小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

亡き愛犬の絵が完成した!:

2015年06月15日 | DIY
亡き愛犬の絵が完成した!:
NHKのEテレで、放映していた、愛犬の写真を基にして、布地のキャンバスに(SMサイズ:B5版よりも少し小さめのサイズ)色鉛筆の下絵と水性アクリル絵の具を使って、彩色する技法で、亡き愛犬の絵を描いてみることにした。奇しくも、丁度、3回忌を迎えて、完成である。この構図以外にも、後2枚ほど、お気に入りの写真があるので、これも、一連の三部作として、後日、作成してみることにしよう。それにしても、どういう訳か、撮影されるのが好きではないらしくて、写真は、いつも、後ろ向きに、少々、首を振り返った状態の写真が、多いのは、何故だろうか?晩年には、流石に、寝ている時間が多くなったので、正面から、撮影しても、ご本人様は、気づいていないらしいのか、眼を瞑ったままで写真に映し出されている。ほとんど、PCに保存されているので、光の具合やら、コントラストも調整可能で、毛の一本一本までも、ズームしてみると、成る程、詳細に、映し出されるので、結構、描きやすいものである。もっとも、それと色を彩色するという作業は、むろん、我が手と脳を媒介して、絵筆を駆使するから、必ずしも、一致して、正確に反映されるという代物では決してない。要するに、コピーをするようでいて、微妙に、結局、コピーではないのである。ここら辺が味噌だろうか?それでも、色を塗るという作業は、なかなか、難しいものである。微妙に、水で溶いても、同じ色が再現できる保証は何処にもない。結局、乾いては塗り、或いは、上塗りして、修正したり、何度となく、この微妙な作業を自分の納得のゆくまで、行って、ある程度の完成に至るのであろうか?まぁ、最初の作品であるから、こんな程度であろうか?所詮、人に見せるために、描くのではなくて、自己満足的な作品であるから、徐々に、技量を上げてゆけばよろしいのではないだろうか?最後に、消しゴム・スタンプで、作成しておいたイニシャルを刻印して、取りあえず、まずは、完成である。埃防止のために、ワニスのコート剤を噴霧して、イーゼルの上に、置いて、まずは、第一作目の完成であろう。写真とは、又、一味違った趣きであるし、色鉛筆とクレヨンの絵とも、異なる印象である。これは、なかなか、面白い趣味(?)暇つぶしになりそうである。今後は、風景画、植物画とかにも、挑戦してみることにしよう!早いもので、もう、丸二年が経ってしまった。ペット・ロスにもならずに済んで良かったものである。

高齢者の地方移住政策促進におもう:

2015年06月14日 | 社会戯評
高齢者の地方移住政策促進におもう:
どうも、空き家バンクにしても、この都市福祉対策としての高齢者の地方移住促進政策にしても、顔が具体的に見えてこないのは、どうしたものであろうか?一体全体、どういう人間をターゲットにして、考えているのであろうか?地方への移住では、iターンにしても、どのような職が、地方に確保されているのであろうか?或いは、年金生活者を呼び込んでも、税収は、本当に、期待できるのであろうか?金を一緒に持って、移住してくれるのであろうか?金もビジネスのノウ・ハウも、一緒に持ってきてくれればこれに越したことはないが、只単に、都市部での介護施設や病院施設の不足を、単純に、地方に移住させるだけで、このバランスを解消しようというだけでは、何とも、悲しい現実があろう。今度は、地方での介護施設や病院施設の財政的な負担が生じかねないとも云えなくはない。考えてみれば、地方のビジネス団地の誘致にしても、空き家バンクにしても、地方移住にしても、どのような人間を、誘致したいのであろうか?そうした軸がハッキリしなくては、受け皿作りも、覚束ないであろう。

観光ルートと地方の商店街:

2015年06月13日 | 社会戯評
観光ルートと地方の商店街:
マツモトキヨシが、何でも、観光地へ、免税店を200店舗程度、開店するという。確かに、個人的な経験からしても、海外からの友人達の買い物の仕方や、品目は、多岐に亘っていて、とりわけ、所謂、有名な土産物を買うばかりではなくて、むしろ、化粧品とか、日用雑貨品を個人的な消費や帰国後の友人へのお裾分けのような目的のために、購入するようである。謂わば、きちんと、国の機関が、マーケティングを行えば、来日海外旅行者の消費行動、或いは、動機付けや、その先の観光ルートまでも、その延長線上で、見えてくるのではないだろうか?マツキヨの今回の動きは、恐らく、POSデータの分析からすれば、当然の動きではなかろうか?もっとも、地方のシャッター街の問題は、どうみても、これで、解決の目途がつくというモノでもなかろう。結局、大手資本が、先手必勝で、ますます、美味しいところを地域外へと持ち去ってしまうようなところがないわけでは無い。そういう恐れがあるであろう。むしろ、こうした動きの中で、如何にして、地元に利益還元が行われるべきかというところをしっかりと、抑えておかなければならないであろう。その意味で、能登半島から、昇り竜のような地理的ルートを、活用して、9県にも跨がる観光ルートを、海外旅行者に、アッピールするという試みも、なかなか、興味深い。自分たちの力で、所謂定番のゴールデン・ルートとは、別に、創り出そうとする試みは、多いに、興味深いものがある。観光地への免税店の開店も、悪いことではないが、如何にしたら、新たな観光ルートと地域への利益還元、或いは、地方の活性化へと繋げられるのであろうか?

日本酒もいよいよ地理的表示か?:

2015年06月12日 | 社会戯評
日本酒もいよいよ地理的表示か?:
成る程、攻められてばかりでは確かにいけない!EUではないが、折角、国際的に、差別化でき、アッピール出来る商品であれば、日本国内産の米と水を使用して醸造された酒のみを、日本酒と表示が許され、海外で、作られた酒は、日本酒ではなく、清酒とかに、表示上、差別化できることは、これまでの攻められる一方であった地理的表示を、逆手にとるなかなか、よい発想ではないだろうか?余り、褒められることの少ない役人の発想をおおいに、褒め称えたいところである。考えてみれば、海外で、安い米や水を利用して、更には、安い工賃で、酒を造っても、確かに、悪いことではなく、むしろ、需要の裾野を拡げることになるかも知れないが、ある一定の基準や、品質の保全が、やはり、ブランドには不可欠になるのかも知れない。さもないと、寿司やラーメンのように、国際的には、やたら、亜流の商品が、野放しに、拡がってしまうことにもなりかねない。もっとも、それは、それで、国際化という範疇では、興味深い展開であることは否定も出来ない事実であろうが、地理的表示を逆手にとったこの方策は、それで、宜しいのではないだろうか?その逆で、スコッチ・ウィスキーは、名乗ることは出来ないが、最近のサントリーやニッカによる日本産の高級ウィスキーの世界的な評価の高さは、逆説的に、実に面白いではないだろうか?日本酒を凌駕する酒が、将来、どこかの国から、出てくることを期待しても宜しいのではないだろうか?そういう発想こそが、必要であろう。

立て続けに、ヘビに遭遇する:

2015年06月11日 | 自然・植物・昆虫
立て続けに、ヘビに遭遇する:
東南アジアの動物園か何かのショーで、長くて太いニシキヘビを首に巻くという体験をしたことがあるものの、それは、これから、ヘビに触るという事前の覚悟があるから、又、観光だからと云う軽いノリと想い出作りに、やってみようという覚悟が必然的に、出来ているから宜しいものの、それが、全く、心の準備無しに、突然、遭遇すると云うことは、全く、困ったものである。大体、これまでの経験則から云えば、オリンピック同様、4年に一回程度の確率のチャンス(?)で、夏場の暑い頃には、出くわすこともない訳ではない。たまたま、生ゴミを裏のコンポストに、捨てに出ようと思い、玄関の扉を思い切り開けたところ、目の前に、1m程の灰色がかったへびが、いるではないか、頭が丸く、小さいから、毒蛇でないことは即座に、素人目にも判別できる。もっとも、ヘビも驚いたのか、こちらをちらりと観た上で、玄関の脇の木製デッキの下へと逃げていった。ホットして、コンポストの方向へ、行こうとしたら、今度は、デッキの上に置いてあった土の袋の傍らを、同じ種類の別のへびが、もう一匹いるではないか、こちらは、仕方なしに、棒で、追いやると、スルリと、デッキの底の隙間へと姿を消していった。やっと安心して、コンポストへ生ゴミを捨てて、容器を水道で洗って、再び、玄関に戻り、扉を開けようとすると、玄関タイルの隅の方で、何やら、カサカサという音がするので、ふと眼をやると、玄関脇の物置と壁の僅かな隙間へ、同じ種類の別の(?)ヘビが、ヌルッと、滑り込むではないか!いやはや、ほんの僅かな、5分程度の間に、3匹もへびに、遭遇するとは、普段から、恐らく、こちらは、気が付かないが、きっと、そこら辺を、我が物顔で、徘徊しているのであろうか?急に気温が上がって、蒸し暑くなったから、冷たいタイルの上や、薄暗いデッキの下をきっと好むのであろうか?東京でも、数年前、自宅で、女房殿が、ヘビを梅の樹の上や土台の通気孔のところで、見かけたものであるが、都会でも、下水管の中で、ネズミなどを捕食して、生き延びているようで、脱皮した大きな薄皮が、川の水草の間に、浮かんでいるのを観たことがある。それにしても、いきなりの不意打ちは、やめてもらいたいものである。音もなく近寄り、音もなく、去りゆく、どうやら、この里山の家の周りには、こちらは知らないが、様々な小動物が、跋扈しているようである。こちらは、全く、知らぬが仏、脳天気である。これで、当分、遭わずに済むのであろうか?そう願いたいところである。それにしても、この辺は流石に熊はいないが、熊でなくてよかった。

縦社会の居心地とは:

2015年06月10日 | 社会戯評
縦社会の居心地とは:
現役を退いて辺りを見廻すと、大抵の友人達が、病いを得たり、何をして良いか、分からずに、過ごすことがままあろうか?地域社会でも、ボランティアでも、何であれ、何かしらの組織との付き合いや、人間関係が生じることになろうが、そんな中でも、これまでの肩書きなどは、無要になることに変わりはない。これに対して、体育会系とか、軍隊組織はそうなのかも知れないが、偶然生まれた年の巡り合わせや、卒業年次、階級・地位の違いで、OB会などでも、その組織は、現役を離れても、相変わらず、同じヒエラルキーが、保たれているし、縦社会特有の雰囲気が、醸し出される。今年で、140年の歴史を有する学生時代のクラブのOB会活動に、とうとう、外堀を徐々に、埋められた結果、本格的に、役員として、協力せざるを得なくなってきた。成る程、縦社会の雰囲気が、漂っているものの、現役部員に対する、どのような支援を活動の中心に据えるべきかという議論がなされた。確かに、年寄りの仲良しクラブのようなものから、積極的な支援と交流の場作りが、これからの主眼となりつつあるようである。長きに亘る歴史の中でも、戦中・戦後での苦しい時代を何とか諸先輩達は、切り抜けてきた訳である。継続性という重い課題と活動の活性化と現役部員への、或いは、若い世代への年寄りの経験値・体験・知恵を如何にして、繋いでゆくのかという課題を背負わされている。インターネットの進展に伴い、文書媒体による連絡の仕方や情報発信の在り方、会員同士との情報共有の仕方など、過渡期の課題が、確かに、多いのも事実であろう。未だ忙しい現役世代のOB会員に変わって、如何に、組織の永続性と活動の活性化を図るのか、NPOやボランティア・地域活動ではないが、縦社会組織の活性化をどのように、果たしてゆくのか?これからが、勝負どころである。

松枯れの樹が心配である:

2015年06月09日 | 自然・植物・昆虫
松枯れの樹が心配である:
ベランダの向こう側に、長い間、窓越しに、太い松の樹が、すっくと、佇立していて、冬場になると、周りの広葉樹が葉を落として、其の隠れた全身の姿を根元から、てっぺんまで、一本まるごと、見られる。実に、これが、宜しい。樹というのは、枝振りも大切であるが、全体が見られるというのが、私は、好きである。間近に、枝や、其の葉を観るのも又、宜しいが、森を見るのでは決してない!まずは、個々の樹を観るのである。そうすると、それは、まるで、人間の人生に如くに感じられるのであるから、実に、可笑しいし、不思議な感情を抱くことになる。今年になって、非常に気懸かりなことが起こっていた。枝先が、何となく、茶色い松枯れの様相を呈し始めたのである。しかも、徐々に、それは、枝から、枝へと少しづつ、拡大・伝播し始めてきている。恐らく、周辺の松枯れ病によるものであろうことは、容易に、想像はつく。治療をして上げたいところであるが、私には、なす術もない。物言わぬ松の樹が、唯々、病いに陥り、まるで、癌細胞が、次第に、身体を蝕んで行くような感じであろうか?松枯れにより、最近では、太い松、細い松を問わず、赤茶けた枝振りを無惨に、曝している光景が、目立ち始めているのは、おおいに、残念なことである。恐らく、長い間、私の眼を愉しませてくれたこの松も、今年の暮れ前には、無惨な姿を曝すことになるのであろうか?


18歳選挙権付与に思う:

2015年06月08日 | 社会戯評
18歳選挙権付与に思う:
考えてみれば、つい、100年くらい前までは、資産家と華族とかというだけで、選挙権が与えられ、単に、性別が、女性と云うだけのことで、選挙権が得られなかったとかということが、記憶の片隅にある。労働者にしても、一体どれ程の時間と汗と血を贖って、選挙権を獲得できたのであろうか?其の意味で、日本という国は、全く、有り難みのない国ではないだろうか?独立を闘い取るとか、選挙権を勝ち取るとか云うことはなく、常に、何らかの形で、付与されるという、実に、摩訶不思議な歴史的な経緯がある国である。来夏の18歳への選挙権にしても、未成年者に対する刑事罰の強化の替わりに、或いは、低迷する選挙の投票率の向上の一手段とか、様々な憶測が跋扈している。選挙権を与よ!と叫ぶも良し、或いは、又、逆に、選挙権などは要らぬから、戦争には、ゆきたくないとか、声を上げてもよろしいのではないだろうか?何事も、上から与えられたまるで、温室の中の保育器の如く、何不自由なく、与えられて由とするのではなく、戦って、勝ち取ることを本当は、やって貰いたいものである。もはや、そういう時代ではないのであろうか?若い人達は、どのように考えているのであろうか?一寸、年寄りは、気になりますね!


Window 10への無償アップ・グレード予約は?:

2015年06月07日 | 社会戯評
Window 10への無償アップ・グレード予約は?:
いつの間にか、PCの隅に、見知らぬマークが表示されるようになった。何なのかと思って、カーソルを合わせてみれば、無償のWindow10への無償アップ・グレードの予約案内である。考えてみれば、無償であるから、良さそうであるものの、これまでの経験値から云えば、必ず、周辺機器が使用できなかったり、対応が遅れているので、うまく作動しないのが、ネックである。其の意味では、あまり、早めに、対応しても、難しい局面に陥ってしまうのではないだろうか?IT関係は、いつも、バージョンのアップの時には、素人は、一週遅れのほうが、確実、安全であろうか?周辺機器のドライバーのアップ・グレードも、不可欠になるのでは、どこまでが、可能なのであろうか?取りあえず、最低限のプリンターとか、スキャナーとか、既に、使用中のアプリケーションなども、間違いなく、対応可能であると確認せずに、移行してしまえば、使用できないであろうから、よくよく、考えなければならないであろう。当面、怖々、一台づつ、様子を見ながら、或いは、不具合の情報を見ながら、対応しなければならないか?全く、便利なようでいて、誠に、不便極まりないことである。当面、予約のみだけにしてWait & Seeだろうか?アップ・グレードの実施は、其の後とするか?!

東芝の次は、今度は、LIXILか?!:

2015年06月05日 | 社会戯評
東芝の次は、今度は、LIXILか?!:
一体全体、何人の公認会計士が、過去にも、今でも、東芝の決算を監督監査しているのであろうか?又、こうなると、有価証券報告書なるものの価値というものは、どのように、評価されるべきものなのであろうか?いつもいつも、毎度のことだが、、大企業の不正経理が発覚する度に、公認会計士事務所の責任が、問われるものの、お咎めなしである。今度もまた、不適切経理処理と云うことで、粉飾には当たらないと言うことになるのであろう。夢のようなシェール・オイル開発と散々に、持てはやされたのに、石油相場の下落と共に、住友商事の突然の巨額損失とか、そうこうするうちに、今度は、LIXILが買収したドイツ系の中国子会社の破綻で、500億円以上の巨額損失を計上すると云われている。一体、M&Aでも、きちんと会社信用情報の精査・公開は、きちんと、事前になされているのであろうか?寝耳に水の個人株主は、これでは、堪ったモノではない。それにしても、最近、タカタでも、東芝でも、住商でも、LIXILにしても、一体、どうなっているのであろうか?巨額損失に関わった当時の経営者達は、恐らく、たんまりと、巨額の退職金を戴いて、既に、さよならしていることだけは、間違いなさそうである。一体全体、何が、アカウンタビリティーなのであろうか?これでは、どこかの自称大国を名乗る国を笑えないではないだろうか?報道発表される前に、きっと、売り抜けている人間がいることは、決して、想像に難くない。まるで、狸と狐の化かし合いの様相ではないか?!又ぞろ、第三者委員会による原因の究明・解明と再犯防止策というお題目を唱えれば、蜥蜴の尻尾切りで、一件落着なのか?個人なら、一億でも、否、一千万でもビックリするところであるが、もはや、桁が、違いすぎて、こちらの頭も、おかしくなりそうである。

SARS, MERS, 豚インフルなど、感染症を考える:

2015年06月04日 | 健康
SARS, MERS, 豚インフルなど、感染症を考える:
以前、SARSの影響で、仕事上、大打撃を受けたことを想い起こすが、最大、5年程度に亘って、回復するまでに、時間が掛かり、散々な目に遭った事を忘れない。海外観光旅行関連の事業なるものは、その際たるものであった。感染症というのは、今や、待ったなしに、簡単に、国境を超えて、伝播するものである。鳥も駱駝も牛のBSEも、豚も、エボラ出血熱も、何とも、厄介な問題である。感染症でなくとも、去年の夏のデング熱ではないが、次から次へと、全く、悩ましい限りである。夏風邪にも類似した初期症状で、なかなか、初期には、発見されずに、その間に、二次感染、三次感染が、拡大すると云われている。この間に、海外渡航でも拡大することは、既に、韓国から、中国へ、患者が渡航して、飛び火した事からも明らかである。水際対策のみならず、院内感染とか、二次三次感染を対策化しておかなければならないであろうことは、自明の理である。それにしても、一難去って又一難、火山の爆発にも、観光業は風評被害で、弱いのに、感染症の拡がりとは、どこまで、拡大するのであろうか?日本の防疫体制、感染症対策は大丈夫なのであろうか?この次は、夏のデング熱なのだろうか?全く、厄介な問題ばかりである。

年金機構の情報漏洩とロジテックのルーターの欠陥:

2015年06月03日 | 社会戯評
年金機構の情報漏洩とロジテックのルーターの欠陥:
先般、公官庁へのサイバー攻撃に対する対策として、外部の会社による模擬の攻撃訓練と演習が、行われたという報道がなされていたので、いよいよ、本腰を入れて、サイバー攻撃対策に乗り出したのかと期待していたところ、全く、標的型のウィルスにあっけなくやられてしまった上に、添付ファイルを開封しないという内規違反という、子供でも分かりそうなシステム設計の単純ミスにより、125万人もの大量なデータが、漏洩してしまったというではないか?それにしても、内規違反だろうが、そんなものが、まるで、守られるという前提で、監督していたというのも、全く、呆れ果ててしまう。何故、セキューリティーのシステムを、きちんと、設計しておかなかったのか?誰が、責任を負うのであろうか?システムの脆弱性や、ファイヤー・ウォールの穴をつかれてしまったとか云うのであれば、これはこれで、問題ではあるものの何とも、納得がゆかぬものである。なくなってしまった年金問題から、一体、どのくらいの時間が経過したことだろうか?相変わらずの体たらくである。そんなニュースを読んでいたら、今度は、ロジテックのルーターに、欠陥が発見されて、ネット接続が、盗まれかねないというニュースである。改善対策ダウンロードが早急に、必要不可欠になると、自分のルーターも.該当しているかどうか、早速、型番を調べなければ、危うい!一体全体、ネット・ユーザーは、どのように、自己防衛したらしたら宜しいのであろうか?こんな状態で、マイナンバーのセキューリティー安全は、守れるのであろうか?いやはや、如何にも、タイミングが悪いと言おうか、逆に、良すぎると言おうか?一体、どちらに転ぶのであろうか?それにしても、既に、マイナンバーの施行に伴なったIT特需なるものが、広範に、浸透しつつあると云われている。既に、もうどこか、別の所では、既定方針通り、プログラムが作動していて、後戻りできない情況なのであろう。いや、実は、政府が、巧妙で、マイナンバーを前にして、意図的に、年金機構への攻撃を画策して、危機意識を喚起したというのであれば、これはこれで、穿った見方かも知れないが、大したものであろうか?考えすぎであれば、宜しいが、、、、。それにしても、事件発覚の公表が、遅れていたのにも、困ったものである。

自己啓発本という厄介もの:

2015年06月02日 | 社会戯評
自己啓発本という厄介もの:
何でも、最近、海外でも、某片付け手法が、大人気であるそうである。以前、「断捨離」などと謳われたモノが、再び、主を変えて、海外でも、持てはやされているらしい。そういえば、現役の頃は、自己啓発本ではないが、仕事術・手帳術、何々術なる、ハウ・ツーものやら、様々な自己啓発本を、行き帰りの電車の中で、読んだものである。今から、考えてみれば、そんな日常生活の中でのたった七つの習慣とか、一つのきっかけで、人生がすべて、魔法のように、解き明かされて、視界良好、万事、順風満帆にゆけば、これほど、人生は容易いものはないし、格差社会も、貧富の差もなくなることであろうが、、、、、、。実際、資格を数多く取ったからといっても、良い職業、良い仕事、ましてや、よい収入に恵まれるわけでもなかろうが、そんなことは何とはなしに、うすうす、知っていていても、人間は、どうも、違うらしい。何となく、胡散臭いと思いつつも、こうした巧みな誘いに、乗ってしまいそうである。一体、どうしたものなのであろうか?ゴミ屋敷は、一向に、なくならないし、パソコン周りの机には、いつの間にか、読みかけの本や資料が、積み上がって、絶対権力足る誰かに、強制代執行の命令が、下されてしまう。健康も、美容も、資産管理も、所詮は、これらの範疇の中でのコップの嵐になるのであろうか?

90歳の義理の母に教わる:

2015年06月01日 | 健康
90歳の義理の母に教わる:
自分の両親は、二人とも、既に、合計7年間の介護の末に、逝ってしまっているし、又、義理の父も、既に亡い。今年、既に、90歳になる義理の母は、私の母よりも一つ若く、今でも、元気に、頭もしっかりしていて、江戸時代からの長い歴史を有する農家の後を継いだ義理の弟夫婦や孫夫婦、それに、曾孫に囲まれて、何不自由なく、暮らしている。何でも、流石に、最近では、家庭で消費する畑仕事も、庭の草むしりなども、無理をせずに、腰を痛めない範囲で、行うようにしていると、、、、、、。お金にも、健康にも、家族の人間関係にも、恵まれて、何不自由なく暮らしているように、みえるものの、本人曰くでは、「生きてゆくことは、本当に、大変なことだねぇ!」と云われてしまった。最近では、自分で、死にたくても、死にきれずに、赤の他人を殺傷して、事件を起こしたり、又、虐めなどで、自ら、若い人が、命を絶つことを選ぶような時代であることからすれば、戦争やら、戦後の農地改革で、土地を強制的に、取られてしまったことなどを考えると、確かに大変だったのであろうとは、想像に難くないが、それでも、90歳の皺だらけのお天道様のしたで、真っ黒に日焼けした顔で、節くれだらけの指を見つめながら、そう言われると、何とも、その言葉の響きは、重いモノがある。実際、自分は、そんな歳まで生きているかどうかも不確かな以上、改めて、年老いた何不自由ない幸せそうにしか見れない義理の母から、云われると、考えさせられてしまう。友人の末娘さんのように、生きたいと願っても、若くして、病に、負けてしまうことも、又、親よりも先に、ある友人の如く、先に、若くして、逝ってしまったり、人生、全く、思い通りにはゆかないものである。そんな義理の母の言葉を考えていたら、学生時代の同級生が、全く、健康そのもので、ゴルフも、毎月、愉しんでいたのに、突然、膵臓癌が発見されて、激やせしてしまったということを聞いた。何とも、自分自身で、解決したり、支援できたりする性格ではない以上、如何せん、どうしようもない。電話で、声を聴いても、どのように、言葉を掛ければ良いのであろうか?最近は、同年代の知り合いが、相次いで、病気で、逝ってしまうケースが、余りにも、蔽いのが、気懸かりである。もっとも、自分も、いつ何時、どのような出来事に見舞われるか、予想不能であるが、どうにも仕方ない。取りあえず、手紙と、お見舞いの品でも贈っておくことにすることにしようか?なかなか、電話では、感情が、昂ぶりすぎて、冷静に話が出来ないことであろう。人が亡くなるのに、早すぎるとか、良くぞ、生き抜いたとか、お祝いであるとか、云われるが、決して、そんなことはない。やはり、死は、時間の問題ははない。生かされていることの意味をもう一度、考え直しておかなければならないのかも知れない。