池波正太郎は「必殺仕掛け人」シリーズが好きで読んでおり、先輩の加藤古志郎氏は、かなり読破されているようです。
本屋で見つけて読んだのですが、中には歴史の流れの中で、忍者の使命を全うしようとする者が大半ですが、そうでない主人公にひかれます。池波氏は「武士たるもの、何もすることがない。することがなくても支配階級ということなのだから、退屈と傲慢とが一緒になる。力をもてあましている。」と書いています。わたしは、池波氏の本がおもしろいとともに、こうした批判精神も好きなところです。
野呂栄太郎氏は「日本資本主義発達史」の中で「下級武士や足軽・卒などの大部分が、はじめから封地を有せず、たんち扶持米の給付を受けたにすぎなかったということは、原則封地を仲介とする人的結合にもとづくべき封建制度の本質と背馳するものとしてすでに、封建的結合を弛緩せしめ、その結合を稼働的たらしめた・・・・封建制度そのものの積極的意識的破壊力たらしむべく発展せしめたるゆえんである。」としています。
「たそがれ清兵衛」の主人公には生きて欲しかったのですが、主人公下級武士の生活とその矛盾の中で死んでいくほうが、映画としての真実なのでしょう。
本屋で見つけて読んだのですが、中には歴史の流れの中で、忍者の使命を全うしようとする者が大半ですが、そうでない主人公にひかれます。池波氏は「武士たるもの、何もすることがない。することがなくても支配階級ということなのだから、退屈と傲慢とが一緒になる。力をもてあましている。」と書いています。わたしは、池波氏の本がおもしろいとともに、こうした批判精神も好きなところです。
野呂栄太郎氏は「日本資本主義発達史」の中で「下級武士や足軽・卒などの大部分が、はじめから封地を有せず、たんち扶持米の給付を受けたにすぎなかったということは、原則封地を仲介とする人的結合にもとづくべき封建制度の本質と背馳するものとしてすでに、封建的結合を弛緩せしめ、その結合を稼働的たらしめた・・・・封建制度そのものの積極的意識的破壊力たらしむべく発展せしめたるゆえんである。」としています。
「たそがれ清兵衛」の主人公には生きて欲しかったのですが、主人公下級武士の生活とその矛盾の中で死んでいくほうが、映画としての真実なのでしょう。