NHKドキュメント「空白の戦後7日間」:
我々は、よくよく、考えてみれば、8月15日を終戦記念日と教えられてきたが、実は、この日を以てして、戦闘が停止されたわけでもなく、又、武装解除が整ったわけでもないことを、忘れがちである。確かに、玉音盤を奪い返そうとして、クーデターが生じようとしていたことも、又、事実であるし、この8月15日以降も、戦闘で、日米双方に、死傷者が出ていたことも確かに、事実であろう。考えてみれば、これ以降も、ソ連は、千島列島から、北海道の北側半分を占領する勢いであったし、海外に展開する軍人・軍属を含めると有に、1000万人弱にも達する数多くの人々が、依然として、生命の安全が保証されていたわけでないことも事実であろう。戦争の終結というものは、始めるのは、一発の銃声で、簡単に始まるものの、終結には、全く、初めから、シナリオが、無いものであることは、日清・日露の戦争を見ても、ベトナム戦争を見ても、或いは、湾岸戦争を見ても、今日、納得がゆくものである。停戦交渉・終戦処理、進駐・占領、考えてみなくも、こうしたプロセスは、巨大な組織、とりわけ、あっても、実質、機能し得ないような組織とも云えないような末期の機能不全に陥っている最中で、どのようにして、現場の指揮官は、一兵卒の命を、守っていったのであろうか?大学卒の若い将校の説得により、終戦後に特攻自爆や自決を止まった若い人達も、今や、90歳に近づこうとしている。一体、我々は、70年前の近代史の空白を、今日、どのように、考え直したらよいのであろうか?考えてみれば、既に、亡くなってしまった父の世代は、いつ頃、何年何月何日に、復員してきたのであろうか?よくよく、もっと、詳しく、聞いておくべきだったかも知れない。どこで、玉音放送を聴き、どのようにして、武装解除に従い、どのようにして、船で、復員してきたのかを、、、、、、、。存命していれば、今年の9月20日で、98歳を迎える筈だったが、、、、、、。
我々は、よくよく、考えてみれば、8月15日を終戦記念日と教えられてきたが、実は、この日を以てして、戦闘が停止されたわけでもなく、又、武装解除が整ったわけでもないことを、忘れがちである。確かに、玉音盤を奪い返そうとして、クーデターが生じようとしていたことも、又、事実であるし、この8月15日以降も、戦闘で、日米双方に、死傷者が出ていたことも確かに、事実であろう。考えてみれば、これ以降も、ソ連は、千島列島から、北海道の北側半分を占領する勢いであったし、海外に展開する軍人・軍属を含めると有に、1000万人弱にも達する数多くの人々が、依然として、生命の安全が保証されていたわけでないことも事実であろう。戦争の終結というものは、始めるのは、一発の銃声で、簡単に始まるものの、終結には、全く、初めから、シナリオが、無いものであることは、日清・日露の戦争を見ても、ベトナム戦争を見ても、或いは、湾岸戦争を見ても、今日、納得がゆくものである。停戦交渉・終戦処理、進駐・占領、考えてみなくも、こうしたプロセスは、巨大な組織、とりわけ、あっても、実質、機能し得ないような組織とも云えないような末期の機能不全に陥っている最中で、どのようにして、現場の指揮官は、一兵卒の命を、守っていったのであろうか?大学卒の若い将校の説得により、終戦後に特攻自爆や自決を止まった若い人達も、今や、90歳に近づこうとしている。一体、我々は、70年前の近代史の空白を、今日、どのように、考え直したらよいのであろうか?考えてみれば、既に、亡くなってしまった父の世代は、いつ頃、何年何月何日に、復員してきたのであろうか?よくよく、もっと、詳しく、聞いておくべきだったかも知れない。どこで、玉音放送を聴き、どのようにして、武装解除に従い、どのようにして、船で、復員してきたのかを、、、、、、、。存命していれば、今年の9月20日で、98歳を迎える筈だったが、、、、、、。