翻れ、橋下維新旗

地方自治改革に取組む 橋下徹氏と大阪維新の会、並びに橋下氏と共に自治体改革に取り組む大阪府職員、同市職員を応援します。

大阪都構想、ようやく議論開始

2012年04月27日 | 日記
 橋下徹大阪市長、松井一郎大阪府知事と大阪府議会議員、同市議会議員18名合せて20名からなる「大都市制度推進協議会」の初会合が大阪府庁で開催された。会合は午後1時からスタート。府議会議長の浅田均氏を会長に選出。今後、月1~2回の会合を開き、2015年4月の大阪都政移行を目差す。

 協議会は基本的枠組みを定めた計画案を今年度中に策定することにしているが、議論すべき事項は多岐にわたっている。中には紛糾必至と見られる権限と財源の配分もある。また、大阪市を8~9の特別自治区に再編する具体案づくりも相当もめるのではないか。

 都構想反対を表明している自民党府議団の花谷委員などからは、「特別自治区の区割り案が示されなければ議論のしようが無い。知事、市長が初めから区割り案など議論の叩き台を出すべきだ。」として反発する場面もあったようだ。

 国政レベルでは近づく衆院議員選挙を考慮してか、大阪都構想実現に向けた法案や関連法の改正案など法整備が進められつつあるが、地元大阪では維新の会以外の政党は構想推進には反対している。このため、都構想の基本設計策定がスケジュールどおりに進むか否かは不明だ。

 維新の会だけでは過半数に満たないため、どこか他の党派の賛意を取り付ける必要がある。その一番の候補は公明党になるだろうと予測されている。同党は、都構想について是々非々との姿勢を貫いており、これまでの維新の会との連携の経過から見ても最終的には賛成に回るのではないかと目されている。

 とは言え、公明党も中途半端な議論で賛意を示すわけにも行かないだろう。積極的かつ建設的な議論を戦わせていただけるものと信じる。反対のための反対意見が反対党から出されるかもしれないが、それらに負けずに十分な論議を進めて欲しい。とりわけ紛糾すると予測される事項については、色々な角度からの議論を深めていって欲しい。

 特に、関心の的となっている区割案づくりには大阪市民の意向を尋ねる場面があっても良いだろう。また、案も複数提示されても良いのではないか。決め難いものであるのなら、複数の案の中から住民投票による決着という方法が考慮されても良いのではないか。

 それらのことを視野に入れながら橋下市長は、公募による区長らに協議してもらい区割り案を出してもらうと表明している。叩きの案が出てくるのは今夏以降になるのだろうが、大阪市民としてはどのようなものが出されてくるのか注目していきたい。

次期衆院選投票先で維新の会がトップに

2012年03月19日 | 日記
 読売新聞が橋下大阪市長就任3ケ月経過を前に、近畿2府4県の有権者を対象として世論調査を行った。次期衆院選の比例近畿ブロックでどの政党に投票するかを問うたもの。結果は大阪維新の会がトップに躍り出て、近畿全域に支持を広げていることが分かった。

 投票結果は、維新の会が24%。国政の野党第一党である自民党が18%で、民主党と逆転。やや水をあけつつある。民主党は10%。失政に次ぐ失政。現状打破どころか為すべき案件も先送りしかできない体たらくに、最早、民主党支持者からも見放されつつあるかのようだ。

 公明党も、維新の会にすり寄った割には支持を得られず5%と低迷している。共産党は3%。社民党は0%。最早、政党としての役割を終えている。維新の会と政策の大半が同じと宣伝を続けるみんなの党も残念ながら3%に止まっている。

「決めていない」と「答えない」の合計が36%あったが、支持政党をこれまでの選挙前に決めていなかった人の割合からすれば、かなりの有権者が維新の会支持に回っているのがよくわかる。維新の会の国政進出に期待すると答えた人も63%に上っていることから、維新の会が既存政党に不満を持つ人の受け皿になっていることがうかがわれる。

 維新の会の国政進出への期待は、大阪だけでなく近畿各府県で軒並み上昇しており、奈良と滋賀では大坂の64%を上回る水準に達したと報じられている。維新の会支持が最も低かったのが、自民党谷垣総裁の地元京都だが、それでも過半数の57%に達している。

 維新の会の大幅な躍進を示す結果ではあるが、政党・政治団体の支持率で見る限り維新の会は近畿全体で8%にとどまっており、自民の15%、民主の12%に及ばなかった。二大政党はかろうじて面目を保っている。

 維新の会は大阪以外では目立った活動実績を持たないため、この結果について、維新の会幹事長の松井大阪府知事は、「既成政党への不満が高まっているのだろう。(維新の会への支持率の高さについて)まだ、ふわっとした支持を得ているに過ぎず、有権者は今後の活動を見極めてくる。」と冷静に受け止めている。

 一方、橋下市長に対する府民の支持だが、府域全体で72%。大阪市に限れば67%となっている。府知事だった昨年4月の支持率57%に比べると、大きく回復していることが窺える。大阪市政運営における既得権益のはく奪、組合とのなれ合い体質の打破、予算の全面的見直しや教職員改革に対する強力な取り組みなど、矢継ぎ早な改革に住民の支持が戻ってきたものと言えるだろう。

 現状の取り組みを継続するならば、維新の会支持の波は全国に浸透していくことだろう。そのことを大いに期待したい。

白々しい首相式辞2・・・大震災から1年。追悼式で

2012年03月14日 | 日記
 首相の二つ目の誓いが「震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいく」というもの。これにも「本気でそう思ってるの?」と疑問を持たざるを得ない。この1月に、震災対策本部ほか、ほとんどの会議の議事録が作成されていないことが判明した。これほど大きな災害に対する会議で議事録が作成されていないはずがない。

( 作成の責任が認識されていなかったなどと、政府関係者の口から聞かされようとは、国民の誰もが信じられないだろう。「委員たち関係者の一部の発言内容に問題があるため表に出せないのだろう」との噂のほうが真実味がある。委員会を運営した事務局職員の誰かが録音なりをしていたはずだから、何年かたったとき、どこからか議事録の一端が少しずつ現われるのではないか。それを期待したい。)

 対策会議の内容と、その結果を受けての実際の対策の実効性の検証が必要だ。だが肝心の議事録がなくて、首相は、どうやって後世に語り伝えていくことができるのか。まさか、「議事録は必ず作成しておかねばならないもの」など、教訓以前の当然なすべきことを後世に伝えていく必要があると誓う心算ではないだろう。

 では、「何故議事録が作成されていなかったの?」との疑問が生じてくるのを我々はとめることができない。何度も会議は開催しておきながら、議事録の存否すら気づかずにいたのだろうか。災害後の状況と対策の手段、その効果の追跡など、会議の場での事務局説明だけでは正確な判断にはつながらない。

 また、会議の議長か副議長など主要な構成員には事務局から会議後速やかに議事録内容の確認を求めるのが当然の手続きだ。まさか、議長らがそんなことも知らない暗愚な者たちだったとは思えない。対策を考えるあまり議事録に眼を通すことさえ頭になかったとでも言うのだろうか。そんなことはありえない。

 首相は議事録不作成の理由を明確に答えることができないだろう。ひょっとすると、自分の仕事ではないなどと責任逃れの発言に終始するかもしれない。だから、第二の誓いの内容も我々の胸の中に「ストンと落ちてこない」のだ

 三つ目の誓いが「助け合いと感謝の心を忘れない」こと。そのとおりだと思う。国民相互間だけでなく、世界中の方々から支援をいただいたことに対し「助け合いと感謝の心」を忘れてはならないだろう。しかし、首相はこの後に、「被災地以外の方々の支えが欠かせない」「海外からの支援に恩返しするためにも,国際社会への積極的貢献に努めていかねばならない」と続けている。

 これも、そのとおりなのだが、首相と政府は「被災地以外の方々の支え」が得られるように努力しているのだろうか。「国際社会への積極的貢献」とは、「無い袖を振る」ばら撒きのことを思っておられるのだろうか。どうも、首相の発言と実際の行動とがぴたっと重なってこない。

 両陛下は、被災民と膝を交えるようにして語り合われた。そのお姿を覚えておいでの方も多いだろう。陛下は追悼式で、「国民皆が被災者に心を寄せ、状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待する」ことや「人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを願う」とのお言葉を述べられた。その重みと真実味に比べると、首相の発言の軽さと「うそ臭さ」はなんともしようがない。

 国政の重要な課題はどれも決着を見ていない。それどころか方向性すら見出せていない。いま、首相が一番力をいれて取り組んでいるとされる消費税増税についても、その結果として、この国がどのように変わっていくのかが全く見えてこない。示されてもいない。無論、政権の寿命も次の選挙で失われる可能性が高いことを思えば、国の将来像を語られたとしても空手形になることは眼に見えている。

 民主党のマニフェストが「実現性の無いものの例え」となりつつあることを見るまでもなく、国の未来に関する首相の発言は眉唾ものと言っても良いのではないか。何を聞いても白々しく感じるのだ。追悼式での首相の発言ではそれが際立っていたのではないか。

白々しい首相式辞・・・大震災から1年。追悼式で

2012年03月12日 | 日記
 昨日、3月11日は、東日本大震災からちょうど1年目に当たる。1年という区切りの時を迎え、日本中で追悼の式典や関連行事が持たれた。国外でも幾つもの国と地域で追悼式が設けられたと伝えられている。新聞は、この日にあわせ特集記事を掲載し、復興を急ぐことや国民への協力を求めた。NHKや民放各社も特別番組を組み、今回の大震災関連情報を提供した。

 各社ともそれぞれの視点から記事や番組を工夫しており、読者や視聴者に改めて震災からの復興に国を挙げて取り組まねばならないことを訴えていた。マスコミの伝える内容に我々は一々うなづいたものだった。

 ところで、昨日は政府主催の追悼式も、天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、東京千代田区の国立劇場で行われた。この式典の場で首相が行った式辞を聞いていて違和感を覚えられた方が多かったのではないか。

 違和感の最初は、式辞劈頭の「亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われた遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。」の部分。普通であれば、我々もこの言葉を素直に受け止めたことであろう。しかし、今回はどうしても「それだけじゃないだろう」との思いが否定できないのだ。

 「わが党の対応のまずさから災害の被害を縮小できなかったばかりか、災害後の復興対策においてもその場しのぎにもならない対策しか取れなかったこと、また、未だに復興対策に遅れが生じておりますことに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。」と、正直に語るべきではなかったか。

 第二には、首相の行った三つの誓い。一つ目は「被災地の復興を一日も早く成し遂げること」との誓い。そのとおり。そうであって欲しいものだと誰しも思われていることだろう。被災地の方々をはじめ、国中の人々がそれを願っているし、世界中の人々も被災地の一日も早い復興を望まれている筈だ。

 しかし、この一年間の政府の震災処理の取組みを見直してみると、一体、何を愚図愚図しているのだと言わざるを得ない。原発の問題が一段落した今、急がなければならないのは「がれきの山の処理」ではないか。しかし、被災地での処理には限界があって、他の地域の協力なしには10年以上の期間を要するとされる。

 「がれきの処理」に他の地域の協力を得るには、放射線からの安全確保が必要と言われており、その基準が明確でないため、多くの地域で受け入れ反対運動が生じている。我々は被災者と強い「絆」で結ばれている筈だったが、こんなことで「絆」を弱め復興を遅らせてはいけない。

 首相と政府が取るべきは、放射線量の人体に対する安全基準を一本化し、明確にすることだ。その上で、処理設備を有する自治体には全て一定の処理を割り当てることを考えても良いのではないか。処理に要する経費を全額国の負担とすることも当然だ。また、健康被害を危惧する人々には、瓦礫の処理中に発生する放射線量を人体への影響以下にとどめることを約束して置けばよいだろう。万一、放射線による健康被害が生じた場合についても、国がその補償に全責任を負うことを明らかにしておけば協力が得やすくなるのではないか。

 首相は昨日の記者会見で、都道府県に対し法律に基づく文書による瓦礫の受け入れ要請の考えを表明したが、遅きに過ぎる。今回の震災は想定外の規模だったはずだ。先の阪神大震災の後処理でもこんなに時間と手間隙はかかっていなかった。地震の規模も災害の規模も阪神大震災より格段に大きい今回の震災で、その対策が遅れていることが問題なのだ。「被災地の復興を遅らせること。そして、政権の寿命を一日も先に延ばすこと。」との「裏の誓い」があるのではないかと勘ぐられても仕方あるまい。(続く)

本格化した維新の流れ・完 (国政の本流となれ)

2012年03月04日 | 日記
 自民、公明、共産各党の現党首の名前もわずかにしか知られていない。国際社会に向けた発言がない以上、注目されることもないし、知名度が低いのは止むを得ないだろう。そんな中、驚くべきことに橋下市長の名前は複数の国で、半数近くの人々に知られていた。いかに政治に強い関心を有する面々であるとは言っても、この知名度の高さには正直驚かされた。

 州知事から大統領になっていくというルートを持つアメリカでは、「橋下は首相にならないのか」という声も上げられた。選挙制度の違いがあることや、本人が国政には向かわないと言っていることなどの説明をしたが、なかなか納得はしてもらえない。米国及び日本の政治機構や仕組みに関する私たちの知識が不十分で、説明がまずいせいもあるのだろう。しかし、維新の会が国政に向かうとの情報はすでに知られていて、「その情報が正しいのなら、代表である橋下が首相になることを目指さないはずはない。」と言うのである。

 国内の週刊誌などでも、「維新版船中八策」に示された「首相公選制」などの文言から、橋下氏が総理就任を目論んでいるかのような記事が目に付くようになってきた。それらの記事はあまり好意的なものではないが、好意的に見ていない人たちにも橋下氏の首相就任の構図が映るものと見える。悪くはないのではないか。私たちは是非そうなって欲しいと考えている。

 今、日本の政治家の中で内政、外交ともに眼を配り、的確に判断を下していける政治家は橋下氏を置いてほかにはない。年齢的にも政治家として一番活躍できる時期に差し掛かる。新しいことに取り組む姿勢、過去からの悪しきしがらみを両断する思い切りの良さ、難問解決のスピード感。何をとっても政治家としては一級品だ。「百年に一度の政治家」と評する向きも現われた。ようやくの感はあるが、橋下氏が優れた政治家であるとの評価が固まりつつある。

 橋下氏の、「2年の期間をきって憲法問題の大議論をし、その後、国民投票・・・云々」のようなタイムスケジュールを明確にした政治運営を提唱できるような政治家でないと課題はいつまでも先送りされるばかりで解消されない。東日本大震災の後処理、原発問題、近隣諸国との関係改善、沖縄基地問題。どれをとっても現政権では手間隙と無駄ばかりが続いていく。

 のみならず、不全な政治運営では国際社会からも取り残され、国家としての存在価値も下がる一方だ。「国際社会の中で名誉ある地位をしめたい」との憲法前文の理想も絵空事になってしまう。そうならないためにも、わが国の抱える課題を着実に処理し、国民に対し公約したことを確実に実践していける政治のリーダーが望まれているのだ。

 それは国内だけではない、欧米はもとよりアジアの各国も日本に期待している。現政権をはじめ、日本の既存政党が国民の期待にも国際社会の期待にも応えられないのは残念なことであるが、橋下氏と維新の会の台頭は心強い限りだ。今後、時間の経過とともに、橋下大阪市長、松井大阪府知事と維新の会の進める改革が鮮明化するだろう。そのときこそ、本格化した維新の流れがわが国の政治の本流となっていくだろう。また、そうあるべきなのだ。(終わり)