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蓮實 重彥

2019-09-15 02:17:31 | 🇫🇷文学
1930~50年代[edit source]
1936年 - 東京府(現・東京都)麻布区(現・港区)六本木町(現・六本木)に生まれる。父は美術史家の蓮實重康。
1943年 - 学習院初等科へ入学。
1949年 - 学習院中等科へ進学。一年生のころに「同窓の三島由紀夫の『仮面の告白』などを読み、その運動神経のなさを軽蔑する」[1]。陸上競技部に入り、円盤投げで新宿区で優勝。東京都では5位になった。
1952年 - 学習院高等科へ進学。
1955年 - 大学受験に失敗。研数学館で浪人生活を送る。
1956年 - 東京大学教養学部文科二類(現・三類)へ入学。
1958年 - 東京大学文学部仏蘭西文学科へ進学。
1970年代[edit source]
1970年4月、東京大学教養学部講師に就任。立教大学非常勤講師を併任し映画表現論を担当。また、同年より蓮實の翻訳した『ゴダール全集』『ゴダール全シナリオ集』(柴田駿監訳)、『ゴダール全エッセイ集』(柴田駿監訳、保苅瑞穂との共訳)の刊行が開始。
1971年 - パリ第7大学に日本語教師として着任。約1年間をパリで過ごす。
1973年7月、翻訳したジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』が刊行される。
1974年、『批評あるいは仮死の祭典』刊行。
1975年 - 東京大学教養学部で映画論ゼミを開講。
1977年5月、『反=日本語論』刊行。
1978年、『反=日本語論』で第29回読売文学賞を受賞[2]。2月、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』刊行。10月、『夏目漱石論』刊行。
1979年には1月『蓮實重彦の映画の神話学』、2月『映像の詩学』、5月『シネマの記憶装置』、6月には山田宏一と共訳したフランソワ・トリュフォー『映画の夢 夢の批評』、10月『「私小説」を読む』、11月『表層批評宣言』、12月にも山田と共訳したトリュフォー著『わが人生 わが映画』を刊行。
1980年代[edit source]
1985年、『表層批評宣言』刊行。9月、『話の特集』での連載をまとめたもので、単行本全体がワンセンテンスから成る『シネマの煽動装置』を刊行。
2000年代[edit source]
2002年11月から翌年2月にかけて、仙台市青葉区のせんだいメディアテークにて連続講演「蓮實重彦 映画への不実なる誘い」を行う。第1回「映画における国籍」2002年11月23日、第2回「映画における演出」2002年11月24日、第3回のための参考上映『映画史』("HISTOIRE(S) DU CINEMA")2003年2月9日、第3回「映画における歴史」2003年2月15日。この講演に関連して、「さまざまな角度から<映画の21世紀>に光をあてるべく」、ホームページ『あなたに映画を愛しているとは言わせない』が開設された。
2004年秋より季刊『InterCommunication』にて連載開始。
2007年3月、『「赤」の誘惑 フィクション論序説』を発表[3]。秋、『InterCommunication』での連載が終了。3年におよんだ連載は翌年11月に刊行される『ゴダール マネ フーコー―思考と感性とをめぐる断片的な考察』にまとめられる。
2008年、7年ぶりとなる批評集『映画崩壊前夜』を発表する[4]。
2010年代[edit source]
2014年、大著『「ボヴァリー夫人」論』が刊行された[5]。
2016年、小説『伯爵夫人』で第29回三島由紀夫賞を受賞した[6]。
エピソード[edit source]
立教大学非常勤講師時代の「映画表現論」の教え子として映画監督の黒沢清、青山真治[7]、周防正行、ロックミュージシャンの佐野元春[8]などがいる。
三島由紀夫賞受賞の記者会見において不機嫌であったことから、受賞を喜んでいるかと記者から問われると、「はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております」と答え、いしいしんじのような若手が受賞に相応しいとし、自分を選んだことを「暴挙」とまで言い放った。記者から、蓮實自身が80歳の黒田夏子を早稲田文学新人賞に選び、次いで黒田が芥川龍之介賞を受賞したことを問われると、年齢的な若さの話をしてるのではなく、黒田自身も作品も若々しいので一切問題ないと答えた[9]。
この蓮實の受賞会見を受け、6年前に同じ賞を受賞した東浩紀は、事前に主催者側から「もし受賞したらお受けするつもりはありますか」という念押しの電話がかかってくることを明かした上で、蓮實の態度を「何十年も繰り返されてきた『芸風』」だとして、「かっこ悪いからやめればいいのに」という意見を自身のTwitterで述べた[10]。辻仁成も、受賞者には必ず出版社から事前に確認連絡が来ることを指摘し、本当に迷惑ならばその段階で辞退するべきだったとして、蓮實が予め受賞を受け入れながら「はた迷惑」だと言うことこそ「暴挙」であり、「若手に失礼」だと自身のTwitterでコメントした[11][12]。蓮實のインタヴューを受けたこともある北野武は、『新・情報7days ニュースキャスター』で「いいねぇ、蓮實さん。切れ味鋭いねぇ」と述べて、この会見を称賛した[13]。石原千秋は『産経ニュース』の「文芸時評」において、蓮實の言葉には「私を作家として扱うな」と「質問するなら私の本ぐらい読んでおけ」という2つのメッセージが込められているのだろう、と分析した[14]。
著書[edit source]
『批評あるいは仮死の祭典』せりか書房、1974
『反=日本語論』筑摩書房、1977 (読売文学賞受賞)。のちちくま文庫、ちくま学芸文庫
『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』朝日出版社、1978 のち河出文庫
『夏目漱石論』青土社、1978 のち福武文庫、講談社文芸文庫
『蓮實重彦の映画の神話学』泰流社、1979、のち『映画の神話学』ちくま学芸文庫
『映像の詩学』筑摩書房、1979 のちちくま学芸文庫
『表層批評宣言』筑摩書房、1979 のちちくま文庫
『「私小説」を読む』中央公論社、1979、のち講談社文芸文庫
『大江健三郎論』青土社、1980
『事件の現場 言葉は運動する』朝日出版社、1980
『小説論=批評論』青土社、1982(のち改題『文学批判序説 小説論=批評論』、河出文庫)
『映画 誘惑のエクリチュール』冬樹社、1983 のちちくま文庫
『監督 小津安二郎』筑摩書房、1983(仏語・韓国語訳刊)、増補版2003。のちちくま学芸文庫
『物語批判序説』中央公論社、1985 のち新版、中公文庫
『シネマの記憶装置』フィルムアート社、1985 1997年2月に新装版刊行
『マスカルチャー批評宣言 物語の時代』冬樹社、1985
『映画はいかにして死ぬか 横断的映画史の試み』フィルムアート社、1985
『シネマの煽動装置』話の特集、1985
『凡庸さについてお話させていただきます』中央公論社、1986
『陥没地帯』(小説)哲学書房、1986 のち河出文庫
『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』青土社、1988(芸術選奨文部大臣賞受賞)、のちちくま学芸文庫・講談社文芸文庫、各上下
『映画からの解放 小津安二郎『麦秋』を見る』河合ブックレット、1988
『小説から遠く離れて』日本文芸社、1989 のち河出文庫
『饗宴』1-2(対談集)日本文芸社、1990
『帝国の陰謀』日本文芸社、1991
『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』筑摩書房、1993
『映画巡礼』マガジンハウス、1993
『絶対文藝時評宣言』河出書房新社、1994 のち河出文庫
『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社、1994
『オペラ・オペラシオネル』(小説)河出書房新社、1994
『映画に目が眩んで 口語篇』中央公論社、1995
『知性のために 新しい思考とそのかたち』岩波書店、1998
『齟齬の誘惑』東京大学出版会、1999
『映画狂人シリーズ』(全10巻)
映画狂人日記 河出書房新社、2000
映画狂人、神出鬼没 河出書房新社、2000
帰ってきた映画狂人 河出書房新社、2001
映画狂人、語る。 河出書房新社、2001
映画狂人、小津の余白に 河出書房新社、2001
映画狂人シネマ事典 河出書房新社、2001
映画狂人シネマの煽動装置 河出書房新社、2001
映画狂人のあの人に会いたい 河出書房新社、2002
映画狂人万事快調 河出書房新社、2003
映画狂人最後に笑う 河出書房新社、2004
『私が大学について知っている二、三の事柄』東京大学出版会、2001
『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』NTT出版、2004
『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』青土社、2004
『魅せられて 作家論集』河出書房新社、2005
『ゴダール革命』筑摩書房、2005
『表象の奈落 フィクションと思考の動体視力』青土社、2006
『「赤」の誘惑 フィクション論序説』新潮社、2007
『ゴダール・マネ・フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』NTT出版、2008
『映画崩壊前夜』青土社、2008
『映画論講義』東京大学出版会、2008
『随想』新潮社、2010
『映画時評2009-2011』講談社、2012
『「ボヴァリー夫人」論』筑摩書房、2014 
『「ボヴァリー夫人」拾遺』羽鳥書店、2014
『伯爵夫人』新潮社、2016
共編著[edit source]
『オールド・ファッション-普通の会話-(東京ステーションホテルにて)』江藤淳との対談 中央公論社、1985、中公文庫 1988
『シネマの快楽』武満徹との対談 リブロポート、1986、河出文庫、2001
『闘争のエチカ』柄谷行人との対談 河出書房新社、1988、河出文庫、1994
『映画千夜一夜』淀川長治、山田宏一との鼎談 中央公論社、1988、中公文庫(上下)、2000
小津安二郎物語 厚田雄春共著 筑摩書房、1989(リュミエール叢書)
読売巨人軍再建のための建白書 草野進・渡部直己 1989(角川文庫)
成瀬巳喜男の設計 美術監督は回想する 中古智共著 筑摩書房、1990(リュミエール叢書)
シネクラブ時代 淀川長治共編 フィルムアート社、1990
光をめぐって 映画インタビュー集 編著 筑摩書房、1991(リュミエール叢書)
ミシェル・フーコーの世紀 渡邊守章共編 筑摩書房、1993
いま、なぜ民族か 山内昌之共編 東京大学出版会〈UP選書〉、1994
誰が映画を畏れているか 山根貞男共著 講談社、1994
リュミエール元年 ガブリエル・ヴェールと映画の歴史 編著 筑摩書房、1995
文明の衝突か、共存か 山内昌之共編 東京大学出版会〈UP選書〉、1995
地中海終末論の誘惑 山内昌之共編 東京大学出版会〈UP選書〉、1996
われわれはどんな時代を生きているか 山内昌之共著 講談社現代新書、1998
20世紀との訣別 歴史を読む 山内昌之共著 岩波書店、1999
蓮實養老縦横無尽 学力低下・脳・依怙贔屓 養老孟司 哲学書房、2001
傷だらけの映画史 ウーファからハリウッドまで 山田宏一との対談 中公文庫、2001
「知」的放蕩論序説 共著 河出書房新社、2002
国際シンポジウム小津安二郎 山根貞男・吉田喜重共編 朝日選書、2004
成瀬巳喜男の世界へ リュミエール叢書 山根貞男共編 筑摩書房、2005
国際シンポジウム溝口健二 山根貞男共編著 朝日選書、2007
ユリイカ 詩と批評臨時増刊号 総特集蓮實重彦 2017年10月号、青土社
翻訳[edit source]
人生論書簡(フロオベール)世界人生論全集 第10 筑摩書房、1963
フローベール全集 第8 書簡 第1 平井照敏共訳 野を越え・磯を越えて(抄) 筑摩書房、1967
去年マリエンバートで・不滅の女 アラン・ロブ=グリエ 天沢退二郎共訳 筑摩書房、1969
ゴダール全集 1–4 柴田駿 竹内書店、1970-71
世界文学全集 フロオベエル 三つの物語 講談社、1971
『マゾッホとサド』ジル・ドゥルーズ 晶文社、1973
『フーコーそして / あるいはドゥルーズ』フーコー、ドゥルーズ 小澤書店、1975
映画の夢夢の批評 フランソワ・トリュフォー 山田宏一共訳 たざわ書房、1979
映像の修辞学 ロラン・バルト 杉本紀子共訳 朝日出版社、1980(エピステーメー叢書)
トリュフォーそして映画 山田宏一共訳 話の特集、1980
『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』山田宏一共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコックなど。晶文社、1981
映画[edit source]
『ドキュメント黒澤明 A・K』クリス・マルケル、1985(ナレーションを担当)『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明ザ・マスターワークス補完映像集』に収録
編集[edit source]
リュミエール - 1985年より1988年の廃刊(14号)まで従事。
ルプレザンタシオン - 高橋康也・渡辺守章・蓮實が編集を行った。全5号。
1991年春号(001―「特集:なぜ、いま<表象>か」高橋・渡辺・蓮實による討議。ジル・ドゥルーズ、中沢新一、山田登世子らが寄稿)
1991年秋号(002―「特集:<表象>の舞台」)
1992年春号(003―「特集:狂気/身体/表象」ミシェル・フーコー、スラヴォイ・ジジェク、香山リカ、如月小春、ブルーノ・タウトらが寄稿。荒川修作×小林康夫、古井由吉×松浦寿輝の対談。特別インタビュー:北野武=ビートたけしVS蓮實重彦「こんどは意外に真剣にやるかもわかんねえな」)
1992年秋号(004―「特集:慎み、ポルノグラフィックに」)
1993年秋号(005―「特集:政治と批判」松浦寿輝「折口信夫論」、ミシェル・フーコー「啓蒙とは何か」、ジャン=リュック・ゴダール ロングインタビュー「一九九二年十二月二日、ある水曜日のこと」。中井久夫、守中高明、石光泰夫、石井康史、入沢康夫らが寄稿。浅田彰・大澤真幸・松浦寿輝・小林康夫による討議「ポリティックスの新しい地平」)


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