スポーツエトセトラ

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千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1984~1986年)

2020-07-23 08:47:14 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
過去に千葉県の高校を卒業後、プロ野球界入りした選手を紹介するシリーズを2ヶ月ぶりに再開します。
5回目は1984年~1986年です。

※4月18日に掲載いたしました『千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(1)』で、
「柏熊克美」(小見川高→68年西鉄ドラフト外)が抜けていたことが判明しました。
修正しています。

これまでのシリーズ記事一覧です。
1965年~1973年
1974年~1976年
1977年~1980年
1981年~1983年



球歴の緑色は高校生、薄い緑色はドラフト外、名前にグレーがかかっているのが指名拒否選手となります。

1984年は2名がプロ入り。和田豊は78年、我孫子高が甲子園に初出場した際、1年生ながらレギュラーに抜てき。
日大では3年春に首位打者を獲得するなど、東都リーグ屈指の野手に成長しました。
阪神では主に1番セカンドとして活躍し、巧打・好守でベストナインを2度受賞。のちに監督も務めています。

松浦宏明は無名校ながら、千葉では屈指の好投手として注目される存在でした。
打者としても高校通算46本塁打をマーク。最後の夏は県大会ベスト8と甲子園とは無縁でしたが、
日本ハム入団4年目、東京ドーム1年目の88年には15勝をマークして最多勝を獲得しています。

1985年は5名。高卒ではこの年の夏の甲子園代表校・銚子商の中心選手2名がプロ入り。
エース・片平哲也は会津若松出身で、本格派右腕として期待されていました。
投球のたびに帽子を落とすなど、いかにも粗削りなフォーム。プロでは制球難から打者に転向。
その後広島に移籍し、再度投手に復帰…と、波乱の野球人生を送っています。

大川隆は投手兼1番・センター。俊足が持ち味で一時は一軍に定着しかけたものの
打撃が非力だったため、10年間もプロ生活を送りながらレギュラーには届きませんでした。
その後は球団職員としてチームを支えています。

服部裕昭は甲子園とは無縁でしたが、高校3年の春に1試合17奪三振をマーク。
左腕ということで期待も高く、プロでは現役を11年間続けましたが勝ち星は挙げられませんでした。

社会人組は長冨浩志、高田博久という同い年の2名。
長冨は高校時代はエースとして3年春の県大会でベスト8、夏はベスト4進出の原動力に。
社会人時代には世界アマ野球大会の日本代表に選ばれています。広島ではローテに加わり、4度の二ケタ勝利をマークしました。

高田は高校2年秋にエースとして県大会を制覇して関東大会に出場。
3年の夏には県大会準々決勝で甲子園に出場した市銚子と対決。銚子利夫と延長16回の壮絶な投手戦を展開しています。
社会人では日本選手権で敢闘賞を受賞しましたが、プロでは1勝どまり。

1986年は史上最多、大量10名がプロの世界に飛び込んでいます。しかも高卒メインで、大半が上位指名でした。
1位指名は高木晃次。高校3年間の公式戦で193イニングで176奪三振と、三振の取れる長身サウスポーとして知られました。
プロでは主にリリーバーとして357試合に登板。41歳まで細く長く、現役生活を続けています。

筒井孝は高校通算60本塁打(おそらく千葉県高校球界最多記録)をマークしたスラッガー。
187センチ92キロという恵まれた体格の持ち主でもあり、長距離砲として期待されたものの一軍出場はゼロ。

夏の県大会準優勝校・印旛からは2名。土橋勝征は1番打者として県大会タイ記録となる5本塁打をマーク、高校通算32本塁打。
プロでは堅守と巧打でレギュラーに定着し、90年代中盤以降のヤクルト黄金期を支えています。
4番を任された名洗将之は高校通算30本塁打をマークも、プロの壁は厚く一軍出場ゼロに終わりました。

この年春夏連続で甲子園に出場し、優勝候補にも挙げられた拓大紅陵からは2名。
4番を任された佐藤幸彦は、プロではレギュラー定着こそならなかったものの、
右の代打の切り札として頼りにされ、18年間のプロ生活をまっとうしています。
正捕手の飯田哲也は俊足、強肩という抜群の身体能力を活かして4年目に外野のレギュラーに定着。
90年代のヤクルト黄金期に欠かせない選手となりました。
91年からは7年連続でゴールデングラブ賞を獲得しています。

長身左腕の大塚賢一は3年春に1試合14奪三振をマークする活躍を見せ、
プロでも好素材として期待されましたが、登板は3試合のみでした。
奈部川勉は千葉屈指の長身右腕として注目され、3年春は県大会準優勝で関東大会に進出。
明大進学表明もプロ入りし、1年目に米国留学を経験。一軍デビューは果たせませんでした。

社会人組では大野雄次。都市対抗で2試合連続アーチを放つなど強打者として注目を集めました。
プロでは右の代打として活躍し、ヤクルト移籍後の96年には代打逆転満塁アーチを2本マークしています。
勝呂博憲は1年後の87年秋にプロ入り。高校時代は2年春にレギュラーとして関東大会に出場しました。
日本通運では都市対抗を3度経験。プロでは堅実な守りを評価され、主に内野の守備固めとして活躍しています。

次回(1987年~1989年)は近日更新します。


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