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芸能政治家

2020-10-25 04:51:39 | 時事
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タレント政治家については、明確な定義があるわけではない。
タレント業を生業としている者(芸能人)だけについてそう呼ぶ場合もあれば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント政治家と呼ばれる場合もある。メディアを通じて高い知名度があった場合には学者・作家・芸術家といった文化人や、スポーツ選手、ジャーナリスト、特に放送局の社員であって厳密にはタレントには含まれないはずのアナウンサーや記者出身の政治家などについてもそのように表現されることもある。日本においてはテレビの普及以降高橋圭三・宮田輝・田英夫・秦豊・畑恵・黒岩祐治・丸川珠代・杉尾秀哉などアナウンサー・ニュースキャスター出身の政治家は増えている。彼らはメディアを通じて自身の諸活動が大衆に認知されている、というよりメディア自体が職場であった者であるが、いずれもメディアにおいて仕事をしてきた結果メディアを通じて高い知名度を得ている。またメディア側の変質もあり(高橋圭三や秦豊は放送局退社後もフリーアナウンサー・司会として長くメディアにおいて活動していた人物であり、芸能人や文化人的な一面も備えた存在であった)、選挙時にはアナウンサー出身者もタレント候補として扱われるようになっていった。
個人として高い知名度を持つタレントは、選挙のための広報活動を行わなくとも有権者に認知されるため、選挙活動においては有利に働くこともある。たとえば作家・タレントとして高い知名度を持っていた青島幸男は、選挙公報作成と政見放送録画を除いて当人や秘書や支援者は一切の選挙運動を行わなかったが、それでも毎回当選していた。
政党がタレントの擁立に走る背景としては、短期間の選挙運動で大量の得票ができるタレント候補は、選挙戦術上有効であるということや、選挙演説などで党の広告塔的役割を担ってもらうことができるということなどがある。一方で政治に関する経験や知識の少ないタレントが立候補するとの批判、および政党・政治団体がタレントを立候補させることを有権者から集票するための安易な客寄せに過ぎないとの批判がしばしば行われるが、職業差別に過ぎないとの反論もある。最終的には有権者の判断次第、というのが大方の見方である。
前述のようにタレント政治家と呼ばれる政治家(あるいは候補者)には文化人やアナウンサー、あるいはタレント業を職業とするものであっても政治に関し専門的に学んだ者も含まれている。
タレント政治家の中には自らをタレント政治家と扱われたり、知名度のみで当選したとされたりすることに不満を持つ場合も少なくない。そのため選挙の際にはマニフェストなど政策の具体性を強調したり、親族あるいは友人や師弟関係にある者その他の交友の深いタレント(あるいは著名人)が応援演説を申し出てきてもあえて断ったりして、自らがその他のタレント政治家とは一線を画するとする戦術を採ることも多い。
日本での歴史[編集]
作家やタレント等、他分野での高い知名度を持つ議員は帝国議会創設間もない時期からおり、小説「佳人之奇遇」で知られる東海散士は1892年の第2回総選挙から8回連続当選している。1908年の第10回衆議院議員総選挙に、日露戦争で対露強硬論を唱え「バイカル博士」として大衆的人気を集めた東京帝国大学教授の戸水寛人が出馬、当選している。ただし、当時の帝大教授のステータスを考えれば現在の学者出身タレント議員とは同列に出来ない面もある(当時の貴族院には帝大や帝国学士院会員の任命枠があった。また戸水は法学博士であり他の学問と比較すると政治と距離が近い)。政治講談で知られる伊藤痴遊は政治活動を開始した後に講談師となったが、東京市会や第16回衆議院議員総選挙、第18回衆議院議員総選挙で当選している。
1898年の第5回総選挙と第6回総選挙に芸術家の川上音二郎、1915年の第12回衆議院議員総選挙に歌人の与謝野鉄幹、1928年の第16回衆議院議員総選挙に作家の菊池寛らが立候補しているが、いずれも落選している。また貴族院議員の中には、画家の黒田清輝、「虎狩りの殿様」で著名となった徳川義親など、高い知名度を持ち、現在ならタレント議員と目されたような人物が幾人か存在した。前記の戸水寛人と並んで帝大七博士として有名になった小野塚喜平次も、帝国学士院枠で貴族院議員になっている。ただし徳川義親と黒田清輝は継承した爵位による就任であり、個人の声名のみで議員となったわけではない(徳川は侯爵議員なので本人の能力にかかわらず議員の地位は約束されていた。黒田は子爵議員)[1]。終戦後も貴族院では、ジャーナリストの長谷川如是閑、作家の山本有三や武者小路実篤といった有名人が勅選議員に任じられている。
1946年、戦後初の衆議院議員総選挙、第22回衆議院議員総選挙に大選挙区の東京1区から立候補して当選した吉本興業(東京吉本)所属の演歌師・石田一松が、一般的にはタレント議員第一号と言われている[2]。ただ石田当選時には芸能人等を指して「タレント」と表現する用法はまだ存在しておらず、石田は在職中「タレント議員」と呼ばれることはなく、専ら「芸能人代議士」と形容された。この年の選挙には作家の石川達三と元横綱男女ノ川登三(立候補時は本名の坂田供次郎)が立候補しているが、いずれも落選している。男女ノ川の伝記を書いた川端要壽は、「今の選挙なら、男女ノ川や石川ほどの知名度があればまず当選していただろう。時代が悪かったともいえるし、国民が真面目だったともいえる」と書いている[3]。
「タレント議員」という呼称がマスコミ等で使用されるようになった契機は、職業をまさに「タレント」と称していた藤原あきが、1962年7月の第6回参議院議員通常選挙全国区において116万票の大量得票でトップ当選した際の報道であった。政治家藤山愛一郎の親族であったとはいえ、選挙前までは全く政治活動に関わっておらず、政治的な発言も無かった藤原がそれまでに例のない大量得票をしたことは社会に大きな印象を与えた。また藤原は当選時前夫藤原義江とは既に離婚しており、「藤原あき」は芸名(通名)であった。従って参議院では当時の規則により本名の「中上川(なかみがわ)あき君」と呼ばれた。タレント候補は選挙時には芸名を使用できるが、ひとたび議員となれば参議院内では本名で活動しなければならないという規則が存在していることが広く知られるようになり、タレント議員の特徴の一つとして認識された。
こうしたことから藤原は「タレント議員のはしり」と言われるようになり、またこれ以後タレント議員というマスコミ用語が定着、現在のような意味合いで使用される表現となった。
日本国憲法下で参議院が誕生し、1980年まで参議院選挙には全国区制があったため、知名度のあるタレントが議員になりやすい傾向があり、1960年代から1970年代にかけてタレント議員が急増すると、「芸能院」と揶揄されることもあった。
1968年参議院選挙では、自民党から作家の石原慎太郎が300万票を超える大量得票でトップ当選したほか、社会党からNHK記者の上田哲、無所属で放送作家・テレビタレントの青島幸男、漫才師の横山ノックが初当選。
1971年参議院選挙でも、社会党からニュースキャスターの田英夫、女優の望月優子、自民党から歌手の安西愛子、無所属で落語家の立川談志、放送作家・テレビタレントの野末陳平(繰り上げ当選)らが当選する。
1974年参議院選挙では、自民党からNHKアナウンサーの宮田輝、女優・テレビタレントの山東昭子、経済評論家の斎藤栄三郎、女優の山口淑子、社会党からニュースキャスターの秦豊、無所属では漫才師のコロムビア・トップらが初当選を果たした。これらの中には、山東昭子が日立グループ、宮田輝がトヨタグループからの全面的な支援をうけていたように、組織型選挙のいわば広告塔的な役割を果たしていたものも多い。
1977年参議院選挙でも、自民党から女優の扇千景、無所属でテレビ司会者の八代英太、元NHKアナウンサーの高橋圭三らが当選している。
1983年に参議院選挙の全国区制が廃止・比例代表制厳正拘束名簿式が導入された。この制度では個人名での投票が認められないため、タレント候補の擁立は下火となる(1989年の参院選では、スポーツ平和党から出馬したプロレスラーのアントニオ猪木が「猪木」「猪木党」という票をすべて無効票とされ最下位当選となったことがある)。
2001年から個人名でも投票できる比例代表制非拘束名簿式に改定されたため、知名度による集票力を見込んで政党がタレント候補を擁立するケースが再度注目されるようになった。
非拘束名簿式になって初めての選挙となった2001年参議院選挙では、多くの政党がタレント候補の擁立に走り、舛添要一、大仁田厚(以上自民党)、田嶋陽子(社民党)、大橋巨泉(民主党)らが比例区で当選を果たした。 また、自由連合が政治経験が全くないタレント候補を大量に擁立したが、当選者を出すことができなかった。当選を果たした大橋・田嶋が短期間で辞職したこともあり、安易なタレント擁立に対する批判が強まった(ただし、田嶋の議員辞職は神奈川県知事選挙立候補という理由がある)。この選挙時の自由連合の代表であり、タレント擁立の当事者であった徳田虎雄は、「二世議員より苦労して一流になったタレントのほうがまし」という反論をしている(ただし、徳田が引退した際には子息の徳田毅が後継者になっている)。またスポーツ紙ではスポーツ選手を含めたタレント候補は選挙活動中の動向について、他の候補よりも記事として掲載されやすい傾向がある[4]。選手以外では1964年東京五輪で女子バレーが金メダルを獲得したときの監督である大松博文、「日本レスリングの父」八田一朗も議員経験がある。
その後も自由連合のような極端な事例こそないものの、参院選の比例区を中心としたタレントの擁立は続いた。
2004年参議院選挙では神取忍(自民党・繰り上げ当選)、竹中平蔵(自民党)、荻原健司(自民党)、山谷えり子(自民党)、喜納昌吉(民主党)、白眞勲(民主党)、浮島とも子(公明党)が当選。
2007年参議院選挙では丸山和也(自民党)、義家弘介(自民党)、青木愛(民主党)、横峯良郎(民主党)、田中康夫(新党日本)が当選。
2010年参議院選挙では阿達雅志(自民党・繰り上げ当選)、堀内恒夫(自民党・繰り上げ当選)、三原じゅん子(自民党)、谷亮子(民主党)、有田芳生(民主党)、真山勇一(みんなの党・繰り上げ当選)が当選。
2013年参議院選挙では渡邉美樹(自民党)、藤巻健史(日本維新の会)が当選。
2016年参議院選挙では青山繁晴(自民党)、今井絵理子(自民党)、石井苗子(日本維新の会)が当選。
2019年参議院選挙では、須藤元気(立憲民主党)が当選するも、以下に挙げる多くのタレント候補が全員落選した。自民党の山本左近、立憲民主党の市井紗耶香、おしどりマコ、奥村政佳、斉藤里恵、白沢みき、国民民主党の小山田経子、れいわ新選組の山本太郎。
浮動票の多い都市部ではタレント候補に票が集まりやすいとされ、タレント政治家を輩出しやすいと言われている。特に大阪府ではお笑いタレントの当選が注目されることが多いため、「お笑い票」「お笑い百万票」が存在するとマスコミで表現、揶揄されることがある[5]。ただし2004年の大阪府知事選挙では江本孟紀 [6]と2019年の埼玉県知事選挙では青島健太が立候補するも落選しており、必ずしも知名度だけが当選に影響を与える理由にはならないとされる。またタレント政治家は他の都市部でも輩出し他の地域では「タレント票」として注目されることもあるが、これらの票も有権者の投票行動を客観的に調査したものではなく、組織票のような明確な根拠はない。
都市部の国政選挙では1983年に横山ノックが全国区から大阪府選挙区に転進して当選、1986年に西川きよしが参院選で初当選し3期つとめ、参議院東京都選挙区でも1986年に小野清子、1992年に森田健作、1998年に中村敦夫、2004年に蓮舫、2007年に丸川珠代、2013年に山本太郎、2016年に朝日健太郎、2019年には塩村文夏が初当選するなど、タレント候補の当選が注目された。
地方の国政選挙でも、参議院では2010年に石井浩郎(秋田選挙区)、2016年に杉尾秀哉(長野選挙区)、2019年に芳賀道也(山形選挙区)、石垣のりこ(宮城選挙区)がそれぞれ当選したほか、同年には愛媛選挙区で元アナウンサーの永江孝子[7]とローカルタレントのらくさぶろうのタレント候補同士の一騎打ちとなったことがある(永江が当選)。また、衆議院でも、参議院議員から転身したプロレスラーの馳浩(石川1区)や2012年の第46回衆議院議員総選挙で五輪メダリスト初の衆議院議員となった堀井学(北海道9区)などわずかながら当選例がある。なお、地方選出の国政選挙の場合は定数が1議席のみということが多く、浮動票だけでなく地元経済界や労働組合などのバックアップを受けた組織型選挙を展開することも多い。
地方選挙においてもタレント政治家が当選を果たすことも少なくない。地方のタレント政治家の例としては、
首長では美濃部亮吉(東京都知事。元参議院議員)、青島幸男(東京都知事。元参議院議員)、石原慎太郎(東京都知事。元参議院議員・元衆議院議員。知事退任後再び衆議院議員)、猪瀬直樹(東京都知事)、舛添要一(東京都知事。元参議院議員)、小池百合子(東京都知事。元衆議院議員)、黒岩祐治(神奈川県知事)、横山ノック(大阪府知事。元参議院議員)、田中康夫(長野県知事。知事退任後参議院議員を経て衆議院議員)、東国原英夫(宮崎県知事。知事退任後衆議院議員)、橋本大二郎(高知県知事)、森田健作(千葉県知事。元参議院議員・元衆議院議員)、橋下徹(大阪府知事を経て大阪市長)、三反園訓(鹿児島県知事)、玉城デニー(沖縄県知事、元衆議院議員、元沖縄市議会議員)、平松邦夫(大阪市長)などが挙げられる。
地方議会議員では堀井学(北海道議。道議退任後衆議院議員)、追風海直飛人(青森県板柳町議、のち青森県議)、田宮謙次郎(茨城県下館市議)、田口禎則(埼玉県浦和市議・同さいたま市議を経て埼玉県議)、プリティ長嶋(千葉県市川市議を経て千葉県議)、林家とんでん平(北海道札幌市議)、三遊亭窓里(埼玉県川越市議)、土方隆司(埼玉県狭山市議)、真山勇一(東京都調布市議。市議退任後参議院議員)、青空好児(東京都世田谷区議)、須藤甚一郎(東京都目黒区議)、木村健悟(東京都品川区議)、阿部光利(東京都台東区議)、石井めぐみ(東京都国立市議)、三遊亭らん丈(東京都町田市議)、船場太郎(大阪府大阪市議)、スペル・デルフィン(大阪府和泉市議)、鳳城ひろき(兵庫県宝塚市議)、松野明美(熊本県熊本市議、のち熊本県議)などが挙げられる。
公的場面での芸名(通名)使用[編集]
日本では国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められている(ただし、参議院議員の芸名・通名使用が認められたのは1997年の事である[8])が、国務大臣等行政府の役職に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。
このため、閣僚として入閣したタレント議員は、行政府の公文書に対しては本名で署名する事となっている。例えば、元参議院議員扇千景は国土交通大臣(国務大臣)としての公文書には本名の「林寛子」で署名をしていたが、このような規定のない参議院議長としての公文書には芸名(通名)の「扇千景」で署名をしていた。
東国原英夫前宮崎県知事の場合は、選挙の際には芸名(そのまんま東)としたものの、公的には使いづらいと判断し、知事就任後は本名を用いている(政界引退後も本名で活動)。一方、知事就任後も公文書を除いて芸名を使用している(いた)例としては、横山ノック元大阪府知事(本名・山田勇)と森田健作千葉県知事(本名・鈴木栄治)の例があるが、『全国市町村要覧』では、前者は本名を掲載していたのに対し、後者は芸名を掲載している。
タレント活動[編集]
日本の場合、有名人が選挙への立候補を表明した時点で、公職選挙法や放送法の規定から派生したメディア側の自主規制により、選挙終了まで各メディアでのタレント活動ができなくなるのが一般的である。ニュースや選挙関連の番組を除いて、テレビ、ラジオへの出演はできなくなり、雑誌や新聞での連載等も中断される。
横山ノックが司会を務めた「ノックは無用!」(関西テレビ)では、選挙期間中は本人が番組を降板するのみならず、番組のタイトルも「ロックは無用!」に改題されていた。義家弘介が担当していた「ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない」(ニッポン放送)は公示期間中放送休止になっていた。
当選した場合、タレント活動を継続するかどうかはその者の判断による。議員の兼職自体が禁じられているわけではなく、他の職業の者であってもそれまでの仕事を継続する者も少なくないが、タレント政治家の場合はその仕事が世間に露出するものであることから、しばしば論議の的となる。
山東昭子が1987年に参議院環境特別委員長を務めていた時、テレビ東京のゴルフ番組「ゴルフだよ人生は」の収録で公害健康被害補償法の審議を欠席したため、政治職務よりタレント活動を優先したと非難され、委員長辞任に追い込まれた例がある。
橋本聖子は1996年に現職参議院議員としてアトランタオリンピックの自転車競技に出場している。2010年のバンクーバーオリンピックでは、国会会期中ながら日本選手団団長として現地入りした。2010年の参院選で当選した柔道選手の谷亮子は、立候補表明時に議員活動と現役選手を両立させ、次回オリンピック出場を目指すと明言し、賛否両論が巻き起こった(当選後に政治職務に専念し、次回のオリンピックに出場しないことを表明した)。一方で、同じ選挙に自民党から出馬した女優の三原じゅん子は、当選した場合は女優を引退すると表明し、これを受けて、当選後は各メディアでは「元女優」などと表記されている(ただし例外として2011年3月に放送されたテレビドラマシリーズ「3年B組金八先生」の最終回で過去の出演者達が卒業生として勢揃いで集合する場面では卒業生の一人として特別出演した)。
プロレスラーではアントニオ猪木がスポーツ平和党を結成し第15回参議院議員通常選挙に比例区から初当選し、馳浩は第17回参議院議員通常選挙で参議院議員となったが、のち本格的に政治家に転身することとなり衆議院に転出、プロレスラーも引退した(後に2006年8月27日に両国国技館で引退試合を行っている。ただし2017年7月26日に1試合限定で復帰)、第19回参院選では大仁田厚が比例区で出馬し当選、第20回参院選では神取忍が繰上げ当選、木村健悟(引退後)・西村修・土方隆司が第17回統一地方選挙でそれぞれの議会に立候補し初当選した。
覆面レスラーが地方議員になった場合、覆面姿のまま議会に入場しようとすると「病気などの理由を除き、帽子やコートの着用」を禁じた議会会議規則に抵触すると判断される可能性がある。過去に覆面レスラーが地方議員になった例として、ザ・グレート・サスケ(岩手県議)、スペル・デルフィン(和泉市議)、スカルリーパー・エイジ(大分市議)があるが、サスケとデルフィンは議会の別室で素顔の本人確認をすること等を条件に覆面姿の議場入場は認められたが、エイジは覆面姿での議場入場は認められなかった。
公営競技の現役選手で政界に進出した例としては、競輪選手で徳島県小松島市議である米崎賢治の例がある[9]。
世界におけるタレント政治家[編集]
国家元首となった芸能分野の出身者は、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン、フィリピン大統領ジョセフ・エストラーダが知られる。レーガンは任期満了後政界を引退したが、エストラーダは大統領辞任後も政治活動を続け、2013年にはマニラ市長に当選している。また2015年10月、グアテマラの大統領選挙において元コメディアンのジミー・モラレスが当選した。2003年から2011年までカリフォルニア州知事を務めたアーノルド・シュワルツェネッガーは在職中も映画にカメオ出演するなど一定の芸能活動を続けていたが、退任後は俳優業を再開し、就任前同様に映画主演も行っている。また、クリント・イーストウッド元カリフォルニア州カーメル市長は俳優や監督を続けている。イギリスでは下院議員を務めた作家のジェフリー・アーチャーが、一旦政界を引退して文筆活動に戻った後、再び政界に復帰している。2019年ウクライナ大統領選挙では、コメディアンのウォロディミル・ゼレンスキーが出馬し当選した。スロベニアでは、コメディアン出身のマリヤン・シャレツが首相に就任、アイスランドのスタンダップコメディアンのヨン・ナールは首都レイキャビクの市長になり、アルメニアでは人気コメディアンのハイク・マルチアンが首都エレバンの市長になった[10]。
自由選挙制度が行われない体制である国家においても、政治任用によってタレントが政治的役職に就くこともある。中華人民共和国の中国人民政治協商会議には、スポーツ関係者枠や文化芸術枠が存在し、映画監督のチャン・イーモウや女優のコン・リーなどが委員になっている。また、元タレントである権力者の配偶者が、政治的な役割を果たすことも多い。フアン・ペロン夫人であったエバ・ペロン、毛沢東夫人であった江青が特に知られている。
スポーツ選手ではリベリア出身のサッカー選手であるジョージ・ウェアが2017年に同国の大統領に当選し、ブラジルのサッカー選手であるペレが1995年から3年間スポーツ大臣をつとめていた。アメリカ合衆国の元プロレスラージェシー・ベンチュラは1990年にミネソタ州ブルックリンパーク市長に当選し、1998年から2002年までミネソタ州知事を務めた。阪神タイガースで三冠王など活躍したランディ・バースはロートン市議員を経て、オクラホマ州の上院議員に当選している。元力士の旭鷲山(小結)は母国モンゴルの国民大会議議員に当選している。元力士で引退後日本でタレント活動をしていた把瑠都(大関)は、母国エストニアの国会(リーギコグ)の総選挙に出馬し、一旦は落選したものの繰り上げ当選している。
また現役のスポーツ選手が政治家となった例では、ロシアのレスリング選手であるアレクサンドル・カレリンが2000年に現職国会議員としてシドニーオリンピックのレスリング競技に出場し銀メダルを獲得したことがある。同じくロシアのフィギュアスケート選手エフゲニー・プルシェンコは2007年3月、サンクトペテルブルク立法議会議員に当選し、2011年バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート男子シングルに出場し銀メダルを獲得している。しかしプルシェンコは当選後も競技続行の妨げになるとしてサンクトペテルブルク立法議会へは殆ど出席していなかったため批判の声も上がった。2014年ソチオリンピックの招致活動に地方議員として参加するなどしたものの、議会内活動はほとんどできないまま2011年12月、ソチオリンピックへの出場を目指して競技に専念し政治活動を断念する意向を表明。所属政党を離党した。翌年の任期満了をもって政界を引退している。クロアチアの格闘家のミルコ・クロコップは現職国会議員時代に試合を組んでおり、来日もしている。
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この節の加筆が望まれています。
その他[編集]
浜田幸一(元衆議院議員)や小沢遼子(元埼玉県議会議員・元浦和市議会議員)、杉村太蔵(元衆議院議員)、上西小百合(元衆議院議員)、宮崎謙介(元衆議院議員)、金子恵美(元衆議院議員)、豊田真由子(元衆議院議員)、太田房江(元大阪府知事)、横粂勝仁(元衆議院議員)のように政治家からタレント・文化人の活動を行う「元議員タレント」もいる。知名度やクリーンなイメージにより政党に起用されるタレント議員に対し、話術に長け時事問題をこなせる元議員タレントはテレビ局等より重宝される[11]。他にはタレントから政治家となり引退後大学教授となった人物に野末陳平(元参議院議員)がいる。太田房江はタレント活動を行った後に参議院議員となっている。またタレント出身でない現職の政治家でも、ゲスト出演等でタレント的な活動を行うこともある。
タレント政治家はタレント業が本来の生業であるため、政界を離れた後、芸能界やスポーツ界に復帰し活動を再開するケースも少なくなく、俳優から政界に転じた中村敦夫(元参議院議員)は政界引退後は俳優業に戻っている。前出の江本孟紀(元参議院議員)は野球解説者に復帰、東国原英夫(元宮崎県知事・元衆議院議員)はタレント業を再開、荻原健司(元参議院議員)もスキー選手・指導者となっている。横光克彦(衆議院議員)は政界進出後一旦は芸能活動を自粛、落選後再び俳優業を再開、2017年には再度政界復帰し再び芸能活動を停止するという経緯を辿っている。
落語家の立川談志が1971年参院選全国区で50人中50位の最下位当選した際、インタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」と答えた。
大相撲力士の旭道山和泰は1996年10月に第41回衆議院議員総選挙に新進党から比例区で立候補し、当選した。出馬当初は廃業届を日本相撲協会に渡したが、落選した際の配慮のために当初は保留扱いとなり、当選後に正式に廃業届が受理された。断髪式までは丁髷を結ったまま登院した

政治家

2020-10-25 02:56:08 | 時事

12 タイ王国
13 インドネシア
14 フィリピン
15 インド
16 パキスタン
17 シンガポール
18 アゼルバイジャン
19 シリア
20 コンゴ民主共和国
21 トーゴ
22 ハイチ
23 イタリア
24 ギリシャ
25 キューバ
26 関連項目
日本[編集]
自由民主党[編集]
あ行[編集]
逢沢寛─逢沢英雄─逢沢一郎
愛知揆一─愛知和男(娘婿・養子)─愛知治郎
青木正─青木正久
青木幹雄―青木一彦
赤城宗徳─赤城徳彦(孫息子)
赤沢正道─赤沢亮正(孫息子)
秋田清─秋田大助
芦田鹿之助―芦田均
大久保利通・三島通庸―麻生太吉・牧野伸顕―吉田茂―麻生太賀吉─麻生太郎
佐藤栄作・岸信介(実兄)─佐藤信二─阿達雅志(娘婿)
安倍寛・岸信介・佐藤栄作(岸の実弟)─安倍晋太郎─安倍晋三・岸信夫(三男で晋三の弟)
天野頼義─天野公義
甘利正―甘利明
鮎川義介―鮎川金次郎
池田勇人─(池田行彦:娘婿)─寺田稔(甥)
岩井國臣─岩井茂樹
石原慎太郎(辞職後に東京都知事を経て日本維新の会)─石原伸晃・石原宏高
石破二朗─石破茂
井出一太郎─井出正一─井出庸生(正一の甥)
伊藤宗一郎─伊藤信太郎
稲葉圭亮・稲葉修(圭亮の弟)―稲葉大和(修の長男)
井上孝哉―石原幹市郎(孝哉三女の三起子夫)・石原三起子―石原健太郎(後に自由党)―石原洋三郎
井原岸高─井原巧(孫)
高橋龍太郎―伊吹文明(孫娘婿)
岩上二郎─岩上妙子(妻)
岩屋啓─岩屋毅
植竹三右衛門─植竹春彦―植竹繁雄
臼井荘一―臼井日出男
内海安吉─内海英男
宇野宗佑─宇野治(娘婿)
浦野幸男─浦野烋興
江崎真澄─江崎鉄磨・江崎洋一郎
江島淳―江島潔
江渡誠一・江渡龍博─江渡聡徳
江藤隆美─江藤拓
遠藤清海─遠藤武彦
大石八治―大石千八―大石秀政
大島勇太郎・夏堀源三郎─大島理森(甥)
亀井光―太田誠一(娘婿)
太田豊秋―太田光秋
大塚雄司─大塚隆朗
大坪保雄─大坪健一郎
大野伴睦─大野明・大野つや子(大野明夫人)─大野泰正
大野功統─大野敬太郎
大村清一─大村襄治
岡下信子─岡下昌平
岡部英男─岡部英明
小川平吉─小川一平・小川平二─小川元
奥野誠亮─奥野信亮
小此木歌治─小此木彦三郎─小此木八郎
小里貞利─小里泰弘
越智通雄─越智隆雄
小野寺信雄─小野寺五典(娘婿)
小渕光平─小渕光平 (2代目)・小渕恵三─小渕優子
尾身幸次─尾身朝子
か行[編集]
鍵田忠三郎─鍵田忠兵衛
梶山静六─梶山弘志
加藤精三─加藤紘一─加藤鮎子
加藤高蔵─狩野明男(娘婿)・狩野安─狩野岳也
加藤六月─加藤勝信(娘婿)
金子岩三─金子原二郎
金子一平─金子一義─金子俊平
亀井善彰・加藤貞吉―亀井善之―亀井善太郎
亀岡高夫─亀岡偉民(甥・養子)
唐沢俊樹―唐沢俊二郎
川崎克─川崎秀二─川崎二郎
河本嘉久蔵─河本英典
岸田正記─岸田文武─岸田文雄
北川石松―北川知克
北村義和―北村直人
木村文男─木村守男─木村太郎・木村次郎
木村勉-木村弥生
木村武千代─木村義雄
高田富與―鯨岡兵輔(従兄の子)
久野忠治―久野統一郎
倉成庄八郎―倉成正―倉成正和
栗原祐幸─栗原裕康
小泉又次郎─小泉純也(娘婿)─小泉純一郎―小泉進次郎
河野一郎・河野謙三─河野洋平─河野太郎
高村坂彦─高村正彦─高村正大
河本敏夫─河本三郎
國場幸昌―國場幸之助(大甥)
小坂善之助─小坂順造─小坂善太郎・小坂徳三郎─小坂憲次
後藤文夫─後藤正夫
後藤田正晴─後藤田正純(大甥)
小西哲―小西理(弟)
小林絹治─小林正巳
小林多門─小林弘幸
近藤元次─近藤基彦
さ行[編集]
桜内幸雄─桜内義雄
左藤義詮─左藤恵─左藤章(娘婿)
佐藤鶴七─佐藤昌次─佐藤勉
斉藤滋与史・増岡博之─斉藤斗志二
斎藤昇―斎藤十朗
坂田道男―坂田道太
坂本朝次郎─坂本剛二
笹川良一─笹川堯─笹川博義
笹山茂太郎─笹山登生
佐田一郎─佐田玄一郎(孫息子)
椎名隆─椎名一保(孫)
塩川正三─塩川正十郎
塩崎潤─塩崎恭久
塩谷一夫─塩谷立
志賀健次郎─志賀節
七条武夫─七条広文─七条明
小沢潔─清水清一朗(娘婿)
島村一郎─島村宜伸
自見庄三郎─自見英子
助川啓四郎─助川良平
鈴木善幸─鈴木俊一
鈴木宗男─鈴木貴子
砂田重政─砂田重民―砂田圭佑(重民の甥)
住栄作―住博司
関口恵造―関口昌一
関谷勝利―関谷勝嗣
世耕弘一―世耕政隆─世耕弘成(政隆の甥)
園田直─園田博之
た行[編集]
高鳥修―高鳥修一
竹内俊吉―竹内黎一
田中六助―武田良太(甥)
竹下勇造―竹下登・竹下亘(弟)
武部勤―武部新
竹山祐太郎─竹山裕
伊達忠一─伊達忠応
橘清治郎─橘林太郎─橘直治─橘康太郎─橘慶一郎
田中義一―田中龍夫
田中啓一―田中良生
田邊七六─田邊圀男
谷洋一―谷公一
谷川昇―谷川和穂
谷垣専一─谷垣禎一
田野瀬良太郎─田野瀬太道
松野幸泰─松野幸昭・棚橋泰文(甥)
田村實─田村良平─田村公平
田村元─田村憲久(甥)
中馬馨─中馬弘毅
塚田十一郎─塚田徹・塚田一郎
塚原俊郎―塚原俊平
津島文治─津島雄二(姪婿)─津島淳
土屋義彦─土屋品子
戸井田三郎―戸井田徹
渡海元三郎─渡海紀三朗
徳田虎雄─徳田毅
床次竹二郎─床次徳二・佐藤重遠(娘婿)
な行[編集]
永岡洋治―永岡桂子(妻)
中川一郎─中川昭一―中川郁子(妻)
中川俊思─中川秀直(娘婿)─中川俊直
原文兵衛―中川雅治(娘婿)
中島知久平―中島源太郎―中島洋次郎
中曽根康弘─中曽根弘文―中曽根康隆
永田秀次郎─永田亮一
中谷貞頼─中谷元(孫息子)
長峯基―長峯誠
中村庸一郎─中村正三郎
中村梅吉─中村靖
中山榮一─中山利生─中山一生
中山福蔵・中山マサ─中山太郎・中山正暉─中山泰秀(正暉の息子)
楢橋渡─楢橋進
二階俊太郎―二階俊博
西田吉宏─西田昌司
西野陽─西野茂(弟)
吹田愰─西村康稔(娘婿)
西銘順治─西銘順志郎・西銘恒三郎
二之湯智─二之湯武史・二之湯真士
丹羽喬四郎─丹羽雄哉
丹羽兵助・丹羽久章─丹羽秀樹(兵助の孫息子)
橋本万寿夫―額賀福志郎
野上徹─野上浩太郎
野田武夫―野田毅(娘婿)
野田卯一─野田聖子(孫娘)
野中英二─野中厚(孫息子)
野呂恭一─野呂昭彦
は行[編集]
橋本龍伍─橋本龍太郎・橋本大二郎─橋本岳(龍太郎の息子)
服部安司─服部三男雄
鳩山和夫─鳩山一郎・鳩山秀夫─鳩山威一郎─鳩山邦夫─鳩山二郎
葉梨新五郎─葉梨信行─葉梨康弘
羽生田進─羽生田俊
浜田幸一─浜田靖一
浜野清吾─浜野剛
林有造―林譲治―林迶
林大幹─林幹雄
林平四郎─林佳介─林義郎─林芳正
原田憲─原田憲治
原田昇左右─原田令嗣
肥田辰之助-肥田琢司・肥田広司(弟)
平井太郎─平井卓志─平井卓也
平沼騏一郎─平沼赳夫(兄の曽孫→養子)
広川弘禅─広川シズエ(妻)
福岡日出麿―福岡資麿(孫息子)
福田赳夫─福田宏一(弟)・福田康夫-福田達夫
福永健司-福永信彦
藤井丙午─藤井孝男
藤田正明─藤田雄山
元田肇─船田中・船田享二・藤枝泉介(船田家から養子)─船田譲(中の息子)─船田元
藤本捨助―藤本孝雄
二田是儀 (初代)―二田是儀―二田孝治
古屋善造─古屋慶隆─古屋亨─古屋圭司
細田吉蔵─細田博之
保利茂─保利耕輔
堀内良平─堀内一雄─堀内光雄─堀内詔子(光雄の息子の嫁)
本間俊一―本間俊太郎
ま・や・わ行[編集]
前田佳都男─前田勲男
松平恒雄―松平勇雄(甥)
松永東―松山千恵子・松永光(東の養子)
松本十郎─松本剛明
町村金弥─町村敬貴・町村金五─町村信孝─和田義明(信孝の次女の夫)
三浦八水─三浦一水
三ッ林幸三─三ッ林弥太郎─三ッ林隆志・三ッ林裕巳
三原朝雄─三原征彦・三原朝彦
御法川英文―御法川信英
宮崎謙介─金子恵美(妻)
宮澤裕─宮澤喜一・宮澤弘─宮澤洋一
宮路和明ー宮路拓馬
宮下創平─宮下一郎
三善信房―三善信二
武藤嘉門─武藤嘉一─武藤嘉文―武藤容治
村上紋四郎─村上信二郎・村上孝太郎─村上誠一郎
藤井勝志-村田吉隆(娘婿)
最上政三・最上英子─最上進(政三の養子)
粟山博─粟山秀・粟山明
森矗昶・岩瀬亮─森曉・森清・森美秀─森英介(美秀の息子)
森山欽司─森山眞弓(妻)
森喜平─森茂喜─森喜朗 ─森祐喜
大平正芳─森田一(娘婿)
保岡武久─保岡興治
山崎岩男─山崎竜男─山崎力
山下元利─山下英利
山村新治郎 (10代目)─山村新治郎 (11代目)
山本富雄─山本一太
山本友一─山本公一
山本治─山本拓
横内要─横内正明・横内公明
竹内綱─吉田茂(吉田健三の養子へ)
若林正俊―若林健太
渡邊良夫─渡辺肇─渡辺紘三(弟)
国民民主党・民進党・民主党[編集]
石井廣治─石井一―石井健一郎(一の甥)・石井登志郎(一の長男)・石井秀武(親類)
石田又七─石田勝之(孫息子)
一川保正─一川保夫
大石倫治─大石武一─大石正光
大出俊─大出彰
大野元美─大野元裕(孫)
岡田哲児─柏熊光代
奥田敬和─奥田建
鹿野彦吉─鹿野道彦
神田大作─神田厚
加藤高明・木内重四郎・幣原喜重郎(以上3人は互いに義兄弟)・関屋貞三郎─岡部長景(高明の娘婿)─木内孝胤(重四郎・貞三郎の曾孫)
岸本光造─岸本健
佐藤栄佐久─玄葉光一郎(娘婿)
小平忠─小平忠正
青木一男─小宮山洋子(孫娘)
佐々木秀世─佐々木秀典
佐藤観次郎─佐藤観樹(辞職・民主党除籍)
金光庸夫─金光義邦・佐藤一郎(娘婿)─佐藤謙一郎(一郎の息子)
永井柳太郎─永井道雄─鮫島宗明(道雄の甥)
田中角栄─田中眞紀子(娘)・田中直紀(娘婿)
鈴木直人─田中直紀
玉置一徳─玉置一弥
津島源右衛門─津島英治─津島恭一(英治の孫息子)
高橋英吉―高橋英吾―高橋英行
中井徳次郎─中井洽
楢崎弥之助─楢崎欣弥
西岡竹次郎・西岡ハル─西岡武夫─西岡秀子
鳩山和夫─鳩山一郎・鳩山秀夫─鳩山威一郎─鳩山由紀夫
世耕弘成─林久美子(妻)
日野吉夫─日野市朗
堀込義雄─堀込征雄
前田正男─前田武志(甥)
松崎良太郎─松崎公昭
松本治一郎─松本英一(養子)─松本龍
水島裕─水島広子
水野清―水野賢一(養子)
室井邦彦―室井秀子(妻)
横路節雄─横路孝弘
村山達雄―和田隆志(孫娘の夫)
渡部又左エ門─渡部恒三─佐藤雄平(恒三の甥)
※肥田次郎─肥田美代子と記載されているものがあるが、こちらの美代子は同姓同名の別人(国会議員の肥田美代子ではない)。
日本維新の会[編集]
東武─東徹
岩永峯一─岩永裕貴
浦野靖彦─浦野靖人
片山虎之助─片山大介
下地米一─下地幹郎
松本清―松本和那―松本和巳
藤巻幸大─藤巻健史(異母兄弟)
松浪健四郎─松浪健太(甥)
次世代の党・日本のこころを大切にする党[編集]
石原慎太郎(議員辞職までは自民党、後に東京都知事を経て国政復帰)─石原伸晃・石原宏高(共に自民党)
上野公成―上野宏史(娘婿)
櫻内義雄―桜内文城(孫娘の婿)
西野陽─西野弘一・西野修平
みんなの党[編集]
浅尾長慶―浅尾慶一郎(曾孫)
中川義雄―中川賢一
渡辺喜美─渡辺美知太郎(甥)
公明党[編集]
浅井亨─浅井美幸
石田次男─石田幸四郎(弟)
梅渓通魯─梅溪通虎─池坊保子
風間昶─石川博崇(娘婿)
多田省吾─多田時子(妻)
北側義一─北側一雄
北条雋八─北条浩(甥)
渡部一郎─渡部通子(妻)
自由党・生活の党[編集]
石原幹市郎―石原健太郎─石原信市郎・石原洋三郎
菊池長右衛門 (先々代)─菊池長右衛門 (先代)─菊池長右エ門
菅川健二―菅川洋
三木武夫・田中覚─松崎哲久
石田博英―三宅雪子(孫)
社会民主党・日本社会党[編集]
浅沼稲次郎─浅沼享子(妻)
稲村順三・稲村隆一(弟)─稲村稔夫(順三の息子)
上野千重郎─上野雄文
河上丈太郎─河上民雄
川俣清音─川俣健二郎
須永好─須永徹(孫息子)
田健治郎─田英夫(孫息子)
戸叶武─戸叶里子(妻)
平野力三─平野成子(妻)
細谷治嘉─細谷治通
松前重義─松前達郎・松前仰
山口重彦─山口シヅエ(後に自民党)
山田耻目─山田健一(娘婿)
山中吾郎─山中邦紀
日本共産党[編集]
聴濤克巳─聴濤弘
上田耕一郎─不破哲三(弟)
米原章三─米原昶
吉良富彦─吉良よし子
日本未来の党・みどりの風[編集]
笠原潤一─笠原多見子
亀井静香─亀井郁夫(兄)
国民新党[編集]
久良知寅次郎─自見庄三郎(曽孫)
綿貫佐民─綿貫民輔
希望の党[編集]
柿澤弘治―柿沢未途
楠田幹人─楠田大蔵
小池政恩―小池政臣―小池政就
近藤鉄雄─近藤洋介
中山成彬―中山恭子(妻)
野田卯太郎─松野鶴平─松野頼三─松野頼久
平野貞夫─樋高剛(娘婿)
宮島滉―宮島大典
村岡兼造─村岡敏英
立憲民主党[編集]
赤松勇─赤松広隆
石川知裕─石川香織(妻)
石橋大吉―石橋通宏
伊藤丑太郎─伊藤左門─伊藤公介─伊藤俊輔
江田三郎─江田五月
岡島正之─岡島一正
美濃部貞亮─岡田克也(玄孫)
小沢佐重喜─小沢一郎
梶原清─梶原康弘
金子徳之介―金子恵美
有馬頼寧─亀井久興(孫息子)─亀井亜紀子
山田弥一─川内博史(義理の孫息子)
川田悦子─川田龍平
黒岩秩子─黒岩宇洋
小宮山常吉─小宮山重四郎─小宮山泰子
佐藤守良─佐藤公治
下条康麿─下条進一郎─下条光康
田名部政次郎─田名部匡省─田名部匡代
寺田典城―寺田学
中島真人─中島克仁
中村喜四郎 (1910年生の政治家)・中村登美─中村喜四郎
羽田武嗣郎─羽田孜─羽田雄一郎
山岡賢次―山岡達丸
山花秀雄─山花貞夫─山花郁夫
渡辺朗─渡辺周
政党以外[編集]
相川宗次郎─相川曹司─相川宗一
愛野時一郎─愛野興一郎
朝木明代─朝木直子
麻生久─麻生良方─麻生輝久
安倍源基―安倍基雄(源基は内務大臣。基雄は民社党→新進党→自由党→保守党)
天野久―天野建
鮎川義介―鮎川金次郎
石井廣治─石井一二(兄は民主党の石井一)
犬養毅─犬養健・芳澤謙吉(娘婿)
宇治田省三─宇治田栄蔵
宇田川芳雄─宇田川聡史
大橋正雄―大橋建一
大原博夫―藤田正明(娘婿)―藤田雄山
岡崎久次郎―岡崎勝男(弟)
岡田春夫(先代)―岡田春夫
尾崎行雄─尾崎行輝
川合喜一─川合善明
貴志八郎─貴志啓一(八郎は社会党、啓一は自民党)
北勝太郎─北二郎・北修二・北良治
北川信次─北川謙次(信次の従兄弟。信次は社会党、謙次は社会党→無所属→自民党)─北川イッセイ
木下郁・木下哲(弟)─木下敬之助
紅露昭-紅露みつ(妻)
後藤新平─鶴見祐輔(娘婿)
佐々友房─佐々弘雄─紀平悌子
高野長英─後藤新平─椎名悦三郎─椎名素夫(悦三郎は自民党、素夫は自民党→自由の会→無所属の会)
嶋崎均─嶋崎譲(弟。均は自民党、譲は社会党)
鈴木安孝─鈴木一(安孝は自由党、一は無所属→社会党→民社党)
鈴木麟三―穂積七郎―穂積亮次
關一─關淳一(孫息子)
高橋喜一郎─高橋栄一郎
田中義一─田中龍夫・小沢太郎(女婿)─小沢克介(太郎は自民党。克介は日本社会党→新党さきがけ)
三木武夫─高橋紀世子
高辻武邦─高橋はるみ
松本烝治─田中耕太郎(娘婿)
中川一郎―中川義雄(弟、一郎は自民党・義雄は自民党→たちあがれ日本)
中村時雄─中村時広(時雄は民社党代議士→松山市の首長。時広は日本新党代議士→松山市長→愛媛県知事)
西村栄一─西村章三(栄一の甥)・西村眞悟
野中広務―野中一二三(弟)
初村滝一郎―初村謙一郎(滝一郎は自民党。謙一郎は日本新党→新進党)
藤代七郎―藤代孝七
降旗元太郎―降旗徳弥
細川護立、近衛文麿―細川護熙(孫息子)
穂積惇─穂積志(惇は社会党。志は自民党→秋田市長)
穂積陳重・穂積八束―穂積重遠・穂積真六郎
堀切善兵衛―堀切善次郎(弟)
牧野英一─牧野良三(弟)
増田盛─増田寛也
松井良夫―松井一郎(良夫の会派は未詳 一郎も父と同じく大阪府議)
松本俊一―松本賢一(弟)
菊池大麓・箕作麟祥(大麓の従兄)─美濃部達吉・鳩山秀夫(ともに大麓の娘婿)・長岡半太郎(麟祥の娘婿)─美濃部亮吉(達吉の長男)
三浦寅之助─三浦隆(寅之助は社会民衆党→国民同盟→自由党。隆は民社党)
三村泰右─三村輝文─三村申吾
矢野政男─矢野登(弟)─矢野哲朗
山口六郎次─山口敏夫
吉田資治―吉田万三
吉原三郎─吉原英一
和田操─和田一仁
渡辺美智雄─渡辺喜美

一覧 政党

2020-10-25 01:35:24 | 時事
55年体制崩壊から民由合併まで(1993-2005)[編集]
日本共産党(1945-)
日本社会党(1955-1996)→社会民主党(1996-)
(日本社会党より分裂)→新党護憲リベラル(1994-1995)→(分裂)
平和・市民(1995)→(解散、田英夫、阿部知子は社民党へ)
憲法みどり農の連帯(1995-?)→(翫正敏は新社会党へ)
(日本社会党より分裂)→市民リーグ(1995-1996)→(民主党へ参加)
(日本社会党より分裂)→護憲新党あかつき(1994-2009)→(上田哲はスポーツ平和党や社会党 (2000年)に同時に参加)→ (解散)
自由民主党(1955-)
(自由民主党より分裂)→新党さきがけ(1993-1998)→さきがけ(1998-2002)→(民主党に大半が移籍)→みどりの会議(2002-2004)→(解散)
(みどりの会議より分裂)→みどりのテーブル(2004-2008)→みどりの未来(2008-2012)→緑の党グリーンズジャパン(2012-)
(自由民主党より分裂)→新生党(1993-1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→自由党(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→新党みらい(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→高志会(1994)→(新進党へ参加)
民社党(1960-1994)→(新進党へ参加)
公明党(1964-1994)→(分裂)
公明新党(1994)→(新進党へ参加)
公明(1994-1998)→公明党(1998-)
社会民主連合(1978-1994)→(日本新党へ合流)
日本新党(1992-1994)→(新進党へ参加)
(連合の会(1989-1993))→民主改革連合(1994-1998)→(民主党へ参加)
新進党(1994-1997)→(解党)
太陽党(1996-1998)→(民政党へ参加)
フロム・ファイブ(1997-1998)→(民政党へ参加)
国民の声(1998)→(民政党へ参加)
新党友愛(1998)→(民主党へ参加)
自由党(1998-2003)→(民主党へ合流)
(自由党より分裂)→保守党(2000-2002)→保守新党(2002-2003)→(自由民主党へ合流)
(保守党より分裂)→保守クラブ(2002)→(自由民主党へ合流)
改革クラブ(1998-2002)→(解党)
新党平和(1998)→(公明党へ参加)
黎明クラブ(1998)→(公明へ合流)
民主党(1996-1998)→民主党(1998-2016)
民政党(1998)→(民主党へ参加)
2005年以降[編集]
日本共産党(1945-)
自由民主党(1955-)
(自由民主党より分裂)→国民新党(2005-2013)→(解党)
(自由民主党より分裂)→新党日本(2005-2015)→(政党要件喪失、解党)
(自由民主党より分裂)→たちあがれ日本(2010-2012)→太陽の党(2012)→(日本維新の会へ合流)→太陽の党(2014-2015)→(次世代の党へ合流)
社会民主党(1996-)
民主党(1998-2016)→民進党(2016-2018)→国民民主党 (2018-2020)→(解党)
(民主党より分裂)→改革クラブ(2008-2010)→新党改革(2010-2016)→(解党)
(民主党より分裂)→大地・真民主党(2011-2012)→新党大地・真民主(2012)→新党大地(2012)→(新党大地へ移管)
(民主党より分裂)→新党きづな(2011-2012)→(国民の生活が第一へ合流)
(民主党より分裂)→国民の生活が第一(2012)→(日本未来の党へ合流)
(民主党より分裂)→みどりの風(2012-2013)→(解党)
(民進党より分裂)→立憲民主党(2017-2020)→(解党し、国民民主党や無所属の議員も参加)→立憲民主党(2020-)
(国民民主党 (2018-2020)の解党)→民主党(2020)→(立憲民主党(2020-)へ参加)
(国民民主党 (2018-2020)の解党)→国民民主党(2020-)
公明党(1998-)
新党大地(2005-)
みんなの党(2009-2014)→(解党)→日本を元気にする会(2015-2018)→(解党)
(みんなの党より分裂)→結いの党(2013-2014)→(維新の党へ参加)
日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)
減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)
日本維新の会 (2012-2014)→維新の党(2014-2016)→(民進党へ参加)
(日本維新の会より分裂)→次世代の党(2014-2015)→日本のこころを大切にする党(2015-2017)→日本のこころ(2017-2018)→(自由民主党へ合流)
(維新の党より分裂)→おおさか維新の会(2015-2016)→日本維新の会 (2016-)
(維新の党より分裂)→改革結集の会(2015-2016)→(民進党へ参加)
反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)
日本未来の党(2012)→(分裂)
生活の党(2012-2014)→生活の党と山本太郎となかまたち(2014-2016)→自由党 (2016-2019)→(国民民主党へ合流)
(自由党より分裂)→れいわ新選組(2019-)
日本未来の党(2012-2014)→(みどりの風へ合流)
希望の党(2017-2018)→(分裂)
国民党(2018)→(国民民主党へ参加)
希望の党 (2018-、現在は政治団体)
NHK受信料不払い党(2013)→NHKから国民を守る党(2013-)(※2019年に政党化)