きっかけは、「新聞うずみ火」に入っていた案内チラシ、会場が自宅から徒歩5分という近さ、たまたま休みだったということでした。
済州島4・3事件のことはよくわからず、会場で配られた資料を読んで恥ずかしながら知った状態でした。
66年の月日が流れていますが、今年は特別な年であったそうです。
それは4・3犠牲者追悼日が国家記念日として指定され、政府要人と与野党政治家、国内外の人権団体代表、遺族や現島民等が参加して、政府が主催して慰霊行事が行われたこと。
「ただ式典の儀礼品格を高めるということでなく、過去の清算を通じて歴史を正しく立て直す課題を一歩前進させる一歩」と、済州4・3平和財団理事長が挨拶の中で強調されていました。
まだ事件の全容がわかったわけでなく、課題も多数存在しています。奇跡的に生き延び、日本にたどり着いた「在日4・3事件実態調査」の中間報告の説明がありましたが、複雑な状況が存在しているとの指摘がありました。
振り返って日本、「集団的自衛権の限定的な行使容認」に向けて連休明けにも大きく踏み出そうとしています。済州事件も日本の侵略行為が背景にあった訳ですが、何故この国は歴史に向き合うことをしないのか、憤りとこの流れを止めるために頑張らないといけないと強く思いました。
もっといろんなこと知らないといけないですね。
民族楽器の若い演奏者たちの演奏と踊り、とてもよかったです。
済州島4・3事件(1948年4月3日…)
第二次世界大戦後、アメリカとソ連が朝鮮半島を北緯38度線で分割占領。1948年4月3日、そのことを固定化させる選挙が進められることに反対した済州島民の行動に対し、アメリカと韓国軍が島民を暴徒と見直して鎮圧の名のもとに虐殺。以降、7年間に渡り続けられ、約3万人を超える人が犠牲となったと言われている(映画「チスル」案内チラシより)
済州島4・3事件を取り上げた映画「チスル」は、現在上映中です。
http://www.u-picc.com/Jiseul/
最新の画像もっと見る
最近の「日記・日常」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事