アラビア文字と言語[edit source]
現在、表記にアラビア文字を使う言語は、アラビア語、ペルシア語、ダリー語、クルド語、パシュトー語、バローチ語、アゼルバイジャン語(主にイラン領で)、シンド語、ウルドゥー語、カシミール語、パンジャブ語(主にパキスタン領で)、ウイグル語、カザフ語(主に中国領で)、キルギス語(主に中国領で)、ベルベル語、マレー語(主にブルネイ、そしてマレーシアやインドネシアでは、ムスリム向けのメディアや宗教関係)、モロ語(英語版)(主にフィリピンのモロ族)、ジャウィ語、バルティー語(英語版)などである。
表記がアラビア文字からラテン文字に変更された言語は、トルコ語、マレー語、インドネシア語、スワヒリ語などがある。これらの言語で文字改革が行われた理由は、日常生活からのアラビア文字の排除による脱イスラム化・西欧化を狙うといった動機によるほか、簡略な表記体系による識字率の向上をはかり、さらに母音を表記しやすくなるという論理を掲げたこともある。しかし、アラビア文字を改良して母音表記を徹底し、簡略な表記体系を作り上げることに成功した事例もあるため、実際は言語学的な事実よりも、『ヨーロッパ=進歩的』という観念に基づいた発想によってアラビア文字が敬遠された面が大きい。これらの言語でも、ラテン文字化へとすんなり舵を切ったわけではなく、アラビア文字を改良して、自言語に完全適用した文字体系にすることで効率のよい表記を達成しようとしたグループも存在した。
マレー・インドネシア語、スワヒリ語など、多くの言語では、政府公用の表記法がラテン文字に変わっただけで、民間や宗教関係ではアラビア文字も継続して使用されたし、私的な教授や伝承、使用については特に弾圧も受けなかった。またマレーシアでは、マレー語のアラビア文字表記もラテン文字表記に一歩譲るものの、学校で第2正書法として教授されている。しかしトルコのみはアラビア文字による出版物を禁止することで、アラビア文字の使用そのものを断ち切る形でラテン文字化を遂行した。現在でもトルコでは、この時定められたトルコ語表記用のラテン文字29文字以外の文字を用いた出版物を禁止しており、アラビア文字によるトルコ語表記のみならず、クルド語への弾圧の道具にもなっている[5]。
チェチェン語、タタール語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語、ウイグル語、ウズベク語、タジク語、ドンガン語などの旧ソ連内のムスリム(イスラム教徒)の諸民族の言語の表記にはロシア革命直後に一時ラテン文字化が試みられたが、スターリンの粛清が始まるとロシア語にならったキリル文字に改められた。なお、当初はラテン文字ではなく、ロシア連邦内のムスリムの間では、アラビア文字を改良して用いるべきという案を唱える知識人も多かった。現在でも、公式の文字表記はラテン文字やキリル文字であっても、アラビア文字も民間や宗教関係で使用され続けている。
アゼルバイジャン語、トルクメン語、ウズベク語、タタール語などはソ連崩壊後、さらにラテン文字への再切り替えが進められている。
また中国のウイグル語等のムスリム達少数民族の言語は、かつてはソ連の影響でキリル文字化が図られ、中ソ国境紛争後はさらにソ連との違いを明らかにするためにピンイン風のラテン文字正書法が行われたが、1980年代の民族政策の転換によりアラビア文字が復活された。なお、現在のウイグル語で用いるアラビア文字はアリフ、ワーウなどに点を付加した文字を用い、8つある母音の全てを書き分ける独特なものである。
また、中国に住んでいる中国語(漢語)を話すムスリム(回民、現在の回族)は、アラビア文字で口語体の漢語を書き記すことがあった。このアラビア文字表記の漢語を小児経(小児錦とも)といい、クルアーンなどの経典の注釈に使われて印刷もされたほか、手紙や日記などの個人的用途に使われた。現在でも回族が集中的に居住する寧夏や甘粛では小児錦が部分的に使われているという。また、旧ソ連に移住した回民はドンガン人と呼ばれるようになるが、ドンガン語と呼ばれる彼らの話す漢語の一種もかつてはアラビア文字で書かれていた。また、中国国内のドンシャン族とサラール族も、アラビア文字による自言語表記を行っている。
スペイン語も、主に国内のイスラム教徒の間においてアラビア文字で書かれたことがある。
アラビア文字はもともと子音のみで語根が決まるセム系言語のために作られた文字であった、同じセム系文字を起源とするヨーロッパのアルファベットが文字の転用により母音を全て書き分ける方向に向かったのに対し、アラビア文字はそのような発展をしなかった。セム系言語に限れば、文脈で母音の読み方はほぼ決定するため、アラビア文字は合理的な文字といえる。しかしセム系言語とはまったく違った言語的特徴を有するペルシア語、ヒンドゥスターニー語、トルコ語(オスマン語)、マレー語などに導入された際はこの特徴が逆に不便と考えられることが多い。実際にはこれらの言語でもアラビア文字の改良は主として子音の追加、転用にとどまり、母音の完全な表記へと進むことは少なかった。母音の完全表記に至ったのはウイグル語やクルド語等である。
現在、表記にアラビア文字を使う言語は、アラビア語、ペルシア語、ダリー語、クルド語、パシュトー語、バローチ語、アゼルバイジャン語(主にイラン領で)、シンド語、ウルドゥー語、カシミール語、パンジャブ語(主にパキスタン領で)、ウイグル語、カザフ語(主に中国領で)、キルギス語(主に中国領で)、ベルベル語、マレー語(主にブルネイ、そしてマレーシアやインドネシアでは、ムスリム向けのメディアや宗教関係)、モロ語(英語版)(主にフィリピンのモロ族)、ジャウィ語、バルティー語(英語版)などである。
表記がアラビア文字からラテン文字に変更された言語は、トルコ語、マレー語、インドネシア語、スワヒリ語などがある。これらの言語で文字改革が行われた理由は、日常生活からのアラビア文字の排除による脱イスラム化・西欧化を狙うといった動機によるほか、簡略な表記体系による識字率の向上をはかり、さらに母音を表記しやすくなるという論理を掲げたこともある。しかし、アラビア文字を改良して母音表記を徹底し、簡略な表記体系を作り上げることに成功した事例もあるため、実際は言語学的な事実よりも、『ヨーロッパ=進歩的』という観念に基づいた発想によってアラビア文字が敬遠された面が大きい。これらの言語でも、ラテン文字化へとすんなり舵を切ったわけではなく、アラビア文字を改良して、自言語に完全適用した文字体系にすることで効率のよい表記を達成しようとしたグループも存在した。
マレー・インドネシア語、スワヒリ語など、多くの言語では、政府公用の表記法がラテン文字に変わっただけで、民間や宗教関係ではアラビア文字も継続して使用されたし、私的な教授や伝承、使用については特に弾圧も受けなかった。またマレーシアでは、マレー語のアラビア文字表記もラテン文字表記に一歩譲るものの、学校で第2正書法として教授されている。しかしトルコのみはアラビア文字による出版物を禁止することで、アラビア文字の使用そのものを断ち切る形でラテン文字化を遂行した。現在でもトルコでは、この時定められたトルコ語表記用のラテン文字29文字以外の文字を用いた出版物を禁止しており、アラビア文字によるトルコ語表記のみならず、クルド語への弾圧の道具にもなっている[5]。
チェチェン語、タタール語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語、ウイグル語、ウズベク語、タジク語、ドンガン語などの旧ソ連内のムスリム(イスラム教徒)の諸民族の言語の表記にはロシア革命直後に一時ラテン文字化が試みられたが、スターリンの粛清が始まるとロシア語にならったキリル文字に改められた。なお、当初はラテン文字ではなく、ロシア連邦内のムスリムの間では、アラビア文字を改良して用いるべきという案を唱える知識人も多かった。現在でも、公式の文字表記はラテン文字やキリル文字であっても、アラビア文字も民間や宗教関係で使用され続けている。
アゼルバイジャン語、トルクメン語、ウズベク語、タタール語などはソ連崩壊後、さらにラテン文字への再切り替えが進められている。
また中国のウイグル語等のムスリム達少数民族の言語は、かつてはソ連の影響でキリル文字化が図られ、中ソ国境紛争後はさらにソ連との違いを明らかにするためにピンイン風のラテン文字正書法が行われたが、1980年代の民族政策の転換によりアラビア文字が復活された。なお、現在のウイグル語で用いるアラビア文字はアリフ、ワーウなどに点を付加した文字を用い、8つある母音の全てを書き分ける独特なものである。
また、中国に住んでいる中国語(漢語)を話すムスリム(回民、現在の回族)は、アラビア文字で口語体の漢語を書き記すことがあった。このアラビア文字表記の漢語を小児経(小児錦とも)といい、クルアーンなどの経典の注釈に使われて印刷もされたほか、手紙や日記などの個人的用途に使われた。現在でも回族が集中的に居住する寧夏や甘粛では小児錦が部分的に使われているという。また、旧ソ連に移住した回民はドンガン人と呼ばれるようになるが、ドンガン語と呼ばれる彼らの話す漢語の一種もかつてはアラビア文字で書かれていた。また、中国国内のドンシャン族とサラール族も、アラビア文字による自言語表記を行っている。
スペイン語も、主に国内のイスラム教徒の間においてアラビア文字で書かれたことがある。
アラビア文字はもともと子音のみで語根が決まるセム系言語のために作られた文字であった、同じセム系文字を起源とするヨーロッパのアルファベットが文字の転用により母音を全て書き分ける方向に向かったのに対し、アラビア文字はそのような発展をしなかった。セム系言語に限れば、文脈で母音の読み方はほぼ決定するため、アラビア文字は合理的な文字といえる。しかしセム系言語とはまったく違った言語的特徴を有するペルシア語、ヒンドゥスターニー語、トルコ語(オスマン語)、マレー語などに導入された際はこの特徴が逆に不便と考えられることが多い。実際にはこれらの言語でもアラビア文字の改良は主として子音の追加、転用にとどまり、母音の完全な表記へと進むことは少なかった。母音の完全表記に至ったのはウイグル語やクルド語等である。