seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

きのうの神さま

2009-09-24 | 読書
 この数日、風邪でのどを痛めたらしく声が出ない。鬼の霍乱といえるかどうかは分からないが、老俳優もたまには弱りこむことがあるのだよ。
 幸い熱はないので例のインフルエンザではないとは思いつつ、こんな状態で劇場に足を運んだりしてよかったのかと反省する。
 しかし劇場というところは自分が病原ではないとしても、極めて閉鎖的な条件下で2時間前後も缶詰になって多数の人が同じ空気を呼吸する特殊な場所である。誰かから歓迎されざるプレゼントをいただいたとしても拒否できないところが何とも厄介である。逆のケースもまた同様である。

 私は元々のどは丈夫なほうだから声が出なくなるという経験はこれまでほとんどないのだが、一度だけ、もう30年も前、公演中に声帯を痛めて困ったことがある。
 徹夜で台本を書いたり、酒を飲んだり、タバコを吸ったりと無理な生活がのどに祟ったわけだが、仲間の役者にタバスコ入りの水を飲まされるという悪戯をされて決定的に声が出なくなった。
 回りの人間に聞くと、私の台詞はちゃんと聞こえているというのだが、自分では30センチより遠くまで声が届いているという実感がまるで持てないのだ。水の中で耳栓をしてしゃべっているようで自分の声が反射してこない。そこで無理して声を張り上げるものだから余計に声帯を痛めてしまったのだ。

 それこそあちらこちらの医者に駆け込んだり、龍角散やらあらゆるのどに良いといわれるものを試した挙句、人づてに聞いて試したのが漢方の「梅蘭芳丸(めいらんふぁん・がん)」という丸薬である。
 声が美しいことで有名だった京劇の名優にちなんだこの薬は当時の私にとってそれこそ痛い出費だったが、だからこそだろうか、効果は覿面であった。
 以来、「梅蘭芳」は私のあこがれの俳優なのである。

 さて、そんなことでこの何日かは、劇場に出かけた以外は床に寝転んで本を読んでばかりいた。
 その一冊が西川美和著「きのうの神さま」である。
 直木賞候補にもなったし、すでに多くの方が読んでいるだろうが、とても面白く楽しめた本である。
 以前感想を書いた映画「ディア・ドクター」のための取材の過程で集めた素材をもとに、映画とは違った切り口で、あるいは異なる料理法で、映画の中では掬いきれなかった灰汁を旨味に転化したといった短編集である。
 単なるノベライズごときでないことはもちろんだが、僻地医療の実態や医療現場の周辺で起こるドラマを小説ならではの高度な表現に昇華した作品群なのだ。

 西川美和の特質は抜群のセリフのうまさにあると思うが、これはまあシナリオも書く彼女だからこそなのかも知れない。さらに、文章の間から浮かび上がってくる空間の深さや具体的な絵の鮮やかさは優れた映像作家のものだろう。
 直木賞に至らなかったのはどんな理由なのか、切れ味が良すぎて小説特有の破綻がないといえば言えるのかなと素人目には思うけれど、それは言っても仕方のないことではないだろうか。

 若返って映画監督になった向田邦子を彷彿とすると言ってもあまり異論はないと思うけれど、映画と文学、その両方の世界でこれからどんな作品を見せてくれるのか、楽しみな作家だ。