▲若い頃、放蕩していたことで知られています。時代劇では、入れ墨は桜吹雪とされていますが、女の生首であったとの一説や実は入れ墨はしていなかったとも。いずれにせよ、どんなに暑い日でも人前では決して肌を見せませんでした
▲庶民の暮らしを守ることに熱心だった金さん、町民の人気も絶大でした。晩年は「帰雲」という号で俳句を書いたりして悠々自適の余生を送り、安政2年(1855年)2月29日に亡くなりました
▲「この紋所が目に入らぬか」が、決め台詞の「水戸黄門」。テレビでは諸国を歩き、常に町民の味方として描かれています。実際の徳川光圀は、自分の家来を諸国に行かせていたことが多かったようですが、名君ではあったそうです
▲昨年12月に「水戸黄門」の放送が終了し、民放における時代劇番組がなくなりました。「テレビ時代劇の衰退は、日本の伝統的な映像文化の危機的状況」と関係者が警鐘を鳴らしていますが、なかなか復活は見込めない状況です
▲この2人が、今の障害施策を巡る状況を見たら、どう言うか。「(諸肌脱いで)おう!この見事に咲いた基本合意文書、忘れたとは言わせねえぜ!」「助さん、角さん、民主党と厚労省を懲らしめてやりなさい」(・・;)、ベタでごめんなさい。でも、きっとそう言ってくれると思います
【今週の一句】
酒呑み川柳…
何気ない
暮らしが何より
宝物
(第25回サラ川柳入選作)
【今日はこんな一日】
http://today.hakodate.or.jp/default.htm
【グルメ情報】
お洒落なお店でした
http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13038503/
【追伸】
は東京新丸ノ内ビルのレストラン。いい雰囲気でした
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