驚愕の事実!! 間違っていた日本仏教!!
法華経、浄土経、密教、禅宗など、大乗仏教の虚偽!!
「大乗非仏説」 諸学者の見解
正法「阿含経」あごんきょうを知っていただくために!!
大乗仏教信者の方には、大変驚かれることと存じますが、信者の方に是非真実を知っていただくために、書かせていただきたいと思います。
真実の仏教
明治になって、仏教学の新しい研究によって、日本の既成の仏教について、信じられない事実がわかってまいりました。
それはどういう事かと申しますと、日本の既成仏教は、「大乗」仏教と呼ばれているのですが、それら大乗仏教がすべて誤りであることが判明してきたのです。なんと、大乗仏教は、すべてお釈迦さまの説かれた教えではないことがわかってきたのです。大乗仏教は、どこの誰が作ったかもしれない、偽作仏教であることが判明してきたのです。
さらには、今まで大乗仏教が、「小乗」仏教としてさげすんできた最古の経典「阿含経」のみが、真のお釈迦さまの説かれたお経であることが判明してきたのです。まさに、驚天動地のことがわかってきたのです。
知らないのは、信仰をしている信者の方々なのです。僧侶の方たちも、あまり知られておりません。また知っていても、なんとかごまかしているのが現状なのです。
現代仏教学では、この理論を、「大乗非仏説」と呼んでいます。この理論が今や現代仏教学会の定説となっています。また、「阿含経」のことを、「根本仏教」、「原始仏教」と呼んでいます。いまでは、大学の仏教学科では、世界中どこででも、教えられていることなのです。
それでは、諸学者の方々の見解を記載させていただきたいと思います。
まず、仏教学の最高権威で在らせられた東大名誉教授故中村元先生の文章を引用させていただきます。「仏教経典散策」というご著書の中の、「大乗経典」からです。
「伝統的保守的仏教の聖典(阿含経のこと)が比較的に相似た趣旨または性格のものとしてまとまっているのに対して、大乗仏教の聖典は多様多岐であり、しかも西紀1世紀から10世紀頃に至る非常に長い年月にわたって作られたものである。
「仏説」と称する伝統的保守的仏教の聖典で、パーリ語で伝えられた聖典は仏陀ゴーサ以前に、またそれに対応する漢訳経典や律蔵に基づいたサンスクリット原 本も4世紀には確定していたと考えられるが、大乗仏教は自由な思想表現をゆるしたため、仏説と称する経典のたぐいがインドで次から次へと限りなく作られ、 また中国でも新たに作られた。(中国で作られた経典類をしばしば「偽経」と呼ぶが、歴史的人物である釈尊が説いたものであるかどうかということになると、 少なくとも大乗経典は全部「偽経」であるということになる。)」
真実の仏教
明治になって、仏教学の新しい研究によって、日本の既成の仏教について、信じられない事実がわかってまいりました。
それはどういう事かと申しますと、日本の既成仏教は、「大乗」仏教と呼ばれているのですが、それら大乗仏教がすべて誤りであることが判明してきたのです。なんと、大乗仏教は、すべてお釈迦さまの説かれた教えではないことがわかってきたのです。大乗仏教は、どこの誰が作ったかもしれない、偽作仏教であることが判明してきたのです。
さらには、今まで大乗仏教が、「小乗」仏教としてさげすんできた最古の経典「阿含経」のみが、真のお釈迦さまの説かれたお経であることが判明してきたのです。まさに、驚天動地のことがわかってきたのです。
知らないのは、信仰をしている信者の方々なのです。僧侶の方たちも、あまり知られておりません。また知っていても、なんとかごまかしているのが現状なのです。
現代仏教学では、この理論を、「大乗非仏説」と呼んでいます。この理論が今や現代仏教学会の定説となっています。また、「阿含経」のことを、「根本仏教」、「原始仏教」と呼んでいます。いまでは、大学の仏教学科では、世界中どこででも、教えられていることなのです。
それでは、諸学者の方々の見解を記載させていただきたいと思います。
まず、仏教学の最高権威で在らせられた東大名誉教授故中村元先生の文章を引用させていただきます。「仏教経典散策」というご著書の中の、「大乗経典」からです。
「伝統的保守的仏教の聖典(阿含経のこと)が比較的に相似た趣旨または性格のものとしてまとまっているのに対して、大乗仏教の聖典は多様多岐であり、しかも西紀1世紀から10世紀頃に至る非常に長い年月にわたって作られたものである。
「仏説」と称する伝統的保守的仏教の聖典で、パーリ語で伝えられた聖典は仏陀ゴーサ以前に、またそれに対応する漢訳経典や律蔵に基づいたサンスクリット原 本も4世紀には確定していたと考えられるが、大乗仏教は自由な思想表現をゆるしたため、仏説と称する経典のたぐいがインドで次から次へと限りなく作られ、 また中国でも新たに作られた。(中国で作られた経典類をしばしば「偽経」と呼ぶが、歴史的人物である釈尊が説いたものであるかどうかということになると、 少なくとも大乗経典は全部「偽経」であるということになる。)」
東大教授、故姉崎正治博士『現身仏と発身仏』の引用です。すでに古典と呼ばれる名著です。
「この研究のために著者がしょうりょうしたるは、主としてパーリ語仏典と漢文四阿含にあり。是れ、仏教史の初期に現れたる人心信仰の真歴史が、これら仏典 に特に忠実に保存せられしを見たるが為にして、日本の仏教者が、自ら大乗と称して独り高しとし、高遠の理論、迂闊の談理をもてあそびて、かえって切実なる 仏陀中心の信仰を忘れ、その極、ついに影のごとく空閣のごとき仏教となりはてしは、歴史と信仰との二面より、共にびん笑するにたえたり。(中略)しかも明 晰に師主徒弟が日常生活を叙し、その生活の間に現れたる信仰道行の生ける跡を伝うる阿含部仏典と、ひたすら神話装飾につとめ、経文讃歓に余念なき自称大乗仏典と、いずれが史料として正確なるやは、公平なる頭脳の容易に判断し得るところならん。」
元東大教授、故水野弘元博士は、ご著書『原始仏教』の中で、
「大乗経典の作者が出家であるか在家であるかも判らない」と書かれています。
元都留文科大学長、故増谷文雄先生『原初経典 阿含経』の引用です。
「しかるに、ブッダがなくなられてから数百年を経たのち、いわゆる大乗仏教なるものが起こり、かつ大乗教典なるものが生産されはじめた。それとともにこの阿含経が持っていた独占的な地位はようやく崩壊し始め、そこからこの経の運命の浮沈がはじまるのである。」
「しかるに、ブッダがなくなられてから数百年を経たのち、いわゆる大乗仏教なるものが起こり、かつ大乗教典なるものが生産されはじめた。それとともにこの阿含経が持っていた独占的な地位はようやく崩壊し始め、そこからこの経の運命の浮沈がはじまるのである。」
続けて、増谷先生の昭和55年8月5日、日経新聞文化欄の論説です。
「しかるに、いま、かくのごとくにしてはじめられた明治以後の新しい仏教研究においては、厳密な経典批判の結果として、この阿含経典のみが、よく仏教の根本聖典たることを主張しうるものとなった。つまり、今日の仏教研究においては、仏陀の教法をその原初的なすがたにおいて伝える経典として、よく学問的吟味にたえるものは、この経典群を措いて他にまったく存しないのである。(中略)そして、それを私どもは、根本経典と呼ぶのである。つまり、阿含なる経典群によって知られる仏教こそが根本仏教なのである。」
「しかるに、いま、かくのごとくにしてはじめられた明治以後の新しい仏教研究においては、厳密な経典批判の結果として、この阿含経典のみが、よく仏教の根本聖典たることを主張しうるものとなった。つまり、今日の仏教研究においては、仏陀の教法をその原初的なすがたにおいて伝える経典として、よく学問的吟味にたえるものは、この経典群を措いて他にまったく存しないのである。(中略)そして、それを私どもは、根本経典と呼ぶのである。つまり、阿含なる経典群によって知られる仏教こそが根本仏教なのである。」
「ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実」
文学博士 宮元啓一著からです。
「日本仏教は完全に大乗仏教の流れを引き継いだものなので、今でも教典に説かれている教えはゴータマ・ブッダの教えだと広く信じられているが、これは事実に反する。事実はまさに、まさに「大乗非仏説」なのである。
僧侶で仏教学研究にたずさわっている学者たちは、そこで、宗門の立場とアカデミズムの立場との間のギャップに悩まされる。そこで一部の学者たちは、「解釈学」などと称して、初期仏教教典を大乗仏教的に解釈し、大乗仏教は、ゴータマ・ブッダの教えの「スピリット」を忠実に引き継いだ仏教なのだと主張する。しかし、これはもはや「神学」であって、やはりアカデミズムからの逸脱でしかないと思う。」
文学博士 宮元啓一著からです。
「日本仏教は完全に大乗仏教の流れを引き継いだものなので、今でも教典に説かれている教えはゴータマ・ブッダの教えだと広く信じられているが、これは事実に反する。事実はまさに、まさに「大乗非仏説」なのである。
僧侶で仏教学研究にたずさわっている学者たちは、そこで、宗門の立場とアカデミズムの立場との間のギャップに悩まされる。そこで一部の学者たちは、「解釈学」などと称して、初期仏教教典を大乗仏教的に解釈し、大乗仏教は、ゴータマ・ブッダの教えの「スピリット」を忠実に引き継いだ仏教なのだと主張する。しかし、これはもはや「神学」であって、やはりアカデミズムからの逸脱でしかないと思う。」
インターネット辞典、ウィキペディアでも大乗非仏説について以下のように言っています。
「文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。」
「文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中の仏典『阿含経典』、特に相応部(サンユッタ・ニカーヤ)などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。」
『法華経の出現』(大蔵出版)菅野博史(創価大学教授)より。
「原始経典(小乗経典)が原則的には歴史上の釈尊(ゴータマ ・ブッダ。紀元前5世紀~4世紀、または6世紀~5世紀)によって説かれ、 弟子たちによって伝承されてきたものであるのに対して、大乗経典の成立の 事情は大いに異なっています。 というのは、大乗経典には伝承の部分が不明であり、有り体にいえば、 新しい仏教運動の担い手たちの創作にかかると推定されます。 このことは大乗非仏説といわれるもので、日本では富永仲基や平田篤胤 によって早くも江戸時代に主張されたことでしたが、明治中期に改めてヨーロッパ の仏教学から学んだ歴史的知識として、現在では広く認められる考えです。」
「原始経典(小乗経典)が原則的には歴史上の釈尊(ゴータマ ・ブッダ。紀元前5世紀~4世紀、または6世紀~5世紀)によって説かれ、 弟子たちによって伝承されてきたものであるのに対して、大乗経典の成立の 事情は大いに異なっています。 というのは、大乗経典には伝承の部分が不明であり、有り体にいえば、 新しい仏教運動の担い手たちの創作にかかると推定されます。 このことは大乗非仏説といわれるもので、日本では富永仲基や平田篤胤 によって早くも江戸時代に主張されたことでしたが、明治中期に改めてヨーロッパ の仏教学から学んだ歴史的知識として、現在では広く認められる考えです。」
釈尊は、なんとこうなることを、予言されています。釈尊直説の唯一の経典、阿含経にこう予言されているのです。
「比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典(阿含経のこと)は
深遠であって意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応しているものであるが、
それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとしないし、 耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。
それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって作られ、
詩文調であり、
文辞麗しい諸経典は、
外道に由来するものであり、
弟子たちの説いたものであるが、
それらが説かれるときに、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。
それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくのごとくにして、如来の説かれた、
深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。
―――「如来の説かれた深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)が説かれる時に、
われらは、よく聞くことにしよう。
耳を傾け、了解しようとする心を起こそう。
それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう。」と。」
( 中村元「原始仏教の思想」)
文芸人によって作られ、詩文調であり、文辞麗しく、外道(げどう、他の宗教)に由来し、弟子たちによって説かれた、とあります。
大乗経典は、ほとんどが、他の宗教からの流入なのです。
見事に大乗経典を予言しています。
法華経は、1世紀頃、浄土教は、2世紀頃、大日経は、7世紀頃作られました。
大乗経典は、全て偽経です。
釈尊直説でなければ、全て偽経なのです。
信憑性がありませんし、なにより、成仏法「七科三十七道品」は、阿含経にしか書かれていないのです。
釈尊直説の唯一の経典「阿含経」を、小乗とさげすんだこと自体が、大乗仏教の誤りなのです。
最後に、駒沢大学 大野達之助 教授の
「日本仏教思想史」から、引用させて頂きます。
「従って今日から見れば、諸宗派の教義は、釈尊の仏教とは直接何ら関係もない哲学思想に過ぎないのであるが、遺憾ながら、この最も重大な問題には、各宗とも目をおおって、根本的解決を図ろうとしていない。
愚見を以てすれば、各宗が、釈尊の仏法を相承していると主張するためには、成立の最も古いパーリ経典について、歴史的にも内容的にも間違いのない釈尊の教法を求め、その教法と自宗の教義との同一性を立証しなければならないと思う。
各宗とも共通の課題として、大勇猛心をもってこの道に進んでこそ、真の仏恩報謝ともなり、また現代における仏教の存在価値を確立する所以でもあろう。」
大乗仏教は、速やかに教義の誤りを認め、公表し、修正すべきです。そうでないと、近い将来、必ずや、真実が世間に露見し、社会問題となるでしょう。
「仏陀の真実の教えを説く」という本があります。お勧めします。
正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌
「比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典(阿含経のこと)は
深遠であって意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応しているものであるが、
それらが説かれるときに、かれらはよく聞こうとしないし、 耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。
それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって作られ、
詩文調であり、
文辞麗しい諸経典は、
外道に由来するものであり、
弟子たちの説いたものであるが、
それらが説かれるときに、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。
それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくのごとくにして、如来の説かれた、
深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。
―――「如来の説かれた深遠にして意義が深く、
出世間のものであり、
空と相応している諸経典(阿含経)が説かれる時に、
われらは、よく聞くことにしよう。
耳を傾け、了解しようとする心を起こそう。
それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう。」と。」
( 中村元「原始仏教の思想」)
文芸人によって作られ、詩文調であり、文辞麗しく、外道(げどう、他の宗教)に由来し、弟子たちによって説かれた、とあります。
大乗経典は、ほとんどが、他の宗教からの流入なのです。
見事に大乗経典を予言しています。
法華経は、1世紀頃、浄土教は、2世紀頃、大日経は、7世紀頃作られました。
大乗経典は、全て偽経です。
釈尊直説でなければ、全て偽経なのです。
信憑性がありませんし、なにより、成仏法「七科三十七道品」は、阿含経にしか書かれていないのです。
釈尊直説の唯一の経典「阿含経」を、小乗とさげすんだこと自体が、大乗仏教の誤りなのです。
最後に、駒沢大学 大野達之助 教授の
「日本仏教思想史」から、引用させて頂きます。
「従って今日から見れば、諸宗派の教義は、釈尊の仏教とは直接何ら関係もない哲学思想に過ぎないのであるが、遺憾ながら、この最も重大な問題には、各宗とも目をおおって、根本的解決を図ろうとしていない。
愚見を以てすれば、各宗が、釈尊の仏法を相承していると主張するためには、成立の最も古いパーリ経典について、歴史的にも内容的にも間違いのない釈尊の教法を求め、その教法と自宗の教義との同一性を立証しなければならないと思う。
各宗とも共通の課題として、大勇猛心をもってこの道に進んでこそ、真の仏恩報謝ともなり、また現代における仏教の存在価値を確立する所以でもあろう。」
大乗仏教は、速やかに教義の誤りを認め、公表し、修正すべきです。そうでないと、近い将来、必ずや、真実が世間に露見し、社会問題となるでしょう。
「仏陀の真実の教えを説く」という本があります。お勧めします。
正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌
阿含宗管長 桐山 靖雄 きりやま せいゆう 大僧正猊下 プロフィール
僧位・法号
1983 | チベット政府より外国人初の高い僧位法号「一切萬霊守護金剛」を授かる |
1988 | チベット仏教界より僧位の師の位「阿闍梨位」を授受 |
1992 | スリランカ仏教界から名誉大僧正の 僧位・法号「キールティ・スリ・サーマ・ドゥータ(輝く平和の大王)」授受 |
1993 | チベット仏教最高僧位「金剛大阿闍梨耶」と 法号「智勝光明大覚者(ンガワン・リンズィン・テンペル)」授受 |
1994 | ミャンマー仏教界から僧位「アシン・ウイ・トツダ・タンダ・マナ(非常に高潔で 平和を招来する尊い僧)」法号「テイラ・ワーダ・サーサナ・ノツガハ・ベイツク (釈迦の真の教えを保護し、伝道してこられた大尊者)」授受 |
1999 | チベット仏教界から当代最高の人物に贈られる名誉称号「パンティッタ」を授かり、 チベット仏教ニンマ派総本山ミンドリン寺で称号認証式拳行 |
2010 | ブータン仏教界から法号「ウガワン・ゲルツェン(王者の説法をする仏法守護者)」授受 |
教職・学位
1991 | チベット仏教ニンマ派仏教大学名誉学長就任 |
1995 | アメリカ・サンフランシスコ大学理事に就任 |
1996 | モンゴル国立大学より名誉哲学博士学位授受 |
1997 | 中国・国立中山大学名誉教授授受 |
1998 | 中国国立仏学院(仏教大学)名誉教授就任 |
1999 | モンゴル国立大学より学術名誉教授授受 中国・国立北京大学より名誉教授授受 |
2001 | タイ王国・国立タマサート大学より名誉博士号授受 |
2002 | ロンドン大学SOAS名誉フェロー授受 |
2005 | モンゴル科学アカデミーから名誉哲学博士の学位授受 |
受賞
1989 | ダッチ・トリート・クラブ名誉会員就任 |
1990 | 国際警察長協会IACPから特別功労賞受賞 国連・国際麻薬取締官協会INEOAから平和賞受賞 |
1991 | パリ市文化功労賞(金メダル)受賞 イタリア共和国功労大公勲章受章 |
1997 | スリランカ首相賞・功労大賞受章 |
1998 | サンフランシスコ大学から「USF学長特別メダル」受賞 北京大学より北京大学教育貢献賞受賞 |
2001 | モンゴル国最高国家勲章「友好大勲章」受賞 |
「平和の銀賞」受賞 | |
2002 | 日本棋院名誉9段授受 中国囲棋協会名誉副主席授受 |
2005 | モンゴル自由勲章授章 ロンドン大学SOASが貢献を顕彰 モンゴル政府勲功表彰状授受 京都市より特別感謝状授受 |
2006 | 中国貴州省凱里市の名誉市民 |
2007 | 「中山大学国際教育傑出貢献賞」を拝受 トルコ共和国大統領府「マルマラ基金」名誉勲章受章 |
阿含密教いま―阿含講話集1 (阿含講話集 1) | |
平河出版社 |