小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

解雇特区なるものに考える:

2013年09月30日 | 社会戯評
解雇特区なるものに考える:
厚労省までもが反対であるそうである。働き手を守る最低限度のルールは、全国一律であるべきであるという理由かららしい、いかにも、一見、労働者の権利と保護の力強い味方のような気がするものの、本当に、その真意は、そんなところにあるのであろうか?特区なるものは、所詮、今日の閉塞状況を打破するために、試行錯誤を重ねながら、実施するものであり、初めから、マスメディアの主張するごとき解雇権の乱用というものばかりではなかろう、なぜ、いつでも、独断的な予見に基づく、論調になってしまうのであろうか?まことに、残念である。もちろん、そういうことを最終的に、めざしているのではなくても、「力関係」次第では、確かに、そうなるとも限らないことは否定しえないであろう。しかしながら、それが、仮に、初めから、試されていたとしても、「運動」次第では、防げるわけであり、個々人の、それこそ、個人の心持と行動次第ではなかろうかとも思われるが、、、、、、、、、。いずれにせよ、個人的な私的な体験から、言わせてもらえれば、安定した組織の正社員の立場から、ある日、独立して、会社を立ち上げ、事業を起こそうと40数年前に、考えた時には、大きな組織の中には、そういう力を、今でいうところの「子会社」ででも、試してみようかという組織的な意思すらなかったのが、実状である。それにしても、失敗は自己責任であっても、業務委託契約による報酬ベースでの契約は、組織に馴染まないという理由で、結局、選択定年制を志願して、第一期生で、独立してしまった。その時の心情を鑑みると、大きな組織で、21年間働いていたので、気まぐれで辞めたわけではないということくらいは、他人にも理解されようとも考えた次第である。最終的には、自己責任なのであるが、若い人たちに、こういう小さな起業の機会の場すらもないこと自体が、日本の社会の今日的な問題点ではなかろうか?これまで、海外の貿易活動を通じて友人になったベトナム人でもアメリカ人でも、どの国の友人たちも、多かれ少なかれ、独立して、個人での事業を立ち上げて、それなりに、メシが、食えているのは、どうしたものだろうか?一体、何が、その志において、違うのであろうか?税制なのであろうか?起業できない日本固有の雇用システムなのであろうか?本当に、解雇できないからなのであろうか?亡くなってしまった松下幸之助や本田総一郎や井深大にでも、一言、どう考えているのかを尋ねてみたいところである。労働者の権利と保護は、今までの労働協約でも、詳細を煮詰めれば、できないことではなかろうにとも思われるが、、、、、、いつも、何でもかんでも、反対では、一向に、試行錯誤すらできない状況が続きかねないが、、、、、、、、。本当は、解雇したい人間が、解雇できないのではなくて、独立・起業したい若い人たちが、できない何かが、問題なのではないだろうかとも思う。


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