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⑦松浪先生のお言葉

2020年05月05日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

どんどん、遅れていっております。💦 松浪先生の「お言葉」

東北女学校の受験が上手くいかなかったと思ったおりんちゃんは、布団を被ってフテ寝をしていました。

そこに訪れたのは松浪先生。

これを中をご覧なさい。

おりんさん、合格したんですよ!東北女学校の試験に!
松浪先生がちょうどこちらにお見えになるので、
持ってきて下さったんですよ。
おめでとう、おりんさん!!
(メッチャ芝居がかった台詞・・あ、芝居でした。)

おめでとう、はね駒。合格おめでとう!良かったねおりんちゃん。


わざわざ合格通知を持ってきてくれた松浪先生を尻目に、合格の嬉しさのあまり、どこかへはね出すおりんちゃん。まさにはね駒です。お~い、どこに行くんだ。試験の前日当日のグタグタぶりで、あれでよく合格できたよね。

まず先に、ついでとはいえ わざわざ合格通知を持ってきてくれた松浪先生に、お礼を言いましょう。おりんちゃんのはね駒ぶり、あまりのお子様ぶりに、いささか困っております。社会的規範をまず考えてしまう私、「朝ドラ」なんだから、もっと気楽に大目に見られたらいいんだけどね。

おりんちゃんは「底抜けに明るくお転婆で積極的で、ちょっとドジだけど可愛い」まさに朝ドラのヒロイン王道の性格ですが、最近のヒロインは(2008年以降に限ると)ドジのボケっぷりは 前ほどでもありません。

おしんは、朝ドラ史上一番に賢く目先がきき器用で何でもできて、ドジさボケさは全くなかった。カーネーションの糸子は、朝ドラ史上一番に気が強くてガラが悪くて たくましかった。あまちゃんのアキは、ドジでボケの方向には向いているけど、アキの気弱さ劣等感に共感できた(時々ずいぶん度胸はあった)。

おそらく、1986年に観ていた時は、おりんちゃんに今のようにイラッとはしていなかったと思うのは、私がまだ20代で若かったから。いまや、おりんちゃんの祖母の年齢になってしまい、母がよく朝ドラはウルサイと言っていたのを思い出します。母と同じくヒロインを微笑ましく見るには、私はもう若くはない。

今日は松浪先生よりも、気になっていた純真無邪気天真爛漫、まさに天衣無縫、ドジでマヌケな亀?のおりんちゃんの朝ドラヒロインの「王道」の性格について考えてみました。

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⑥松浪先生のお言葉

2020年04月30日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

朝から今日も松浪先生に、胸をキュンキュンさせているというのに、このところお言葉をアップできてない~💦 全公演中止の大わらわで、後回しになってます。ちょびっとだけでも、先生の気になる言葉をアップ。

おりんちゃんは、日頃から受験勉強しているようにも全く見えず、受けるのはレベルの高そうな女学校なのに、とうてい合格しそうにもない感じがする。(-_-;) 受験の前日も当日も、勉強どころじゃなくグダグダだった。 

(4月24日放送)そんな、まだまだいかにも子供、といったおりんちゃんを心配して、受験の後に様子を見に来てくれた松浪先生は やっぱり優しい~✨

ニッコリ笑顔に、ポワ~ン

こ~んな素敵な先生がいるなら、先生に褒められたくて 私ももっと必死に勉強したわ!(^^ゞ 

松:よくここまで頑張ったね。それが言いたくてここまでやってきたんだ。本当に良かった。

り:良くありません、私 ダメだった。

松:結果はどうあろうと君が頑張ったことは、神様がよくご覧になっているから。

り:ご覧になっていても、女学校には入れてくれないんでしょう?ダメなんでしょう?

松:それは私にはわからない。

り:そんな神様なんて、私 いりません!!

松:おりんさん、落ち着きなさい。

り:私、女学校に入れない、私 行けません!松浪先生、さよなら!

松:おりんさん!

(そこに登場、渡辺謙さん。)

謙:先生のお力で女学校に入れていただけませんか?

松:それは出来ません、それでは試験の意味がなくなります。

(泣く、おりんちゃん)※ナレーション、こんなはずではなかったのです。


先生、わざわざ様子を見に来てくれたのね~ それにしても、感情的なおりんちゃん。ほんとに まだまだ子供やわぁ。謙さんに至ってはおりんちゃんを思うあまり、裏口入学を願う始末、松浪先生をあんまり困らせないでくださいな。


ところで、前々から気になっているのが、松浪先生の後ろに結んだ髪の長さでした。

垂らした長い髪は付け毛かな?髪の艶が違うような。

ドラマの撮影は1986年の2月3月で、このドラマの後、新曲の「女神」で長い髪をソバージュにして、あっと思わせてくれたけれど。「はね駒」の最終回に、ソバージュヘアで現れたのはオドロイた。さすがに明治時代なのに、違和感あり過ぎました。

ネットで一番髪の長そうな、ソバージュ・ジュリーを探してみました。やっぱ、「はね駒」では付け毛ですね。でもジュリー自身が髪を伸ばしていた途中だったので、松浪先生はあのヘアスタイルになったのでしょうか。私はソバージュは当時はあんまり好きじゃなかったです。今は、おそろしく色っぽいと思いますけど。

松浪先生、神様はご覧になっています、いいんですか?

その胸に十字架のついた衣装・・💦💦

耶蘇の教会からクレームがつきそうな

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⑤松浪先生のお言葉

2020年04月25日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

「はね駒」4月18日の続き。

この日は、治療の礼を言うために訪れた弘次郎と、心の内を話す松浪先生の台詞が多く、先生の見せ場がタップリ!先生のキリスト教に入った経緯や、キリスト教について語られました。


徳川幕府が崩れていくのを見た時、純粋に信じていたもんが無くなり、これからどうしよう・・と思っていた時に出会ったのがキリスト教でした。

同じ人間でありながら上下をつけて、主人だ家来だと言ってること自体がおかしい。お互いの為にお互いの幸せを守るために生きる、それが本当の人間の生き方だと思います。それを教えてくれたのが、キリスト教の「神を恐れて人を恐れず」の精神でした。それを知った時、急に目の前が開ける思いがして、これで生きていけると思いました。

お茶を入れる松浪先生に、「茶坊主みたいなことをするのか」とバカにする弘次郎に対して

人間として互いに思いやり、助け合い、正しく生きてゆく知恵を学ぶ、これが我が東北女学校の顕学の精神です。男子に比べて今までおろそかにされていた女子の教育を、そういう精神でやっています。

子供を生み育てる女性に、男子に劣らず豊かな教養を身に着けてもらいたい願いを込めて、幅広く厳しい教育を行っています。いい加減な思いで入学したものは脱落していくんです。そういう学校です。わかっていただけますか?

お礼を言って帰る、弘次郎。おりんちゃんは入学のための試験を受けることを許されました。


いつもながら、穏やかに優しく誰にもわかりやすく、真心をこめて話す先生の、少しだけ含羞も見える先生の話し方に、ウットリ~ 放送当時、20代だった私はどんな風に感じて観ていたのかな?と思いました。少なくとも、東北女学校の厳しくも正しい顕学の精神は、脳内には残らなかったと思うわ。

入学をしても、学ぶことはとても厳しそうな東北女学校・・ 

なのに、おりんのおじさん、周りの人々との試験前日や当日のドタバタを見ていると、呆れかえるしかない。もっと、よく話せばわかるやろ!何故そこで必要な事を言わない、聴こうとしない。早合点ばっかりの人々に、もうイラァ~~っとしました 笑えるより呆れました。ここは真面目に見るなってことなのね。松浪先生の美しい言葉の一言一言に比べて、あまりに違いすぎますわ💦

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④松浪先生の過去

2020年04月22日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

今週はいまのところ松浪先生の出番はありませんが、おりんちゃんが東北女学校に合格したら、もっと出番が増えるはず!楽しみに待ちます(^-^)

もっとも、あれで女学校に合格できるのかね?という、危うさいっぱいのおりんちゃんだけどさ。💦 ガッツ石松さんは、とうてい おりんちゃんの叔父さんには見えません。ガッツさんは、おしんにも出ていましたが、NHKに気に入られたのかしら。


先週、怪我をしたおりんの父の弘次郎を、陰ながら治してあげた松波先生。南蛮の怪しいとろろ汁みたいな塗り薬(湿布薬か?)に笑ってしまいました。早く治って良かったね(^-^)

そして土曜日の放送で、おりんの父と話した松浪先生のお言葉

松波先生が語る己の過去⇒『橘さんは二本松藩士として、最後まで薩長と戦ったと聞いていますが、私も徳川方の武士として長州征伐に参加して戦った人間なんですよ。』

『徳川に忠誠を誓い、その不滅を信じていた若者でした。武道に励み、孔子の教えに親しみ、諸葛孔明に憧れた血の熱い少年だったんです。』

前に観ていた時には、そういう松浪先生の過去や屈折などには、全く思いを巡らせることは無かった。今は大河ドラマを見ているお蔭で「龍馬伝」「西郷どん」などで語られた「長州征伐」の歴史は、まあまあ簡単にはわかるの。

1986年に「はね駒」放送された時、全くドラマの背景は分かっていなかった。おりんの父の弘次郎には、何か心に秘めた影があるけど、それは何だろう?何か昔にあったんやろな、とは思うものの、それを知りたいとは思わなかった。福島が舞台の「八重の桜」を見てから、やっと弘次郎の過去が理解できるようになった。弘次郎は戊辰戦争に参加していた。

よくわかる解説がネットに有りました⇒『弘次郎は、兄(おりんの伯父)の弦一郎とともに戊辰戦争では、二本松少年隊の一員として、薩長に斬り込んでいった過去がありました。
祖父母はその時に討ち死にした弦一郎の墓を守り続けて、二本松で住んでいたのですが、弘次郎は自分が生き残ってしまったことに呵責を負い、明治維新後に故郷の二本松を捨てて相馬で暮らしていた、というわけです。』

何も知らずに見るのと、知ってから見るのでは キャストに対する見る目が大きく違う。寡黙で厳しい父、優しく暖かい松波先生、その二人ともが かつての戦いで心に痛手を負っていたという、共通点があったのでした。今は立場の違う二人が、話し合う事でお互いを知り、父の弘次郎は松浪先生に閉ざしていた心を、少し開いてゆく。

まさに「はね駒」の、元気で可愛いおりんちゃんが主役にも拘らず、番組のオープニング曲の暗さと重さが気になって、不釣り合いな気がしていたのだけど、実はドラマの中には福島の人々が受けた苦難の歴史が通底していた。それが、ようやくわかりました。

※戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いから会津戦争へ)⇒中高生向きの解説で流れがわかりやすい

※なかなか 5分で理解は難しいけど⇒5分でわかる戊辰戦争


 

ジュリーが野球部のトレーニングに励んでいた、京都の黒谷さん、金戒光明寺。ジュリーの聖地巡りで訪れました。ここも同じく、私は無知だった。

初めて行った時、境内に会津の藩士の墓があった。

何故 京都に会津藩士の墓があるのだろう??と思うだけで調べることもしなかった。「八重の桜」で、ようやくその訳を知りました。鳥羽伏見の戦いで亡くなった、会津藩士を弔っていたのでした。福島の人は、苦難受難の歴史を何度も何度も受けてきたんやね。

知ったことで、ちょっとだけ目が開いた気がします。無知がつくづく恥ずかしいと思います。


ネモフィラが咲きましたとJ友さんより

金魚草

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③松浪先生のお言葉

2020年04月20日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

朝から松浪先生の笑顔に癒されてます~✨

今日は松浪先生は出なかったけど、

二谷友里恵さんが初登場しました。おりんちゃんとは違い、いかにもお嬢様でした。

歌謡番組全盛時代、ヒット曲を連発し、ジュリーをTVで見ない日が無かった頃、連続してわずか三日ほどジュリーを見られない日があると、どれだけ寂しく思った事か。だから、夏の縦断コンサートの時期はTV出演が少なくてつまらなかった。

TV画面の中の若くて誰よりも綺麗なジュリーは、画面から溢れ出る魅力と色気を、お茶の間にキラキラ撒き散らしていました。

「はね駒」の松浪先生には、さしものジュリーも老けたよね・・💦 などと思っていたっけな。


心に残る松浪先生のお言葉、その③ 

※4月13日分

※嫁に行かねばならないのかと、悩むおりんちゃんに言った松浪先生のお言葉

『自分の心にウソをついて生きるのは
自分の一生を偽りの人生にしてしまうことなんだよ。
本当の物を求める心が強ければ
それは必ず与えられる。
求める心を大事にして、自分に
正直に生きなさい。

(ナレーション)己に正直に生きる。簡単な言葉が背負っている
重さ、難しさを、今初めてわかりかけた
りんでした。』

『己に正直に生きる。』一見すると、それはなんと簡単な事か・・と思いました。他のものには脇目もふらず、自分の気持ちに正直に生きたら、それが結果的に多くの人の気持ちを傷つけることもあるわけで 

何にも考えず、自分の事だけ考えるという事は、利己的であるということで、生きるってことは そういうことか。結局、自分で選んで生きていくしかないんだね。心ならずも踏みつけてしまった人には陰で詫びるしかないのか。ジュリーの人生も重ねて考えてしまいました。

哀しいかな『己に正直に生きる。』は、結果として誰かを踏みつけ、切り捨てる覚悟も持てという事ね。

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②松浪先生のお言葉

2020年04月09日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

こんな世界中が大変な時ですが、毎朝「はね駒」でジュリーの松浪先生を見られる 小さな幸せ 今朝は松浪先生の言葉に、女性として少なからず感動しました。


松浪先生は女学生の募集をしているという。

(りん)東北女学校と言う所は誰が入れるんですか?

(松浪)入りたい人は、試験を受けて通れば誰でも入れる。

(りん)誰でも?

(松浪)ただ、本当に勉強したい人でないと 入ったらついていけないかも知れないな。外国 の先生は勉強に厳しいからね。
(という松浪先生を横から見たら、髪の毛の長さにビックリ)

(りん)女学校ではどだことを勉強すんだべか。

(松浪)大勢の人と逢って、沢山話を聴いて、そして沢山本を読んで、自分が知らなかった、広~い世界を知る。そんな勉強をするんです。私達は知らないことがいっぱいある、それを知らなくても 生きてゆく事はできる。しかしそれを知ることで、私達はもっと豊かな充実した人生を生きることができる。

政治や経済の事だって、男だけの物じゃない。女もそれを知ることで、私達の国の文化はすすむ。何事も男に考えて貰うんではなく、自分で考えて自分で行動する。そういう女性になるために勉強するんです。

 



明治という封建時代の古い考えが色濃く残る時代に、女性も勉強して充実した人生を、自分で考えて行動しようという松浪先生の言葉に、深~くうなずきましたわ。

翻って、我が学生時代は勉強していたか?してないわ~💦 とくに勉強してないのが、大学の4年間。70年代のあの頃、私は勉強もせずに何をしていたのか。

ひたすら毎日TVを見てた。夏休みは一日中がラジオとTV。ジュリーの出ているTV番組ばっかり・・ 一日で歌番組に3本出ている日もあった、毎日どっぷりジュリー、贅沢な幸せな日々でした。

松浪先生が担任だったら、もっと勉強をしたかも?知らんけど~

 

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ジュリー&斉藤由貴さんの対談「はね駒」

2020年03月30日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

J友さんから、ジュリーと斉藤由貴さんの対談記事をいただきました。ずいぶん前にJ友さんのJ友さんにコピーをして頂いたものだそうです。一部、端の文字が切れていますが、古いものなので、そこはご容赦してください。m(__)m


松浪先生の特技は「微笑」!

難しいキリスト教の説教はわからなくても、心が温かくなる松浪先生の微笑♥ それ、分かるような気がいたします~

あの当時、マスコミへの対応で「ジュリーはおかしくなった」とか言われて、ジュリー大丈夫?と、随分心配致しました。

ナベプロの後輩の吉川晃司さんのことについて語っているのに、端が切れてて残念です💦吉川さん自身はジュリーのファンです。

 

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①松浪先生登場

2020年03月29日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

週刊女性プライム⇒沢田研二、岸部一徳と急接近で高まる「ザ・タイガース」再結成説を直撃!


待ちかねた松浪先生が土曜日はやっと登場しました!

それも馬に乗って🐎 前髪が随分長いですね。

来週はもっと登場するでしょう、楽しみです。


 

朝ドラ「スカーレット」は、28日が最終回でした。前作は、あまりに飾り立てられ 皆に護られたヒロインに、リアリティが全然感じられなかった。

「スカーレット」は、物事に真剣に向かい合い、自作の陶芸作品のように素朴で粗削りで、飾らない主人公が良かった。主人公の息子も、分かれた夫も、周りの人々もしっかり描かれていて、みなが魅力的だった。登場人物たちの語る一言一言に、それぞれの人達の愛情や深い思いやりが感じられた。しみじみと親子や家族の姿を見せてくれたと思う。

モデルの女性陶芸家の神山清子さんは、骨髄バンクの創設に尽力した人だったので、てっきりその感動的なエピソードが入るのかと思っていたら、無し!あれ~?それはちょっと肩すかしでした。

神山さんが前に、関西テレビの「よ~いどん」でインタビューされた時に、亡き息子さんの作品である陶芸作品を見せてくれて、(TVの作品とは全然雰囲気が違う)それがとても深い深い宇宙のような色合いの作品で、小さいものだけれど、思わず目を惹きつけられてしまう魅力が作品にはありました。

売れないように、わざと高い値段をつけている、という神山さんに母の顔が見えました。

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はね駒(神戸新聞記事)

2020年03月27日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

神戸新聞、1986年2月26日の記事より

「はね駒」スタジオ収録始まる

文字が小さいので、「はね駒」の部分だけ切り取り

「はね駒」は放送されてから、もう長い事見ていないのですが、見ていたら だんだん記憶が戻ってきました。

今週のジュリーの出演は、初日とあと少しだけで そう出番は多くは有りませんが、おりんちゃんの縁談話や女学校の進学で、出番ももっと増えて来るでしょう。

1回目の放送で、おりんちゃんが木の上に登って祭りを見るシーン。朝ドラのヒロイン達が木に登ったり、高い所(屋根)に上るシーンの多い事!またか~(笑) 

「おはなはん」が木に上って、見合い相手を待つシーンがとても有名ですが、さすがに55~56年?くらいも前なので、覚えている人は少なくなりました。最近では「あさがきた」や「わろてんか」でも高い所に上っていましたね。朝ドラではないけれど、会津福島が舞台の大河ドラマ「八重の桜」でも主人公が木に登っていたな。

私の思っていた以上に、朝ドラヒロインは高いところが好きだった。⇒<朝ドラあるある>「ヒロインは高いところに登りがち」

主人公がお転婆で元気がいいのを表しているんだけど、さすがに食傷気味やわ💦

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はね駒、再放送

2020年03月24日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

23日からはね駒、再放送中です。

「女は触るな、穢れている」と突き飛ばされる、おりんを、「あんな言葉を気にすることはありません、女の人は穢れてなんかいません。」優しく介抱する松浪先先生

女性の人格は否定され、家に従属し忍従と辛抱をしいる、明治のまだまだ封建的な時代に、松浪先生はなんて優しいの!その慈愛に満ちた暖かい微笑みは、まるで太陽のようです。こんなに優しくされてどうしましょう。

女も少女も幼女も、男だって グラグラするんじゃないでしょか?あんまり素敵すぎます。

ところが、34年前の放送を見ていた頃の私は、ただうっとりジュリーに見とれていた・・・というわけではないの(--;)

38歳になろうとしていた、86年のジュリーは、デビューから節目の20周年。我が名はジュリーの刊行、シングルはアリフ・ライラ・ウイライラ、アルバムは夜のみだらな鳥たち、帝劇で貧民倶楽部に出演。女神、ジュリーは役者もするから凄いスケジュール!と、これはジュリ友さんの発言そのまま、受け売りでした。m(_ _)m

この頃はファンであっても、手放しの称賛を誰もが向けていた時期ではないと思うの。 周りが騒々しい、そんな時であったせいか、ジュリーのさしもの美貌の上にも、1枚陰りのベールをまとったように、ジュリーは精気が少なく見えました。あの華麗なジュリーも歳をとった。そう思った。

ジュリーがまだずっと若い少年の、 青年になる前から見ていたので、歳を重ねれば誰もが無くしてゆく、若さという輝く特権を手放しつつあるジュリーを見つめるのは つらいと思いました。 今思えば、なんて容赦のない 厳しい眼だったんでしょうかね。

今朝のはね駒のジュリーは、年齢なりに歳をとり、若い時分のシャープな輪郭から、少し弛んだ優しく柔らかい輪郭に静かな笑みを湛えていたというのに。ジュリーに対して容赦がなかったね、ごめんなさいと謝りたい。

んちゃんへの暖かい眼差しを、今は素直に自分のものとして受け入れられます。それは、歳をとらないとわからない 見えないものだったのかしらね。

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