先日シベリアを旅して来ました。
旧日本軍の方とホテルで一緒になりまして色々とお話を聞かせて頂きました。
1945年ー49年当時のシベリアでの生活でした。
当時、ソ連はスターリンが政権を握っていました。
日本兵の抑留者の生活は凄まじいまでの環境だった様です。
食事が満足に支給されない。これは本当に人間として最大の屈辱でもあります。
当時も現在も、国際法でも捕虜の扱いは当事国が人間の尊厳を守る事が、決められています。
それと、衛生状態です薬品も医療も支給しないので日本兵の大勢の人達が死にました。
これは絶対に許される事ではありません。
私はまだ生まれていませんでしたが、当時のスターリンが悪い事は判っていますが、「私はこのシベリアに抑留された人々に謝ります」
彼は仲間の遺骨を集めて日本に帰りました。
ロシアと日本が民間では、友好関係に発展していると思います。
サハリンと北海道の住民がビザ無しで交流できる日が、早く来るようにお祈りしています。
写真・右側ワロージャ「スペクトル社長」 サハリン→北海道
旧日本軍の方とホテルで一緒になりまして色々とお話を聞かせて頂きました。
1945年ー49年当時のシベリアでの生活でした。
当時、ソ連はスターリンが政権を握っていました。
日本兵の抑留者の生活は凄まじいまでの環境だった様です。
食事が満足に支給されない。これは本当に人間として最大の屈辱でもあります。
当時も現在も、国際法でも捕虜の扱いは当事国が人間の尊厳を守る事が、決められています。
それと、衛生状態です薬品も医療も支給しないので日本兵の大勢の人達が死にました。
これは絶対に許される事ではありません。
私はまだ生まれていませんでしたが、当時のスターリンが悪い事は判っていますが、「私はこのシベリアに抑留された人々に謝ります」
彼は仲間の遺骨を集めて日本に帰りました。
ロシアと日本が民間では、友好関係に発展していると思います。
サハリンと北海道の住民がビザ無しで交流できる日が、早く来るようにお祈りしています。
写真・右側ワロージャ「スペクトル社長」 サハリン→北海道