瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

純粋主観性

2005年07月28日 | 瞑想日記
私の経験は、この世にひとつしかない。今感じている私の痛みは、私以外の誰の痛みでもない。痛みが発生する物質的なメカニズムもいくら説明できても、私の主観的な痛み、痛みのクオリアを脳神経の客観的な組み合わせによってのみ明らかにすることはできない。そういう意味での主観の唯一性。客観科学によってはどうしても説明することのできない、異質の存在原理・主観性。

今この場所での私の経験として、「私」によって限りなく分節され、色づけられた、「私」の経験世界。しかし、この主観的世界においては、「私」と「私」による分節化という限定作用をかぎりなく小さくしていくことが出来る。「私」が限りなくゼロに近づいたとき、この主観性は純粋主観性と呼ばれる。そして全一性の体験。

「私」が時空を限定するものであるとするなら、この純粋主観性は、時空を超えて存在する。それは、主観性でありながら、「私」によって持ち込まれた時空という枠組みを超えている。

以上は、きわめてラフなスケッチだが、脳科学などとの対話を通して、私のなかでだんだんと形をなしてきた理解だ。これに輪廻の主体は何かという問題がからんでくるが、これは難しい。
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