あの震災から18年もたちました。自分自身がまさか災害の被災者になるとは、以前は考えたことはありませんでした。
世の中的には既にとうの昔の話で、記憶からはすっかり風化している出来事なのでしょうね。 でもそれは仕方がないことで、責められることではありません。 私とて、別の地域で起こった災害には、自分は傍観者に過ぎないなと思うときがあります。 ただ、被災者には例え18年たとうが、数十年たとうが、はるか昔のでき事ではないのです。 東北の津波被害の方々もきっと同じ思いだと思います。
震災で家は全壊判定でしたが、修理したら住めたし、家族は幸運にも怪我ひとつありませんでした。 わずか数十メートル先の区画では、辺りの家は真っ黒に全焼しつくし 死傷者が多数出たというのに・・・
被災するまでの30代の私は、この先もこれからも 毎日特に何も変化のない日々が過ぎてゆく、2年後も3年後も、きっと変わり映えのしない日々を過ごしているのだろう・・・と思っていました。今から考えれば、なんとお気楽な人間だったかと思います。あの日以来、明日の事はわからないのだということが、ようやく身に染みました。
ここから、おバカな私の話なんですが、グシャグシャになった家の二階から何とか抜け出し、家族の無事を確認しほっと一安心。 地震後まだ暗かった町に太陽が昇ってきた時、辺りの惨状には悲しむよりも その時は驚きの方が大きくて、まさか神戸が壊滅する日がくるとは・・と、思ったことを覚えています。これから先の私の人生は変わるだろう・・ と思いました。でもどう変わるかは、もちろん想像外でした。
町が明るくなった時に、まず一番心配だったこと。私の大事なものが大丈夫か、確認せねば! なんとか倒れた家具などをかきわけかき分け、二階の自分の部屋に入り、そしてドキドキ心配しながら、大事な物をしまっている引き出しを開けた・・・・。
あった~!無事だったわ~!!ジュリーのコンサートのチケット♥
2月に大阪フェスでジュリーのコンサートだったの。今から考えれば、もっと大事な物があったろうにね。なんで、コンサートのチケットの事しか頭がまわらないんだよ! だって、母がくれた金のネックレスの事はすっかり忘れて、ゴミと一緒に捨ててしまったのよ。(T_T) ジュリーファンの鏡、筋金入りと呼んでください・・・ この話、当日連絡がつかないので もの凄く心配していた実家の両親が聞いたら呆れると思います。
いやいや、もともと私は1列目のチケットを無くしたことがあるような、いい加減な人です。 あの時はなお一層思考力が低下していたんでしょうか??? でもチケットはやっぱり大事です! この後、コンサートは無事に行われましたが、交通網がズタズタに寸断されていたせいで、来られないお客さんが多数あり、客席はポツポツと空席が目立ちました。そんな中、やさしい気遣いをしてくれたジュリーの気持ちが嬉しかったわ・・・
でも、震災の日から一か月くらいは、ジュリーの唄を聞く気にはなれなかった。なんだか、違って聞こえる様な気がしたから。 おそるおそる、しばらくたってから聴いてみたら、ジュリーの声は全く何も変わっていなかった。 今考えてみれば、ジュリーの唄じゃなくて、自分の気持ちの方が違っていたんでしょうね。
あの年の夏、日々の暮らしも落ち着きを取り戻した頃、自分の部屋でゆっくりお茶を飲みながら、録音したジュリーの声を聴いていたら、ジュリーのちょっとかすれた話声がなんとも色っぽくやさしく、もう・・・ 恍惚となりました、ああぁ~幸せ~♥
私が人生で幸せ!と強く感じたことはそう多い回数ではないので、この時の幸せ感を一生忘れません。 震災の話はどこへいったんだ?という、おバカなわたくしの話でした。
2013年1月17日
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私も揺れがおさまり着替えてからすぐにしたことは、
チケットを冷蔵庫に仕舞ったことでした^^;
二人でバチアタリだと言い合いましたね。
2月13日のジュリーは震災ことは一言も何も言わなかったのよ。
何も言わずに、客席を右から左、前から後ろ、そして2階へと
ゆっくりとファンのみんなの顔を確かめるように見ていたのよ。
そのジュリーの優しい眼差しが忘れられないし、大変でしたねとか
心配していましたとかの言葉より、どんなに嬉しかったか。
2月13日のライブで大汗をかいて、次の日熱が出た私は
次の17日までに治すのに必死でした^^;
うちが全壊判定を受けたといっても、ペチャンコになったのではなく
家が傾き屋根と玄関先がなくなったので、それを修理したら、
また住めるようにはなったんですよ。だから、まだマシかも・・
>saoさまと出会えたのもミラクルなことなのだ、と実感しています。
ほんとにそうですね、わたくしもそう思います(^-^)
朝のニュースを見ていて、そうだ!この日だったんだ・・と改めて思い返しました。
このとき私は生まれて半年の息子を抱えて遠く北陸の地でテレビの前で愕然としてました。
saoさまのおうちが全壊だったとは・・・しかし本当にご無事でなによりでしたね。
しかもコンサートチケットも無事で!見事な筋金入りです!
今こうしてsaoさまと出会えたのもミラクルなことなのだ、と実感しています。
- kinpira
- 2013年1月18日
>2月13日のジュリーは震災ことは一言も何も言わなかったのよ。
何も言わずに、客席を右から左、前から後ろ、そして2階へと
ゆっくりとファンのみんなの顔を確かめるように見ていたのよ。
そうそう、そういえば・・・とやっと思い出してきました。
有難うございます(^-^)
あの時はライブが2月だったので行けました。1月なら無理
だったでしょうね。お蔭で忘れらないライブになりました。
しかし次の日は熱が出たの?やっぱり特別なライブだったのね~