小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

解かされた封印、米軍カメラマンが見たナガサキ:

2013年08月16日 | 社会戯評
解かされた封印、米軍カメラマンが見たナガサキ:
たまたま、フェース・ブックを見ていたらある人のシェアーの中に、気になるYou Tubeを発見したので、見てみた、48分程のものであるが、なかなか、興味深い内容である。
もう既に、戦後も、約70年の歳月が、過ぎ去ってしまった。戦争を直接・間接に体験した世代も、既に、鬼籍に入ったり、今や、入ろうとしている段階にさしかかって来つつある。流石の日本遺族会も、子供や孫の世代に、活動の参加枠を拡げないと組織自体が、成立しない段階になりつつある。亡くなった父の戦友会もとうの昔に、なくなってしまった。これは、何も日本に限ったことではなく、このフィルムの元米軍海兵隊カメラマンも、同じである。歳月は、勝者にも敗者にも均しく、待ったなしに、時間は無慈悲に過ぎ去ってしまう事実を迫りつつある。被爆地、ナガサキの記録を冷徹に撮影することを軍からの任務と課せられたこの人物は、その中に、次第に、グラウンド・ゼロの中にも、人間の生活が、現に存在していることに、気付かされ、やがて、軍の命令に反して、密かに、子供達や被災者に、カメラを向けるようになる。その中でも、死んでしまった弟を背負い、火葬場で、唇を食いしばりながら、哀しみに耐え、直立不動に、一点を見つめながら、その順番を待ち続ける一人の少年の姿に、感銘を受け、以後、何とか、探し出そうとしたが、結局、果たせず終いに終わってしまったと、原爆投下の正当性を信じて疑わなかった人間が、非人道的な被害を目の当たりにして、結局、自身も、原爆症の為に皮膚癌や骨の病に陥り、これを契機に、封印していた軍用トランクにしまい込んだ、家族にも、絶対に明けてはならないと命じていたフィルムを、公然と、米国内で公開することを決意するに至る。原爆が非人道的な兵器であることは、言を俟たないが、皮肉にも、このカメラマンは、ホワイトハウスで、戦後、原爆投下を命じたトルーマン大統領付きのカメラマンになり、その原爆投下の是非を質問したという。何とも、「歴史の皮肉」としか云いようがない。しかも、その彼の死が、何と、8月9日のナガサキ原爆投下の日であったとは、、、、、、何という巡り合わせだろうか?米国内世論の中にある原爆投下の正当性を信じてやまない人々からの批判と中傷にもかかわらず、(それにより、離婚もしてしまったのであるが)その遺志を継いで、活動に参加した息子は、やがて、来日して、ナガサキ原爆展示会で、写真を公開するに至る。戦後、米軍は、原爆に関する報道を規制したり、検閲を強化したものの、今や、非公開の戦後資料や密かに個人的に所有されている米軍資料などが、こうした形で、死を目に前にして、公開されて行く傾向は、徐々にでもあれ、増加して行くのではないだろうか?スノーデンによる情報漏洩ではないが、何処かで、機密情報は、何かのきっかけで、暴露されてしまう可能性は否定できない。それにしても、日本という国は、戦争を、或いは、災害ですら、記憶の中にとどめるための作業を怠っている国であることは、間違いなさそうである。死んでも、墓場までも、機密を待って行くと公言して憚らない政治家までいる以上、我々は、毎日、どのように、情報に接し、どのように、判断したらよいのであろうか?宣伝と教育は、原発でも原爆の正当性議論でも、どうやら、根は同じで、変わりはなさそうである。8/6, 8/9, 8/15と真夏の暑い時期に、必ず、毎年、我々は、考えさせられる。
少々、長いかも知れませんが、ご覧になる価値は充分あるかと思われます。この海兵隊カメラマン、並びに、その遺志を継いだご子息に敬意を表したいと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=wFvjKL-ObZQ