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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

レスラーという生き方

2009-07-14 | 映画
 守るべき生き方や自己像などというものとはとことん無縁だった「ディア・ドクター」の愛すべき主人公とは対照的に、自分の生き様に不器用にこだわりぬいたのが映画「レスラー」でミッキー・ロークが演じたランディ・ザ・ラムである。

 全盛期にはマジソン・スクエア・ガーデンを興奮する観客で埋め尽くし、雑誌の表紙を飾るほどのスター・プロレスラーだったランディが、20年を経た今はドサ回りの興業に出場し、わずかな手取りでその日暮らしのような生活を送っている。
 トレーラーハウスの家賃を支払うために近所のスーパーでアルバイトをしてしのぐような日々・・・。しかし、彼は誇りをもってレスラーであり続けようとするのだ。

 監督ダーレン・アロノフスキーが制作費を大幅にカットされてまでそのキャスティングにこだわったという主演のミッキー・ロークは、まさに彼自身のキャリアが滲み出たような好演で観る者の魂を震わせる。
 自らの生活を省みることのなかったツケなのか、心臓発作に倒れ、唯一心の拠り所にしたかった女性とは心を通わせることができず、娘からは決定的に拒絶されてしまうランディ。
 彼にはレスラー仲間こそが家族であり、帰るべき場所もリングの上でしかなかったのだ。たとえそれが死を意味したとしても。

 20数年前のミッキー・ロークを知っているものにとって、この映画で久々に観た彼の「変わり果てた」姿には胸を衝かれる思いがするだろう。それはまさに主人公ランディの姿と二重写しとなって観る者をドラマの中に引き込んでいく。
 それは私たち自身が投影された姿でもあるのだ。
 マリサ・トメイがいとおしいまでに好演した、ランディが心を寄せるストリッパー、キャシディもまた、まっとうな人生をと願いながら自分たちの居場所を探し続ける。
 彼らはともに闘う人間なのである。この映画は、何者かであろうとして闘う人々へのエールであり、檄でもあるのだ。
 闘いの先にある栄光とその意味を痛みの感覚とともに教えてくれる、とても勇気づけられる映画だ。


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