小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

俳優の芸名に於ける匿名性:

2016年03月17日 | 映画・テレビ批評

俳優の芸名に於ける匿名性:

もう昔、若い頃に、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』という本を読んでいたとき、後に、この著者が、実は、山本七平なる日本人であることを知らされて、驚いたことがある。勝手に、こちら側は、著者が、ユダヤ人のイザヤ・ベンダサンであると、考えてしまったものである。考えれば、芸名などは、俳優を含めても、実際、最近では、名は体を表さずに、イメージが、先行していて、パリーパミュパミュなどは、本名の日本人の高校生の名前を云われても、さっぱり、その顔とコスチュームとが、一致しないものである。成る程、テレビで、人気が出たディーン・フジオカなる俳優も、実は、日本人で、福島出身であるそうであり、しかも、独身かと思っていたら、既に、奥さんも双子の赤ん坊がいるらしいとは、驚きである。もっとも、この驚きとは、本人には、別に驚きでも何でも無いのであろうが、勝手に、受け手の方は、想像を巡らして、人物のイメージを作ってしまいがちである。その意味からすれば、名は体を表さなければ、匿名性というものは、逆に、その神秘性を俳優にとっては、実力以上の何か貴重な高付加価値をつけるような物なのかも知れない。広東語や北京語や英語を、操って、東南アジアを、股に掛けて、活躍する日本人というものも、逆輸入俳優や横文字の名前に、極めて、弱い日本人には、ピッタリなのかも知れない。そう考えると、バンドや俳優も、何も、少子化が進み、縮みゆく日本市場だけを対象にすることなく、一度、外国で、売り込んで、逆輸入してくる逆戦略をとることも、マーケティングには、必要なのかも知れない。Dean Fujiokaも、初めから、藤岡竜雄という本名であったら、今日ほど、露出が少なく、評価されていなかったかも知れないと思うと、面白いではないだろうか?