « Court-circuit du langage » – ce qui rapproche Mallarmé et Paulhan chez Blanchot »

2006年5月21日
日本フランス語フランス文学会春季大会@慶應義塾大学
「〈美術館〉としての芸術作品――ブランショのマルロー論をめぐって」

2005年10月15日
日本フランス語フランス文学会秋季大会@新潟大学
「形象化のパッション――ブランショにおけるアブラハム」

2005年5月28日
バタイユ・ブランショ研究会 『ブランショ政治論集』ミニ・シンポジウム@立教大学
「証言――記憶しえないものを忘れないこと(『ブランショ政治論集』第三部をめぐって)」

2005年 3月21日 
日本フランス語フランス文学会関東支部大会@東京大学駒場キャンパス
「「マラルメの神話」とは何か――ブランショとヴァレリーのマラルメ解釈をめぐって」

2003年 11月7日 
Journee d’etudes doctorales sur Maurice Blanchot, Université Paris 7 
« Qu’est-ce que Blanchot a vu ? ou le pied de Catherine Lescault »
version remaniée : “Il y a” de l’image ou le pied de Catherine Lescault”
(résumé : Travaux en cours, no. 1, octobre 2004, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 14-15.)

2002年 12月6日 
Journée d’études sur Maurice Blanchot, Université Paris 7 
« La ressemblance inquiétante – l’image chez Blanchot »
(résumé : Cahiers de Théorie Littéraire, no. 4, juin 2003, Université Paris 7, U.F.R. S.T.D. (Sciences des Textes et Documents), pp. 18-19.)

2000年 5月21日 
日本フランス語フランス文学会春季大会@明治学院大学 
「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」


翻訳

・モーリス・ブランショ「アポカリプスは失望させる」『表象』第14号、表象文化論学会、2020年4月、59-66頁(Maurice Blanchot, « L’apocalypse déçoit » (1964), L’Amitié, Gallimard, 1971)。

・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅲ』岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗・湯浅博雄訳、筑摩書房、2017年11月(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。

・モーリス・ブランショ『終わりなき対話 Ⅰ』湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳、筑摩書房、2016年11月、「終わりなき対話」(Maurice Blanchot, L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。

・ブリュノ・クレマン『垂直の声 プロソポペイア試論』水声社、2016年4月(Bruno Clément, La Voix verticale, Belin, 2013)。

・クリストフ・ビダン『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』上田和彦・岩野卓司・郷原佳以・西山達也・安原伸一朗訳、水声社、2014年(Christophe Bident, Maurice Blanchot. Partenaire invisible, Champ Vallon, 1998)。

・ジャック・デリダ『獣と主権者[Ⅰ]』西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年、第6回-第8回(Jacques Derrida, Séminaire La bete et le souverain Volume I (2001-2002), Galilée, 2008)。

・ジョルジュ・バタイユ「一九五二年一〇月一八日付のノート(ノート十一、未発表断章)」『別冊水声通信 バタイユとその友たち』水声社、2014年7月、69-70頁(Georges Bataille, 18 octobre 1952, Carnet 11, fragment inédit, Gramma, no 5, 1976)。

・ブリュノ・クレマン「もうひとつの声の必要性――モーリス・ブランショとプロソポペイア」『関東学院大学人文科学研究所報』第37号、2014年3月31日発行、87-137頁(Bruno Clément, « Besoin d’une autre voix : Maurice Blanchot et la prosopopée »)。

・エレーヌ・シクスー/ジャック・デリダ『ヴェール』みすず書房、2014年3月(Helene Cixous, Jacques Derrida, Voiles, Galilée, 1998)。

・ジャック・デリダ「散種」『散種』藤本一勇・立花史・郷原佳以訳、法政大学出版局、2013年2月、461-592頁(Jacques Derrida, « La dissémination » (1969) in La Dissémination, Seuil, 1972)。

・カトリーヌ・マラブー「ピエールは恐怖のオレンジを好む レヴィナス-サルトル-ナンシー、哲学におけるファンタスティックなものへのアプローチ」『SITE ZERO / ZERO SITE』No. 2、メディア・デザイン研究所、2008年10月、56-80頁(Catherine Malabou, « Pierre aime les horranges : Levinas-Sartre-Nancy ; Une approche du fantastique en philosophie », Le Sens en tous sens. Autour des travaux de Jean-Luc Nancy, Galilee, 2004)。

・『現代詩手帖特集版 ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために』思潮社、2008年7月:
 フィリップ・ラクー=ラバルト「忠実さ」22-41頁(Philippe Lacoue-Labarthe, « Fidélités », L’Animal autobiographique. Autour de Jacques Derrida, Galilée, 1999)。
 モーリス・ブランショ「語りの声(「彼」、中性的なもの)」219-228頁(Maurice Blanchot, « La voix narrative (le “ il ”, le neutre) » (1964)in L’Entretien infini, Gallimard, 1969)。

・エレーヌ・シクスー「フィシュとカルソン」『別冊 環13 ジャック・デリダ』、2007年12月、104-118頁(Helene Cixous, « Fichus et caleçon », Cahier de l’Herne : Derrida, no. 83, 2004)。

・ソフィー・ヴァニッシュSophie Wahnich「伝えること――歴史との感性的関係を創り出す」『前夜』11号、2007年4月、118-129頁。

・クリスティーヌ・フェレChristine Ferret「民族の名のもとに――ドイツの曖昧さについて」『前夜』9号、2006年10月、205-208頁。

・J= L・ナンシーJ-L Nancy他「ターブル・ロンド 無-無神論」郷原佳以・西山達也・西山雄二書き起こし+訳、『水声通信』2006年8月号、85-119頁。

・ジョエル・トラヴァールJoël Thoraval「哲学的なものと非-哲学的なものに関する考察――人類学者の視点から」『いま、哲学とはなにか』小林康夫編、未來社、2006年、205-240頁。

・モーリス・ブランショ『ブランショ政治論集 1958-1993』安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳(第三部担当)、月曜社、2005年(Maurice Blanchot, Écrits politiques : Guerre d’Algerie, Mai 68, etc. 1958-1993, Éditions Lignes & Manifestes, 2004)。

・ジャン・ラプランシュ「人間性剥奪への道(死刑に関して)」『現代思想 特集 死刑を考える』2004年3月号、206-213頁(Jean Laplanche, « Les voies de la déshumanité (à propos de la peine de mort) » in Le Primat de l’autre en psychanalyse, Champ Flammarion, 1997)。

・ドゥルシラ・コーネル『脱構築と法――適応の彼方に』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、お茶の水書房、2003年4月 (Drucilla Cornell, Beyond accommodation Ethical feminism, deconstruction, and the law, Rowman and littelefield publishers, inc., Maryland, 1999)。

・ハーシム・フォーダ「連れ添って」『現代思想 総特集 思想としてのパレスチナ』2002年6月臨時増刊、154-173頁 (Hachem Foda, « En compagnie », Cahiers Intersignes : « Rencontre avec J. Derrida », no. 13, 1998)。

・ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』仲正昌樹監訳、共訳(3章担当)、情況出版、2001年3月 (Drucilla Cornell, At the heart of freedom Feminism, Sex, and Equality, Princeton University Press, New Jersey, 1998)。

・ジャック・デリダ『滞留 [付―モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』]』湯浅博雄監訳、郷原佳以・坂本浩也・西山達也・安原伸一朗共訳、未來社、2000年11月 (Jacques Derrida, Demeure – Maurice Blanchot, Galilée, 1998 / Maurice Blanchot, L’Instant de ma mort, Fata Morgana, 1994)。



科研費等による研究

・2019-2022年度 科学研究費 基盤研究(C)
「バルト、ブランショ、デリダにおけるエクリチュール概念と発話理論の関係」(研究課題番号 19K00513)(研究代表者)

・2016年度日仏会館人文社会系セミナー招聘事業により2016年4月17日から27日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
4月18日から22日まで4回の講演会・セミナーを開催。→詳細

・2015-2018年度 科学研究費 基盤研究(C)
「ジャック・デリダにおける「自伝」の脱構築」(研究課題番号 15K02393)(研究代表者)


・平成24年度日本学術振興会外国人招聘研究者(短期)により2013年3月7日から3月21日までブリュノ・クレマンBruno Clément氏を招聘。
3月9日から3月20日まで5回の講演会を開催。→詳細 →ポスター(PDF)  →3月9日講演報告 →連続講演会報告


・2012-2014年度 科学研究費 若手研究(B)
「20世紀フランス文学・文学理論における「類似性」の脱構築」(研究課題番号 24720159)(研究代表者)


・2009-2011年度 科学研究費補助金 若手研究(B)
「モーリス・ブランショと現代芸術」(研究課題番号 21720116)(研究代表者)



仏語教育


・「2011年度秋季出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2012年度版 2級』駿河台出版社、2012年3月、183-213頁。

・「2010年度春期出題内容のあらまし」『仏検公式問題集 2011年度版 2級』 駿河台出版社、2011年3月、132-162頁。

・工藤庸子、笠間直穂子、郷原佳以、南玲子「生涯学習と初修外国語――面接授業「初歩のフランス語」の教材作成と全体構想」『放送大学研究年報』第23号、放送大学、2006年4月、51-63頁。
2020/12

🇫🇷革命

2020-12-08 04:46:36 | 🇫🇷
フランス革命の年表(フランスかくめいのねんぴょう、仏: Chronologie de la Révolution française)は、フランス革命(1789年〜1799年)とそれに関連する出来事、さらにその原因にまで遡って取りまとめた年表である。

目次
1 革命以前
1.1 啓蒙思想の世紀
1.2 財政危機
1.3 貴族の反抗
1.3.1 1788年
1.4 第三身分の目覚め
1.4.1 1789年
2 革命勃発
2.1 バスティーユ襲撃
2.2 憲法と議会
2.2.1 1790年
2.2.2 1791年
2.3 祖国は危機にあり
2.3.1 1792年
3 共和国の樹立
3.1 サン・キュロット
3.1.1 1793年
4 ジャコバン派独裁
4.1 恐怖政治
4.1.1 1794年
5 テルミドール反動
5.1 軍隊の台頭
5.1.1 1795年
5.1.2 1796年
5.1.3 1797年
5.2 革命の終焉
5.2.1 1798年
5.2.2 1799年
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
革命以前[編集]
啓蒙思想の世紀[編集]

ジュネーヴのルソー像

モンテスキュー像
1709年:厳冬により西ヨーロッパ全域で大飢饉[1]
1715年9月1日:ルイ15世即位
1721年:財務総監ジョン・ローのミシシッピ計画がバブル崩壊
1725年:パンの価格高騰による食糧暴動
1729年:コルシカ独立戦争始まる(〜1769年)
1731年:宰相フルーリーの中央集権政策にパリの高等法院が反発し、法服貴族が多数追放される
1733年:ポーランド継承戦争勃発(〜1735年)
1734年:ヴォルテールが『哲学書簡[2]』を出版(後に発禁処分)
1740年
オーストリア継承戦争勃発(〜1748年)
パンの価格高騰による食糧暴動
1744年:ジョージ王戦争勃発(〜1748年)
1748年:モンテスキューが『法の精神』を出版
1749年:財務総監ダルヌーヴィル[3]が20分の1税(ヴァンチーム)を創設して全国に課す(課税反対運動)
1751年〜1772年:ディドロ、ダランベールら『百科全書』を出版[4]
1752年:ジャンセニスムに関係した食糧暴動(パンの価格高騰と高等法院弾圧に反対した暴動)
1756年 : 七年戦争勃発(〜1763年)
1758年:重農主義経済学者ケネーが『経済表』を出版
1762年:ルソーが『社会契約論』を出版
1765年:ルイ15世、イエズス会に解散を命じる
1766年:重農主義経済学者テュルゴーが『富の形成と分配についての考察[5]』を出版[6]
1768年:ジェノヴァ共和国がコルシカ島をフランスへ売却
1769年:ポンテ・ノーヴォの戦い[7](5月8日〜9日)
1770年
フランス東インド会社解散
フランスがコルシカ島を併合
5月16日:ハプスブルク家の皇女マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ
1771年:大法官モープー[8]が高等法院を廃止(〜1774年)
財政危機[編集]

フランス王室(1781年)

「独立宣言への署名」トランブル作

ワシントン邸を訪れたラファイエット

1787年の第一回名士会
1774年5月10日:ルイ16世即位。 破産政策[9]を進めたテレー[10]を解任し、財務総監にテュルゴーを任命
1775年:凶作で飢饉。テュルゴーの自由主義的改革が物価高騰を招き、食糧暴動に発展(小麦粉戦争[11])
1776年
5月12日 : 財務総監テュルゴー罷免[12]
7月4日 : アメリカ独立宣言。アメリカ独立戦争始まる(〜1783年)
1777年
ラファイエット侯爵が渡米して単独参戦。ワシントン大陸軍司令官の副官
6月29日: ネッケルが財務長官に就任
1778年
2月6日:イギリスに対抗してアメリカ植民地支援を宣言(仏米同盟条約)
7月5日:バイエルン継承戦争始まる(〜1779年)
1779年
ラファイエットが帰国して参戦運動
8月10日:ルイ16世が農奴廃止令を発布
1780年:フランスがアメリカ独立戦争へ出兵
1781年
2月19日:ネッケルが『会計報告書(コント・ランデュ)』を発表
5月19日:ネッケルが宰相の地位を狙うが貴族の反発にあって失脚。辞職[13]
ヨークタウンの戦い(9月28日〜10月19日)
コンドルセ侯爵が『黒人奴隷についての考察[14]』を出版(フランスで奴隷貿易反対論)
1783年〜1789年:浅間山、ラキ火山、ヴェスヴィオ山、フエゴ山の大噴火(世界の気温低下・厳冬)[15]
1783年
9月3日 : パリ条約が締結され、アメリカ独立戦争終結[16]
11月10日:財務総監にカロンヌを任命
1784年
カロンヌ、パリに入市関税(オクトロワ)を導入(パリで新しい城壁の建設開始[17])
ネッケルが『フランスの財政について』を出版(カロンヌを激しく批判)[18]
1785年
4月14日:カロンヌ、フランス東インド会社を再建(〜1794年)
首飾り事件。王妃マリー・アントワネットに云われなき悪評
1786年
8月20日 : カロンヌ、財政再建改革策を提出。臨時土地税[19]を主張
9月26日:英仏通商条約締結(イーデン・レーヌヴァル条約[20])[21]
1787年
2月22日 : ヴェルサイユで第一回名士会を召集
4月8日:名士会のネッケル派、カロンヌの提案を否決。カロンヌ罷免。後任にブリエンヌ
5月25日:名士会解散
8月14日:高等法院が印紙税を拒否して三部会召集を要求。トロワへ追放される(9月4日にパリに帰還)
11月19日:国王臨席会議で公債増発にオルレアン公爵が公然と反対(21日にパリ追放)
11月29日、ルイ16世が寛容令を発し、ユグノー(プロテスタント)に戸籍など市民権を与える
貴族の反抗[編集]
1788年[編集]

グルノーブル屋根瓦の日事件[22]

1789年、三部会の開会

「球戯場の誓い」[23]ダヴィッド作

『第三身分の目覚め』
連年の凶作で収穫量激減。飢餓、物価高騰。長引く不況により失業者増大
1月29日:パリ高等法院、プロテスタントの宗教の自由と公職に従事する権利を認めず
2月9日:「黒人友の会」[24]設立
5月8日:ラモワニョンの司法改革(高等法院から立法権と司法権を剥奪)[25]
6月7日 : グルノーブルの屋根瓦の日(ジュルネ・テュイル)[26][22]
7月5日:ブリエンヌ、全国三部会の召集を約束
7月21日 : ヴィジル決議。ドーフィネ州ヴィジル[27]で国王無許可の地方三部会召集[28]
8月8日 : ルイ16世、財政改革の審議のために三部会の召集を布告[29]
8月16日:ブリエンヌ、フランス王室財政の破産を宣言
8月24日:ブリエンヌ罷免
8月26日 : ネッケル、再び財務長官(兼大臣)に就任
9月14日:ラモワニョン罷免(司法改革の失敗)
9月23日:高等法院の再建(王権の挫折)
11月6日:第二回名士会召集(ネッケルが提案した第三身分の定数倍増案を否決)
12月5日:高等法院、第三身分定員倍増を承認
12月27日:枢密院[30]が全国三部会の第三身分の定数倍増を承認し、ルイ16世が許可
第三身分の目覚め[編集]
1789年[編集]
前年末から春にかけて全国各地で農民一揆。穀物の価格上昇
1月
シェイエスが『第三身分とは何か』を出版。ベストセラーとなる
ベルギーでブラバント革命が勃発(〜1790年12月)
1月24日:全国三部会の選挙規定が発布される(ブルジョワジーに有利な内容、農民や都市平民は排除)
3月4日:三部会選挙始まる(〜14日)
4月28日:レヴェイヨン事件[31]
5月5日 : 175年ぶりにヴェルサイユで全国三部会が開会
6月10日:シェイエスが第三身分(平民)は独自行動をとると宣言。「時は来た。錨綱を切れ」
6月17日 : 第三身分部会による国民議会の宣言
6月20日:球戯場の誓い(テニスコートの誓い)[23]
6月23日:国王臨席会議、国民議会の無効を宣言。ルイ16世、議員に身分毎の部会に分かれるように命令[32]
6月25日:第一身分(聖職者)の大半が国民議会と合流
6月26日:第二身分(貴族)の一部が国民議会と合流
6月27日 : ルイ16世、第一・第二身分に国民議会への合流を勧告(王権の敗北)
7月6日 : 憲法制定委員会の設置
7月8日:ラファイエット、ミラボーら議会代表、パリ郊外の軍隊引き上げ要求
7月9日 : 国民議会、憲法制定国民議会(立憲議会)へと改称
7月11日 : ネッケル罷免。ルイ16世、軍隊のパリへの集結命令[33]
7月12日
ネッケル罷免のニュースがパリに伝わり、暴動開始(入市税関の焼き討ち)
ルイ15世広場でランベスク大公[34]竜騎兵部隊と群衆が衝突[35]
パレ・ロワイヤルでカミーユ・デムーランが市民に「武器を取れ」と演説
7月13日:パリ市民の武装化が進む。武力鎮圧の噂
革命勃発[編集]
バスティーユ襲撃[編集]

バスティーユ襲撃事件

1789年の人権宣言

女達のヴェルサイユ行進
7月14日
パリ市民が武器を求めて廃兵院を襲撃
バスティーユ牢獄が襲撃される(フランス革命の勃発)
7月15日 : 選挙人委員会、パリ市長にバイイ、パリ国民衛兵隊司令官にラファイエットを選ぶ
7月16日 : ルイ16世、立憲議会の要求を受け入れてネッケルを復職させる
7月中旬〜8月:大恐怖(グランド・プール)始まる[36]
7月17日
ルイ16世、パリを訪問して鎮撫
王弟アルトワ伯爵(シャルル10世)やコンデ公爵ら外国へ亡命
7月18日:カミーユ・デムーラン、最初の革命マニフェスト『自由フランス[37]』を公刊
7月25日:パリ・コミューン成立
8月4日 : 封建的特権の(有償)廃止を決議[38]
8月11日:封建制廃止令
8月26日:「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」を採択
9月11日:立憲議会、国王の停止的拒否権を議決
9月12日 : マラー、『人民の友』紙を創刊(しばしば発禁と再刊を繰り返す)
10月1日:近衛兵の宴会でマリー・アントワネットが三色帽章を冒涜
10月5日〜6日 : ヴェルサイユ行進(十月行進)[39]
10月10日:ギヨタン博士、立憲議会で処刑器具ギロチンの使用を提言
10月12日 : 国王と共に、立憲議会もパリへ移ることが決定。室内馬術練習場を新議場に
11月:ジャコバン・クラブの設立
11月2日 : 教会財産国有化を宣言
12月19日:アッシニアを発行(第一回は債券で、非紙幣)
12月22日:地方自治法を制定(14日〜)
憲法と議会[編集]
1790年[編集]

1790年の第一回全国連盟祭

アッシニア紙幣
1月15日:フランスは83県の地方自治体に再編
2月20日:オーストリアのヨーゼフ2世が病死
3月29日:教皇ピウス6世、人権宣言を批判
4月:コルドリエ・クラブの設立
4月17日 : アッシニアに強制流通力を付与(第二回より紙幣に)
5月21日:パリ市を48地区に区分
6月19日:貴族の称号廃止
6月21日:アヴィニョン(教皇領)をフランスに併合
7月12日:聖職者民事基本法を採択
7月14日 : シャン・ド・マルスで第一回全国連盟祭[40](革命一周年式典)
8月11日 : 十分の一税の無償廃止
8月31日:ナンシーで兵士の反乱鎮圧(24日〜31日)
9月3日:ネッケル、立憲議会と対立して辞職
9月6日 : 高等法院の廃止(司法の民主化)
9月:エベール、『デュシェーヌ親爺(ペール・デュシェーヌ)』紙を創刊
10月9日:トスカーナ大公が神聖ローマ皇帝レオポルト2世として即位
10月21日 : 三色旗をフランスの国旗に制定
11月27日:立憲議会、全聖職者に聖職者民事基本法への宣誓を義務づけ(教会と対立)
12月12日:銀本位制(銀単本位制)を採用
1791年[編集]

パリへ連れ戻される国王一家

ハイチ革命(1791年の白人虐殺)

3身分が創った「新しい憲法」の寓意

『ライン軍団の歌』を謳うリール大尉
この時期の革命は、ミラボー、ラファイエットら立憲君主制派によって指導されていた。市民軍は自由主義貴族のラファイエットを総司令官に任命し、1790年、彼の提案により三色旗(現在のフランスの国旗)が革命の旗となった。
詳細は「ヴァレンヌ事件」を参照

ブルジョワに扮したルイ16世とその家族が逮捕される場面
革命勃発により、貴族や聖職者など特権階級の多くが国外へ亡命を始めていた。1791年、国王と民衆との仲介者であったミラボーが死ぬと、過激化する革命を嫌ったルイ16世は、マリー・アントワネットの愛人とされるスウェーデン貴族フェルセンの助けを借り、王妃の実家であるオーストリアへ逃亡しようと企てた。
6月20日、ルイ16世一家はパリを脱出するが、国境の手前のヴァレンヌで国民に見つかり、6月25日にパリへ連れ戻される。この事件はフランス国民に衝撃を与え、同時にルイ16世の反革命思考が暴露される。革命の波及を恐れるオーストリアとプロイセンとがピルニッツ宣言を発表し(8月27日)、ルイ16世の地位を保証しないと戦争をしかけると脅したので、ルイ16世は国王に留まることとなった。しかし、それまでは比較的多数を占めていた国王擁護の国民からの支持を失う。
9月、正式に憲法が制定された(1791年憲法)。この憲法は君主制のもとで、平民であっても一定以上の税金を納めたものには選挙権を認めた。10月になると最初の選挙が行われ、新しい議会「立法議会」が成立した。立法議会では、立憲君主制を守ろうとするフイヤン派と、共和制を主張するジロンド派の2派が力を持った。ジロンド派は裕福な商工業者をはじめとした上層・中層の市民(ブルジョワジー)を支持層としていた。

8月10日事件(1793年画)

『ヴァルミーの戦い』(1835年画)
詳細は「フランス革命戦争」を参照
ピルニッツ宣言や王党派亡命貴族(エミグレ:移民という意味)による扇動活動は、革命政府に対する重大な脅迫であると受け止められた。ジロンド派内閣は革命維持のため対外戦争に踏み切る。1792年4月、革命政府はオーストリアに対して宣戦布告し、フランス革命戦争が勃発した。しかしフランス軍の士官達は貴族階級であるので革命政府に協力的ではなく、フランス軍は各地で戦いに敗れた。マリー・アントワネットは敵方にフランス軍の作戦を漏らしていた。
3月2日
アラルド法(商業の自由・同業者組合(ギルド)禁止)
クロード・シャップが腕木通信を発明
3月10日:ピウス6世、聖職者民事基本法を批判して改めて人権宣言を攻撃(反革命)
3月20日:徴税請負制(フェルム・ジェネラル)[41]廃止
3月23日:オランダの女権論者エッタ・パルム[42]がパリで初の女性団体「真実の友同盟」結成
4月2日:ミラボー死去。国王と議会の連絡役が不在に
4月18日:国王一家が復活祭のミサのためにサン=クルーに行くのを拒絶される
5月1日:入市関税廃止
5月16日:ロベスピエールの提案で立憲議員の次期議会での再選禁止決議
6月14日:ル・シャプリエ法(労働者団結禁止法)が可決
6月20日〜25日 : ヴァレンヌ事件[43]
7月5日:レオポルド2世、パドヴァ回状を発す
7月14日 : 第二回全国連盟祭
7月15日:ジャコバン・クラブでルイ16世廃位請願運動を決議
7月16日
ジャコバン・クラブから立憲派が脱退し、フイヤン・クラブを設立
フイヤン派主導の立憲議会、ヴァレンヌ事件はルイ16世が誘拐されたものとして免責を宣言
7月17日 : シャン・ド・マルスの虐殺[44]
8月14日:サン=ドマングでハイチ革命が勃発(〜1804年)[45]
8月27日:ピルニッツ宣言[46]
9月:オランプ・ド・グージュが「女性および女性市民の権利宣言(女権宣言)[47]」を発表
9月3日 : 1791年憲法の制定。立憲君主制への移行始まる
9月14日 : 国王が新憲法に宣誓
9月25日:刑法制定(旧刑法)
9月27日:ユダヤ人同権化法令
9月28日:農事基本法可決(囲い込みの自由承認)
9月30日 : 憲法制定国民議会が解散
10月1日 : 立法議会の召集
11月9日:亡命者処罰法が成立(亡命貴族は翌年1月1日までに帰国しなければ死罪)
11月14日:ペティヨン[48]がパリ市長に当選
12月9日:フイヤン派内閣成立(第一次)
12月21日:ロベスピエール、反戦演説
12月31日:ブリッソー、「新しい自由の十字軍」を主張(革命の輸出)
祖国は危機にあり[編集]
1792年[編集]

6月20日のデモ。国王の拒否権に圧力
この年は久しぶりの豊作だったがアッシニア下落につき、穀物価格上昇
1月2日:ジャコバン・クラブでジロンド派が開戦論を主張[49]
1月25日 : 立法議会、ピルニッツ宣言の取り消しをオーストリアに要求
2月7日:オーストリアとプロイセンが軍事条約を締結
2月9日:亡命者財産没収令
3月1日:レオポルド2世が死去
3月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第一次)
3月23日 : ジロンド派内閣成立
3月24日 : 立法議会、植民地でのムラートや黒人も含むすべての自由人の平等を決議。(奴隷制は存続)
4月20日 : 立法議会、オーストリア[50]に対し宣戦布告(フランス革命戦争の開戦)
4月25日 : 『ラ・マルセイエーズ』が作曲される
4月28日〜9月20日:戦線が大混乱[51]
5月18日:ラファイエット北方軍司令官、攻撃不能を宣言し、国王に和平交渉を勧告
6月15日 : 国王がジロンド派の大臣を罷免。フイヤン派内閣(第二次)が成立
6月20日 : 民衆がテュイルリー宮殿の王の寝室にまで押し寄せ国王の前で示威行為
6月24日:プロイセン、ヘッセン=カッセルがオーストリアとの同盟を理由に参戦
7月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第二次)
7月11日:立法議会、「祖国は危機にあり」の宣言(義勇兵の呼びかけ)
7月14日
パリで第三回全国連盟祭
フランクフルトで神聖ローマ皇帝フランツ2世が即位
7月25日 : 同盟軍司令官ブラウンシュヴァイク公が声明(ブラウンシュヴァイクの宣言)[52]
共和国の樹立[編集]
サン・キュロット[編集]

『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』

8月10日事件[53]

九月虐殺[54](ランバル公妃の殺害)

ヴァルミーの戦い

国王ルイ16世の処刑
8月10日
8月10日事件 (テュイルリー宮殿襲撃)[53](パリ・コミューンの勝利)
王権停止の諸法令(王権停止・普通選挙の実施約束)
8月13日
国王一家をタンプル塔に幽閉
ジロンド派内閣が復活。ダントンが司法大臣に就任
8月14日:ラファイエット軍司令官、パリ進軍を企図(兵士の反対で失敗)
8月17日
自治市会(パリ・コミューン)、特別重罪裁判所を設置
連盟兵、国王廃位を要求
8月18日:バルナーヴ逮捕(〜1793年11月29日処刑)
8月19日:ラファイエット、軍を捨てて亡命
8月23日
ギロチンの使用始まる
ロンウィ要塞降伏
8月27日:次の議会のための予選会(第一次選挙)が始まる
9月1日:ヴェルダン要塞降伏
9月2日〜6日 : 九月虐殺[54]
9月3日:選挙集会(第二次選挙)が始まる(普通選挙[55])
9月20日
ヴァルミーの戦い(革命フランス軍が初勝利)
離婚法が成立(戸籍の世俗化)
立法議会は最終議事を終了して解散
国民公会召集
9月21日 : 王政の廃止を決議し、共和国宣言(フランス第一共和政成立)
9月22日:この日が革命暦の元年元旦となる
9月25日
ジロンド派が提案した州連邦制度案を否決[56]
ジロンド派、ロベスピエールを「独裁を目指す者」として告発
10月2日 : 国民公会、保安委員会や公教育委員会など14の委員会を設置
10月6日:ジェマップの戦い[57]
10月8日:ビュゾー、県衛兵隊(連盟兵)の創設を提案
10月10日
ダントン、機密費問題で司法大臣辞職
パリ・コミューン、ジャコバン・クラブからブリッソーを追放(ジロンド派脱退)
11月13日:サン=ジュスト、国王裁判について演説
11月27日:サヴォワを併合
12月4日:国王裁判開始(〜1793年1月15日結審)
1793年[編集]
対外戦争と内戦で共和国は最大の苦境に

ヴァンデの反乱(ロワール渡河)

『マラーの勝利』
1月1日 : 国防委員会[58]を設置
1月21日 : 国王ルイ16世処刑
1月23日:第二次ポーランド分割
1月31日:ニースを併合
2月1日 : 国民公会、イギリス・オランダに宣戦布告
2月13日 : オーストリア・プロイセン・イギリス・スペイン・オランダ等による第一次対仏大同盟結成
2月21日:アマルガム法
2月24日:30万人募兵令(国民軍・強制募兵制度[59])
3月3日 : リヨンの反乱(〜1794年10月9日)
3月7日 : 国民公会、スペインに宣戦布告
3月10日
革命裁判所の設置
ヴァンデの反乱が始まる[60]
3月18日
ネールウィンデンの戦い[61](ベルギーでフランス軍大敗)
ライン地帯に、マインツ共和国成立(〜7月22日崩壊)
4月2日:デュムーリエ[62]の裏切り[63]
4月6日 : 公安委員会(第1期)の成立(臨時行政機関)
4月9日:派遣議員制度
4月13日:マラー逮捕(24日に無罪釈放)
4月14日〜7月23日:マインツ包囲
4月22日:アメリカ、対フランス中立宣言
4月27日:ダントン、ヴァンデの反乱鎮圧へパリのサン・キュロットを派遣
5月4日 : 穀物の最高価格令制定(価格統制が始まる)
5月18日:十二人委員会[64]の設置
5月20日:10億リーブルの累進強制公債
5月29日:マルセイユで反革命
ジャコバン派独裁[編集]
恐怖政治[編集]

『ジロンド派の最後の晩餐』

『マラーの死』ダヴィッド

王妃マリー・アントワネットの処刑

理性の崇拝

最高存在の祭典

テルミドール9日。ロベスピエールの逮捕。

銃撃されるロベスピエール。

『恐怖政治、最後の荷車』
5月31日:国民衛兵とサン・キュロット、国民公会を包囲
6月2日 : 6月2日の革命[65](議員29名が逮捕。ジロンド派追放)
6月22日:累進強制公債を修正して再可決(税率強化)
6月24日
1793年の人権宣言
1793年憲法(ジャコバン憲法)制定(実際には実施されず)
6月25日〜8月22日:アンラージェ[66](過激派)の活動激化
7月10日:公安委員会刷新
7月12日 : トゥーロンで王党派反乱
7月13日 : マラー暗殺
7月17日
封建的特権の(無償)廃止が決議
シャルロット・コルデー処刑
7月27日
ロベスピエールが公安委員会に参加(大公安委員会始まる)
買占禁止令
7月29日:ナントの戦い[67]
8月1日:度量衡の統一[68]
8月10日
第一回8月10日祭開催
ルーヴル美術館開館
8月22日:ジャック・ルー[69]逮捕(アンラージェ弾圧)
8月23日 : 総動員法の施行[70]
8月29日 : サン=ドマングへ派遣された委員ソントナ[71]が独断で全ての黒人奴隷解放を宣言
9月:エベール派(矯激派)が活発化(極左政策・非キリスト教化運動)
9月5日
国民公会、恐怖政治を採択[72]
革命裁判所の強化
9月11日:革命軍[73]の創設
9月17日:反革命容疑者法制定
9月21日:航海条令
9月25日:国民公会、公安委員会に独裁権を付与(公安委員会独裁始まる〜1794年7月27日)
9月29日 : 最高価格令(一般最高価格令)制定
10月5日:国民公会、グレゴリオ暦を廃止しフランス革命暦(共和暦)を採用
10月10日 : 革命政府宣言[74]
10月15日〜16日
ワッチニー会戦[75](フランス軍勝利、ネーデルラントでの勝利確実に)
王妃マリー・アントワネットの裁判と処刑[76]
10月17日:ショレの戦い[77]
10月31日 : ブリッソーら、ジロンド派議員21名が処刑
11月8日 : ロラン夫人処刑
11月10日:ノートルダム聖堂で理性の祭典[78]
11月17日:インド会社事件[79](ダントン派の汚職)
12月4日
フリメール14日法可決(恐怖政治の基本法)
派遣議員ジョゼフ・フーシェ、コロー・デルボワらリヨンの大虐殺が始まる
12月5日:デムーラン、『ヴィエイユ・コルドリエ』紙を創刊(恐怖政治批判)
12月12日〜13日:ルマンの戦い[80]
12月19日 : トゥーロン市奪回[81]
12月23日:サヴェニー会戦[82](ヴァンデ反乱軍壊滅、ゲリラ戦へ)
1794年[編集]
1月19日 : イギリス軍、コルシカ島に上陸
2月4日 : プリュヴィオーズ16日法(2月4日の法令)可決(全フランス植民地での黒人奴隷制廃止[83])
2月26日 : ヴァントーズ法可決[84]
3月4日:コルドリエ派の神聖蜂起(未遂)
3月10日:ダントン派(寛容派)一斉逮捕
3月13日〜14日:エベール派一斉逮捕
3月24日
エベール派処刑
ポーランドでコシューシコ蜂起[85](〜11月9日)
3月27日:サン・キュロットからなる革命軍[73]を解散
4月2日 : ダントンの裁判が始まる
4月5日 : ダントン、デムーランらダントン派処刑
4月16日:公安委員会に治安局設置(ジェルミナル27日法)
4月22日:ルイ16世の弁護人、ラモワニョン・ド・マルゼルブ処刑
5月8日 : 化学者ラヴォワジエ処刑
5月31日〜6月1日:6月1日海戦(栄光の6月1日)
6月8日 : シャン・ド・マルスで最高存在の祭典
6月10日 : プレリアル22日法制定(刑罰を死刑のみに・大恐怖政治)
6月26日:フルーリュスの戦い [86]
7月27日 : テルミドール9日のクーデター[87][88]
7月28日 : ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、ルバら22名が処刑
テルミドール反動[編集]
軍隊の台頭[編集]

ボン市の自由の木

ヴァンデミエール13日のクーデター

ギルレー作の風刺画。バラスのために裸で踊る2人の愛人(テレザ・カバリュスとジョゼフィーヌ)

ヴァンデ反乱・シャレット将軍の処刑

アルコレ会戦のボナパルト

リヴォリ会戦

フリュクチドールのクーデター

『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』(アントワーヌ=ジャン・グロ)

第二次チューリッヒ会戦

ブリュメール18日
7月29日:ジャコバン・クラブ、タリアンやフレロンなどテルミドール派を除名
8月6日:元革命裁判所裁判長ジャン=バティスト・コフィナル処刑
8月10日:革命裁判所の改組(白色テロ始まる)
8月21日:フランスがコルシカ島を放棄(アングロ・コルス王国[89]成立)
8月24日:諸委員会改革、公安委員会の弱体化
9月5日:メルラン・ド・チョンヴィル、国民公会でジャコバン・クラブ解散を提案
9月7日:最高価格令を停止
9月19日:金ぴか青年隊、ジャコバン・クラブを占拠
10月25日:プロイセン軍、イギリスとの条約を破棄してオランダから撤退
11月12日 : 国民公会、ジャコバン・クラブを閉鎖
12月2日:ヴァンデ叛徒に対して大赦令[90]
12月16日 :ジャン=バティスト・カリエの処刑
12月24日 : 最高価格令を撤廃[91]
12月27日:ピシュグリュ将軍[92]、オランダ侵攻開始
1795年[編集]
1月19日:フランス軍、オランダ・アムステルダムを無血占領
1月31日:外国貿易禁止撤廃
2月9日:トスカーナ大公国と中立条約
2月21日:国民公会、「信仰の自由」を宣言
3月8日 : ジロンド派復活
4月1日 : ジェルミナル暴動[93]
4月5日:プロイセンと和平条約(バーゼルの和約)
4月7日:メートル法制定[68]
5月7日:アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル処刑
5月16日:バタヴィア共和国成立
5月20日 : プレリアル蜂起[94](モンターニュ派壊滅)
5月31日 : 革命裁判所の廃止(白色テロ終焉)
6月8日:ルイ17世がタンプル塔で病死
6月21日:アッシニア紙幣のデノミネーション(2/25に切り下げ)
6月23日〜7月21日:オッシュ将軍、イギリス軍と亡命貴族軍によるキブロン遠征を阻止[95]
7月22日:スペインと和平条約(第二次バーゼルの和約)
8月15日:新通貨単位フランを導入
8月22日 : 共和暦3年憲法(1795年憲法)の制定(9月23日より施行)
8月23日:1795年の人権宣言[96]
8月30日:3分の2法令
10月1日 : ベルギーを併合
10月5日 : ヴァンデミエール13日のクーデター[97]
10月24日:第三次ポーランド分割
10月25日:平時の死刑廃止
10月26日
国民公会が解散
バラスら5総裁を行政の長とする総裁政府が成立
10月31日:総選挙
11月4日:公安委員会解散
11月25日:ポーランド王スタニスワフ2世退位(ポーランド王国消滅)
1796年[編集]
2月28日:パンテオン・クラブ閉鎖
3月10日:アッシニア廃止
3月18日:総裁政府、地券(マンダ・テリトリオ)を発行[98]
3月27日 : ボナパルト将軍、第一次イタリア遠征を開始
4月28日:ピエモンテとの間にケラスコ休戦条約
5月10日:バブーフの陰謀(平等主義者の陰謀)が発覚[99]
5月15日:ピエモンテと和平条約
6月23日:教皇ピウス6世とモデナ、ボナパルトと休戦条約
6月29日:トランスパダーナ共和国成立
7月:オッシュ将軍、ヴァンデの反乱を鎮圧
8月5日:カスティリオーネ会戦および第二次ロナト会戦
8月19日:第二次サン・イルデフォンソ条約[100](仏西同盟)
9月7日:バイエルン選帝侯カール・テオドール、フランスと休戦条約
10月5日:スペインがイギリスへ宣戦布告
11月17日:ロシアのエカチェリーナ2世が崩御。パーヴェル1世が即位
12月16日:オッシュ、アイルランド遠征に出発(21〜27日、暴風雨によりボタニー湾への上陸失敗)
12月31日:チスパダーナ共和国成立
1797年[編集]
1月14日:リヴォリ会戦
2月2日:マントヴァ要塞陥落
2月14日:サン・ビセンテ岬の海戦
2月19日:教皇と和平条約(トレンチノ条約[101])
4月4日:共和国5年の選挙(王党派躍進)
4月18日:ボナパルトがオーストリアとレオーベン仮条約を結ぶ(総裁政府は4月30日に承認)
5月12日:フランス軍に降伏し、ヴェネツィア共和国解体
5月27日:フランソワ・ノエル・バブーフ、ダルテ処刑
6月14日:ボナパルト、ジェノヴァ共和国を解体し、リグーリア共和国を建国
7月9日:ボナパルト、チスパダーナ共和国とトランスパダーナ共和国などを合併し、チザルピーナ共和国建国
9月4日:フリュクティドール18日のクーデター[102]
9月30日:財務大臣ラメル、「三分の二破産」政策始める
10月17日 : カンポ・フォルミオの和約締結。オーストリアと講和
11月16日:プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世死去。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世即位
12月16日:ラシュタット会議始まる
革命の終焉[編集]
1798年[編集]
2月15日:ローマ共和国成立(教皇領消滅)
3月29日:フランス軍がベルンに進駐
4月9日〜18日:共和国6年の選挙(ジャコバン諸派躍進)
4月12日:スイスにヘルヴェティア共和国成立
5月11日 : フロレアール22日のクーデター
5月19日 : ボナパルト、東方遠征(エジプト遠征)に出発
6月11日:フランス軍、マルタ島占領(マルタ騎士団領消滅)
8月1日:ナイル海戦(アブキール海戦)
9月5日:ジュールダン法[103]制定(国民皆兵制・世界初の近代徴兵制度)
12月4日:ナポリに宣戦布告
12月24日 : 第二次対仏大同盟結成
1799年[編集]
1月23日:シャンピオネ将軍、ナポリに侵攻し、パルテノペア共和国を建国
2月10日:ボナパルト、シリア遠征(〜5月17日)
3月12日:フランスがオーストリアへ再び宣戦布告。第二次対仏大同盟戦争
4月18日:共和国7年の選挙(ネオ・ジャコバン派躍進)
5月18日:シェイエスが総裁に選ばれる
6月18日 : プレリアール30日のクーデター
6月28日:強制公債割当法
7月5日:ジャコバン・クラブの再建
7月12日:人質法
7月19日:ロゼッタ・ストーンを発見
8月23日 : ボナパルト、軍を残してエジプトを脱出
8月27日:ヨーク公爵率いるイギリス・ロシア同盟軍、オランダに上陸(〜10月18日に撤退)
9月9日 : ボナパルト、フランスに帰国
9月25日〜30日:マッセナ将軍、第二次チューリッヒ会戦[104]に勝利
10月22日:ロシアのパーヴェル1世、対仏大同盟から脱退
11月9日 : ブリュメール18日のクーデター(総裁政府が倒れる)
11月10日:臨時統領政府(臨時執政政府)が成立
12月25日
共和暦8年憲法(1798年憲法)制定
統領政府(執政政府)成立
ナポレオン・ボナパルトが第一統領となる

Napoléon Bonaparte

2020-12-08 04:11:15 | 🇫🇷
『ナポレオン -獅子の時代-』(ナポレオン ししのじだい)は、長谷川哲也による歴史漫画。その名の通り、ナポレオン・ボナパルトの生涯を扱ったものである。2003年から『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)で連載されている。

目次
1 概要
2 登場人物
2.1 主人公
2.2 ボナパルト家・親族
2.3 フランス軍
2.3.1 フランス帝国元帥
2.3.1.1 1804年任命
2.3.1.2 1811年任命
2.3.2 トゥーロン攻囲戦
2.3.3 フランス革命期
2.3.4 イタリア遠征
2.3.5 東方遠征
2.3.6 第一執政時代 ・フランス第一帝政以降(これより「覇道進撃」)
2.3.7 ロシア遠征
2.3.8 海軍
2.4 ビクトルおよびオリジナルの兵士たち
2.5 ナポレオンの近臣・ 側近
2.6 フランス政府
2.6.1 フランス革命の志士たち
2.6.2 総裁政府
2.6.3 執政政府
2.7 反ボナパルト派
2.7.1 ブルボン家・王党派
2.8 その他のフランス人
2.8.1 文化人・芸術家
2.8.2 民間人など
2.9 フランス以外の人物
2.9.1 ロシア
2.9.2 プロイセン
2.9.3 グレートブリテンおよびアイルランド連合王国
2.9.4 オーストリア
2.9.5 現イタリア領
2.9.6 ポーランド
2.9.7 イベリア半島
2.9.8 エジプト・トルコ
3 史実との相違
4 書誌情報
5 パチンコ
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要[編集]
『ヤングキングアワーズ』2003年2月号から連載開始。当初はアウステルリッツの戦いから物語が始まったが、この戦いの終わりと同時に物語はナポレオンの誕生直前にまで遡り、以後はブリュメールのクーデターに至るまでのナポレオンの生涯に沿った物語を描いた。話の都合上、フランス革命の展開もじっくりと描き込まれている。
2011年連載分、単行本16冊目から、『ナポレオン -覇道進撃-』(ナポレオン はどうしんげき)と題名を改め、執政政府および第一帝政と大陸軍(グランダルメ)の戦いの軌跡を扱った物語を描いている。これについてもこの項で扱う。
作者は本作以前にも『コミックトムプラス』でナポレオンの生涯を扱った『青年ナポレオン』を描いているが、本作では作風が一変し、劇画調の異様に濃いタッチの画風になっている(作者は『北斗の拳』の作者・原哲夫のアシスタント経験者でもある)。そのため、個性の強いキャラクター設定(とはいっても、登場人物のほとんどが実在した人物である)、漫画全体を漂う“男臭い”空気、史実とかけ離れた演出や印象深いセリフなど、他の漫画には見られない独特の空気を醸し出している。
2011年以降、『アワーズ』の新年最初の発行号(3月号)巻頭カラーを務めているが、表紙に他漫画の美少女キャラ[1]を据えた上でその1ページ目にはグロテスクなシーンを描く[2]という、一種の「お遊び」が展開されている。
また、同じくナポレオンを扱った漫画として池田理代子の『栄光のナポレオン-エロイカ』(『ベルサイユのばら』続編)があるが、作者ホームページによれば、長谷川は『獅子の時代』を書く上でこれを多少参考にしているとのことである(人物の造形やストーリーの一部に、史実ではなく池田の創作によっていると思われる部分があり、多少の影響が見られる)。
当作品を『アワーズ』に推薦したのは平野耕太であり、長谷川いわく「平野さんは恩人」とのこと。
登場人物[編集]
それぞれ作中のフィクションとしての人物解説であるため、一部史実にそぐわないものもある。詳しくは各人物の項を参照されたい。声優は「CRナポレオン -獅子の時代-」のもの。
主人公[編集]
ナポレオン・ボナパルト
声 - 杉田智和
主人公。出世志向が強く、軍人としての才にも長けている。自身がコルシカ島出身であることにこだわりを持ち、フランスへの復讐を目指していたが、パオリとの決別後は自身がコルシカ人であることを捨てる。
物語がフランス革命期のパリでの政争にスポットが当てられていたころは、主人公であるにもかかわらず、ほとんど出番がなかった。トゥーロン攻囲戦で功績を上げるが、その後は軍籍を剥奪され、一時本屋で働いていた。その後、ヴァンデミエールの反乱鎮圧に起用され、出世街道に復帰する。その直後、総裁政府の五総裁の1人ラザール・カルノーの推薦によりイタリア方面軍司令官に任命され、オーストリアをあと一歩のところまで追い込んで赫々たる戦果を遂げる。
国民から絶大な支持を得るも、その影響力を恐れたバラスら総裁政府から遠ざけられるようになる。局面打開のために子供のころからの密かな野望であった、アレクサンダー大王のようなエジプトやトルコ、インドまでの大遠征を決行。しかしフランス艦隊を失い、アフリカで孤立してしまう。多くの兵士と将校から反感を買いながらも、わずかな可能性を信じ、エジプト・シリアを攻略するも結果、失敗する。アブキールの戦いで勝利した後、フランスが危機的状況に陥っていることを知ってわずかな側近を連れてエジプトを脱出し、ブリュメールのクーデターで権力を掌握。第一執政となる。
アウステルリッツ編では背も低く描かれているが、青年期では比較的スマートに描かれている。第一執政になってからは短髪となる。1804年、フランス皇帝として即位した。
持病の痔に悩まされている。
ボナパルト家・親族[編集]
レティツィア
ナポレオンの母。男勝りの性格で熱心なコルシカ独立主義者で元女兵士である。自由な生き方を好む夫のカルロの代わりにボナパルト家を支えていた。信心深く、堅実な性格のためフランスの堕落した気風が肌に合わないと感じ、権力と富をほしいままにする子供達から一線を引いている。ナポレオンの結婚には強く反対しており、浮気に耽り、浪費を繰り返すジョゼフィーヌを激しく嫌っている。息子の皇帝即位に反対し戴冠式を欠席した。金と権力にとりつかれた我が子らに呆れている。
カルロ
ナポレオンの父。コルシカ独立支持から親フランス派に転向する。自由に生きることを好み、人からは変節漢と呼ばれても意に介さない。息子ナポレオンが軍人を目指していることにいち早く気付き、彼を士官学校に入学させた。胃癌で早世。
ジョゼフ
ナポレオンの兄。なにかと弟に欲しい物を奪われがちである。資産家二女のデジレ・クラリーと婚約していたが、ナポレオンの意向で姉のジュリー・クラリーと結婚。弟とジョゼフィーヌの結婚に反対しており、結婚後も義妹に敵意を抱いている。マレンゴの戦いでナポレオンが生死不明になると、家長の相続を巡ってリュシアンと言い争う。のちにスペイン王ホセ一世として即位するも、反乱が勃発しているため、強い不安を感じていた。情勢が不利になると、即座にスペインから逃亡し、ナポレオンを怒らせる。
リュシアン
ナポレオンの長弟。ジョゼフィーヌの結婚にはジョゼフと共に不満を漏らしていた。聡明な性格の持ち主で、ブリュメールのクーデターでは兄を決死の覚悟で救い、功労者となる。マレンゴで兄が生死不明になると、執政に持ち上げた功績から家長を継ぐと言い出しジョゼフと争う。1800年、政治パンフレットが原因でスペイン大使に左遷された。
エリザ
三人の妹のうち、最も目立たない。13巻で登場するエリザはカロリーヌの誤り。
ルイ
ナポレオンの二弟。ジョゼフィーヌの娘・オルスタンスの夫。夫婦仲は険悪で、ナポレオンとジョゼフィーヌが離婚した際に、この夫妻も離婚している。夫妻の間の子が、のちの ナポレオン3世となる。
ポリーヌ
声 - タザワリイコ
ナポレオン二番目の妹でありルクレールの未亡人。兄への敬愛が強く、義姉ジョゼフィーヌに敵意を抱き、執拗にいやがらせを行う。かなりの美形であり、ジュノーはじめとする多数の男性のあこがれの的である。性に奔放であり、結婚後も兄の政敵であるモロー、部下のマクドナルドはじめ複数の愛人と関係している。
1801年、一連の不倫スキャンダルとジョゼフィーヌのナポレオンへの密告により、夫ともども黒人による反乱が勃発しているハイチに派遣されてしまう。この地で夫は黄熱病に倒れ、ポリーヌの献身的な看護の甲斐なく死亡。このときポリーヌは夫が死んだことに気付かず、死体となった夫を看病し続けていた。
カロリーヌ
ナポレオンの末妹でありミュラの妻。可憐な美少女だが、外見と裏腹に野心家で腹黒い。ナポレオンからボナパルト一家の中で最も自分に似ていると評される。ランヌとミュラが彼女に求愛した際は恋の鞘当てが行われたが、ナポレオンのはからいによって本性をかいま見たランヌは幻滅。カロリーヌも傀儡にできる愚かな夫を求めたため、結果的にミュラの妻となった。兄・ナポレオンが戦死した場合に、夫のミュラを皇帝に即位させたいと画策し、そのための手段としてジュノーと密通した。夫を高い地位につけるため叱咤し、策謀をめぐらせる。
ジェローム
ナポレオンの末弟(三弟)。ヴェストファーレン国王。ロシア遠征より登場。苦労知らず、無能なお飾りで、周囲からも軽んじられている。プライドが高く、兄以外の命令を聞こうとはしない。その軽率な行動は、兄ナポレオンを苛立たせている。
ジョゼフィーヌ
声 - 浅井晴美
ナポレオンの最初の妻。美貌、社交性、愛嬌、幸運に恵まれた「幸運の女神」。古参兵や国民から絶大な人気を誇る。
カリブ海のマルティニーク出身。最初の夫・ボアルネ子爵との間には2児をもうけるも離縁される。恐怖政治時代は元夫をギロチンによって失い、自身も投獄される。釈放後は一時バラスの愛人となるも、ナポレオンの熱烈なアプローチに押され再婚した。元はローズと呼ばれていたが、ナポレオンが自分だけの名前で呼びたいために「ジョゼフィーヌ」となった。結婚時は年齢を4つほど若く申告し、夫のナポレオンは2つ年齢を高くしていた。この結婚はボナパルト家から強い反対にあい、結婚後も義母や義妹から敵意を抱かれ、嫌がらせを受けている。
イタリア遠征ではなかなか夫に同行しようとせず、ナポレオンを苛立たせた。東方遠征中にシャルルとの浮気が発覚し、家から追い出されそうになるも我が子2人と3人がかりで謝罪し復縁に成功した。
激務に励む夫を励まし、人脈強化のために努力しているが、その反面大変な浪費家であり、常に金に困っている。コミックス15巻においては、(顔つきと服装が『ミナミの帝王』の主人公、萬田銀次郎に似た人物から)借金の返済を迫られたり、報酬目当てに夫の周囲の情報をフーシェにリークするシーンもある。
ナポレオンが世襲を意識しはじめたことから不妊に悩むようになり、その妥協案として娘オルタンスと義弟ルイとの結婚を受け入れた。1804年、フランス皇后に即位した。かつては不貞で夫を悩ませた彼女だが、だんだんと夫の浮気に悩まされることとなった。さらに夫の愛人マリア・ヴァレフスカの妊娠で自身の不妊が明らかになり、ますます追い詰められる。
ヴァグラムの戦いの後の1810年、ついにナポレオンとの離婚に合意。国民に惜しまれつつ、14年間の結婚生活に終止符を打った。
マリー・ルイーズ
ナポレオンの二番目の妻であり、フランス皇后。オーストリア皇女。父はフランツ2世、大叔母はマリー・アントワネット。
幼いころ、ナポレオンの軍勢から避難した経験がある。そのためナポレオン、そして大叔母を処刑したフランスに恐怖と憎悪を抱いており、父の命により泣く泣く嫁いだ。しかし結婚は打ち解け、ナポレオン初の嫡出子ローマ王を授かる。
ウジェーヌ
ジョゼフィーヌと、その前夫ボアルネ将軍の息子。母を愛しているものの、軽薄な行動を恥じる一面も。義父ナポレオン、妹、妻子らを愛する好青年である。
ヴァンデミエールの反乱鎮圧後、父の形見である剣の返却をナポレオンに嘆願し、度胸試しの後に剣の所持を認められる。母ジョゼフィーヌがナポレオンと結婚したため、ナポレオンの義息となる。イタリア遠征にも顔を出し、東方遠征からナポレオンの副官として本格的に再登場する。このときはまだ半人前扱いであり、ハーレムで贅沢三昧を送っていたが、ところが母の浮気が新聞で報じられているのを知り発奮。一人前の男、そして兵士になるために試練を求め奮闘する。兵士たちから「熱血バカ副官」と呼ばれるほどであり、若者らしいまっすぐな行動が目立つが裏目に出ることもある。試練を求めるあまり絶食するなど、多少のマゾヒズムを行動ににじませる。長じてからは誠実な軍人として、ナポレオンを支える。
1806年、バイエルン王女・アメリと結婚。夫婦は仲むつまじく幸せな家庭を築き、7人の子に恵まれた。
オルタンス
ジョゼフィーヌの娘で、ウジェーヌの妹。ウジェーヌがナポレオンに剣の返却を嘆願しに行く際、「(ナポレオンが)ヴァンデミエールで市民の血を飲んだ」という噂を信じて会いに行くのを止めようとする。ジョゼフィーヌとナポレオンの結婚により、ナポレオンの義娘となった。母親思いでありその意向に逆らえず、初恋の相手であるデュロックへの思いを断ち切りルイ・ボナパルトとの結婚を承諾する。
しかし、母ジョゼフィーヌがナポレオンに離婚されたのと同時期に、ルイと離婚する。夫の間に3人の男子を授かっていたが、三男のシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン3世)のみを引き取った。
ジュリー・クラリー
デジレの姉で容姿は妹より劣る。デジレと別れたジョゼフに乗り換えても構わないと迫り、結婚した。夫がスペイン王になったことに伴いスペイン王妃となったが、ナポリの方がよかったと感じている。
デジレ・クラリー
もとはジョゼフの婚約者であったが、ナポレオンと恋仲になる。その後、ジョゼフィーヌに心惹かれたナポレオンに一方的に振られてしまった。ナポレオンを嫌うベルナドットに接近、結婚する。自分を捨てた元恋人への恨みが消えないらしく、夫にナポレオン打倒をささやいている。ナポレオンは彼女のことを思いやってか、夫のベルナドットの度重なる軍令違反に対して厳しい処断を下せずにいる。
夫ベルナドットがスウェーデン王太子となると、ナポレオンとの別れを惜しみながらフランスを旅立った。
フランス軍[編集]
フランス帝国元帥[編集]
ナポレオンの皇帝即位と同時に、ベルティエ、マッセナ、オージュロー、ミュラ、ベシエール、ベルナドット、スルト、ネイ、ランヌ、ダヴー、モンセイ、ジュールダン、モルティエが元帥に昇進。名誉元帥にはセリュリェ、ケレルマン(父)、ペリニョン、ルフェーブルが任命された。
1804年任命[編集]
平民、元貴族、反ボナパルト派、共和主義者、王党派、カトリック、無神論者など、あらゆる人物が取り入れられた人選である。
ベルティエ
ヴァンデミエール編で、ナポレオンが勤める本屋に客として訪れた際に、孫子の兵法書を購入し顔見せ登場。その後イタリア編から本格的に活躍する。鼻をほじる癖がある冴えない風貌の小男だが、有能な参謀であり指揮能力も高い。軍務の裏方やナポレオンの命令系統の伝達などの技量に関しては他者の追随を許さない。提出書類にこだわる官僚的側面や、自分の評価を執拗に気にする面を持つ小心なところのある人物であり、上司にあたるナポレオンの横暴や部下の無神経さに振り回され気味である。人使いの荒いナポレオンの元ではオーバーワーク気味で、周囲からも悲惨な境遇だと驚かれるほどである。限界を超えた疲労によるミスも。
独身だがイタリア名門貴族のビスコンティ夫人と愛人関係にある。東方遠征時には恋しさのあまりホームシック気味になり、彼女を崇拝する祭壇まで作って祈る始末であった。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。
クーデター後第一執政となったナポレオンから陸軍大臣に任命されるも、マレンゴの戦いに際して司令官に戻される。カルノーの辞職に伴い、再度陸軍大臣に復職した。
ナポレオンの勧めによりバイエルン王の姪と結婚。同時期に未亡人となったビスコンティ夫人と妻妾同居を始める。妻と愛人は良好な関係であった。
マッセナ
声 - 髙階俊嗣
トゥーロンに派遣された援軍の指揮官で、デュゴミエの部下であった。幼いころは叔父のもとで石けん作りを手伝っており、そこで身につけた腕力をいかしマッセナ団というギャングを結成していた。石鹸を一定の大きさに切るための鍬状の道具を凶器(武器)として振るう。略奪を好み、自身から奪われる・奪われた物を返却されることを異常に嫌う。極めて物欲が強く、密貿易で懐を潤している。部下への年金すら惜しむ吝嗇さは「ドケチ」と軽蔑されている。
戦場まで愛人を同行するほど好色な人物であり、スルトら部下から猛反発を受けることも少なくない。欠点も多いが沈着冷静で極めて有能な指揮官である。
トゥーロン攻囲戦では敵の金庫を襲うべく、ラルティック要塞を襲撃する。イタリア編でも金銭への執着は相変わらずであり、略奪や軍の補給品の横流しを散々やらかした挙句に男装させた愛人を前線に連れて来るなど、問題行動も多かったが随所で活躍した。東方遠征中はスイスで防衛に当たり、ロシア軍のスヴォーロフ相手に粘り強い戦いぶりを見せた。その後圧倒的な不利の中、ナポレオンの救援を待ちながらジェノバで篭城する。限界まで粘る中でもはったりと凄みを見せ敵相手に有利な交渉を行い、ついに開城した。ナポレオンが第一執政となった後は、反ナポレオンの動きを見せるようになる。第一執政時代の兎狩りが原因で隻眼となった。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。
ポルトガル遠征ではウェリントン相手に苦戦し、ウェリントンがリスボン北方に築いたトレス・ヴェドラス線(英語版)を攻めあぐね大敗。罷免され、軍人としての経歴を失意のうちに終えた。
オージュロー
声 - 千葉繁
イタリア方面軍の師団長。粗暴かつ横柄な性格で、母親がドイツ人のためか訛った口調で話す。独特のファッションセンスの持ち主であり、上半身裸か素肌に直接軍服を着用するのが気に入っているようで、乳首毛専用の小型櫛を携帯している。自ら戦うことを好み、サーベルや二挺拳銃で戦闘に参加することも多い。
フリュクチドールのクーデターでは実働部隊として活躍。東方遠征には不参加。ブリュメールのクーデターでは、彼と同じくジャコバンであるベルナドットと共に監禁拘束された。その後は執政政府に忠誠を誓うも、過激なジャコバン派である彼は、カトリック教会の復権を初めとする宗教政策などが原因で徐々にナポレオンに反発を抱くようになる。
書類を一切提出しないなどおおざっぱな性格であるために、神経質なベルティエとは諍いが絶えなかった。一方でランヌと懇意である。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。
気前がよく人情に篤い性質からか部下に大変慕われており、愛妻家である優しい一面も持つ。高熱に浮かされていたアイラウの戦いでは、亡妻の幻を見ていた。
ミュラ
声 - 成田剣
ヴァンデミエール編から登場。猟騎兵連隊隊長。ナポレオンの義弟。
おしゃれで派手好きな長身の美男子で、女にもてるため恋愛には自信を持っている。自分の美貌に誇りを持っており、顔に傷つけられることをひどく嫌っている。一度、ナポレオンが店員を勤める本屋に客として訪れたが、ヴァンデミエールの反乱で彼と再会し、立場が逆となる。以後、ナポレオンの副官の一人として彼に付き添う。
イタリア編では単騎で敵中に取り残された味方の将軍を救出し、敵からの称賛に恍惚とした表情を浮かべる、自分より目立つ者を妬むなど、軽薄で目立ちたがり屋な側面を見せる。性格的にそりの合わないランヌと対立し、妻となるカロリーヌをめぐっては激しい鞘当てを繰り広げた。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。ナポレオンの義弟であることからも順調な出世街道を歩み、パリ司令官、フランス大公、ベルクおよびクレーヴ公などを歴任、ナポリ王となる。皇帝の義弟として権勢を誇るものの、妻カロリーヌの野心と策謀に振り回される。ナポレオン不在時にはタレイランやフーシェに傀儡として担ぎ上げられ、クーデター未遂を起こされている。
ベシェール
イタリア遠征より登場。長髪と濃い髭の剃り跡が外見上の特徴である。かつては床屋であり、ミュラとは同郷出身の親友である。騎兵出身であり、ナポレオンの護衛にあたることが多い。ランヌとは大変相性が悪い。ミュラがカロリーヌに求婚した際は、恋敵となったランヌ妨害に協力。怒りに燃えたランヌによって真夜中、自宅を襲撃された。ランヌが30万フランの軍資金を使い込んだ際もナポレオンに密告しており、怨みをかった。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。
ロシア遠征失敗後、リュッツェンの戦いにおいて、胸部に砲弾の直撃を受け戦死。戦死時の本人の回想で、革命時には王党派寄りであったことが語られている。
ベルナドット
イタリア編末期にイタリア方面軍に転属となった将軍。過激なジャコバン派であり反ボナパルト派の思想を持つ。ナポレオンの兄・ジョゼフの妻ジュリーの妹デジレと結婚しており、ボナパルト一族の一員である。
一見紳士的で誠実であるが、実際はかなりプライドが高く、蔭でナポレオンやオッシュの活躍に対する妬みや、自身を高く評価しない上層部への不満を小声でぶつぶつと呟き続けるという、狭量な印象を与える癖がある。ブリュメールのクーデターではシェイエスから首謀者に加わるよう勧誘されるが断り、当日はナポレオンに監禁拘束された。ナポレオン皇帝即時、元帥に昇進しのちにポンテコルヴェ公となった。
深刻な軍令違反で味方を窮地に追いやったため、ナポレオンは何度も罰しようとするが、妻・デジレへの後ろめたさから処断できずにいる。
ダヴーはじめ周囲の同僚からは嫌われており、軍人としての素質も優れてはいないが、紳士的な寛大さを持ち合わせている。スウェーデン軍兵士への寛大な処置は相手に深い感銘を与えた。後継者を失ったスウェーデン王室の要請により、スウェーデン王太子となる。
フランスがロシアと戦端を開いた後は、かつての祖国を裏切り秘密裡にロシアと手を結んだ。
スルト
作品冒頭アウステルリッツの戦いにて初登場。第4軍団司令官。ナポレオン曰く“フランス最良の戦略家”。ただし、スルト自身はナポレオンを一歩引いた客観的な目で見ている。
第一執政時代に再登場。この時点では軍務を退いており、腕のよいパン職人としてビクトルのビストロで働き、吝嗇であるとして嫌っていた元上官のマッセナと乱闘になったことがある。カドゥーダルによる第一執政暗殺計画を防いだことが契機となり、軍籍に復帰。ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。出世後は貪婪な性質が剥き出しになり、マッセナ以上の掠奪と蓄財に励んでいる。ランヌと不仲。
ネイ
燃えるような赤毛が特徴の将軍。ドイツ語に堪能。樽職人の家に生まれるものの、伝説に残るような英雄になりたいと願ってきた。そのため家業を継ぐことを嫌がり兵士となる。性器名称を好み、やけに口にする癖がある(これは史実準拠)。モローの配下から第一執政となったナポレオンの配下に加わり、ナポレオン皇帝即位時、元帥に昇進した。
女性関連では失敗が多く、モローの愛人イダ、サーカスの娘ジャンヌら相手に失恋を繰り返しては自殺未遂を繰り返していた。マリー・アントワネット侍女の娘にあたるアグラエを娶り、やっとこの悪癖は落ち着いた。酒癖が悪いのも難点。これさえなければ「理想の上司」と部下からは評されている。
戦争と名誉を神聖視し、敵味方問わず勇敢な者を重んじ負傷兵を見捨てるようなことはしない。馬鹿かと思えば賢く、厳しいかと思えば優しく、大胆かと思えば繊細と、はかりかねる部分の多い規格外の男である。非常に勇猛果敢であるがやや思慮に欠ける点があると自他ともに認めており、勇み足で味方を窮地に追い込むこともある。
ランヌ
イタリア編より登場。禁欲的な人物で常に「どこでも戦える兵士」たらんと意識している。身体能力も高く、行軍の際に素早く山を駆け下りたり、市街戦の際にオーストリア軍のバリケードに設置された大砲から発射された釘と銃弾を二角帽子で受け止め拡散を防いだりするなど、常人離れした運動能力の持ち主として描かれている。極めて勇敢・実直な性格ではあるのだが、粗暴な一面も併せ持ち、頭に血が上れば無抵抗の女子供をも容赦なく虐殺しかねないため、「狂犬」と非難されることもある。口ばかり動かして働かない奴や軽薄で自分勝手な人間を嫌っており、ミュラと対立している。ミュラの妻となるカロリーヌをめぐっては激しい鞘当てを繰り広げた。ナポレオンに高く評価されており、また彼もナポレオンに心酔しており、階級を越えた真の友人同士である。
積極的で勇猛果敢な性格ゆえに、しばしば前線で部下を叱咤激励し、さらには自ら突撃をも繰り返す。そのため負傷も多く、東方遠征後半で受けた傷が元で首が曲がる障害を負ってしまう。それでも驚異的な生命力の持ち主であるため回復が早く、すぐに前線に復帰する。彼の部下もまた、勇将のもとで類い希な勇気を発揮する。粗暴でけんかっ早いトラブルメーカーでもある。金銭感覚にルーズな面も持ち合わせていて、軍資金から30万フランを無断で使い込みが発覚した際は、ポルトガル大使に左遷されるも、ナポレオン皇帝即位時には元帥に昇進した。なおこの時、トレードマークであったおさげを断髪した。負けん気が強いせいか同僚と対立することが多く、ミュラ、ベシェール、スルトと仲が悪い。特にミュラは「うんこミュラ」と呼ぶほど嫌っているが、何かと行動を共にすることが多い。半島戦争から厭戦傾向を見せるようになる。
最初の妻とは妻側の不貞が原因で離婚。カロリーヌの本性に幻滅したこともあり女性不信気味であったが、ナポレオンの勧めで再婚した愛妻・ルイーズとは温かい家庭を築いた。
アスペルン・エスリンクの戦いで両膝に砲弾の直撃を受け、右脚切断の重傷を負い壊疽が悪化して死亡した。
ダヴー
声 - 大羽武士
作品冒頭アウステルリッツの戦いにて初登場。通称“不敗のダヴー”。ナポレオンの義弟にあたるルクレールの妹と結婚しており、ボナパルト一族の一員である。
貧乏貴族の家庭に生まれる。幼年学校時代にも登場し、ナポレオンとフェンシングで勝負している。「ダヴー外伝 禿鬼」では、頭髪がよく抜けることを気にしながらも、派遣議員暗殺の真相とデュムーリエ将軍(Charles-François Dumouriez)の裏切りと内通を見抜くという鋭さを見せた。なお、この作中でダヴーがフェルニッヒ姉妹を殺害しているが、史実ではない。
東方遠征編においてドゼーの部下として再登場。身なりに無頓着な性格のためか、頭髪が乱れがちで、服も臭うことがある。初めはナポレオンに反感を抱くものの、その軍人としての力量に圧倒され、熱烈に崇拝するようになる。エジプト遠征の帰路にて、ビクトルらとともに英国海軍に捕縛されるも解放された。
執政政府では調査室長に任命され、ナポレオン皇帝即位時、最年少34歳で元帥に昇進した。元帥の中でもトップクラスの指揮能力を持ち、イエナ・アウエルシュタットの戦いでは倍のプロイセン軍を相手に一歩も退かず見事勝利を収めた。
ペリニョン
ルフェーブル
モロー失脚後最も尊敬されている革命戦争の英雄。裏表のない性格で、絵に描いて額に入れたような軍人と評される。軍人としては凡庸だが、堅実性があり誠実さが持ち味。
作中では、元帥就任の幸運を祝福した友人に、千発以上の弾丸をくぐりぬけてきたと返した逸話が紹介された。
周囲から尻に敷かれていると思われるほどの愛妻家。妻は従軍していた元洗濯女で、気取らぬ性格をしている。
1811年任命[編集]
スーシェ
トゥーロン編から登場。部下から非常に慕われている。彼にスポットを当てた「スーシェ外伝 月牛」では、故郷のリヨンを攻撃する際の彼が描かれている。牛の頭部の被り物をかぶって登場することが多い。
半島戦争では、スペイン人の人心を掌握しながら、善政を行う。1811年、スペイン統治を安定させた功績を評価され、元帥に昇進。「スーシェがふたりいたら私はスペインを掌握できただろう」とナポレオンから評価された。
トゥーロン攻囲戦[編集]
ジュノー
声 - 関幸司
ナポレオンの部下。ボナパルト家がコルシカ島から落ち延びた後に住み着こうとした家の先住者。ナポレオン達が家に侵入してきた際、妹・ポリーヌに出会い一目惚れするが、彼女に「私に会いたかったら男らしくなって」と言われ、以後ナポレオンの隊に歩兵として加わり、イタリア遠征時からシャルルに替わってルクレール配下の騎兵となる。極端に無口で、「ポリーヌ」「うが」以外の台詞をほとんどしゃべらない。ジョゼフィーヌの侍女・ルイーズと一時期親密な仲になりかけたことがあるが、そのせいで失恋してしまうこととなる。東方遠征ではナポレオンから置き去りにされた。帰国後はロール・ペルモン(愛称ルウルウ)(Laure Junot, Duchess of Abrantès)と結婚し、パリ司令官に任命される。ナポレオン皇帝即位時の元帥昇進からは外された。
ミュラの妻でありナポレオンの妹にあたるカロリーヌと密通し、大いに揉めた。スペイン攻略を目指したナポレオンによりポルトガルに派遣されるが苦戦する。
妻の不貞によるストレスと、肉体の痛みを軽減するため、麻薬を服用していた。ロシア遠征のころには、深刻な麻薬中毒の症状が出始めている。
マルモン
トゥーロン攻囲戦以降、ナポレオンの副官となる。上官を選ぶ兵士であり、ナポレオン着任以前は無能な上官をわざと危険な場所へ赴かせたり、狙撃したりしていた。ナポレオンには忠実であり、彼が投獄された際も脱獄の準備をしていた。イタリア編以降は砲兵隊を率いる。ナポレオン皇帝即位時の元帥昇進からは外され、その人事に強い不満を抱き、ナポレオンに対し愛憎半ばする感情を抱いている。きまじめで内政手腕に優れており、領地の視察や改革を熱心に行う一面もある。
カルトー
ナポレオンが着任した時点での革命軍トゥーロン攻略部隊司令官。画家上がりで軍事的な知識や才能が皆無な将軍であり、ナポレオンの作戦案を尽く却下した。朝食中にイギリス軍の砲撃を受け(マルモンの挑発が原因)、腑抜けと化して更迭される。ヴァンデミエール編でも登場するが、殆ど顔見せだけの出番であり、どの分野でも自分より才のある者がいることを嘆いていた。
ドッペ (François Amédée Doppet)
カルトーの後任として派遣されたトゥーロン攻略部隊司令官。医者上がりの将軍で、目前で幕僚の1人が砲弾で無残な死に方をした際に、血の海を見て恐怖に駆られて退却命令を出すような、胆力に欠けた腰抜けとして描かれている。史実では自ら辞任したが、本作ではマルモンに頭部を狙撃されて死亡。ナポレオンは黙認した。
デュゴミエ
ドッペの後任としてトゥーロンに派遣された革命軍の将軍。叩き上げの人物で、戦略眼や部下の人心掌握に長けている。ナポレオンの軍事的才能を認め、彼の作戦を採用する。登場年代の当時は50代中盤であるにもかかわらず、非常に老齢な人物として描かれている。史実ではこの1年程後に砲弾の直撃を受けて壮絶な戦死を遂げた。彼が「あいつはいつか偉くなる」といった対象は、実際に相当な立身出世を果たしている。
なお本作品の代名詞とも言える「大陸軍は世界最強!」というシュプレヒコールは、彼の演説「革命軍は地上最強!」をナポレオンが剽窃したものである。
ルクレール
デュゴミエいわく「伊達騎兵」「ボンボン」。トゥーロン編でトゥーロン攻略部隊の騎兵隊員として登場する。が、デュゴミエからミュルグラーブ砦(通称、小ジブラルタル)への抜け穴掘りをジュノーと共に命じられるも、怠けていた。しかし、剣の腕は確かで、総攻撃の際にジュノーや数人の手勢を引き連れて決死の殴り込みをかけた。イタリア編で再び登場し、騎兵として活躍する。後にポリーヌと結婚、現地での革命鎮圧のためハイチに派遣され、その地で客死する。彼の死によって、ナポレオンのハイチ支配は頓挫した。
ヴィクトール
トゥーロン編でマッセナの指揮下にある騎兵隊長(服装から見て軽騎兵、ユサールと思われる)として登場する。太った巨漢であるが、剣の達人でもある。任務を成し遂げた後でやたらと「怖かった」と口にするため、マッセナは彼のことを「怖がりデブ」と呼んでいるが、率先して敵陣に斬り込むなど本当の臆病者ではない。後述のビクトルとは別人。
イタリア遠征[編集]
トマ=アレクサンドル・デュマ
イタリア方面軍所属の将軍。サン=ドマング(現在のハイチ)で黒人の母と白人の父との間に生まれたムラート(混血)。三銃士やモンテ・クリスト伯(巌窟王)の著者である文豪アレクサンドル・デュマ・ペールの父親でもある。
セリュリエと共にマントヴァ攻囲軍の指揮を執っており、マントヴァに籠城するオーストリア軍部隊に少量の肉とダルヴィンチ軍敗走のニュースの載った新聞を投げ込み、降伏を勧告する。また、規律の緩みがちな攻囲軍将兵に対して厳しい訓練を施す鬼軍曹的な側面を持つ。
エジプト遠征では兵士を労らないナポレオンに不満を抱き、命令違反を犯した上に遠征を批判して除籍される。帰国途上で難破しナポリ王国に二年間監禁された挙げ句、毒を盛られ衰弱。失意のまま軍人としての経歴を終えた。
シャルル
ルクレールの副官。夫の留守をあずかるジョゼフィーヌに近づき、不倫相手となった。パリでジュノーによって騎兵服を奪われたことがある。ナポレオンのエジプト帰還によって心根を入れ替えたジョゼフィーヌと別れるが、彼を快く思わないランヌによって腕を折られ、橋から川へ突き落とされた。
集]
ビクトル
本編オリジナルの人物。連載開始時から登場し、一兵士として裏の主役とも言える人物である。そそっかしく、迂闊なところが最大の特徴。ナポレオン、フーシェ、ダヴー、ランヌ、ネルソンら主要人物とトラブルをしょっちゅう起こしたり、巻き込まれたりする。兵士としては無能であったが、過酷な従軍の中でしぶとく強靱な脚力と度胸を身につけていく。
処刑人サンソンの手伝いをしていたが解雇され、トゥーロン攻囲戦からナポレオンの率いる部隊に従軍する。トゥーロンでは派遣議員のふりをして敵を陽動し、イタリア遠征ではひたすら移動しながら連戦という戦線の過酷さを体験した。東方遠征では敵に捕虜として捕まり、貞操を奪われてしまうが、後に「尻の仇」を討つことに成功する。ナポレオンのエジプト脱出後は、他の大勢の将兵と共にエジプトに置き去りにされるも、やがて疫病神扱いされて追い出された。フランスへの帰路、ドゼー、ダヴーらとともに乗船がネルソンによって捕獲される。その際、ドゥノンからもらったエマ・ハミルトンの裸体画をめぐりネルソンと争い海に転落。捕虜となった。その後、船員を経てポルトガルで投獄されたところをランヌに救い出され、資金援助を受けビストロを開店。この店ではサンソンの口利きでスルトがパン職人として働いていた。しかし「ビストロ・ビクトル」はカトゥーダルによる第一執政暗殺計画に巻き込まれ火災が発生、一夜にして燃え尽きてしまった。
その後、ゆきだおれていたのをサンソンに介抱され軍をやめるよう説得されるも、ビトーという徴兵拒否者の身代わりに新兵として再び従軍。スパイとして疑われるも、ダヴーにより嫌疑が晴れた。
敵味方問わず重要人物を銃撃することが多い。ツーロンでのフッド提督、イタリア遠征時のラアルプ将軍、エジプト遠征時のフェリポー、イエナ・アウエルシュタットの戦いのブラウン・シュヴァイク公、ボロディノの戦いのバグラチオン将軍など。さらに彼からツーロンで狙撃を習ったキリーという水兵が、ネルソンを撃ち致命傷を負わせた。
恋の悩みを持つ相手に「三人で仲良くナニしたら」と助言した結果、酷い目にあうことも多い。
単行本巻末では彼と作者との対談が書かれ、カバー下に「ビクトル戦報」が書かれることもある。
ナポレオンの近臣・ 側近[編集]
タレイラン
片足に障害を持つ、貴族出身の元僧侶。ナポレオンからは「タイユラン」と呼ばれている。享楽的な浪費家であるため、常に金銭を求めている。
僧侶でありながら革命に積極的に参加するも、混乱を避け、恐怖政治の間はアメリカに亡命していた。帰国後、愛人のスタール夫人の勧めでナポレオンと総裁政府に接近する。本作ではスタール夫人と共に、フリュクティドールのクーデターの黒幕として暗躍したとされている。
スタール夫人とバラスの尽力で総裁政府の外務大臣となるも、その腐敗ぶりを早くから見切り、次期政権発足に使えそうな駒を探していた。そしてエジプト遠征から帰還したナポレオンの知嚢として活躍、ブリュメールのクーデターを成功に導き政府を支える。有能であるが忠義の士とは到底言いがたく、常に陰謀がつきまとう人物。ナポレオンに美女を愛人として紹介することも。田舎夫婦にキスの手ほどきを行なったり(結局叩き出され、「亡命生活で舌先が鈍った」と語る)、妊娠8ヶ月のスタール夫人と関係を持つなど、かなりの好色家であるが、愛人との間に子供が産まれたことをきっかけに結婚した。
政治的には「各国の勢力均衡による平和」を志向し、他国への寛大な措置を求め、大陸封鎖令にも乗り気ではなかった。そのため、「欧州の政治的・経済的統合による平和」を目指すナポレオンはだんだんと彼の助言を退けるようになっていく。ティルジットの和約締結後、密かにナポレオンの暴走を止めねばならないと方針を転換。「ヨーロッパの死刑執行人になりたくない」とメッテルニヒに告げ外務大臣を辞任。その後は匿名でオーストリアにフランスの機密情報を漏洩。半島戦争時のナポレオン不在中にミュラを担いだクーデターを企画する。裏切りを知ったナポレオンは彼を「絹の靴下に詰まった糞」と罵倒し、外務大臣から罷免した。その後ナポレオンはマリー・ルイーズとの婚礼では彼の力が必要になり、政界に復活。ただタレーラン自身は、ナポレオンに忠誠を誓っているわけではなく、独裁者は滅びると確信している。
フーシェ
国民公会議員で、陰謀の天才。リヨンでの反乱関係者虐殺を咎められるのを恐れ、バラスやタリアンをけしかけてロベスピエールに対するクーデターを画策する。クーデター後は政治の表舞台から離れてバラスの密偵となり、ナポレオンにも接近する。ちなみに初登場シーンでは、リヨンで虐殺が行なわれている最中に変装して死体の流れる川で釣りをしていたが、ツーロンに向けて従軍していたビクトルに川に蹴り倒され、怒りに震えていた。
ナポレオンの東方遠征中、タレーランの暗躍を危惧するバラスに警察長官の地位を要求して政治の表舞台に返り咲き、ブリュメールのクーデター以降は本格的にナポレオンの懐刀となる。もっとも、ジョゼフィーヌに賄賂を送り情報を得る、ナポレオン死亡後を想定して陰謀を企むなど、不審な行動が多い。ナポレオンの皇帝即時前には、警察省を法務省に合併される形で大臣職を失うものの、のちに復職。国王処刑に賛成したためブルボン朝復活を警戒し、ナポレオンに対してジョゼフィーヌとの離婚および別の相手との再婚を執拗にすすめる。その一方で、離婚後のジョゼフィーヌには同情的であった。
マレンゴの戦いでナポレオンの戦死報が届いた時は、ベルナドットを次の権力者にしようと暗躍するも、誤報とわかったため陰謀をもみ消した。半島戦争時のナポレオン不在中にも、ミュラを担いだクーデターを企画し皇帝に察知される。
度重なる裏切りにも関わらず罷免されなかったが、1810年ついに失脚。隠居に追い込まれる。
各種の陰謀で暗躍する一方で愛妻家であり、また夭折した長女ニエーヴルを思い続けるなど、人間らしい一面も見せている。
ブーリエンヌ
ナポレオンの秘書であり、ブリエンヌ幼年学校時代の友人。幼年学校では「調達屋」と呼ばれており、商売の才能がある。コルシカ人というだけで差別の対象になりながらも、挫けないナポレオンに好印象を持っていた。ナポレオンも彼には心を許し、コルシカの統治者になったら特別扱いにしてやると約束を交わしていた。幼年学校卒業後、離れ離れになるがヴァンデミエールのクーデター直前に再会。本屋を営むナポレオンにマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を紹介し、営業を助けた。クーデター後、彼の秘書となる。史実では、ナポレオンに関する回顧録を後世に残している。
フランス政府[編集]
フランス革命の志士たち[編集]
ミラボー
ナポレオンが誕生した年、フランス軍コルシカ島攻略部隊の将校として登場。後のフランス革命初期において立憲王政を主張するフイヤン派の指導者として辣腕を振るい、ロベスピエールらの国王処刑には反対する。後の議会で、コルシカ島から亡命していたパオリの恩赦とコルシカ島への帰還を認めさせる。
死の直後、パンテオンに埋葬されるが、8月10日事件の際に国王との密約が明るみに出たため、遺体は民衆の手でゴミ捨て場に投棄された。
別名「疱瘡の虎」
ロベスピエール
ジャコバン派の領袖で、革命の勃発から恐怖政治期までの期間における、フランス最強の男。特定の人物ではなく市民と革命を愛するが故に、童貞である。エベール派・ダントン派を粛清した後、さらに恐怖政治を加速させるが、他の議員の反感を買い、テルミドールのクーデターで失脚、処刑される。その最期まで私情に囚われず、全ての者が平等に語らう社会の実現を望んでいた。
少年時代、ルイ16世の戴冠式の帰途、ラテン詩での祝詩を送ったことを懐かしく回想しておきながらその直後に、ルイ16世の処遇を「死刑」と宣言するシーン、サン・ジュストに「私は」「童貞だ」と打ち明けるシーンは、作中の名場面の一つに数えられる。
肖像画では省かれているものの、実際には着用していたという色眼鏡が特徴的な風貌である。この色眼鏡はサン・ジュストを介して、ナポレオンの手に渡ることになる。
15巻でのシェイエスの回想で再登場し、さらにカバー裏には雑誌掲載時の処刑シーンが復刻掲載されている。
ロラン夫妻
ジロンド派。夫は内務大臣。妻であるロラン夫人は「ジロンド派の女王」とまで呼ばれ、実質的なジロンド派の指導者であったが政争により刑死。夫は逃亡先で妻の死を知り自殺した。
クートン
ロベスピエールの同志。足が麻痺しているため、常に車椅子に乗っている。公会に反旗を翻したリヨンに派遣されるが、処罰が甘いとしてフーシェに取って代わられる。テルミドールのクーデターの際は大砲や爆弾を装備した車椅子で兵士と戦い、最後はバラスを巻き込んで自爆した(クートンが車椅子に乗っていたことは史実通りだが、武器は仕込まれていない)。
ダントン
ジャコバン右派。恐怖政治の停止を求めるが、ロベスピエール一派によって逮捕に追い込まれる。裁判では豪胆な演説で市民を味方につけるが、結局同派のデムーランと共にギロチン送りとなった。
怪力で、さらには愛妻家として描かれており、夜中に妻の死体を掘り起こして抱きしめるシーンがある。
エベール
ジャコバン左派。マリー・アントワネット処刑を推進した人物。民衆の食料問題に取り組み(それ以上の問題は理解できていないが)、『デュシェーヌ親父』という新聞を発行し、下層市民の支持を得る。公安委員会・ロベスピエール一派への蜂起を促したが失敗、逮捕に追い込まれ、最後は泣きわめきながら処刑される。罪状はシャツの窃盗。
ラヴォアジェ
酸素を発見した著名な科学者。メートル法を考案し革命政府に貢献したにも関わらず、冤罪で刑死した。
マラー
ジャコバン派議員で、元医者。皮膚病を患っており、常に痒みに苦しんでいる。薬湯での治療中、シャルロット・コルデーによって暗殺される。
シャルロット・コルデー
ジロンド派に同情し、入浴中のマラーを刺殺した若い女性。殺人犯とは思えぬほどの清楚な美貌の持ち主。彼女の首をひっぱたいたため、ビクトルはサンソンから解雇された。
フーキエ・タンヴィル
革命裁判所検察官。デムーランの縁戚。慈悲のない裁きで多くの市民から恐れられる。テルミドールのクーデター後にジャコバン派が没落すると自身も裁判にかけられ、処刑される。刑場へ向かう途中、家族への手紙を託そうと市民に声をかけるが、誰にも相手にされなかった。
カリエ
ナントの派遣議員。ナントで独裁官として振る舞い、多数の住民を虐殺したり(兵士と僧侶を乗せた船を、船ごと沈めて大量処刑する)溺死刑を行うなどの残虐行為を行い、ロベスピエール派に咎められ逮捕される。
本編中ではバラスの話の中でのみ登場するが、彼の逮捕はトゥーロンやリヨンで同様の残虐行為を行ったバラスやフーシェに身の危険を強く意識させ、テルミドールの反動の原因の一つとなる。なお、史実ではカリエはテルミドール反動後に処刑されている。
タリアン
国民公会議員。牢獄に入れられた妻を助けるためにロベスピエールを告発し、クーデターのきっかけを作る。しかしその後は没落し、妻にも見捨てられ、酒に溺れていたところをサン・ジュストによって暗殺されてしまう。史実では死亡しておらず、東方遠征にも同行している。
サンソン
パリの死刑執行を担当する死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)。恐怖政治下、数多くの人の処刑を実行するが、本人は心優しい人物でシャルロット・コルデーとの交流時などにその性格の片鱗がうかがえる。しかし、ダントンからは「人間ではなくギロチンの部品」と吐き捨てられている(故に怨みを買うこともなければ、気に病む必要もないという皮肉)。政治的には国王を尊敬している王党派であり、ひそかに国王の追悼ミサを続けていた。
ビクトルは彼の助手を務めていたが、シャルロット・コルデーの切断された首を殴打したため解雇された。しかしその後もたびたびサンソンの世話になっており、ビストロを焼失し、倒れていたところを介抱されている。なお、史実ではテルミドールのクーデター後に息子に処刑人の座を譲り引退しているが、本作ではカトゥーダルを処刑している。
引退後偶然ナポレオンと出会った際、臆することなく質問に答えた。その数ヶ月後世を去った。
総裁政府[編集]
バラス
声 - 郷里大輔
国民公会議員。サン=ジュストと共にトゥーロンに派遣され反乱関係者を多く処刑するが、そのことをロベスピエールに追及されるのを恐れ、フーシェと共にテルミドールのクーデターを画策する。クーデターの際、ロベスピエールらを逮捕するために赴いたパリ市庁舎においてクートンの自爆に巻き込まれ、顔に大火傷を負うと共に左手を失っており、顔の包帯は12巻時点でも取れていない上に、左手には義手を付けている。
クーデター後は総裁政府の中心となり、ヴァンデミエールの反乱鎮圧にナポレオンを起用するなど、彼の庇護者となる。ジョゼフィーヌの愛人であったが、後にナポレオンに譲る。
ナイフ投げが得意であること以外は、作中で特に秀でた能力は見受けられない。場違いな権力者として描かれており、作者も「バラスはボロクソに描いても心が痛まない」と言っている。
ブリュメールのクーデターで失脚後、本作では生存していたサン=ジュストによって殺害されたことが(明確では無いものの)示唆されている。
カルノー
革命戦争期のフランスの軍制改革を強力に指導し、ロベスピエールの時代からフランスの軍事面を支えた人物であり、「勝利の組織者」の異名を持つ。ナポレオンをイタリア方面軍司令官に任命する以前から高く評価しており、彼の作戦計画をイタリア方面軍司令官に送りつけていた。
史実ではカルノーも公安委員会のメンバーであったが、サン=ジュストを始めとするロベスピエール派と対立していたことと軍略的才能を惜しまれたため、ギロチン送りを免れて総裁政府でも登用された。
法治主義者ゆえにフリュクティドールのクーデターを認めず、パリから逃亡する際、自作の武器を駆使してオージュローと互角に渡り合いながら、自分の定めた軍制を守らずだらしない服装をしているオージュローを咎めた。
その後しばらく雌伏していたが、第一執政となったナポレオンの元、過去を水に流しベルティエの後任として一時は陸軍大臣に任命される。復帰の際は滑車で窓を突き破りながら名乗り、気炎を吐いた。祖国愛が強く誠実な人物ではあるが、秘密裏にナポレオン死亡を想定した場合に後継者となることを承諾したりと、決して清々としただけの人物ではない。ナポレオンが終身執政となる案が出された時や皇帝即位時には、断固反対した気骨ある共和制支持者である。
執政政府[編集]
シェイエス
元僧侶で、『第三身分とは何か』の著者。フランス革命を起こした男と称されるも、恐怖政治のもとではロベスピエールを極度に恐れ、「革命のモグラ」として潜伏。ブリュメールのクーデターでナポレオン、タレーランと共に三頭政治を目指すも、ナポレオンの迫力に圧倒され、意気消沈した。
ゴーダン(Martin Michel Charles Gaudin)
第一執政となったナポレオンからの依頼を受け財政再建をまかされ、フランス銀行の設立を提案する。
反ボナパルト派[編集]
サン・ジュスト
ロベスピエールの同志。軍人としてのナポレオンを評価する人物であり、彼の昇進を助けている。テルミドールのクーデターでは逃げ延び、後にタリアンを暗殺。続いてバラスの暗殺を謀るが、ナポレオンによって阻止される。死亡したかと思われたが、失脚し故郷へ去ろうとするバラスの馬車を乗っ取り、馬車を断崖絶壁に向けて走らせていった。カドゥーダルの第一執政暗殺計画にも参加している。なお、史実ではテルミドールのクーデターの翌日にロベスピエールと共に処刑されており、従って作中で彼に暗殺される人物は史実においては全員生存している[要出典]。
史実ではナポレオンを高く評価していたのはロベスピエールの弟・オーギュスタンであり、キャラクターのモデルとしてオーギュスタンがサン・ジュストに統合されている可能性がある。
スタール夫人
文筆家、女性政治活動家。ルイ16世の財務長官であったネッケルの娘にあたる。人類史上トップクラスの知能を持つ。頭部が極めて大きく等身が極端に低い、特異な容貌に描かれている(コミックス10巻巻末の小話において、映画『スター・ウォーズ』に登場するハット族に例えられる)。ナポレオンの才能を見抜いてラブレターを送るが、拒絶される。
革命を守るために画策し、タレーランと共にフリュクティドールのクーデターの黒幕となる。その後、クーデターの際に逃亡を図ったカルノーと鉢合わせした際に「クーデターは共和国を守るためのもの」と主張したが、クーデターに憤慨していたカルノーに顔面を複数回殴打された。
第一執政となったナポレオンの野望を共和制を崩すものとして危険視。政治体制とカトリックを痛烈に批判した『デルフィーヌ』を出版し、ナポレオンの暗殺すらはかった。ナポレオンによりパリから追放され政治的に抹殺されるも、その生涯を掛けて破滅させることを誓う。
ブルボン家・王党派[編集]
ルイ16世
フランス国王。鈍感ながら温厚なる善人として描かれており、王党派はむろんロベスピエールにまで慕われていた。作中ならびに史実における遺言「私は罪なくして死す」の通り、いかなる違法行為も問われぬまま「王であること(王権を以て人民から主権を奪うこと)」の罪を負って処刑された。
マリー・アントワネット
フランス王妃。浪費家であるとしてフランス国民の反感を買っており、対墺感情までも悪化せしめたが、夫同様悪人ではなかった。エベールの流したデマによって近親相姦の罪を捏造されるなど劣悪な扱いを受け、刑死。
アンギャン公
フランス革命時の亡命貴族。人望に篤く身分を問わず人気があり、ブルボン家の中で最も王にふさわしいとされていた。カトゥーダルの第一執政暗殺計画の際に、中立のバーデン公国から拉致され王党派幹部として逮捕、処刑される。しかしこれは冤罪で、無実であった王族の処刑は全欧州へ衝撃を与えた。
その他のフランス人[編集]
文化人・芸術家[編集]
マルキ・ド・サド
侯爵。奇抜な小説を書く文筆家。バスティーユ牢獄に収監されていた際は、さまざまなデマを広げて革命のきっかけを作った。後にテルミドールから逃げ延びたサン=ジュストから猟奇的な小説の執筆を求められ、『悪徳の栄え』を出版。
ダヴィッド
ジャコバン派に心酔していた画家。マラーが刺殺された後、その遺体をモデルとして代表作『マラーの死』や処刑寸前のマリー・アントワネット、ダントンのスケッチを描いている。テルミドール反動の後、一時的に投獄されるがヴァンデミエール後に釈放され、五総裁の制服をデザインするなど、かつての信条とは異なる生き方を選んだ。ナポレオンの画家となり、『アルプス越えのナポレオン』、『ナポレオンの戴冠式』などを描く。
フーリエ
ミイラ男のような服装の数学者。シャンポリオンとロゼッタ・ストーンを見ていた。
民間人など[編集]
フランス以外の人物[編集]
ロシア[編集]
アレクサンドル1世
偉大なる祖母エカチェリーナ2世の溺愛とフランス人家庭教師による英才教育を受けて育った、ロシアの青年皇帝。人呼んで「北国のスフィンクス」。ヨーロッパの平和に貢献するという高邁な理想を掲げており、ナポレオンを倒して英雄となることを夢見ている。クトゥーゾフは祖母の代から仕えている宿将なので、一応遠慮しているがその存在を煙たがっている面も。史実準拠の個性的な髪型をしているが美男子であり、物腰も紳士的である。1807年に結んだティルジットの和約以来、ナポレオンを慕い親しくなったが、利害関係で不一致をみて、開戦に至った。
プロイセン[編集]
クラウゼヴィッツ
プロイセンの軍人で、軍事理論の古典『戦争論』の著者。アウステルリッツ編に登場。ナポレオンの指揮振りを目の当たりにし、その采配の見事さに驚愕している。
ルイーズ王妃
プロイセン王・フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻。賢く気が強く、平凡な夫にかわってプロシアの実質的な王は彼女とささやかれている。強烈な反仏感情を持ち、騎兵服を身にまとい戦場に駆けつけ、将兵を叱咤激励することも。アレクサンドル1世には素直になれない態度を見せるも、信頼を打ち明けた。ナポレオンを憎み、復讐を誓っている。
シャルンホルスト
プロイセンの軍人。プロイセン軍の現状に失望しており、「老人クラブに堕落している」「未だに七年戦争の勝利に酔っている」と揶揄しており、新生プロシア軍の再建を目指している。プロイセン軍の改革のためには徹底的な敗北が必要だと確信しており、大敗した自軍を見限り投降した。
ブリュッヒャー
プロイセンの老将軍。プロイセン軍の現状に失望しており、シャルンホルストによる改革に期待を託している。シャルンホルスト同様、大敗したフランス軍に投降するが、その際は「弾薬切れのため」と降伏文書に入れるよう指示しており、自尊心は強い。
ゲーテ
文学者、政治家、自然科学者。彼の著書を愛読していたナポレオンと偶然出くわし、語り合う。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国[編集]
ネルソン
イギリス海軍提督。トゥーロン編で顔見せ初登場。議員に変装していたビクトルに人妻を愛した男はどうすればいいか、と問いかけている。この質問はネルソンの愛人エマ・ハミルトンとその夫ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとの三角関係についてのものである。この時、「(ビクトルの返答が)あまりにいい答えだったのでつい」ビクトルの足の指をへし折った。のちにビクトルと再会した際は、彼がエマの裸体画を所持していることに激怒、斬りかかって海に転落した。
トゥーロン後、コルシカ島で陸上戦闘で右目を、テネリフェ島攻略作戦で右腕を失い隻眼隻腕となる。敗北と障害を気に病み、引退する旨をセント・ヴィンセント伯に伝えるほどであったが、ナポレオンを乗せた艦隊の出撃の報を聞いて闘志を燃やし、追跡任務を受領した。トゥーロン出航後は困難にもめげずに執拗な追跡を行う。
アブキール湾に停泊していたフランス艦隊を発見すると、敵の予想に反し座礁の危険を冒してまで夜間戦闘を強行。左前頭部にボルトの直撃を喰らい、頭皮がめくれ上がる大けがを負うものの、フランス艦隊に壊滅的打撃を与えることに成功する(ナイルの海戦)。
エジプト遠征の帰路にあったドゼー、ダヴー、ビクトルらの乗る船を捕獲。その際、議員と勘違いしたビクトルの身体検査を行い、彼が自慰に使用していたエマ・ハミルトンの裸体画を発見。激高し丸腰のビクトルに切り掛かった挙げ句、海中に転落した。
1805年、トラファルガーの海戦では「ネルソンタッチ」で果敢に戦い、フランス・スペイン連合艦隊に圧勝するも、狙撃手の銃弾により致命傷を負い戦死。彼の勝利はイギリスを救うも、その死は多くの国民に衝撃を与えた。
フランス出身以外の人物で唯一、単行本の表紙を飾っている(覇道5巻)。
オハラ (Charles O'Hara)
イギリス陸軍将軍。トゥーロンに派遣されたイギリス陸軍部隊の司令官。敵情視察中に狙撃され、捕虜となる。史実ではスーシェが彼を捕虜にしたが、本作ではマルモンが狙撃した彼をマッセナが捉えて手柄を横取りした。本作でマッセナが愛用している赤いコートは、もとは彼のものだった。
フッド
イギリス海軍提督。トゥーロンに派遣されたイギリス地中海艦隊司令官。史実では無事にトゥーロンを脱出するが、本編ではエギエット要塞の大砲の破壊を命令しようとしたところをトゥーロン市内に迷い込んだビクトルに狙撃されて負傷した。
トーマス・グラハム (Thomas Graham, 1st Baron Lynedoch)
スコットランド貴族。フランス滞在中に、死んだ愛妻の棺を革命政府がスパイ容疑で暴いたのをきっかけに、熱烈な反革命主義者となる。その後反仏感情が昂じ、対フランス戦に身を投じる。
イタリア編でマントヴァから単身脱出し、籠城するヴルムザーの部隊の窮状をダルヴィンチに伝える。狙撃の名手であり、リヴォリの戦いでライフルを使ってナポレオンを狙撃するも、相手の背が低かったため軍帽を貫通して失敗。再度ナポレオンを狙うが、狙撃ポイントを見破られ、マルモンの放った榴弾を喰らう(その後死亡したかは不明。史実では半島戦争で活躍する)。
ベリー (Edward Berry)
イギリス海軍海佐。ナイルの海戦ではネルソンの旗艦であったヴァンガードを指揮した。カールしたもみあげが特徴的。負傷したネルソンに「ハミルトン夫人(不倫相手)に伝えてくれ、愛していたと!」と伝えられ、困惑する。
シドニー・スミス
イギリス海軍海佐、タイガーを指揮する。海軍士官でありながら、イスラム情勢に明るく陸戦が得意。ネルソンには互いに性格的に反発を覚えている。
トゥーロン攻囲戦でフランス艦を焼き討ちしたため逮捕され、脱出不可能とされた牢獄に収監されるも、そこから脱走し母国に帰還した。なお本作においてはトゥーロン攻囲戦での活躍は回想シーンのみであり、エジプト編での初登場となる。
オネェ言葉を使用し、心情を色で表現したり、自分の妄想で勝手に会話する癖がある。普段は飄々としているが、戦闘時は極めて有能かつ策略に富み、敵に回すと大変厄介なイギリス軍人の典型である。親友であるフェリポーと共にジェッザー・パシャの応援に当たり、ナポレオンの野望を阻む。アクル戦後、市民の取った行動(詳細はジェッザー・パシャの項)を見て、「この国に革命を輸出するのは無理」だと嘲笑した。アブキールの陸戦ではランヌとミュラに挟撃されるも、機転を利かせ九死に一生を得る。その後も軍人としてだけではなく、外交官としてもフランスに敵となる。
フェリポー (Antoine Le Picard de Phélippeaux)
フランス貴族出身、イギリス海軍海佐。ナポレオンのブリエンヌ幼年学校時代のライバルであり、コルシカ出身の彼を「わらっ鼻(ラパイオーネ)」と呼んでいじめていたことがある(1巻に登場)。任官試験では彼が41番、ナポレオンは42番だった。14巻で再登場し、ツーロン包囲戦の後にシドニー・スミスを救出させ、イギリスに亡命していた。築城の名手で、シドニー・スミスとジェッザー・パシャの応援に当たる。愛煙家であり、それが原因(煙草の火)でビクトルに狙撃され死亡。史実では1799年にペストで病死している。
ピット
イギリス首相。巧みな外交と海軍力でフランスに対抗する。アウステルリッツでのフランス軍大勝利によって「第三次対仏大同盟」が崩壊し、失意のうちその数週間後に死亡した。
アーサー・ウェルズリー
イギリス陸軍将軍。インド戦線で活躍した。ネルソンと一度顔を合わせた際は、その見識に感服するも人柄には不信感を抱いていた。
半島戦争に参戦し、ポルトガルにてジュノー、マッセナ、ランヌ、スルトらと対峙。敵には「インドにいた」ということしか知られておらず、実力は未知数だった。沈着冷静、粘り強く、慎重な性格で、「狼」のようだとマッセナから評された。
マッセナのポルトガル遠征時には、極秘裏にリスボン北方にトレス・ヴェドラス線(英語版)と呼ばれる堅牢な防衛線を築くと共に、焦土戦術によって大陸軍の補給に負担をかけることで、マッセナを撤退させる。
ハーディ
イギリス海軍提督。トラファルガーの海戦ではネルソンの旗艦であったヴィクトリーを指揮した。死に際のネルソンに「キスしてくれ」と懇願され、その望みを叶えた。
ジョン・ムーア (John Moore)
イギリス陸軍中将。教師のような几帳面な性格で、部下にミスの分析をさせる。半島戦争ではスルトらが率いる20万のフランス軍相手に、僅か2万5千を率いる。不利な状況と悪天候の中、コルーニャ撤退戦を指揮。自らは戦死するものの、部隊の撤退に成功させる。英国陸軍ライフル部隊を訓練していた。
オーストリア[編集]
ボーリュー (Jean-Pierre de Beaulieu)
ナポレオンがイタリア方面軍司令官に着任した時点でのオーストリア軍司令官。かなりの高齢であるが行動力は衰えておらず、フランス軍の動きに迅速に対応する。その即断ぶりは歯の治療を自ら引き抜いて切り上げるほど。
しかし、要塞を無視するなどこれまでの戦争の定石を覆すナポレオンの戦法には対処しきれず、ロディの戦いを最後にオーストリア軍イタリア方面軍司令官の地位をヴルムザーと交代する。その際に投身自殺を図って失敗し、ヴルムザーに「死ぬもならず、確かに老いた」と吐き捨てられる。
ブカソビッチ (Joseph Philipp Vukasović)
オーストリア軍大佐。デゴを占領して略奪に熱中していたマッセナの師団に夜襲をかけてデゴを奪回し(再度のフランス軍襲来時には粘るが、援軍が来ないため撤退)、ロディの戦いにおいても正面のフランス軍の仕事のぬるさから陽動であることを見抜くなど、戦術眼に長けている。
ヴルムザー (Dagobert Sigmund von Wurmser)
ボーリューの後任として派遣されたオーストリア軍司令官。ボーリューを上回る勇猛果敢さを持つ老将。
カスティリオーネの戦いで初めてナポレオンと対決するが、ナポレオンの巧みな作戦の前には敵わず。さらにバッサノの戦いにおいても敗れ、指揮下の部隊ごとマントヴァ要塞に逃げ込む。
カスダノビッチ (Peter Quasdanovich)
ヴルムザーの部下。背が低く出っ歯で、語尾に「ざんす」をつけるのが口癖。戦術的にはあまり有能とは言えない将で、ロナトの戦いとリヴォリの戦いで2度も早期に敗北し、ヴルムザーに「使えないやつ」呼ばわりされる。
ダルヴィンチ (József Alvinczi)
アルコレの戦いにおけるオーストリア軍司令官。アルコレの戦いにおいて、ナポレオンの心理作戦でパニックを起こした兵を止められず、撤退する。
いささか異常なテンションでナポレオンを「悪い子」と呼びながら独白を行い、その独白において要所で拳銃を発砲する(部下を傷つけたこともある)など、過激な性格の人物として描かれている。
カール大公
オーストリアの皇族である将軍。ライン方面の戦いではジュールダンやモローが指揮するフランス軍を打ち破るが、イタリアからウィーンに進軍するナポレオンの軍団に敗退する。戦況を冷静に見る目を持ちフランス軍を苦しめる、オーストリア軍最高の指揮官。
アスペルン・エスリンクの戦いでは、ナポレオンが率いる大陸軍を撃破、ヨーロッパ中を震撼させた。
フランツ2世
オーストリア皇帝で、カール大公の兄。ナポレオンを「コルシカの人食い鬼」と評している。作者自身がネタにするほど、初登場時と再登場時で容貌が変化している。
メラス (Michael von Melas)
マレンゴの戦いにおけるオーストリア軍最高司令官。軍議において、いささか異常なテンションで部下をワインボトルで殴りつけるなど、熱血かつ激しい性格の人物として描かれている。マレンゴの戦いにおいては勝利を確信し戦場を離脱したあとで、敵の思わぬ逆転をゆるしてしまう。
マック (Karl Mack von Leiberich)
ウルムの戦い指揮官。フランス軍の進軍速度を見誤り大敗。軍法会議で死刑判決を受けるが、禁固10年となった。
メッテルニヒ
外交官。タレイランを尊敬しており、秘密裏に情報提供を受けている。ジュノーの妻・ロールの浮気相手。
現イタリア領[編集]
ビナスコ村のクロイセ
本作オリジナルの人物。 ビナスコ村はナポレオンのイタリア遠征時に反乱を起こし、フランス軍によって壊滅させられた。クロイセはこの時に家族を失い、フランスへの復讐を誓った。やがてクロイセは、アルプス越えからナポレオンの行く先々で登場し、密偵や暗殺者として暗躍。足跡として刺殺体を残すことから、フランス軍からは「針男」と呼ばれ恐れられている。アウステルリッツの戦いでナポレオン暗殺に失敗し、爆死した。
ヴィットリオ・アマデウス3世
ピエモンテ王国の国王。ナポレオン着任後のフランス軍の快進撃と道中での蛮行に恐怖し、第一次対仏大同盟から離脱してフランス(ナポレオン)と講和する。
ビスコンティ夫人
ミラノの公爵夫人。イタリア遠征でベルティエと出逢う。ベルティエは彼女に強く心惹かれ、彼女のシシスベ(従僕、騎士、貴婦人の世話を焼く男)となることを誓い、愛情よりも崇拝に近い感情を抱くようになる。
およそ10年に渡る恋愛の末、夫を失った彼女とベルティエはついに同棲することになる。ただしその時ベルティエには若い新妻がおり、「妻妾同居」という形であった。ベルティエ夫人との関係は良好。
フェルディナンド1世・ マリア・カロリーナ・ダズブルゴ夫妻
ナポリの国王夫妻。妻はマリー・アントワネットの姉にあたる。自国軍が欧州最弱であると自覚しており、ナポレオンの怒りを恐れ逃亡。かわってジョゼフ・ボナパルトがナポリ王となった。
ポーランド[編集]
ポニャトフスキ
愛国心の強いポーランド軍人。
マリア・ヴァレフスカ
ポーランド貴族、伯爵夫人。ナポレオンと出会った当時17歳、夫は70歳。愛国心が強く、ポーランド分割によって失われた祖国の独立に、夫婦そろって情熱を傾けている。
ワルシャワで百姓女に扮してナポレオンと出会い見初められる。ポーランド独立への協力を条件にナポレオンの愛人となるも、やがて熱烈な恋に落ちる。彼女との間に子ができたため、ナポレオンはジョゼフィーヌとの間に子ができない原因が、自分にはないと確信することになった。
ゴヤ
スペインの宮廷画家。辛辣な諷刺画でも知られる。半島戦争で戦場となった母国の惨状を「マドリード、1808年5月3日」などの作品に描く。弟子アセンシオと戦場を歩き回りスケッチした「戦争の惨禍」は、彼の死後35年を経て出版された。ウェリントンから肖像画を描くように依頼されるものの、その無礼な態度に不快感を示していた。

史実との相違
作中ではテルミドールのクーデターの際、クートンは自爆し、サン・ジュストは逃げ延びているが、史実では2人とも逮捕され、ロベスピエールと共にギロチン送りとなっている。作中の「アデュー」という別れの言葉は史実ではギロチンにかけられる直前に発したもの。
史実ではバラスと共にトゥーロンに送られた派遣議員は、サン=ジュストではなくルイ=マリ・スタニスラ・フレロンという人物であり、彼もバラスやフーシェ、タリアンらと共にテルミドールの反動に加担する。
史実では、メルダはサン=ジュストに殺されることはなくテルミドール後も生存し、フランス革命軍およびナポレオン軍で地道に昇進を続け、准将にまでなっている。ロベスピエールの顎を砕いたのは、実際にはロベスピエールの自殺未遂(傷の出来方からの推測)を自分の手柄だと偽っただけのようである。
漫画ではクートンの自爆によってバラスは左手に義手を着けているが、史実では自爆自体がなかった。バラスの木製の義手は人間の手に似せて成形されており、指にも関節が設けられているが、義手の指は右手で動かさねばならない。義手の形状は、ナポレオン3世の時代にカマロンの戦いにおいて戦死した外人部隊の士官、ジャン・ダンジュー大尉のものに似ている。
サン・ジュストによって暗殺されたタリアンだが、史実ではそのようなことはなかった。生き延びた彼は、ナポレオンのエジプト遠征の際、調査団の経済学担当として参加している。
単行本第2巻(獅子)で、死刑執行人であるシャルル=アンリ・サンソンは法律によって他の住人から離れた場所に住まなければならなかったとあるが、ムッシュ・ド・パリはこの法律が適用されておらず、実際にはパリ市内に豪邸を構えて住んでいた。サンソンの家として描かれている建物はシャルル=アンリ・サンソンの異母実弟でプロヴァンの処刑人だったルイ=シル=シャルマーニュ・サンソンが住んでいたプロヴァン市郊外の家である(この家は現存する)。
単行本第2巻(獅子)でビクトルが処刑人の助手としてシャルロット・コルデーの首をひっぱたいたが、史実では大工のフランソワ・ル・グロという人物である。彼は漫画のビクトルのようにコルデーの首をひっぱたき、その場でサンソンに殴り倒されて首になっている。
単行本第12巻(獅子)ではナポレオン軍がアレクサンドリアを攻略した直後にナイルの海戦(アブキール湾の海戦)が発生したが、史実ではナポレオン軍がカイロを攻略した後に行われた。これはその回が月刊誌の増ページの回であったため、話を盛り上げるよう編集側に指示されたので、順番を入れ替えることにしたと巻末の「ビクトル対談」で語っている。
単行本第14巻(獅子)において、イブラヒム・ベイはヤッファでペストに感染発病し、ヤッファ陥落直後に病死したが、史実では1817年まで生き延びている。
単行本第4巻(覇道)におけるカドゥーダルの陰謀では、史実では暗殺・拉致計画は未然に防がれている。またカドゥーダルとアンギャン公処刑の順序、ピシュグリュの死因が変更されている。またアンギャン公を拉致したのは、ダヴーでもネイでもなくコランクール少将である。
演出のため、史実では戦死・殺害されていない人物が死亡または生死不明とされている場合がある(タリアン、バラス、フェルニッヒ姉妹、トーマス・グラハム、ポーラ・フーレス、フェリポー、ブクスホーデン、サラゴッサの乙女など)。

実数学

2020-11-06 11:24:27 | 🇫🇷
ある有限区間上の関数を三角関数の級数で表すことをフーリエ展開といい、無限区間に拡張されたそれをフーリエ変換という。
フーリエ解析とは、これらフーリエ展開やフーリエ変換を用いて関数を解析すること、特に関数を周波数成分に分解して調べることである。これは線形微分方程式を解くための極めて強力な武器であるばかりでなく、物理学や工学において光や音、振動、コンピュータグラフィックスなど幅広い分野で用いられている。
フーリエは著書『熱の解析的理論』において、「任意の関数は、三角関数の級数で表すことができる」(フーリエの定理)と主張した。この証明は不十分なものであったが、のちに多くの数学者たちによって厳密化が行なわれた。
フーリエ解析は「ほとんどあらゆる」関数が周期関数の和として「表せる」という逆説性から多くの数学者たちの注目を浴び、「ほとんどあらゆる」の範囲や「表せる」という根拠をめぐる議論は、まだ関数という言葉の意味すら曖昧だった19世紀の解析学の厳密化に貢献した。後のリーマンの積分論やカントールの集合論もこれに関する研究から生まれることになる。

nippon

2020-06-09 22:49:49 | 🇫🇷
Port du masque malgré la chaleur et distance sociale à respecter pour admirer les 6 000 iris du Japon

Vidéos05.06.2020
Tokyo lance une alerte sanitaire suite à la hausse du nombre de cas de contaminations le 2 juin

Société03.06.2020
Tokyo « libérée » : des images avant et après la levée de l’état d’urgence dans la capitale

Société02.06.2020
Tokyo J+1 après la levée de l’état d’urgence : le rush du matin en vidéo

Vidéos27.05.2020
La mairie de Tokyo et le Rainbow bridge changent de couleur selon l’évolution de l’épidémie

Vidéos26.05.2020
Moins de 10 cas de contaminations à Tokyo : « Ne nous relâchons pas », dit la gouverneure

Société18.05.2020
Plongée en accéléré dans les quartiers de Tokyo pendant la période des congés nationaux

Vidéos07.05.2020
Les grandes gares de Tokyo pendant l’état d’urgence, un flux inégal de personnes

Société22.04.2020
Les Japonais sont de sortie malgré l’état d’urgence, la barre des 10 000 contaminations est franchie

Santé21.04.2020
Tokyo pendant l’état d’urgence : les grands quartiers se sont vidés

Vidéos09.04.2020
Tokyo a dépassé la barre des 1 000 cas de coronavirus

Santé06.04.2020
Les mille et un visages de Shinjuku : histoire du quartier le plus animé de Tokyo

Histoire06.04.2020
Les pétales de cerisiers du fleuve Meguro au gré du vent printanier [slow motion]

Vidéos03.04.2020
Appel à rester chez soi : les quartiers de Tokyo se sont vidés pour le week-end

Société30.03.2020
Exceptionnelle tombée de neige au printemps à Tokyo

Environnement30.03.2020
La nouvelle gare de Harajuku est ouverte, l’ancien édifice en bois nous dit adieu

Visiter le Japon23.03.2020
Les 100 plus belles floraisons de cerisiers du Japon : le parc d’Ueno (Tokyo)

Tourisme10.03.2020
Les 100 plus belles floraisons de cerisiers du Japon : le parc d’Inokashira (Tokyo)

Tourisme09.03.2020
Les 100 plus belles floraisons de cerisiers du Japon : le parc du fleuve Sumida (Tokyo)

Tourisme08.03.2020
Les 100 plus belles floraisons de cerisiers du Japon : le parc de Koganei (Tokyo)

Tourisme06.03.2020

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