農民資料館を作ってみよう:
玄関の前に、大きな凹を逆さにしたような門がある。その両側には、昔、漬け物用に使用された六畳ほどの部屋が一階にある。今では、物置小屋のように、様々なモノが詰まっている。たまたま、お父さんが、少し前に、農作業で使用されていた大きな鋤を、見つけてきて、見せてくれた。何でも、昔は、こんなモノで、人力や馬を使って、畑や田んぼを耕していたらしい、成る程、畑や田んぼになる以前には、元々、こんな山間部は、里山と、今日云われているものの、車も耕耘機やトラクターの無い時代には、人力で、唐松の林を、開墾して、今日、棚田などと云われているが、背に腹は替えられぬとばかりに、猫の額ほどの土地を必死になって、開墾して、新しい畑や田んぼにしたのであろうことは、容易に、想像がつく。そういう歴史とか、文化とか、暮らしに関する道具類は、今どうなってしまっているのであろうか?食育などと云う言葉も、農作業の体験なども、医食同源・食文化ばかりではなくて、暮らしの歴史や開拓の歴史なども、道具を通じて、理解して貰うことも、とりわけ、若い人や、子供達にも、おおいに必要なことかも知れない。例えば、この間、お父さんが、土蔵の中から、大きなノコギリを二つ持ってきたが、一つは、樹を切ることは、すぐに、判ったけれども、もう一つの歯の欠けたようなノコギリは、何でも、天然氷を切り出すモノであることを教えられた。そう言えば、子供の頃は、氷屋さんが、毎日、大きな氷を自宅で、切って、冷蔵庫に、運んでくれたモノであることを想いだした。そんな想い出も、60代以上の世代でないと、今日、もはや、実感されないのかも知れない。何も、郷土博物館の様な箱物の中で、展示されるのではなくて、身近な生活の中で、宿泊客に、無料で、見て貰えるような展示も、必要では無いかと感じ始める。地域の人達にも、応援して貰って、色々な古道具を集めて、保存展示してみたらどうだろうかと思い始めた。外国人観光客にも、英文で説明しみたら、どうだろうか?しかも、みるだけでなくて、実際、使用・体験してもらったら、先人の苦労を実感して、古い井戸を掘ってもらった人への敬愛の念も沸いてくるかも知れない。景観も、耕作放棄地も、長い期間に培われた歴史や努力も、一瞬にして、無に帰する可能性は否定しきれない。