小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

熊本震災義援金の協力:

2016年05月26日 | 社会戯評

熊本震災義援金の協力:

阪神・淡路大震災の時には、義理の妹の神戸の実家が、崩壊して、当時90歳以上であったお爺さん夫婦が、生き埋めになって、何とか救助されたが、そんな長生きをして、怖い目に遭うなんて堪らないと、当時思った記憶がある。会社の同僚の実家やら、結局、義援金やら、様々な支援物資を送ったことを想い起こす。3.11の東日本大震災の時も、徒歩で、4時間以上かけて、携帯電話のテレビの画像を見ながら、自宅まで、帰宅したことをこちらも、想い出さずにはいられない。又、当時は、その前に、NZのクライストチャーチでの地震もあったりと、NZの取引先からは、支援の募金要請があって、こちらも又、義援金を海外送金したことを想い出す。こうして考えてみると、相互互助の精神ではないが、お互いさまで、持ちつ持たれつ、災害の時には、何らかの手を差し伸べるのが、災害や地震の多い日本では、やはり、当たり前なことなのであろう。そうしてみれば、父や祖母も、関東大震災の被災者であったことも、我が家の歴史の中では、記憶遺産に該当するかも知れない。今回は、義援金という形とは、異なり、版画作品を購入するという形で、その代金を全額、義援金として、寄附して貰うことにした。田植えも観ているだけの田植え参加で、せいぜいが、ロジスティックくらいしか、お手伝い出来ない以上、年寄りに出来ることと云えば、せいぜい、お金を寄附することくらいか、使って上げることくらいしか、出来ないのが、関の山であろう。まぁ、それでも、精神的な支援よりも多少は、役に立つかも知れない。何に、どう使われようが、税金の使途を監視する市民オンブズマンではないから、それは、宜しいであろう。購入した作品に、代わりに、作品の中に描かれたなまず様には、地震被害に合わないように、せいぜいが、守って貰うように、お祈りするしかないかな?