Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

天才

2020年06月25日 05時43分21秒 | エッセイ
    東大生がその知識、頭の良さを存分に披歴する
    「東大王」というテレビのクイズ番組がある。
    その知識のほどに浅学非才の我が身は、ただただ頭を下げるのみ。
    時に少々鼻白んでしまうこともある。
    「世の中には、頭の良い人がいるものだ」と感心するばかりだ。
      
      ~天才歌手・美空ひばりの「悲しい酒」をどうぞ~
 

「ギフテッド」と呼ばれる人たちがいる。
先天的に平均より高度な知的能力を持つ人で、
IQが130以上というのが一つの目安になっているとか。
Facebook創設者のマーク・ザッカーバーグしかり、
マイクロソフト創設者のビル・ゲイツしかりだ。
そんなギフテッドが日本に何と250万人。えっ、と驚いてしまった。
きょろきょろと周囲を見回せば、うーん、どうやらそんな人はいないな。

太田三砂貴さん   
    太田三砂貴さん。この人はIQが日本歴代最高の188なのだそうだ。
    1歳の後半でローマ字を、3歳の時には漢字を書き始め、
    小学生でアインシュタインの相対性理論を理解できたというから恐れ入る。
    現在、琉球大学の学生で学業のかたわら、
    芸能プロダクション・映画・番組制作・イベントの企画運営
    などを手掛ける会社を設立、多方面でその才能を発揮している。
                                                          
                                    大川翔さん
それから大川翔さん。9歳でカナダ政府からギフテッドに認定され、
14歳でカナダの5大学に合格したという天才だ。この逸材を巡り各大学が
高額の奨学金を提示して争奪戦を繰り広げたという。
現在、慶応大学大学院に在籍中。彼もまた、テレビ番組制作会社を設立している。

   まだまだ、天才たちはたくさんいるのだが、
   あえてもう一人紹介すると「ひふみん」と親しまれている
   棋士の加藤一二三さん。彼も天才だろう。
   中学生の14歳でプロ棋士となり、次々と史上最年少記録を塗り替え、
   「神武以来の天才」と呼ばれた。
   とにかく、その抜群の記憶力は信じがたい。プロ生活63年間における
   すべての対局の棋譜を間違いなく思い出せるというのだ。
   その加藤さんの後を藤井聡太7段が追っている。
   やはり中学生でプロ入りし、すでに2つのタイトル戦の挑戦権を勝ち取っている。
   彼もまた天才であろう。
            
                加藤一二三さんと藤井聡太7段
いやはや恐れ入るばかりだ。ただ、彼らには飛びぬけた存在であるがゆえの、
さまざまな悩みがあるようだ。
同級生からは「お前、宇宙人か」みたいに特別視され、
人間関係のストレスから体調を崩すなどし、
その結果不登校となってしまうケースも多いという。
NHKがギフテッドに関する番組を放送、
その中で彼らにアンケート調査したところ、
9割の人が何らかの生きづらさに悩んだと答えている。

   天才であっても、凡才であってもこの世を生きていくのはなかなかに難しい。

「龍踊り」が見られない!

2020年06月24日 05時40分34秒 | 思い出の記
   悲報だ。「長崎くんち」が今年はコロナウィルスによって中止になった。
   生まれ故郷・長崎の二大祭りと言えば、僕の心の中では、
   この「長崎くんち」と「精霊流し」だと思っている。
   それぞれが持つ賑わいの情景が、それこそ幼い日から肌に染み付いて離れない。

「長崎くんち」。これは市民の氏神・鎮西大社諏訪神社の祭礼行事で、
毎年10月7~9日の3日間行われる。踊りを奉納する踊り場が諏訪神社のほか、
市内3カ所に設けられ、決められた踊町が勇壮華麗な演し物を披露する。
その際、アンコールを意味する「モッテコーイ」の掛け声が、
場を最高潮に盛り上げるのだ。

   この380年の伝統行事が、今年は中止だと言うのだから、残念!と言うしかない。
   演し物の一番人気は、やはり「龍踊り」だろう。
   You Tubeから拾い、せめて雰囲気だけでも味合うことにした。
                (17分超あるので、お忙しい方はスルーしてください)
おっ、龍踊りをやっているこの場所は新地中華街そばの「みなと公園」だ。
僕はこの真ん前の所で生まれ、小学3年生まで住んでいた。
だから、この公園は僕ら子供たちの遊び場になっていた。懐かしい。
それから、画面にちょいちょい映る釣鐘、
これは「つりがね堂」という薬局のトレードマークみたいなもの。
実は、この家のお嬢さんが小学1、2年生の時の担任の先生だった。
それで、先生が登校される時は必ず「行くよー」と声をかけてくださり、
先生と手をつないで学校へ行ったものだ。
そんな、あれこれを思い出してしまった。
             
   もう一つの「精霊流し」、これは言うまでもなく、お盆の行事である。
   初盆を迎えた遺族が、故人の霊を弔うため、主に竹や板、ワラで手作りの船を造る。
   船はそれぞれの家により大小さまざまだが、8月15日の夕暮れ時になると、
   市中いたるところから、これら船が繰り出し、街中を練り歩く。        
   グレープ時代のさだまさしさんが、同名の曲を歌っているが、
   あのようなしんみりしたものではない。
   練り歩く時には、「チャンチャン、チャンチャン」と鉦を打ち鳴らし、
   「ド―イドイ」と掛け声をかける。爆竹の音は耳をつんざかんばかりだ。
   いちばんの見せ場となるのは、広場同然になる旧県庁前交差点。
   ここでは、大型船が次々と競うように曳き回されるのだ。
   その威勢のよさに、見ているこちらも心が囃される。
   そして、港や川などに設けられた流し場へ向かい、
   ここから故人を船と共に極楽浄土へ送り出す。

この精霊船は個人の家から出されるのが普通だが、町内会で出すところもある。
小学4、5年生頃だったと思うが、あの「チャンチャン、チャンチャン」の
鉦を打つ役を任されたことがある。子供心には大役であり、素直に嬉しかった。
             
   どうやら、この精霊流しは予定通り行われるらしい。
   ああ、久しく墓参りもしていないな。福岡の地で無事を祈る。

Stand By Me

2020年06月23日 05時38分25秒 | 思い出の記
   「Stand by Me」という歌がある。原曲はBen E Kingだが、
   いろんな歌手がカバーし、今なお歌われ続けている有名な曲だ。
   覚えやすいメロディとシンプルな歌詞。しかもメロディ・ラインが自然で、
   印象深い歌詞がストレートに伝わってくる。
   ヒット曲に欠かせない要素をすべて備え、1986年公開された
   同名の映画によってリバイバル・ヒットを成し遂げている。

Stand By Me • Theme Song • Ben E. King

よく、映画のために書かれた曲と思われがちだが、そうではない。
歌が最初にリリースされたのは1961年、
映画の公開は先に述べたように1986年だ。
だが、この歌と映画、見事なまでにマッチしている。
映画の原作は、あのモダン・ホラーの巨匠、
スティーブン・キングの小説「The Body」。
4人の少年が、行方不明になっている、ある少年の死体探しの旅に出る、
そんな青春とノスタルジアに満ちた成長ストーリーだ。
             
   だが、単にそれだけの話ではない。この映画には大人になって初めて
   よく理解できるメッセージが込められている。
   暇を持て余し、無駄な時間を過ごすばかりの少年たち。
   しかし、彼らは時として、少年同士では解決できない問題に直面することがある。
   でも、それに答えてくれるべき大人たちは、
   生活に追われ彼らの相手にはなってくれない。
   彼らは自分の行く末に明確な道を見い出せず、茫然としたまま、
   それでも大人になっていかなければならないのだ。
   自ら選択を迫られる瞬間に直面した時、やはり誰かの助けがいる。
   親をはじめ大人を頼れないとすれば、助けてくれるのは友人しかいない。
   「俺たちはいつも一緒だ」「お前なら大丈夫」─こう言ってくれる友だ。
   そんな友との友情は大人になっても変わらない。
   この映画は、そんなメッセージを込めているから、
   大人になって見ると、ひどく感動するのだろう。僕は2、3回見ている。

   そして、Ben E Kingの歌詞が、この映画にぴったりとくる。
           
         夜が訪れ あたりが闇に支配される時
      月明りしか見えなくなった
      恐れることなんてないさ 怖がる必要なんてどこにもない
      ただ君が暗闇の中ずっと 僕の側にいてくれたら
      ダーリン だから側にいてくれないか 
      僕の隣に 離れず ずっと近くにいて欲しいんだ

「ダーリン」は恋人をさすのだろうが、これを「フレンド」に置き換えればよい。


やはり南高梅

2020年06月22日 05時46分24秒 | エッセイ
           
   我が家では毎年、自家製の梅干し、ラッキョ、それに味噌が作られる。
   もちろん妻の手によるもので、こちらはもっぱら賞味係。

さて、今は梅干し漬けのシーズン。
これには、何といっても南高梅だろう。
梅生産量日本一の和歌山県を代表するブランド梅だ。
果実は大きく、その割に種は小さめ。
果皮にほんのり赤みがさし、果肉が柔らかい。
この南高梅を使用した梅干しはまさに最高級品とされ、
中国産など足元にも及ばない。

   全国各地で生産されているから、福岡県内はもちろん、あるいはちょっと
   足を延ばして隣県なんかでも手に入る。
   昨年は大分県日田市大山町で栽培された南高梅を使った。
   この大山町は、米作が奨励されていた1960年代、作業負担が小さく、
   収益性の高い梅や栗の栽培にいち早く切り替え成功したところだ。
   「梅栗植えてハワイに行こう」というユニークなキャッチフレーズを掲げ、
   これが、後の「一村一品運動」の原点になったとされている。
   今や大山町の基幹産物である。

妻は早速、大山町の生産・販売者に電話を入れていたが、ちょっと時期を逸したようだ。
ちょうどその時、テレビの地域番組で「道の駅たちばな」(福岡県八女市立花町)で
梅が大変な人気だと報じていた。
早速調べてみると、この立花地区には九州の梅の3名園の一つ・谷川梅林があり、
梅3万本を栽培するなど梅の生産に力を入れているそうだ。
この地区は小梅と南高梅を生産しており、
特に小梅を使った梅干しは全国コンクールで最優秀賞を獲得しているという話だ。
ただ、妻は南高梅にこだわっているようで、電話を入れて確認すると、
今日(6月20日)も農産物直売所に並ぶことが分かった。

                            九州の梅の3名園の一つ・谷川梅林

   国道3号線をひたすら南下する。ここはバイパスかと思えるほど
   スムーズに流れる所がある一方で、片側1車線の所も多く渋滞が続いた。
   高速道路を利用したら、おそらく半分の時間で行き着けたはずだが、
   結局2時間もかかってしまった。
             
                           道の駅たちばな
12時ちょっと過ぎにたどり着いたが、何と満車状態。
道の駅で満車というのはそうそうあるものではない。
やはり梅を求めてのことか。店内に入ると、梅は完売していた。
念のため店員さんに尋ねると、「もうすぐ午後の入荷があります。
しばらくお待ちください」とのことだ。
それほど待つことなく、あの南高梅が店頭に並んだ。人がわっと寄ってくる。
その中に妻もいる。幸い、5㌔買えたようだ。
梅が再び売り切れると、駐車場も着いた時の満車状態はすっかり解消していた。
「さあさあ、梅が痛まぬよう早く帰ろう」と思いつつ、
また2時間かけて国道3号線を引き返した。
          きっと、うまい梅干しが出来ることだろう。


涙もろくなった

2020年06月21日 05時40分09秒 | エッセイ
            雲上の一軒宿


     ここには3度泊まった。
     日本一広い高原台地を誇る美ヶ原高原(長野県松本市)、
     その最高峰・標高2034㍍の王ケ頭に建つリゾートホテルだ。
     ここから見下ろせば、四季折々の美ヶ原の自然を楽しめる。
     また2000㍍を超す山頂とあれば、周囲に遮るものはないから、
     東に富士山や八ヶ岳、浅間山、西に乗鞍岳や北アルプス、
     南に中央アルプスや南アルプス、北に妙高山を望むことができる。
     まさに360度の大パノラマが広がっている。

     ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂  ⁂

我ながら涙もろくなったなあと思う。
若い頃は、鼻でせせら笑ったテレビドラマ、
そのシーンと似たような場面に、今は涙がボロボロと流れ落ちてくる。
ちょっと恥ずかしいから、妻に気付かれぬよう流れるにままにするが、
見れば、その妻だって同じように涙を流している。

   2、3年前だったか、右目がいつも、いわゆる涙目になるものだから、
   それを指で拭っていたらヒリヒリと痛むようになってしまった。
   慌てて眼科クリニックに駆け込むと、「流涙症」という診断だった。
   涙腺から出た涙は外へ流れ出るか、あるいは目頭にある
   涙点という孔に吸い込まれ、
   鼻涙管というものを通って鼻腔に排泄されるそうだ。
   小さい頃、わんわん泣くと鼻がぐすぐすしたのは、そのせいだったのか。
   さて、この鼻涙管、これにはポンプ機能があるのだそうだ。
   ところが、年を取るとその機能が弱まり、鼻涙管が狭窄・閉鎖してしまうという。
              
クリニックで涙点から細くて長い針のようなものを差し込み調べてみると、
やはり鼻涙管が詰まっていた。それで鼻腔に流れず、
いつも涙目の状態になっていたわけだ。
「治療には手術という方法がありますが、正直なところ、これは痛いですよ」
医師にすっかり脅され、「先生、何とか手術しないで済みませんか」
と哀願するような表情をしたら、「では点眼薬を出しておきましょう」と、
いともあっさり処方箋を書いてくれた。
おかげで、しばらくしたら涙目状態は収まったが、
時々同じような症状が起きることがある。年のせい──半ば諦めている。

   この「流涙症」は加齢によって出てくる、まさに目の疾患であり、
   「涙もろくなる」とは、ちょっと意味合いが違う。
   そもそも涙には、2種類ある。
   目を乾燥やゴミから保護してくれる涙、それに感動して気持ちが動いて出る涙だ。
   「涙もろくなる」のは、喜怒哀楽いずれかの感動による。
   高齢になるほど、その感動に敏感になり、結果「涙もろくなる」のだ。

なぜ、年を取るとそうなるのか。ある大学教授がこんなふうに説明している。
「年を取れば取るほど、それだけ多くの人生経験を積みますよね。
それで共感できるポイントが増えるわけです。若い時は共感ポイントが少なく、
したがって感動することも少ない。そういうことです」
「加えますと、年を取ることによって脳のブレーキが緩みやすくなる。
これが涙もろくなる決定的な理由だと思います」
               
なるほど、長く生きていれば喜怒哀楽さまざまに多く経験する。
朝ドラを見ていて、嫁に出した娘を亡くした両親の嘆き悲しむシーンがあった。
自分が親となり、娘を育ててみれば、テレビのシーンは我がことのように思えるはずだ。
つまり、親になり娘を育てた経験を積んだからこそ、
ドラマの中で嘆き悲しむ親の気持ちに共感できるわけだ。
挙句、みっともないほどに声を殺して涙を流す。
おそらく独身時代だと、それほどの感動を覚えないだろう。

   ここで、気を付けなければならないこともある。
   そんな感情にいったん陥ると脳のブレーキが利かなくなる、これが怖い。
   涙もろくなること自体は、別に問題ではない。
   「ブレーキがきかず、キレる老人が多くなっている」というのだ。
   そんなことを何かで読んだ記憶がある。
   年を取ると、何とも厄介なことが次々と出てくるものだ。