最近、このブログでの発信はほとんどしなくなっていたが、今はTwitterやYouTubeチャンネルで世界に向けて発信するようになっている。YouTubeの方は、今まで実験的に、日本の寺社や観光地などを紹介する動画を作っていたが、徐々に日本文化ユニークさに切り込む動画も作成していくつもりである。
最近は、「日本はなぜキリスト教徒が少ない?――「もののけ姫」が語らなかったこと」”Why are there so few Christians in Japan? -What “Princess Mononoke” didn’t say.”という動画を作った。日本語の字幕も作ったのでぜひご覧ください。
なぜ日本にはキリスト教徒がこれほど少ないのか。その理由を縄文文化との関係や日本文化の母性原理との関係で簡潔にまとめました。縄文文化といっても外国の人びとには馴染みのないと思われるので、『もののけ姫』のストーリーに触れ、縄文文化への導入としました。
この動画での、私の主張の論点は、曖昧さの中にすべてを飲み込むような、縄文時代以来の日本文化の母性原理的な特性が、父性原理的で唯一神以外は受け入れない、排除的な宗教とは相いれないというものでした。
私の主張に対して二人の外国の人が反論してきました。私のFacebookアカウントで、この動画を紹介したので、そこでの反論です。その論点を簡単に紹介します。最初の反論は、以下のようなものです。
~~~なぜ日本にクリスチャンが少ないのかという質問に対する答えは、哲学的というよりも歴史的なものです。 キリスト教が(布教に)「失敗」したと言うことは、満州が単なる「事件」であったと言うようなものです。
1500年代半ばから始まって、過度に単純化するリスクを冒して、日本はキリスト教の世紀を迎え、信者の人口は増え続けました。 キリスト教が「失敗」した理由は、信者の不足によるものではなく、仏教の指導者たちがキリスト教徒全体を火とはりつけで全滅させ、キリスト教を禁止し、世界から孤立させたためです。
何百年もの孤立から発展した文化的な思い込みは非常に深いので、多くの人はそれらやそれらの思い込みの背後にある歴史に気づいていません。~~~
一読してお分かりのように、明らかにキリスト教の側からの反論で、キリスト教は「善」、それを排除しようとした暴力的仏教は「悪」という前提の上に立っています。そして鎖国という孤立によって日本人は「文化的な思い込み cultural beliefs」に陥って、真実の歴史が見えなくなっているというのです。しかし、このような独善性こそ、日本人が嫌うもので、キリスト教が日本で受け入れられにくい理由がまさにそこにあるのだということに気付いていません。
これに対して私は、以下のように応答しました。
~~~14世紀末から15世紀初頭にかけてのキリスト教徒の割合は、当時の日本人人口の2%から4%と言われています。 キリスト教禁令と弾圧による犠牲者数は資料で確認できる人数は3,792人であり、実際の数は不明であるが、おそらくその数倍であっただろう。 多くの人が棄教したふりをして隠れキリシタンになりました。 秀吉だけでなく、その後の江戸幕府も260年間キリスト教を禁止しました。 それが、日本にクリスチャンが少ない理由のひとつとは思われます。 しかし、これだけでは、信教の自由が保証されている現代においても、日本人の1%しかキリスト教徒ではない理由を説明することはできません。~~~
つまり、秀吉の禁令や江戸時代の禁令は、日本にキリスト教が少ない理由の一つと言えるかもしれないが、それだけでは、現代日本においてもキリスト教が少ない理由は説明できない。そのもっと深い理由を、私は提示したのだということです。
この議論は、まだ少し続くのですが、長くなるので次回に回します。
最近は、「日本はなぜキリスト教徒が少ない?――「もののけ姫」が語らなかったこと」”Why are there so few Christians in Japan? -What “Princess Mononoke” didn’t say.”という動画を作った。日本語の字幕も作ったのでぜひご覧ください。
なぜ日本にはキリスト教徒がこれほど少ないのか。その理由を縄文文化との関係や日本文化の母性原理との関係で簡潔にまとめました。縄文文化といっても外国の人びとには馴染みのないと思われるので、『もののけ姫』のストーリーに触れ、縄文文化への導入としました。
この動画での、私の主張の論点は、曖昧さの中にすべてを飲み込むような、縄文時代以来の日本文化の母性原理的な特性が、父性原理的で唯一神以外は受け入れない、排除的な宗教とは相いれないというものでした。
私の主張に対して二人の外国の人が反論してきました。私のFacebookアカウントで、この動画を紹介したので、そこでの反論です。その論点を簡単に紹介します。最初の反論は、以下のようなものです。
~~~なぜ日本にクリスチャンが少ないのかという質問に対する答えは、哲学的というよりも歴史的なものです。 キリスト教が(布教に)「失敗」したと言うことは、満州が単なる「事件」であったと言うようなものです。
1500年代半ばから始まって、過度に単純化するリスクを冒して、日本はキリスト教の世紀を迎え、信者の人口は増え続けました。 キリスト教が「失敗」した理由は、信者の不足によるものではなく、仏教の指導者たちがキリスト教徒全体を火とはりつけで全滅させ、キリスト教を禁止し、世界から孤立させたためです。
何百年もの孤立から発展した文化的な思い込みは非常に深いので、多くの人はそれらやそれらの思い込みの背後にある歴史に気づいていません。~~~
一読してお分かりのように、明らかにキリスト教の側からの反論で、キリスト教は「善」、それを排除しようとした暴力的仏教は「悪」という前提の上に立っています。そして鎖国という孤立によって日本人は「文化的な思い込み cultural beliefs」に陥って、真実の歴史が見えなくなっているというのです。しかし、このような独善性こそ、日本人が嫌うもので、キリスト教が日本で受け入れられにくい理由がまさにそこにあるのだということに気付いていません。
これに対して私は、以下のように応答しました。
~~~14世紀末から15世紀初頭にかけてのキリスト教徒の割合は、当時の日本人人口の2%から4%と言われています。 キリスト教禁令と弾圧による犠牲者数は資料で確認できる人数は3,792人であり、実際の数は不明であるが、おそらくその数倍であっただろう。 多くの人が棄教したふりをして隠れキリシタンになりました。 秀吉だけでなく、その後の江戸幕府も260年間キリスト教を禁止しました。 それが、日本にクリスチャンが少ない理由のひとつとは思われます。 しかし、これだけでは、信教の自由が保証されている現代においても、日本人の1%しかキリスト教徒ではない理由を説明することはできません。~~~
つまり、秀吉の禁令や江戸時代の禁令は、日本にキリスト教が少ない理由の一つと言えるかもしれないが、それだけでは、現代日本においてもキリスト教が少ない理由は説明できない。そのもっと深い理由を、私は提示したのだということです。
この議論は、まだ少し続くのですが、長くなるので次回に回します。