小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

秘密保護法案についておもう:

2013年11月26日 | 社会戯評
  秘密保護法案についておもう:
元々、この法案というモノは、日米間での軍事情報の共有を前提として、日本版NSCを創出する上で、米国から必要不可欠であると云う意味合いで、論議されていたものが、いつの間にやら、勿論、尖閣諸島での漁船衝突事件のビデオ公開問題も関係しているが、いずれにせよ、情報へのアクセス権やら、情報の公開、或いは、歴史事実や、外交政策過程の歴史的な検証が不可能になるのではないか、更には、治安維持法のような言論の取り締まり、国家機密として処理された沖縄返還のような機密事件など、取材・報道の自由や、国家の安全を決するような軍事機密情報、これまでのスパイ天国の取り締まりや、はては、原発の科学的な情報と原爆テロ対策の情報までもごちゃ混ぜにされたような広範な議論になりつつある。そのなかで、国家の安全・軍事機密も、日米同盟の軍事情報の共有という一点だけならば、自衛隊法や、関係法令で、得意の歴史的な拡大解釈ででも、対応は可能であるにも拘わらず、何故、それ程までに、そんなにも、拙速に、物事を採決まで、推し進めて行くのであろうか?法案の内容が不十分、不明確であると云う世論は、6割以上にも及ぶのは、恣意的な運用の歯止めがどうやら、ハッキリ言って、信用できないという本能的に何かきな臭さを嗅ぎつけているモノなのであるのかも知れない。それにしても、現役の若い人達は、これからの自分たちの人生の中で、将来、どのように影響するのか、不安ではないのか?どうも、我々、年寄りばかりが、心配や危険性やら、一部のジャーナリスト、防衛関係者、外交経験者達が、不十分であると、反対していても、そんな人間は、60年先まで、生きているわけではないし、、、、、、。これまでの「決められなかった政治」から、「何でも決められてしまう政治」に、一挙に、野党からの摺り寄りで、逆転されて、言論の府は、戦前でも、まだ、反軍演説とか、それなりの抵抗があったことを想い出すが、流石に、拡大解釈の危険も、今や、何処かへ消し飛ばされたような感じがなくは無い。そんなことで、今の現役の若い人達は、良しとするのであろうか?それとも、日常の生活に疲れて、消耗しきっているのであろうか?