JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

侵略戦争の意味 「新・日本共産党綱領を読む」と「日本文学史序説補講」

2011年01月08日 | Weblog
 ①なぜ、日本の侵略戦争を正当化する流れが強いのか?この問題意識がずっとあります。不破哲三氏の「新・日本共産党綱領を読む」は、明治維新後の日本は「主権が全面的に認められない弱い立場に置かれていました」どこから抜け出す道を「「弱い民族を支配する帝国主義的な国になることによって、大国の世界へ仲間入りしようーこういう道筋を見定めるのです。」と実に端的にその動機を解明し、野望を実行と事実から解明しています。
 大きな流れで、私の疑問の答えてくれた、書です。
 加藤周一氏の「日本文学し序説補講」では、「植民地主義帝国主義にすべっていく傾向」として解明しています。
 ②加藤周一セレクション5の「羊の歌その後」の中で、加藤氏は「一市民として、社会の周辺部にとどまった」「社会の周辺の暮らせば、影響力を失う、しかし精神の自由を最大にすることができる」「私は環境を変えるよりも、まず理解することを望んでいたのかもしれない」と自らの基本的立場を述べています。
 序説補講では「インサイダーとアウトサイダーー観察者の位置」として、「源氏物語」や「枕の草子」17世紀フランスの宮廷の周辺にいたモリエールやラシーヌを周辺的存在として、観察者だからできたという意味のことを言っています。(申し訳ありませんが、私市原は、こうした古典文学はまったく読んでません・だめです)
 観察者が、対象への影響を与えない立場だとしたら、加藤周一氏は、たんなる観察者ではなく、対象に社会発展の方向への多大な影響を与え続けた人物ではないでしょうか。(加藤氏は自らのマルクス主義の影響を否定していませんが、日本共産党については、宮本顕示・百合子氏などの反戦活動を高く評価する一方、マルクス主義という言いかたでの、問題も提起されています)
 この本を読んでもやはり、その時々の、自分も含めて、人々の困難の解決に主体的に立ち向かってきた(誤りもありましたが)日本共産党とその一員として、生きてきた人生への誇りをあらたにしました。