新しい年が明けてすでに1週間が過ぎた。1年の52分の1が終わったと考えると何だかソラオソロシイが、こうやって時間は無駄に過ぎていくものだ。
元旦には殊勝にも今年の目標やら何とか叶えたい夢の実現やらを思い描いたものだが、今書店での売り上げナンバー1となっているケリー・マクゴニガル著「スタンフォードの自分を変える教室」によれば、人間というものは、何か善きことを考えたり、克服すべき課題を書きだしたりという作業をしただけで、実際には何も手についていないにも関わらず、すでにその目標を成し遂げたような心理状態になるものらしい。それだけならまだしも、善いことを自分はしたのだからとそのご褒美に怠惰や悪癖に染まる自分を許してしまうというのだ。
ToDoリストを手帳に詳細に書いたまま、何にもしないのにもう仕事のほとんどは終わったような気になって、結局手つかずのまま時間ばかりが過ぎていくという経験は誰にもあるのではないだろうか。
書店で本を買いあさったはいいが、部屋に持ち帰り机に積み上げただけでもう読み終わったような錯覚に陥るなどということもよくある話だ。
そう考えると、計画的な人生設計なんてものには意味などないのではないかとさえ思えてくる。ま、これは何にもしようとしないグータラな人間の言い訳なのだけれど。
さて、今年に入ってからのことを少し冬休みの最後にまとめて書く日記風に記しておこう。まずは、2つの展覧会に行ったのだった。
一つは、1月3日(木)に出かけた東京国立近代美術館の60周年記念特別展「美術にぶるっ! ~ベストセレクション日本近代美術の100年」である。
1階から4階までの展示室を使い、「MOMATコレクションスペシャル」と題した収蔵する重要文化財を核とした明治以来の近代美術の流れを展覧する展示と、「実験場1950s」と題した、この美術館が開館した1952年当時からの時代状況、政治状況を反映しながら社会を変革しようとした作品群を紹介する展示の2部構成となっている。
500点を超すそれら作品群は実に壮観だが、改めて人間というものの営為の生々しさ、力強さ、素晴らしさを感じずにはいられない。
中村彝の「エロシェンコ像」や長谷川利行、松本竣介、靉光らの作品とも再会し、感動を新たにしたが、今回、私が「ぶるっ!」ときたのは、川端龍子の「草炎」であった。
黒字の屏風に浮かび上がる名もない雑草の葉群が生きる力や様々な感情を漲らせながら観る者にぐいぐいと迫ってくる。
1月6日(日)には、世田谷美術館での「松本竣介展」に行った。
1912年生まれで、昨年、生誕100年を迎えた松本竣介の36年の生涯を作品とともに振り返るもので、油彩約120点、素描約120点、スケッチ帖や書簡等の資料約180点という膨大な展示でこの稀有な画家の仕事を展望することができる。
これまでも機会あるごとに松本竣介の絵を見てきたけれど、このように時代順にその成長の過程や変貌を俯瞰するように見たのは初めてのことだ。
もう一つのささやかな発見は、年譜に記されていた、彼が戦争末期に理研科学映画の第三製作部描画課員として勤めていたのが東京・豊島区西巣鴨であったということだ。
その住所が書いていないのでどのあたりにあった会社なのかが分からないのだが、俄然、いまの「にしすがも創造舎」のあった場所に戦前の一時期光芒を放った「大都映画撮影所」との関係はないのかと胸が躍ってしまった。
ただの空想に過ぎないのだが、松本竣介と大都映画のハヤフサヒデトをはじめとするキネマ俳優たちが西巣鴨の路上ですれ違っていたかもしれない、と思うと何だかワクワクする。
もっとも、松本竣介が理研科学映画にいたという昭和19年にはすでに撮影所は閉鎖されていたのだけれど……。
元旦には殊勝にも今年の目標やら何とか叶えたい夢の実現やらを思い描いたものだが、今書店での売り上げナンバー1となっているケリー・マクゴニガル著「スタンフォードの自分を変える教室」によれば、人間というものは、何か善きことを考えたり、克服すべき課題を書きだしたりという作業をしただけで、実際には何も手についていないにも関わらず、すでにその目標を成し遂げたような心理状態になるものらしい。それだけならまだしも、善いことを自分はしたのだからとそのご褒美に怠惰や悪癖に染まる自分を許してしまうというのだ。
ToDoリストを手帳に詳細に書いたまま、何にもしないのにもう仕事のほとんどは終わったような気になって、結局手つかずのまま時間ばかりが過ぎていくという経験は誰にもあるのではないだろうか。
書店で本を買いあさったはいいが、部屋に持ち帰り机に積み上げただけでもう読み終わったような錯覚に陥るなどということもよくある話だ。
そう考えると、計画的な人生設計なんてものには意味などないのではないかとさえ思えてくる。ま、これは何にもしようとしないグータラな人間の言い訳なのだけれど。
さて、今年に入ってからのことを少し冬休みの最後にまとめて書く日記風に記しておこう。まずは、2つの展覧会に行ったのだった。
一つは、1月3日(木)に出かけた東京国立近代美術館の60周年記念特別展「美術にぶるっ! ~ベストセレクション日本近代美術の100年」である。
1階から4階までの展示室を使い、「MOMATコレクションスペシャル」と題した収蔵する重要文化財を核とした明治以来の近代美術の流れを展覧する展示と、「実験場1950s」と題した、この美術館が開館した1952年当時からの時代状況、政治状況を反映しながら社会を変革しようとした作品群を紹介する展示の2部構成となっている。
500点を超すそれら作品群は実に壮観だが、改めて人間というものの営為の生々しさ、力強さ、素晴らしさを感じずにはいられない。
中村彝の「エロシェンコ像」や長谷川利行、松本竣介、靉光らの作品とも再会し、感動を新たにしたが、今回、私が「ぶるっ!」ときたのは、川端龍子の「草炎」であった。
黒字の屏風に浮かび上がる名もない雑草の葉群が生きる力や様々な感情を漲らせながら観る者にぐいぐいと迫ってくる。
1月6日(日)には、世田谷美術館での「松本竣介展」に行った。
1912年生まれで、昨年、生誕100年を迎えた松本竣介の36年の生涯を作品とともに振り返るもので、油彩約120点、素描約120点、スケッチ帖や書簡等の資料約180点という膨大な展示でこの稀有な画家の仕事を展望することができる。
これまでも機会あるごとに松本竣介の絵を見てきたけれど、このように時代順にその成長の過程や変貌を俯瞰するように見たのは初めてのことだ。
もう一つのささやかな発見は、年譜に記されていた、彼が戦争末期に理研科学映画の第三製作部描画課員として勤めていたのが東京・豊島区西巣鴨であったということだ。
その住所が書いていないのでどのあたりにあった会社なのかが分からないのだが、俄然、いまの「にしすがも創造舎」のあった場所に戦前の一時期光芒を放った「大都映画撮影所」との関係はないのかと胸が躍ってしまった。
ただの空想に過ぎないのだが、松本竣介と大都映画のハヤフサヒデトをはじめとするキネマ俳優たちが西巣鴨の路上ですれ違っていたかもしれない、と思うと何だかワクワクする。
もっとも、松本竣介が理研科学映画にいたという昭和19年にはすでに撮影所は閉鎖されていたのだけれど……。
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