3月14日、イデビアン・クルー主宰の井手茂太が振付・出演する「コウカシタ」を観た。会場は池袋駅東口からグリーン大通りを護国寺方向に歩き、首都高速道路の高架下をくぐった先にある劇場「あうるすぽっと」。
本作は、フェスティバル/トーキョーの委嘱により、井手氏が昨年10月にタイに赴いてオーディションを行い選抜した6人のダンサーと、日本人ダンサーによるコラボレーション作品である。
タイトルの「コウカシタ」は東京にもタイのバンコクにも同様に伸び広がる高架鉄道、高架橋、高架道路を意味する。その一見同じように見える風景のなかに明らかに異なる何かがある。
それはそこに生活する人々であり、彼らが紡ぎ出す文化にほかならない。
井手茂太は日常的な動作や身振り、人それぞれが持つ癖=個性を拡大し、ユーモラスな視点でそれらを拡大しながらセンスあるダンスを構築する。
私が初めて井手茂太の名前を知ったのは、もう何年前になるのか、カフカの小説「失踪者」を舞台化した「アメリカ」(演出:松本修)の劇中のダンスの振付家としてであった。芝居に見事に融合し、ストーリー展開をもリードするその素晴らしい振付にひと目で惹きつけられ、以来注目し続けている。
今回の舞台では、タイと日本、それぞれのダンサーがお互いの身振りや言語、文化の差異を感じながら、コミュニケートしていく、その過程が拡大され、分解され、攪拌、再構成されながら独特のユーモアセンスによる味付けで作品化されていた。
おそらくさまざまなワークショップを積み重ねながら、議論や試行錯誤を繰り返すなかで作品は生成されたのであろうが、そんなプロセスを想像するのも芝居好きの人間にとってはこのうえなく興味深いことである。
心の底から楽しさを感じつつ、ダンサー一人ひとりの動きとそれにマッチした音楽に身を浸した1時間半だった。
本作は、フェスティバル/トーキョーの委嘱により、井手氏が昨年10月にタイに赴いてオーディションを行い選抜した6人のダンサーと、日本人ダンサーによるコラボレーション作品である。
タイトルの「コウカシタ」は東京にもタイのバンコクにも同様に伸び広がる高架鉄道、高架橋、高架道路を意味する。その一見同じように見える風景のなかに明らかに異なる何かがある。
それはそこに生活する人々であり、彼らが紡ぎ出す文化にほかならない。
井手茂太は日常的な動作や身振り、人それぞれが持つ癖=個性を拡大し、ユーモラスな視点でそれらを拡大しながらセンスあるダンスを構築する。
私が初めて井手茂太の名前を知ったのは、もう何年前になるのか、カフカの小説「失踪者」を舞台化した「アメリカ」(演出:松本修)の劇中のダンスの振付家としてであった。芝居に見事に融合し、ストーリー展開をもリードするその素晴らしい振付にひと目で惹きつけられ、以来注目し続けている。
今回の舞台では、タイと日本、それぞれのダンサーがお互いの身振りや言語、文化の差異を感じながら、コミュニケートしていく、その過程が拡大され、分解され、攪拌、再構成されながら独特のユーモアセンスによる味付けで作品化されていた。
おそらくさまざまなワークショップを積み重ねながら、議論や試行錯誤を繰り返すなかで作品は生成されたのであろうが、そんなプロセスを想像するのも芝居好きの人間にとってはこのうえなく興味深いことである。
心の底から楽しさを感じつつ、ダンサー一人ひとりの動きとそれにマッチした音楽に身を浸した1時間半だった。