プレム元首相が26日朝、バンコク市内の病院で心不全のため亡くなりました。98歳でした。
亡くなるまで国王の諮問機関である枢密院議長であったプレム・チンスラノン氏は、プミポン
前国王から厚い信頼を得て、3期8年(1980年~1988年)にわたり首相を務めました。そして
タイ独自の政治体制を確立し、現在のタイ経済の礎となる発展にも繋げた軍出身の政治家です。
<プレム元首相>
1988年の首相退任時に枢密顧問官に任命され、さらに1998年からは国王の諮問機関である
枢密院の議長を務め、軍と政界の双方に影響力を持つ重鎮でした。同年「ラタブルット(国家
功労者)」の称号を受けています。元軍人のプラユット現首相が最も尊敬する大先輩です。
プレム氏の意見には王室も一目置くと言われる人物でした。今月4日に行なわれたワチラロンコン
国王の戴冠式にも姿を見せていましたが、正式なラマ10世を見届け、安心されたんでしょうか …
そうでした、2016年10月のプミポン前国王の死去を受けて、ワチラロンコン国王が同年
12月に即位するまでの間、国王の公務を代行する暫定摂政にも就いいていましたからネ。
<ワチラロンコン国王とプレム枢密院議長>
南部ソンクラー県出身の下級官僚の家に生まれたプレム元首相は、1978年に陸軍司令官に就任し、
物価上昇に抗議するデモなどで、政治の混乱が続く中、1980年に議会から首相に任命されました。
首相在任中には、いく度かの暗殺未遂事件と2度のクーデターを潜り抜け、タイ共産党の
活動家に対しては「恩赦をするから投降するように」と呼びかけるなどの穏健な政策を取り
タイ共産党を徐々に弱体化させていきました。タイに共産党が無く また党員が
育たないのは、プレム氏の存在が大きかったと言っても過言ではないでしょう。
首相時代、議会制民主主義の原則を尊重しながら近隣諸国にない政治体制を確立させました。
非民選議員の立場で首相を務め、自身の内閣の閣僚に官僚、政党人、民間人を起用したこと、
国王や軍を重視した政治形態などから、当時は「半分の民主主義」とも形容されました。
<プラユット首相も頭が上がりません>
タイが経済危機に陥っていた1984年には、バーツの切り下げをして海外からの投資を呼び込み、
外国企業の投資規制を緩和するなど、輸出志向型の工業化を進め、経済成長への発展の道筋も
つけたと言われています。やはり 忘れてはならないのが民政移管を実現した政治家だということですネ。
一方で、通信事業から政界に進出して軍主導の政治体制の打倒を進めようとしたタクシン元首相とは
対立を続けてきました。 ここ20年以上、プレム 対 タクシンという図式は変わっていませんでした。
<インラック元首相も挨拶に>
誕生日には現首相はもちろん、経済界のトップや陸海空の各司令官と国軍最高司令官、警察の
幹部が祝いに訪れるなど、軍や政財界に絶大な影響力を持つタイの最高実力者でしたネ。
タクシン元首相の妹であるインラック氏でも、首相時代には挨拶に行くくらいでした。
タイではたいへんな方が亡くなりました。 ご冥福をお祈りいたします。
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プレム首相時代は「半分の民主主義」と揶揄されましたが、タイの実情(当時は発展途上国)を考えたら、最もふさわしい政治形態だったように思います。
タイ政治の重しが消えて、安定しているかに見えたタイの政治が混迷を深めていくことはないのか?先行きが見えなくなりました。
https://www.sankei.com/world/news/161018/wor1610180008-n1.html