小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

小諸学舎のアイリス祭りと「雲の湯」温泉に行く

2012年06月15日 | 自然・植物・昆虫
小諸学舎のアイリス祭りと「雲の湯」温泉に行く
信濃毎日新聞で、取り上げられていたので、アイリスを鑑賞しにゆくついでに、菱野温泉の常磐館「雲の湯」の日帰り温泉にも、立ち寄ってみることにした。知的障害者の施設として、サンラインから、南側に少し、入ったところに、農場と立派な施設が、立ち並んでいる。段々畑を利用して、青、白、黄色などの色とりどりのアイリスの株が、見事な花を咲かせていた。後で、気がついたが、この花は、結構、良い香りがする花でもある。花の色だけを味わうのは、勿体ないなと、つくづく、思った次第である。ところで、同じように見える花でも、「アヤメ」、「菖蒲」、「燕子花(かきつばた)」、「ジャーマン・アイリス」とでは、どう違うのだろうか?早速、調べてみたら、「アヤメ」、「ジャーマン・アイリス」は、畑地で、「菖蒲」「燕子花(かきつばた)」は、湿地で、(成程、そう言えば、池の畔が多い気がする)「ジャーマン・アイリス」は、宿根草で、庭や鉢植えで、簡単に、育てられるそうである。一株、藍色の株を、カンパがてら、土産に購入してみた。その脚で、近くのトロッコ電車(ゴルフ場にあるケーブル・カートであるが)でゆく「雲の湯」温泉に、立ち寄ってみた。何せ、平日の午後であるから、風呂場は、しばしの間、独占、貸し切り状態である。露天の杉でしつらえた大きな桶と小さな桶の風呂、温めの露天泡風呂、それに、扉を開放した大きな風呂と、それぞれ、2回づつ、入り、その間に、火照った体を縁台で、涼みながら、冷やしては、案内の景色図と近くの松の樹のてっぺんを眺め、(生憎、曇り空で、眺望は、愉しめなかったが、、、、、)ゆったり、まったりと、過ごすことが出来た。色々な温泉巡りが、愉しめて、本当に、良い土地である。杉の風呂桶に入りながら、樹木を、自分の目線の下に、眺められるとは、全く、贅沢な一時である。今度は、秋に、中棚温泉の林檎風呂を、愉しみたいものである。又、ひとつ、愉しみが増えた。



春ゼミの羽化を間近に観る

2012年06月14日 | インポート
春ゼミの羽化を間近に観る
我が老犬の幼いお友達が、田植えを終えて帰京するときに、偶然、雨上がりの朝ということもあって、玄関にいると、茶色い春ゼミの幼虫が、ヒョコヒョコと草むらから、歩いて、出てきた。アブラゼミの経験からして、これは、間違いなく、羽化をするとおもい、早速、部屋のレースのカーテンに、登らせると、少し登って、じっと動かなくなった。さては、いよいよ、羽化の準備だろうと身構えると、(もっとも、アブラゼミの時には、3時間余が掛かったが、)この蝉は、小さいから、そんなに、時間は掛からないだろうと思っていたら、小一時間で、すんなりと、背中が割れて、のけ反りながら、羽を伸ばして、出てきて、無事、成功した。なかなか、観ようと思っても、観られるものではないので、幼な子達は、お父さんに、記念写真を撮って貰った。大きくなったら、よい想い出になるのではないだろうか?その後、無事、外の桜の樹に、放してあげた。蛙も、オタマジャクシも、ミズスマシも、蝉も、蝉の幼虫も、観れたし、ロバや、山羊さん達にも出会えたし、きっと、新鮮な空気を吸い、きれいな水を飲み、新しい経験も積んで、精神的にも肉体的にも、疲れて、ぐっすり、その晩は、眠れたのではないだろうか?又、来年も、田植えを体験しに、小諸へ、来て下さい!来月は、いよいよ、自然の中で、蛍鑑賞会だ!愉しみである。




アゲハヒメバチの卵だろうか?

2012年06月13日 | 自然・植物・昆虫
アゲハヒメバチの卵だろうか?
我が老犬のベランダからの転落防止用に設置したナイロン製の緑色のネットに、何やら、青虫のようなものに、白い卵のようなものが、幾つも、付着しているのが、目にとまった。よく見ると、どうやら、アゲハ蝶の幼虫のような角が見える。すわ、これは、きっと、蜂が、幼虫に麻酔をかけて、卵を産んだのかと思い、昆虫図鑑で、調べてみた。確かに、針や脚が長い蜂が、青虫を連れ去って飛んで行くのを目撃したことがある。何とも、知的好奇心が、この歳になっても、湧いてくるものである。小繭蜂科では、カミキリムシやモンシロチョウの幼虫に、卵を産み付けるものもあるそうである。又、アゲハヒメ蜂は、幼虫がサナギになった後、食い破って出てくるそうである。そう言えば、冬を越したサナギが、時々、どういう訳か、サナギの殻に穴が空いているのを見かけるが、、、、、。これらが、こうしたものなのであろうか?目撃したわけではないから、断定は出来ないが、実際、どんなものだろうか?それにしても、昆虫の世界、自然の営みとは、何とも、不可思議である。正体が分からないと、分からないで、これも又、知的好奇心を駆り立てられるものである。暫く、様子を見ることにしよう。



こもなみ倶楽部、田植えと筍狩り

2012年06月12日 | 自然・植物・昆虫
こもなみ倶楽部、田植えと筍狩り
我が老犬の幼ない友達家族が、イベントに参加し、一緒に、田植えをしたと言いたいところだが、私は、足許、不如意なので、写真班に徹して、形だけ、参加した。生憎の空模様で、午前中は、雨も降らずに、何とか、乗り切ったが、昼からは、雨脚が強くなり、我々だけ、早めに、切り上げて、根曲がり筍を掘りに行った。(実際、寒かった) 4才のさくらちゃんは、旧い靴下を履いて、泥に、膝下まで、浸かりながらも、御両親と一緒に、頑張って、ラインのマーカーに沿って、一列に、少しづつ、苗を植えていった。お米の有り難みを、教えるには、食育上、とても良い経験である。心配していた車酔いも、大分、克服できたようで、蛙も、恐がりもせずに、鳴き声を真似て一緒に、呼応して、負けじと鳴き合戦をして、遊んでみた。田植え後、お昼には、ブルーシートで、作られた雨よけテントの下で、杉並の阿佐ヶ谷で、産直販売されている現地産の花豆おこわとか、各種おやき等を、美味しく、戴いた。なかなか、子供には、(大人も含めて)、貴重な体験だったのではないだろうか?根曲がり筍も、一緒に皮むきを手伝って、煮物と筍刺身で、夕食に、これまた、美味しく、味わった。次回は、蛍観賞の予定だが、、、、、はてさて、梅雨入りのため、天気が心配であるあるが、、、、、、。翌日は、畑で、イチゴを一つ、摘み取り、雑草取りも兼ねて、クローバーの白い花と黄色いタンポポの花で、ブーケと腕輪と、指輪を、お母さんが、作ってくれて、最後には、「小諸にもっといたい、、、、」と、東京へ帰るのを嫌がる始末だった。雨上がりの空気が、本当に、たまらなく、美味しかった。水良し、空気良し、野菜良し、天然温泉あり、人の繋がりが、出来て、東京から、2.5-3時間圏内で、こんな素晴らしい自然環境があることに、感謝しなければいけないと改めて思う。フェースブックにも、「こもなみ倶楽部」で、UPされています。是非、ご覧下さい。



木製のエキスパンションをスウィング・ドアーにDIY取り替える

2012年06月11日 | DIY
木製のエキスパンションをスウィング・ドアーにDIY取り替える
これまで、ベランダの木製のエキスパンションを使用していたが、うまく、端が、釘で、止められず、結局、伸ばしたり、縮めたりしている間に、壊れてしまった。結局、適当な巾のラティスを購入してきて、これに、スィング・ドアー用の蝶番を取り付け、留め具をビス留めして、仕上げることにした。ドリルで、ビス留め用の穴を開けておいて、ドライバーで、止めようとしたが、バネが、結構きつくて、お陰で、人差し指の先に、小さな血豆が出来てしまった。結構、スウィング・ドアーも、悪くはない。自画自讃である。



我が老犬用に、防護網を張ってみた。

2012年06月10日 | 動物・ペット
ベランダに出て、自由に、動き回れるようにしたところ、何と、眼が不自由にも関わらず、出口の余り、高くないところから、地上へ、ジャンプしてしまった。これでは、一番高い2m程の高さから、墜落死も、ままならない。そこで、HCで、野生動物の防護ネットが、売られていたので、これを購入して、ベランダの柵の支柱の間に、U字釘を打ち付けて、固定してみた。これなら、突然、柵の間から、落下することもないだろうし、自分で、ジャンプすることもあるまい。それより、問題なのは、あまり、屋外へ、出たがらなくなってしまったことである。天気の良い日には、室内ではなくて、屋外で、新鮮な空気を吸って貰いたいところである。鼻先が、ネットに当たれば、それ以上は、行かないであろう。これで、まずは、一安心である。



高圧洗浄機の元も取れたかな?

2012年06月09日 | 自然・植物・昆虫
元々、屋根の苔や汚れを取るために、業者が使用しているのをみて、ケルヒャーを購入したが、何と、3.11の時に、思わぬ要望に、応えることになった。つまり、宮城県の被災者の支援に、ボランティアに行く人から、泥の除去に、使用するために、貸して貰いたいという依頼があり、長いリール・ホースとリール・コンセントとをセットで、応じたものである。これが、結構、泥の除去に、おおいに、役に立ったらしい。作業内容を、使用前・後で、VTRにまで、撮って見せてくれた。ベランダの洗浄とか、玄関先のタイルの洗浄とか、我が老犬の犬小屋の薄汚れた灰色も、汚れが除去されて、元の白色に、戻った。ベランダの松の黄色い花粉も、ベランダの板の間に、落ちた落ち葉や松葉や、汚れも、これまで、手作業で、箸を使って、除去していたが、全く、すごいパワーで、あっと言う間に、飛び散って行く。半分までやって、腰が痛く、立っていられないので、山の神に、バトン・タッチで、網戸、壁面、いやはや、誠に、綺麗に、なるものである。洗浄液を使用すれば、もっと、綺麗になるかも知れない。もう、これで、十分、元は取れたであろうか?家庭用とは、言っても、なかなか、侮れない性能である。ゴムのレーキーで、残りの水を取り除き、感想を待つばかりである。



茶房 読書の森、アンデスのおもちゃ箱展を覗く

2012年06月08日 | 伝統工芸・展示会
重い病に罹っているにも関わらず、作者は、明るいタッチと、フォークローの感覚を醸し出しながら、描いたり、作ったりした作品である。最初は、何かと思ったが、恐らく、トイレット・ペーパーの芯であろうかとおもわれる画材にも、絵を描いて、さりげなく、テーブルの上に、作品が、並べられていた。昔、メキシコや、遠く、チリの南の端の南極にまで、近い所まで、出張で行き、マリアッチの軽快な音楽やギターの弾き語りとともに、唄い、飲み、食べ、人生を、アスタ・マニャーナと楽観的に、エンジョイしていく、アンデスの人達の人生観も、今となっては、この作品を通して、懐かしく、感じられる。文字の筆記体までも、又、何とはなしに、暖かい感じがする。週末には、田植えと重なってしまうので、音楽が、一緒に、愉しめないのが、残念であるが、そんな愉しそうな音楽までも、聞こえてきそうなそんな作品展である。



ホノルル美術館所蔵「北斎展」後期を覗く

2012年06月07日 | 伝統工芸・展示会
例によって、足許が、不如意なので、所用のついでに、ぐるりと見てきた。これまで、北斎の原画を観るのは初めてである。何とも、カラフルで、構図が、斬新で、これが、本当に、天保年間に、描かれたものなのであろうかと、眼を疑うし、遠く、欧州の印象派の画家達に、影響を及ぼした構図であることに、ひとしきり、驚きの感慨を持つ。若冲にしても、北斎にしても、これだけの素晴らしい技法を当時の日本人が、持っていたという事実だけでも、多いに、誇りを持って良い。むろん、作品の大半が、海外に、流出(?)したとしても、逆に、作品の評価が高まり、芸術を愛する外国人の手で、保護されたと思えば、別に、そう目くじらを立てることもなかろう。富嶽三十六景、東海道五十三次、諸国名橋奇覧、百人一首、詩歌写真鏡、諸国瀧廻り、琉球八景、錦絵、浮絵、北斎漫画、幾ら数多くの転居をしたとしても、見ることのない風景を、実際に、その想像力で、実際に、観た人間が描いた以上の出来映えで、描くことは、容易なことではなかろう。今なら、私のような素人でも、デジカメに、その風景写真を切り取り、修正加工して、これを水彩画や、スケッチに、描くことも、決して難しいことではないが、、、、、、。次に、ハワイに、行くときには、是非、現地で、ゆっくりと、鑑賞してみたいものである。そう言えば、小布施にも、北斎にまつわる天井画が、あったことを思い出した。妖怪画なども手掛けたこの画家は、なかなか、人物像と人生も、ユニークであるが、この展示からは、ひかりの部分だけで、陰の部分は、むろん、観られないが、、、、、。茶室の展示も悪くない。前期の展示も、観ておけば良かったと、今では、後悔している。



うたの旅人、「鉄腕アトム」

2012年06月06日 | 社会戯評
うたの旅人、「鉄腕アトム」
我々の世代は、鉄腕アトムや鉄人28号という雑誌、「少年」を読んで育った世代である。流石に、のらくろの世代ではない。この歌が、テレビ・アニメとして、放映された1963-1966年には、もう、既に、アメリカの大手テレビ・ネットワークのNBCで、「アストロボーイ」の名の下、放映されていたとは、全く、知らなかった。又、どうして、作詞家が、詩人の谷川俊太郎だったのか?更に、どうして、手塚治虫は、作詞を、谷川に依頼したのか、子供の時も、今に至るまで、知らなかった。真相は、こういうことだそうである。手塚治虫は、既に、アメリカで、英語で、作詞が出来上がっていて、日本語の作詞を、新たに、作らなければならず、谷川の「20億光年の孤独」のタイトルにもなった詩を読んでいたそうである。そして、放映が暫く始まってから、この縁により、直接、依頼してきたそうである。又、歌詞の中に、繰り返し出てくる、ラララ、というフレーズは、何と、詩の中の言葉と言葉の「音の隙間」であるらしい。何とも、このうたの背景には、奧が深いものがある。そんなことも知らずに、子供心に、この主題歌を、唄っていたとは、、、、、、、。今度、聞くときは、心して聞かなければならない。アトムという名も、妹のウランという名も、原子力と、密接に関わった名前である。未だ、科学に対して、楽観主義というか、肯定的、且つ、信頼感を以て、将来に希望を託し、未来が輝かしいものであることを実感しえた頃の話である。今や、それが、福島原発事故という未曾有の惨事以降、科学主義万能信仰が、もたらした暴走する技術、制御不能な技術に、萎縮し、自信を喪失し、社会に、矛盾と差別と格差を、生み出してしまった。この歌に、隠されたメーッセージ性を、今、再び、半世紀の時を経て、改めて、上高田合唱団の懐かしい歌声を、聞いてみたいと、ふと、そんなことを感じた。我々は、いつになったら、あの頃の自信を、再び取り戻せるのだろうかと、、、、、。



画家、ホッパーの絵と映画、「サイコ」の洋館

2012年06月05日 | 映画・テレビ批評
エドワード・ホッパーという画家の描いた初期の連作の「線路わきの家」の一枚に、奇妙な洋館の絵があるという。 それは、1925年に描かれた絵で、線路沿いひっそりと佇む、人の気配すらない旧い洋館、光と陰とが、奇妙に調和したような筆致は、力強い、緊張感を孕んだタッチへと、変貌し、そこに、実際に見たところの風景から、対象物(線路)を、移動したり、消去、或いは、新たに付け加えた手法を用いて、過去の廃れ行くアメリカと新しく新興しつつあるアメリカとを、線路を隔てて、描いているといわれている。そこに描かれている何気ないアメリカの風景を、何と、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督は、傑作「サイコ」の中で、あの若き日のアンソニー・パーキンスの演じた主人公の棲む古びた不気味な洋館に、重ね合わせたそうである。彼は、元々、印象派の画家達の影響を受けたものの、彼が描いた対象は、街の片隅や路地裏、寄る辺なき人々の日常生活、新たに変貌を遂げ行く変わりゆく風景をひたすら、映画の一コマ、一コマのような描写手法で、描き続けたのである。空前の経済発展を遂げて、世界の栄光と繁栄を謳歌する一方で、この画家は、光と陰の陰翳の中に、何を描き出そうとしていたのだろうか?そして、ヒッチコックは、その感性の何処に、この一枚の絵を、映画の中で、使おうと決意させたのであろうか?絵画も映画も、観る側に、いつも、何かを問われているようで、そのカラクリを知ることは、何とも、たまらないスリルと緊張感が、味わえよう、、、、、というものであろうか、、、。

National Gallery of Art: Edward Hopper
http://www.nga.gov/exhibitions/2007/hopper/index.shtm



実ザクロの花が咲いた!

2012年06月04日 | 自然・植物・昆虫
東京の狭い庭に植えられている実ザクロの樹は、確か、記憶が正しければ、区の緑化事業で、無料に配布された樹木で、これを、小梅と一緒に、苗木で、貰いに行き、家の建て替えの時に、植樹したものである。従い、もう随分と、四半世紀近くが、経過したことになる。最近では、毎年、オレンジ色の綺麗な花を咲かせては、4年程前の秋には、見事な大きなザクロの実までなって、自然に、皮が割れて、完熟した果実が、ほころぶように出てきたものである。試しに、その一粒一粒を、口に、味わって、食べてみたところ、とても、甘酸っぱい、あのザクロ独特の風味が、味わえたものである。記念に、写真を撮り、アルバムに、残したが、、、、、、、、、今年は、うまく、成長して、立派な実になるであろうか?現状では、5輪ほど、花をつけているので、確率的には、多いに、期待できるかも知れない。秋の実りの頃が、楽しみである。去年は、小さな実にはなったものの、大きくならずに、干からびてしまったが、、、、、、、、。2008年には、大きな実がなったが、、、、、。




増田セバスチャンときゃりーぱみゅぱみゅ

2012年06月03日 | 社会戯評

5月30日付けのブログに、きゃりーぱみゅぱみゅ的なるものという題名で、コメントをしたが、その後、書籍・書評の関連で、ブクログから、本の情報に関する中に、増田セバスチャンなる人物の推薦する書籍のコラムがあり、これを見ていたら、この人物が、アート・ディレクターで、きゃりーぱみゅぱみゅなるもののコンセプト、或いは、「カワイイ文化」に、深く関わっていることが、分かってきた。成る程、それならば、一連の衣装、ダンス、アートの背景なども、オジサンには、理解可能になる。少し、Identityが、見え始めてきたゾ!音楽や絵画に較べて、個人的には、これまで、所謂、アートと称するものは、ポップ・アートや新進気鋭のイラストレーターの作品も含めて、なかなか、理解するだけの「感性」が、こちらにはなく、ついてゆけない部分があって、まさか、今更、アキバ系のオタク文化の衣装や、踊りでも、あるまいが、その「感性の根源」だけでも、何とか、理解する、或いは、理解しようとする「同じ地平」に立てれば、良しとしようかと思っているが、、、、、、、、、。なかなか、一筋縄では、理解が難しい難敵ではあるのは事実である。この分野は、感性を研ぎ澄まさないと、油断がならないゾ!取りあえずは、ボチボチ、ついて行くことにしようかな?!
向学のために、アクセスして、動画でも、見て下さい。(感性のリトマス試験紙代わりに)

Sebastian Masuda のHP:
http://m-sebas.com/ 
http://kyary.asobisystem.com/
http://delivery.paperboy.co.jp/c/agfbaBrfaXr85sad


特報首都圏、「フード・ロス」を考える

2012年06月02日 | 映画・テレビ批評
子供の頃は、必ずと良いほど、米粒の一つを残そうものならば、眼が、つぶれるとか、お百姓さんに、感謝が足りなくて、罰が当たるとか、諭されたものである。今や、食の安心・安全という神話によって、年間500-900万トンもの商品が、生産・流通・消費の各段階で、食べられることなく、廃棄処分の運命にあると言われている。その原因が、複合的なものであるが、その一つに、流通での期限の3分の1ルールという自主規制というものが関係している。消費者が食べるであろう時間差を事前に計算して、販売期限と賞味期限とを同一視することなく、短めに、前倒しにしているそうである。或いは、パッケージや、輸送・流通過程で、生じるところの外装の不良、容器のへこみ、傷、中身が、品質的に良品であろうが、見かけだけで、不良品あつかいとなってしまい、没になる。中身を保護するためのパッケージが、逆に、作用している。更には、生産段階でのオートメーション化や、包装ロット単位の端数などにより、余分に、どうしても、ロス率込みで生産せざるを得ないことも、一因であると、言われている。又、消費者の段階では、タイムセールとか、売り切れ御免等という消費心理に、誘われて、必要のないものまで、購入して、冷蔵庫の肥やしに、したりと、、、、、、。フード・バンクなどの努力により、78万人にも及ぶ生活困窮者や、養護施設等に、配られるのは、僅か、1600トン(金額にして、9億6千万円)もの製品のうちの1%にも満たないというが、、、、、、。何とも、飽食の一方で、豊かさと貧困とが、デフレ下に、共存しているという奇妙な構図が、浮かび上がってくる。ただ単に、MOTTAINAIという意識の改革で、単純に、解決される問題だけではなさそうである。そこには、エネルギーの節約意識も同様、これまで、あまりの豊かさにより、麻痺してきた日本人のライフ・スタイル、或いは、産業界の大量生産・大量消費、或いは、多品種小ロット生産という構造自身が、今や、「食育の教育」だけでなく、複合的に、根本的に、「消費期限・賞味期限・販売期限」とかも、或いは、「消費行動の自己変革」、量り売りとか、パッケージ、ポリ袋の見直しなど、大所高所から、改善しなければならない喫緊の課題でもある。それにしても、以前、フード・ロスを、堆肥や肥料に転用できないか、バイオマスに使用できないかなど、各種試行錯誤がなされてはきたが、もっと、省庁の枠を越えた形で、具体的に、変革の方向へ、向かわなければ、いずれ、近い将来来るであろう「食糧安保」という危機には、耐えられなくなるのではないだろうか、、、、、。考えされられる問題である。



橋本 治、「小林秀雄の恵み」を読みながら、考える。

2012年06月01日 | 書評・絵本
毎年、桜を、色々な場所で、微妙な開花する時間の違いにより、愉しむのを習慣にしているが、今年は、色々なことが、気に懸かった。というのも、一方で、大道寺将嗣の全句集、「棺一基」を、読みながら、他方で、この分厚い本を併読していたからだろうか、なかなか、時間が掛かかり、捗らない。俳句の中で、謳われている様々な情景は、記憶が、ますます、先鋭に、甦りながら、忘却ではなくて、逆に、どろどろとしたものが、クリアに結晶化してゆくところの果てのものなのであろうか?それとも、「美しい”花“がある。”花“の美しさというようなものはない。」、「美しい美がある、美の美しさをあれこれ言うことに意味は無い。」、、、、、、。という小林秀雄の言葉が、ふと、突然、こみ上げてきては、心に棘のようにささり、思い悩むからなのだろうか。同時併読する中で、色々なものが、少しづつ、見えてきたような気がする。纏めてみることにしよう。飽くまでも、それは、「桜」を主題として、読み解いてみた自分の勝手な解釈であるが、、、、、、。すると、桜を観ながら、或いは、散る桜の花弁を観ながら、「美しいと想うことと感じること」は、全く、別のことなのであろうか?「もののあはれ」が、心の感ずる様であれば、、、、、どうも、まとまりが付かない。「道」とは何か、茶の道、茶道、或いは、生け花の華の道、華道とは、何なのか?そもそも、道とは何か? 今度は、世阿弥の言う”花“とは、何か?と次々に、果てしなく、考え始めてしまう、、、、、、、。本居宣長の歌、西行の歌、兼好法師の歌、芭蕉の俳句、そんな文脈の中で、時代が必要とした小林秀雄なるものを、橋本治の解説と手助けを受けて、追ってみることにしよう。

これまでに、どうしても、気に懸かっていた「桜」にまつわる二つの和歌であるが、、、、、何故、「散華」や、「道」なるものに、又、「日本浪漫派の系譜」の中に、昇華したり、収斂されてしまったのか、そして、「今日的な不安」や、漠然とした「行く末への不確定さ」、更には、来たるべきEUの信用不安に端を発する可能性のある「世界恐慌への懸念」が、再び、「過去と同じ道」に辿りつかないようにするとしたら、どう解釈したら良いのだろうか? そして、大道寺の「棺一基」俳句に見られる数多くの対象は、これらの文脈の中で、どのように、解釈、読み直したら良いのだろうか?、、、、、、、等…と、

「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくらかな」

「願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」

「美しい”花“がある。”花“の美しさというようなものはない。」、「美しい美がある、美の美しさをあれこれ言うことに意味は無い。」、、、、、、。すると、今度は、世阿弥の言う”花“とは、何か?と、、、、、、、。
世阿弥が到達した“美の達成基準“としての花、彼の到達した、或いは、目標とした美の達成基準、
「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし、」と、経験を十分以上に積んで工夫を怠ることなければ、「花」は、消えない。自分の演じたことに、花は宿っていたか? 世阿弥という詩魂は、問いかける。
小林秀雄は、当麻(たいま)という能にみる美しい「花」という美、美の圧倒とその襲撃に、初めて、驚愕とする、学問というものは、現世から孤立するような形で存在していたと、
近世と言う時代が、根本のところで、学問の必要を理解していなかったからであると。必要としないから弾圧もしない、そういう調和状態の中で、近世の学問は、現実の社会体制とは関わらない、個の内面のものになった。、、、、、、、、、、だから、近世の学問は、近代の思想を生み出さない。、、、、、国学は、倒幕思想にはなったが、近代の思想には、進まなかったと。吉田松陰の思想は、何故、当時の若者の若者を突き動かしたのか?何故、弾圧されなければならない思想の危険性が、底にあったのか?
無視される思想や孤立する思想が、生まれるし、思想の弾圧が起こる。近代は、思想の自由とともに、やってくるはずであると。この辺になると、どうしても、団塊の世代、全共闘世代には、戦後民主主義と、直接行動との狭間に、葛藤した経験から、未だに、考えさせられてしまうものがある。
学問というものは、現世から孤立するような形で存在していたと。本居宣長の「関わらない」ということは、大きな意味を持つ、小林秀雄も、日本浪漫派同様に、あの時局に同じように関わらなかったのか?、昭和17年の立ち位置との関係で、橋本は、読み解こうとする。
宣長は、賀茂真淵の言を受け容れたのではなくて、「聞き流した」のであると。肝心なことに関しては、論争をしない、沈黙を守る。孤立を、その初めから、当然のこととしていると、
小林の「無常ということ」は、戦後、1946年に出版された、6篇(当麻、無常ということ、平家物語、徒然草、西行、実朝)からなるものであるが、実は、1942-43年に、発表されたものである。当時、日本の古典に、傾注する作家が多くいたという事実は、何を意味するのであろうか、小林の講話も、情況に従おうとする微妙さ、好戦・反戦・厭戦が、微妙に入り混じっている。のらりくらりしていると、戦争情況に対して、他人事・知らん顔・のらりくらりを演じている時期、怒りを鎮めるのは、諦念であるのか、醒めた冷静さでもある。誰からも理解されないまま「安全であるという不幸」であると、敗戦後の日本人の虚脱感という心性とよく重なる。歴史=古典に学べという明確な方向性ではないが、答の欲しい日本人には、解がたやすく求められるのであったのか、戦後の日本人に向けてという発想は、ここにはないと。「歴史は、びくともしない、歴史は、いよいよ、美しく感じられた」と、収斂してしまう。ここの部分だけでも、本が出来上がってしまうかも知れないが、先を急ごう!
悲しいことに対して、勿体をつけて悲しいと言う、そんなことに何の意味があるのか、かなしいことは、ただ、悲しいのであると、「平家物語」から、「徒然草」へと、向かうことになる。
「徒然草」は、途中に、時の進展による断絶を考えれば、同一人物ではないと矛盾することはないと、徒然なるままに、日暮し、硯に向かひて、、、、で、文章を始めた人が、怪しふこそ、物狂おしけれになってしまうという矛盾。「徒然わぶる人は、如何なる心あらむ」、「紛るる方なく、唯独り在るのみにこそよけれ」、と言ってしまう「矛盾」を確かに、説明知れないかも知れない。
「物が見え過ぎる眼を如何にして御したらいいか、」の結果としての兼行の文体、「鈍刀」を柄って彫られた名作と称する小林の言うところに対して、徒然草の作者は、最初は、「もっと、鋭い刀」を欲しがっていたが、その後、もう、鋭い刀を求めていない。鈍刀かも知れないが、「それで良し」としていると。
小林が、求めた物は、思想ではなくて、その「人の在り方」、とりわけ、自分と関わりを持ちうる自分に近い人の在り方である。徒然草という作品ではなくて、それを書いた兼行という作家こそが、より大事であると、
そして、「西行」へ、「芭蕉」へ、と続く。
「もののあはれは人の情(ココロ)の、ことに触れて感(ウゴ)くこと、」であり、小林の如く、「知ること」と「感ずること」を、一度、分化された結果、「全的な認識」という統合概念を求めるという発達ではないと、「情とは、感ずることなのか、それとも、知ることなのか?」というものではない。そこから、普通は、情という集合要素であるが、欲⊂情であるとするが、宣長は、逆に、情⊂欲とする。 「情(ココロ)は、欲の上位概念」であり、あればこそ、もののあはれを知るという道もあると、この道は、上位概念に続く登り階段であると。
「近世」という時代は、神という非合理などとは言わないと、「非合理かも知れない神を一方に存在させて、そののこりを合理性で仕切るという時代である」。神という非合理の支配下にあれば、中世だが、近世という時代は、神をそのままの位置に安置し、距離を置いて隔離する、だから、支配されないのであると、調和的なのであると。
ありかたとしては、根本のところで神という非合理とは相容れない合理性の魂であったとしても、近世の人は、神と調和的であり、合理的だったのであると。「神と調和的になっている合理性」なのである。近世という時代とは、そういう時代であると、
「仏教」は、佐藤義清という北面の武士が、西行となってその後の人生を歩き出すための「門口」なのである。仏教というものは、そもそも、己を見詰める者の前に立ちはだからないものであり、それをしたい者に、それをするための「立ち位置付けを用意する」のが、仏教の本来でもある。思索をする者にとって、「同伴者」とはなっても、決して、導いたりはしない、至って寛大なのであると、

「願わくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」

西行のこの歌に詠まれた「ゴール」は、何を表すのか?
彼の「孤独」は、いたって近代的である。ほとんど、導き手である神を失ってしまった個の孤独で、西洋近代的な人の孤独であると、西行には、「神=空白」と言う形で、個である人と対応する存在としての神というものが存在しない中世の日本で、存在しうるのであると、こうした西洋的な神が、空白として何故、日本に存在し得たのか?既に、西行には、近代が、心の裡で、独り耐えていたものがあったのであるという形で、実現されてしまっていた。小林の言うように、西行の旅は、一筋という道ではなくて、「道のないところを彷徨うような旅」だったのではないかと、
「仏という同伴者」の下、ゴールに導く神の手ではなく、真の恋人という概念が存在しない世界で、昔の人は、どのように生きてきたかという、その救済を暗示するのが、そのゴールとした西行の桜の歌なのであると、
又、宣長の謳うところの

「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくらかな」

この歌も私的な墓の方に、山桜の樹を植えて、命日には、肖像画の掛け軸を掛けろという、
「あなたの根本を成り立たせているものは何ですかと、人に問われたら、私は、朝日に輝く山桜と言う」という歌である。「学問の根本に存在する信条」を表すものであると。「自分の中核に位置するもの」と「恋の対象になる彼」との「ふたつの性格」が、桜には、あると、
全てのものは、「桜=我」によそえられるものではない。重要なのは、よそえられるものを発見し、そこに、我なり、彼を、「重ね合わせること」であると、西行は、12世紀の段階で、我を詠むことに生涯を費やし、宣長のように、憑かれたように、桜への恋を読み続けたことであると、そのようなことを可能にする主題である対象の代表格が、「日本人にとっての桜」であり、桜を使って、「自分であること」を表していたと。
「日本人にとっての桜」は、西洋人の神に近似しているが、神ではない。重要なのは、そこに代人がおこりうる「空白」を、昔の日本人が持っていたということを、「発見してしまった」ということ。
あるとき、ひとりの日本人が「自分に応えてくれるものは何もないということ」を「発見してしまった」ことである。それが、西行であると、
近代的に言えば、西行は、自分の中に、「我=自意識」を発見してしまったということになるかも知れないが、「実は、逆ではないか」と、西行は、「自分の外に、自分に応えてくれるものが何もないこと」を発見してしまった。自己より先に、空白を発見し、それを埋めなければならず、自分とか、自己とか言われるものを成長させて行かねばならなかったと、導き手がないところで、自分を成長させる苦しさ、孤独、こうした「見つめる自己」と「見つめられる自己」の両方を誕生させたと。
神なるものに何とかしてもらうことは、怠惰なことであり、自助努力の日本人は、自分の前に、空白があるなどという考え方をしないし、自分の在り方に置き換えて、自分は、まだまだ、未熟で、至らないと考える。その不安を、そういうものだと是認するのが、至らなさを表現して切なさを出現させてしまった西行であると、続く。
日本人は、空白を埋めるのではなく、空白を作り出すことを当然のこととすると。「自分の居場所のなさ」という空白、生活の為の居場所の無さでは無くて、どう生きて行けば良いのか、どう生きていきたいのかが分からないという「精神的な居場所の無さ」である。「居場所がない=孤独」を感じ続けて、自意識が彼の最大の煩悩といわれるようにもなる。だから、ゴールとなるのは、もう居場所を探さなくてもよいという「安らぎ」になり、「桜」の歌になるのであると、
ここから、西行と芭蕉との思想軸の相違点、へと続く、
芭蕉の「風雅」という強い思想は、己を空しくしてが、前提になっているが、西行は違い、自然の姿が、友ではなく、自分になって現れてくる。西行は、己を空しくしてではなくて、己を空しくされて、その結果、佐藤義清は、西行となったのではないかと、これに対して、芭蕉は、いきなり、「己を空しくして、自然を見る」。それも客観主義ではなくて、主観主義に近いもので、強い思想で、「自分を全く、問題にしないでいられる」ということ、弱い態度でも、消極的な態度でもなく、己を空しくして自然を見る。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

蛙の水に飛び込む音で、私が、驚いたのでもないし、水の音を聞いてはいるのであるが、ただ、「水の音があること」、ただ、それだけであると、水の音が聞こえるのではない、人の耳に聞こえようと聞こえまいと、人が聞こうと聞くまいと、そんなことは無関係に、「その水の音はある」のであると解釈する。この水の音を神に置き換えれば、己を空しくして自然を余程観察すると、「水の音は、神になる」のであると、「最上川」も、「夢の跡」として存在する「夏草」も、「神」なのであると
「秋深し 隣は何を する人ぞ」、も、何をする人ぞと思っているかどうかは、関係なく、「それを思う人の「心」こそが、神」であり、この句に透徹していると、まるで、小津安二郎の映画のようであると、そんな「芭蕉の強さ」は、日本人には、「至って当たり前のもの」としか、映らないものなのである。
宣長は、「あはれということを心の中の一つにしていふは、とりわけていふ末のことなり。その本をいへば、すべて情(ココロ)の、こころにふれて感(うご)くは、みなあはれなり」。宣長には、末は、どうでもよい、「末を捨てて、本を目指す」。そうして、「漢(から)意(こころ)」を、外来思想と排除すべく、古事記へと向かう。そして、時代の趨勢は、反漢意から、尊皇攘夷へ、忠君愛国へ、いつの間にか、廃仏毀釈から、神道信仰へと、進す。
「道」という概念論に入る。神の道とは、古道とは何か、古代以外には、道という概念はない。路であって、通路であるのではないか。それが、神道、武士道、華道、茶道、等に、どうして、使われてしまうのか、そのままの状態を示す道が、文化的、政治的に、変質していったのか?それとも、今でも、それは、何らかの形で、生き延びているのか? 
それにつけても、現代とか、近代とか、近世とか、我々は、いかにも、思想的に、発展・進化を遂げてきたように、時系列的に、誤解しがちであるが、芸術の世界でも、絵画や音楽でも、その昔に、現代でも、驚愕するような技術が、突然変異のように、現れていた事実が、幾つもある。タイム・スリップでもして、逆に、現代の我々をどう思うかを尋ねてみたいものである。我々は、中世や近世をかように、理解しようとしているが、果たして、当人は、どんな所見をお持ちかと、、、、、。少々長くなってしまったので、「棺一基」の方は、又の機会に再考察してみたいと思う。学生時代に読んだ、橋川文三の「日本浪漫派批判序説」をも、もう一度、読み返してみるか?橋本は、終章で、小林が設定したトンネルが、何処に抜けるのかは分からないが、その「何処に抜けるか」は、トンネルを抜ける読者に委ねられ、「読み手の在り方を問題にする」本であるとし、それが、日本に於ける思想の在り方なのであると、結んでいる。そして、それは、是非、読者に、古典を前にして、次の時代を受け継ぐ人達は、「それを体験」して貰い、次の時代に向けて、新しいトンネルを掘り続けることでもあると、希望していると、、、、、、、、、、。