日本で こんな奇遇を体験して驚いています。 世間が狭いのか、誰かの顔が広いのか ・・・
私は東京都杉並区にある佼成学園高等学校野球部のOBなんです。 今は甲子園から随分と
ご無沙汰していますが、春2回、夏1回と甲子園に行った昔の強豪の一つでした。昨年は
アメフトが創部42年目にして全国制覇を達成しましたので、今はアメフトの方が有名です。
<杉並大宮八幡宮にある野球部グランドは私達の時代からでした>
私たちは春の2回目の甲子園に出場することができ、私はレギュラーではありませんでしたが、
広島の尾道商業高校に2対1で1回戦敗退でした。その時のキャプテンが清水宏悦で、私は
マネージャー的役割を務め、甲子園出場へ二人三脚でチームを支えた時代が昨日のようです。
清水宏悦は大洋ホエールズで10年、西武ライオンズで1年在籍した元プロ野球選手です。今は
埼玉県川口市でゼロ・ベースボール・アカデミーという野球塾の校長兼コーチを務めています。
<野球塾、ゼロ・ベースボール・アカデミー>
私がタイへ行き来し始めた2007年前後かな、今でも頑張っているバンコク・サンダースという少年野球
チームへ当時の横浜ベースターズ(前大洋ホエールズ)や西武ライオンズで古くなったボールなど野球
用具を 少年たちに使って貰おうと随分と持ち運んだものです。それは清水が用意してくれたものでした。
いよいよ本題の佳境に入ってきました(笑)。
バンコク・サンダースは今でも青山功監督が率いていますが、チームの陰でヤマト・タイランド社
社長の田畑詳司さんが陰でチームを支えていました。今のサンダースがあるのは田畑さんの
尽力無くして語れないでしょう。 その後、私も随分とご無沙汰して長い月日が経ちました ・・・
<横浜ベースターズのユニフォームを来たサンダース>
それが突然、清水から「田畑さんを知っているだろ、息子さんがうちの野球塾に入るぞ」という
一報です。驚きましたねぇ~ 田畑さんの次男(中学2年)も日本の学校で学ぶため、日本で
生活することになり来日していました。田畑さんはしばらくタイと日本を行き来するそうです。
タイミング良く私は今 日本に滞在中ですから、田畑さんが来日した先週、早速 川口市のゼロ・
ベースボール・アカデミーでお会いして、この不思議な奇遇さや色々な野球の話をしました。
<田畑さんはプロゴルファーもお世話していましたね(中央)>
そうでした、田畑さんにはバンコク週報の連載に29回目に出てもらっているんです。いやぁ~吃驚です!
田畑さんは約30年前にプレス関連の機械商社の駐在員としてタイに赴任。その後、日本のバブル崩壊での
部門縮小を機に独立し、ヤマト・タイランド社を立ち上げました。10名からスタートした会社を大きく
成長させ、プレス機械及び周辺関連製品のメンテナンスも行なうサービス総合商社として業績を上げています。
<田畑詳司さん>
田畑さんはパターなどの収集家としても知られるゴルファーで、自宅には専用の部屋がある
くらいです。8万円から250万円までもするパター110本などを所蔵していると聞きます。
清水宏悦もゴルフは大好きで、タイへは2回ほどゴルフ旅行で訪タイしています。
今度、3人でタイゴルフをやろうということになりました。 いやぁ~ 本当に驚きました。
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