スペインの写真家に、参禅の機会を授かる:
日本文化というものは、余りに、身近すぎて、わび・さびも、茶道も、習字も、そうであろうが、ましてや、いきなり、禅僧の話、Taisen Deshimaru を知っているか?と云われても、せいぜいが、鈴木大拙の名前ぐらいは、知っていても、曹洞宗に詳しくない限り、弟子丸泰仙なる人物が、欧州で、初めて、参禅が可能な実践的な禅道場を布教して、 Association of ZEN をパリに、設立し、その後も、北米・欧州で、禅道場の布教に尽力したなどと云うことは、知るよしもない。この影響からだろうか、ダダイズム系のスペインのこの写真家は、既に、墨染めの衣もチャンと事前に用意してきていて、参禅も他の我々日本人よりも、所謂、基本的な挨拶も含めた所作・振る舞いにも精通していたことには驚いてしまう。外人観光客に、改めて、日本文化への刮目を促されるとは、驚いてしまう。我々は、ひょっとすると、日本文化への理解などと云うものは、そんな程度なのかとも、自身も含めて、唖然とさせられてしまった。まずは、本堂で、お経を上げて戴き、別室で、参禅の基本的な説明と座り方、座禅の組み方等を、曹洞宗の若い住職と友人の僧侶に説明戴き、本来は、40分のところを、15分間、これを結局、2クール実施してもらうことになった。半畳先の畳を見つめて、背筋を伸ばして、指を開いて組み合わせ、瞑想すること、15分間、ジムで自転車を漕いでいれば、漕ぎながら、テレビでも観ながら、時間潰しに、体を動かすのであるが、それでも、15分間は、なかなかどうして、自転車でもご苦労様なことである。ましてや、瞑想で、頭の中を空っぽにする。組んだ脚も、指も、真っ直ぐに伸ばした背筋も、カチカチに、筋肉が固まり出す。さすがに、脊柱管狭窄症で腰を手術した人間にも、本来では、椅子の上での座禅というものもあると云うことであったが、今回は、座布団の上で、トライしてみた。呼吸法も、鼻から大きくゆっくりと吸い込み、口から、ゆっくり長く自然に吐き出すことで、頭の中を「無」にして行くのであるそうだ。意外と時間の経過は、あっけない程、短いものであった。参禅を終了してから、若い住職と共に、境内を案内して貰いながら、将来は、習字ならぬ、般若心経の写経とか、お茶会・野点、わび・さび文化の勉強、仏教美術品や歴史文化財の保存・修復などへのワークショップ方式による協力、連携を、若い僧侶や海外の観光客と共に、触媒としてでも、日本人として、考え直す作業を進めてゆきたいものであるとして、450年の歴史を有する玄江院を後にした。門前右手の廃仏毀釈で破壊されたであろう首をかしげた旧い石仏像や、成る程、寺の中心から一寸左にずれた正面玄関という佇まいも、説明されないと分からなかった。今度は、参禅と仏教美術鑑賞というのも、面白いかも知れない。又、ひとつ、新しい愉しみが出来た!リステランテ・エスパニョーラでは、せいぜいが、「セルベッサ、ポルファボール(ビール下さい)」くらいしか、通じなかったが、相手が英語を話せればもっと、詳しく説明出来たのであるが、、、、、、残念であったが、座禅の心は、少しでも理解して貰えただろうか?こちらも、もう少し、勉強しなければ、、、、、。
日本文化というものは、余りに、身近すぎて、わび・さびも、茶道も、習字も、そうであろうが、ましてや、いきなり、禅僧の話、Taisen Deshimaru を知っているか?と云われても、せいぜいが、鈴木大拙の名前ぐらいは、知っていても、曹洞宗に詳しくない限り、弟子丸泰仙なる人物が、欧州で、初めて、参禅が可能な実践的な禅道場を布教して、 Association of ZEN をパリに、設立し、その後も、北米・欧州で、禅道場の布教に尽力したなどと云うことは、知るよしもない。この影響からだろうか、ダダイズム系のスペインのこの写真家は、既に、墨染めの衣もチャンと事前に用意してきていて、参禅も他の我々日本人よりも、所謂、基本的な挨拶も含めた所作・振る舞いにも精通していたことには驚いてしまう。外人観光客に、改めて、日本文化への刮目を促されるとは、驚いてしまう。我々は、ひょっとすると、日本文化への理解などと云うものは、そんな程度なのかとも、自身も含めて、唖然とさせられてしまった。まずは、本堂で、お経を上げて戴き、別室で、参禅の基本的な説明と座り方、座禅の組み方等を、曹洞宗の若い住職と友人の僧侶に説明戴き、本来は、40分のところを、15分間、これを結局、2クール実施してもらうことになった。半畳先の畳を見つめて、背筋を伸ばして、指を開いて組み合わせ、瞑想すること、15分間、ジムで自転車を漕いでいれば、漕ぎながら、テレビでも観ながら、時間潰しに、体を動かすのであるが、それでも、15分間は、なかなかどうして、自転車でもご苦労様なことである。ましてや、瞑想で、頭の中を空っぽにする。組んだ脚も、指も、真っ直ぐに伸ばした背筋も、カチカチに、筋肉が固まり出す。さすがに、脊柱管狭窄症で腰を手術した人間にも、本来では、椅子の上での座禅というものもあると云うことであったが、今回は、座布団の上で、トライしてみた。呼吸法も、鼻から大きくゆっくりと吸い込み、口から、ゆっくり長く自然に吐き出すことで、頭の中を「無」にして行くのであるそうだ。意外と時間の経過は、あっけない程、短いものであった。参禅を終了してから、若い住職と共に、境内を案内して貰いながら、将来は、習字ならぬ、般若心経の写経とか、お茶会・野点、わび・さび文化の勉強、仏教美術品や歴史文化財の保存・修復などへのワークショップ方式による協力、連携を、若い僧侶や海外の観光客と共に、触媒としてでも、日本人として、考え直す作業を進めてゆきたいものであるとして、450年の歴史を有する玄江院を後にした。門前右手の廃仏毀釈で破壊されたであろう首をかしげた旧い石仏像や、成る程、寺の中心から一寸左にずれた正面玄関という佇まいも、説明されないと分からなかった。今度は、参禅と仏教美術鑑賞というのも、面白いかも知れない。又、ひとつ、新しい愉しみが出来た!リステランテ・エスパニョーラでは、せいぜいが、「セルベッサ、ポルファボール(ビール下さい)」くらいしか、通じなかったが、相手が英語を話せればもっと、詳しく説明出来たのであるが、、、、、、残念であったが、座禅の心は、少しでも理解して貰えただろうか?こちらも、もう少し、勉強しなければ、、、、、。