『本家』 やんちゃなおやじ!           がんばっぺな 東北!

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回想 「阪神淡路大震災」 (1)

2006-01-16 |  処 
 1995年1月17日早朝、今日から丁度11年前になるが『どえらい事』があった。
鮮明に記憶に残ってる、阪神淡路大震災や。
わしゃ大阪市内に住まいがあるから現地の方々ほどのことはないが、それでも食器棚が倒れ、当然食器類はリビングに砕け散っていたのを覚えてる。

 なんじゃこりゃ~?と寝起きの悪いわしが、一気に目覚め横に寝ていたまだ幼かった下の息子に覆いかぶさっていたことも鮮明に残っている。
嫁は長男のとこに飛んで行き、これまた長男の上に覆いかぶさっていた。

 ちょっと落ち着いてからTVのスイッチを入れ、両親や兄弟に連絡して無事を確認し、とりあえず出社した。
社員の連中もぼちぼち出てきて「えらい揺れたなぁ~」、「その割りに被害の報道少ないよな~」ってなのんきなこと言いながら会社のTVを見ていた。

 時間が経つにつれ、だんだん事の重大さに言葉を失ってくる。
わしとこも神戸や六甲アイランドに現場があり、丁度材料の入る日でもあった。
職人達からは一報、また一報と信じ難い情報が入る。
協力会社の材木屋のトラックは丁度阪神高速の上、神戸線が陥落しバスが宙吊りになってたちょっと手前で停車したらしく、なにがなんやらわかれへんかったとその後の話。

 死傷者数名~の当初の報道から一気に数十人・数百人単位で増えてくる。
報道機関の様子も刻一刻と変わり、事の重大さに比例し、わしらこのままやったらあかん。動く!ちゅうか、勝手に動いてた。

 その日の昼前には社員全員に「当分仕事は休みや!いまからわしの指示に従って動け!」ちゅうて、地方の得意先や仕入先・知り合いに電話攻撃開始した。
なかなか繋がりにくい状態やったが、構てられへん、とにかく『水』『毛布』『シート』『食い物』等々、なんでもかめへんから気の付いたもん送れ~~ってな具合やった。

 片や若い者には近くのコンビニ全部回って、同じようにあれやこれやあるだけ買てこい!隣近所に連絡してなんでもええから調達してこい!
社員のほか友人・知人にも連絡し、なんでもええ手を貸せ。わしんとこの会社まで来てくれ~~って人手も集めた。

 午後何時ごろかは定かでないが、うちのトラック2台分の食料や水、トラック1台分の毛布や布団・ブルーシートが集まり、とにかく西向いて出発した。
思い出せないが西宮まで行くのに10時間どころではなかった、神戸市内行くのに20時間くらいかかったと思う。

 続き…道中の回想~

 
 

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