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-和辻哲郎「日本の臣道」(二)-(GHQ焚書図書開封第173回)

2022-07-11 04:57:10 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第173回

-和辻哲郎「日本の臣道」(二)-

 尊皇の道は国初以来綿々として絶えず、日本人の生活の深い根底となっているものであります。武士たちが自分の直接の主人にのみ気をとられていた時代でも、その心の奥底には尊皇の精神が存していたのであります。それは稀には日本の国家を国外からの脅かすような力が現れてきた来た際、はっきりと露出しております。

 不幸にして武士たちは、国内の争いのために近視眼となり、自分の奥底にあるものを十分自覚し得なかったのであります。しかし、前に申し述べました二つの道も実を申せば最初から尊皇の道に含まれていた契機にほかならぬのであります。この点を簡単に指摘して置きたいと存じます。

 前述の如く死生を超えた立場は一方では絶対の境地に突入することによって得られました。ところでこの絶対の境地を我々の遠い祖先は尊皇の道に於いて把握したのであります。この把握の方法は、儒教、基督教、回教などの所謂世界宗教とは明白に異なってい居ります。

これらの宗教では絶対者はそれぞれの宗教独特の形に限定されているのであります。仏とか、エホバとか、アラーとかがそれであります。かく限定されている以上、他の宗教の神に対立せざるを得ませぬ、対立すればそれは相対者であって絶対者ではありませぬ。従って己の宗教の神を絶対者として主張するためには他の宗教の神を排斥しなくてはならないのであります。

エホバの神の如きはその排斥を特徴とする神でありまして、その故に妬みの神と呼ばれておりますが、この精神は基督教の歴史全体に濃厚に現れているのであります。先程も一寸触れました16世紀を例えに取りますと、この世紀の初めにはアメリカ新大陸やインドや南洋への交通が盛んになり、ヨーロッパの近代が華々しく始まっているわけであります。しかし、同時にそのヨーロッパに於いて異教徒の封殺という如きが累累と行われているのであります。

 異教徒は悪魔の弟子でありますから、どんな残虐な取り扱いを受けてもよいと人々は考えておりました。ヨーロッパにおいてさえもそうでありますから、もともと異教徒の住んでいるアメリカや東洋へ進出した伝道師たちが、悪魔退治の態度を以ってその土地の宗教に望んだのは彼らとしては当然なのであります。

 殊(こと)に当時海外進出の急先鋒でありましたスペインのカピタンたちがドミニカン藩の僧と一緒にアメリカで行いました悪魔退治は、実に残虐を極めたものであります。今のペルーの地にあったインカ帝国などは、立派な秩序を持った美しい国家でありましたが、文字通りに抹殺されてしまいました。

 日本に参りましたのはポルトガルの勢力でありますから、アメリカに於けるスペインほど乱暴ではありませんでしたが、それでも伝道者たちは悪魔退治を標榜しております。シャビエルは薩摩へ着くとすぐ悪魔の弟子たるボンズ(坊主)との戦を始めておりますが、この方針は山口へ行っても京都へ上っても同様であります。また彼のあとに渡来した伝道者においても同様であります。

これはただ一例に過ぎませぬが、その後300年の間にヨーロッパ人がその文明を世界各地に押し付けたやり方は、右の排他精神と無関係ではないのであります。しかしこの排他的傾向に於いては回教は基督教に負けるものであはありません。ただ、仏教のみがこの点で著しく寛容でありました。しかし、それは日本の仏教の特徴なので、印度の仏教に於いては他の宗教は外道として激しく排斥せられております。

このように絶対神あるいは絶対者を振り回す宗教ほど排他的傾向が烈しいのであります。このことはそれぞれの宗教の教義においても同様に申すことが出来ます。教義の内容は絶対者を説くのでありますが、しかしその表現は極めて特殊な形を持っております。その最も著しいのが十字架の基督の教えであります。かく教義が限定せられている以上、たの教義と対立し衝突せざるを得ませぬ。然るに我々の祖先は、絶対の境地を把握しながらしかもそれを絶対神として限定せず。またその教義をも作らなかったのであります。神代史に於いて最初に挙げてありますのは、天御中主尊とか国常立尊とかでありますが、しかし我々の祖先はそれを絶対神とか或いは最大の神とかとして祀って参ったわけではありませぬ。最も尊い神様として祀られているのは天照大御神であります。

この大御神が国土創造の神々よりも、またそれ以前の神々よりも大切なのであります。ここに我々は前述の世界宗教と明白に異なる点を理解しなくてはなりませぬ。我々の祖先は究極のもの、絶対的のものを特殊の形に限定しないで、不定のままに、無限定のままに留めているのであります。そうしてこの無限定の絶対者が限定された形におのれを現じてくる道を捉えたのであります。

その道は多くの神々となって現れますが、いかに多くとも互いに衝突はいたしません。そうして最大の神、天照大御神に帰一するのであります。かくして天照大御神は、究極の神ではなく途中の神でありながら、その故に反って絶対的なるものを、排他的にではなく即ち真に絶対的に表現するのであります。この点が天皇の現御神(あきつかみ)にまします所以と密接に連関いたしております。

 天皇は天つ日嗣にましますがゆえに、即ち天照大御神の神聖性をにないたまうがゆえに、現御神(あきつかみ)にましますのであります。その神聖性は絶対者のものでありますが、しかしその絶対者は無限定のままであり、そうしてその限定された形が天照大御神と天つ日嗣とであります。そうなれば天皇への帰依を除いて絶対者への帰依はあり得ないことになります。これが尊皇の立場であります。この立場は絶対者を国家に具現せしめる点に於いて所謂世界宗教よりも遥かに具体的であり、絶対者を特定の神としない点に於いて所謂世界宗教よりも一段高い立場に立つのであります。従ってどんな宗教をも寛容に取り入れ、これを御稜威(みいつ)の輝きたらしめることができるのであります。万邦をして所を得さしめるという壮大な理念はこの高い立場に立っているのであります。

 私は、右の点が非常に重大であると考えております。我々の遠い祖先は既に肇国(ちょうこく)の始めからこのことを自覚しておったのであります。人がその最も深い根拠たる絶対者にかかわる道は、ただ人倫的なるもの、特に国家を通じてのみ、真に具体的に実現せられる。

さて、所謂世界宗教が個人の立場から直接に絶対者に行き得るかのごとくに説いているのは、単なる見せかけに過ぎない。それらは実は国家の代用物として僧伽とか教会とかの如き人倫的組織を用いているのである。しかもその代用物を権威付けるために国家の神聖性を抹殺しようとしている。三百年前の武士たちが仏教を排斥する理由のひとつはここにありました。禅がどれほど武士に絶対の境地を教えたとしても、人倫の軽視を伴っている点は許すことができないというのであります。この見当は当たっております。絶対の境地に入るということと大君に仕え祀るということとは渾然としてひとつにならなくてはなりませぬ。

 天つ日嗣の現御神(あきつかみ)の尊崇はこの渾然たる一を実現したものであります。ここに自分一己の身命の価値などと比べ物にならない絶大な意義価値があるのであります。禅の心境として体験せられたのはこの意義価値の一面にすぎなかったのであります。

 次に問題となりますのは、今申した三百年前の、仏教を排撃した武士たちの立場であります。即ち死生を超えた立場は他方において道への奉仕によって得られたと申しましたが、この道への奉仕をもまた我々の遠い祖先は尊皇の道において自覚しておったのであります。その自覚は所謂清明心という概念によって現されております。これは我国の道徳の特徴を示している概念であります。何を心の清き明きと考えているかと申しますと、私を滅して大君に仕えまつることなのであります。即ち滅私奉公であります。

 少しでも私があれば、そこに濁った薄暗い心境が生ずる。この濁りを捨てて透明な清らかなる心持となるためには、あらゆる意味で私を捨てなくてはならぬ。これはいかなる共同体にも通用する根本的な倫理でありますが、我々の祖先はこれを最も大いなる共同体に於いて把握したのであります。従ってあらゆる人間の道は清明心に帰着すると申してよいのであります。我々の祖先はこの清さを重んずること、善を尊ぶよりも顕著でありました。通例、道徳的な価値は善悪によって現されております。特に近代ヨーロッパの道徳思想が伝わって以来このことは顕著でありますが、しかしこの善意とかヨイワルイとかと申す言葉は、我国でも支那でもヨーロッパでも、吉凶禍福(きっきょうかふく)の意味を含んでおります。Guter,Goodsなどがヨキ物即ち財(産)を意味しているのはその適例であります。

 従ってこの意味を重視すれば当然幸福説や功利説が出てまいるのであります。然るに我々の祖先は清さ穢さの別を非常に重んじて、利福の如きを眼中に置きませんでした。従って利福と行為の原理とする如き説はかって考えたことがないのであります。これは一つの民族の道義的性格を考える上に重大な意義を持った事実であります。

この性格からして前に述べましたような武士たちの廉恥を重んずる気風が生じ、そこから儒教の君子道徳に対する理解の道が開けたのであります。が武士たちに於いてこのように清さの体得が深められた半面には清明心が大君への奉仕であるという重大な面が閑居却されているのであります。ここに臣道の理解にとって重要な点があると考えられます。

 清明心は奈良時代から平安時代へかけての宣命には正直之心として現れている。臣が大君に仕えまつる道は常に正直心として説かれているのであります。

この伝統は鎌倉時代に至っても弱まっておりませんでした。

 幕府の政治家が政治の方針として第一に重んじているのは正直であります。また伊勢神道が始めて神道の教義らしいものを作りましたときに、天照大御神の御教として掲げたのも正直であります。この考えはやがて北畠親房の神皇正統紀の中に三種の神器の解釈となって現れました。鏡は正直を現し、玉は慈悲を表し、剣は知恵を現す。

 特に正直は 天照大御神の教えとして根本的な地位を占めているというのであります。この解釈は清明心の伝統を眞直に受け継いだものであり、儒教の考えなどに煩わせておりません。従って親房が三種の神器の意義を智仁勇として解釈したなどと申すのは明白な誤りであり、鏡は全然己れを没して物を映すものでありまして、少しでも己を出せば物は映りません。たとえ映っても歪んだ形になります。

 親房はここに無私の姿を見たのであります。無私なるが故に相手を生かせます。これが玉の慈悲であります。無私なるが故に真直ぐな正しい判断ができます。これが剣の知恵であります。このように無私を力説して天照大御神の御教えと致しましたところに、清明心の伝統が生きていると申してよいのであります。

 私を滅して大君に仕えまつるためには、身命を惜しむべきでないことは云うまでもありませぬ。しかし身命を惜しまぬだけでは滅私は成就致さないのであります。親房の眼前には主君のために身命を惜しまぬ武士は数え切れぬほどありましたが、しかしそれらは武士階級の私を脱することは出来なかったのであります。

 真の滅私は自分たちの階級、党派、或いは部属の利害を考えるような立場では決して実現されないのであります。大君より命ぜられました任務は公の任務、国家の任務でありまして、いかなる意味でも私を混じえるべきではありません。この公の任務を遂行するに当たり、死生を超えた立場を隅々までも徹底せしめること、それが滅私奉公であります。

 中でも特に注意を要しまするのは、臣の任務が人々の上に立ち人々を統率する任務でもあるという点であります。これは『民』と区別した真の本来の意味であります。かかる任務の遂行に私を混じえるということは、私の行為において私を発揮するよりも遥かに罪が重いのであります。

 自分の意を迎えるものを用い、直言するものを斥けるとか、自分の地位の権力を用いて自分一己の考え方を他に押しつけるとか、そういう云う態度はすべて皆臣の立場の『私』にほかならないのでありますが、これは普通に考えられている以上に重大な非行であります。即ちそれは不忠の最大なるものであります。

 以上の如く考えますると、清明心に徹底致しますることは死の覚悟よりも遥かに難しいのであります。身命を惜しげもなく捨てますることは、北條氏の家臣と雖も続々と実現致しました。清明心に徹するためにはさらに死生を超えて自己の任務の重大性を自覚すること、-その任務が、正直・慈悲・知恵を国家的に実現し給う大君のご活動の一部をなすものとして、実に神聖な根源より出づるものであることを自覚することが必要であります。

 死生を超える体験は敵と撃ち合う一時の間にのみ実現されても貴いものであるに相違ありません。しかしそれがさらに生活の全面に浸透し、渾身の清明心として実現されましたときには、正にこれ絶対の境地にほかならないのであります。

これは我々の祖先が既に千数百年前に把握しておりました臣道であります。その後主従関係の上に立つ武士の道として様々の試練を経てまいりましたのちに、再び世界史的な大きい舞台に於いてっ千古不磨の美しい結晶を形つくろうとしているのであります。この結晶の偉大なことはエジプトのピラミッドなどの比ではありません。これは世界史を前と後ろに分かつ巨大なモニュメントであります。

 参考文献:「日本の臣道 アメリカの国民性」和辻哲郎

2018/8/29 18:00公開



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