小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

講談、「難波戦記」を観る:

2015年12月03日 | 映画・テレビ批評

講談、「難波戦記」を観る:

旭堂南湖による、講談、「難波戦記」であるが、生の講談ではなくて、映画スクリーンでの観賞である。伝説の戦国武将、真田幸村、紅蓮の猛将の大坂の陣を舞台とする江戸時代より語り継がれてきた禁断の物語の口伝である。つまりは、江戸時代に、禁止されてしまった豊臣の歴史、或いは、家康にまつわる「不都合な歴史」の塗り替えに抗して、脈々と講談や口伝という形で、或いは、童歌として、歌い継がれた演題である。それにしても、古典落語にしても、講談にしても、よくもまぁ、こんなに、長いストーリーを、見事に、長い時間を掛けて、語れるものであることに、驚いてしまう。講談独特の「修羅場読み」という手法で、語られる言葉を聴いていると、もっとも、今回は、聴くと云うよりも、同時に、その仕草を観ることにもなるのであるが、観ながら、聴きながら、頭の中で、その情景を想像することは、おおいに、脳内、とりわけ、右脳を刺激することは間違いないところである。耳から入る言葉というものは、お経もそうかも知れないが、漢字を一度、頭の中で、作成しないと、なかなか、意味が、補足できないのが、現実である。頭の中に、拡がる、その色彩と、音と、臭いまでもが、「現実的な空間」として、頭の中の「仮想空間」に、拡がって行くものである。それにしても、釈台と呼ばれる高座におかれた机の前に座り、「張り扇」で、パンパン、パパンと、調子をとりながら、釈台を叩いて、語って行く仕草は、噺を聞かせると言うよりは、これでもか、これでもかと、聴き手に対して、語られる歴史上の人物が、まさに、眼の前に、迫ってくるような勢いがある。時代劇のヒーローというものは、そんな講談の世界から、まだ、メディア、エンタテイメントが、発達していなかった時代に、眼と耳から入ってくる講談は、落語と並んで、それなりの地歩を築いていたのであろうか?今日、映像は、視覚的な想像力を掻き立てるというよりは、むしろ、人間が有する想像力を削ぐくらいに、思われているが、当時は、逆に、耳から入ってくる講談の語り口は、確かに、想像を掻き立てたのかも知れない。ザンザザ、ザンザザ、チャッポン、チャッポン、コツン、コツンと、跫音だったり、竹筒に入った水の揺れる音だったり、或いは、槍を突きながら歩く様を、想像することは、決して、無駄なことではなさそうである。しかも、それが、色彩やら、動作を想像させるまでの表現力に満ちたものとなろうとは、驚きである。歴史に、もしもは、許されないものの、講談などは、むしろ、庶民の願望や虚しい期待が、裏返った形で、反映されたものなのかも知れない。だからこそ、逆説的に、庶民の心の底に、潜む判官贔屓や、弱いものへの荷担という形で、或いは、反権力という消極的な形での別の歴史を作り出してしまうものかも知れない。そう考えると、この講談の結末も、実に、面白い展開で有り、史実とは、異なるものに、興味を引かれる。今度は、これをきっかけにして、生の講談も聴いてみたいものである。