今頃になりましたが、渋谷公会堂4日目です。
4日は8列目の右端、壁際でした。開演前に、サリーとタローさんが来られている、とJ友さんから伺いました。思わず伸び上がって、お二人のいる席を確認しました。渋公の最後の日ですからね、終わったあとジュリーと3人で 渋公を偲ばれるのでしょうか。
3日目のジュリー、風邪のうえに3日間連続では やはり声は苦しそうで昨日よりさらに辛いかな・・(´ε` ) それでも心を込めて、渋公最後の日を飾るジュリーです。
MC
有難うございます。渋谷の最終3日目、もう10年くらい3日間続けてやるのは年齢的に避けていた。最後ということで、何で僕なんや。他に誰もおらんのか。タマタマ3日間空いていた、ここを乗り越えなければと思っている。つい2週間前から風邪をひいていましてね。声はカスレたり、使うと低いところがカスレたりして、使わない音域を使うと低いところがカスレたり。
河内長野からバスで移動で神戸まで行って、その時に油断した。21日、22日くらいから熱が出た。神戸が終わった日が22日(日を数えて)・・・12日間も禁酒中なの(拍手)60になった時、東京ドームを満杯にしたいと半年間 禁酒した。胃潰瘍をやった時と出てきたとき、1~2ヶ月くらい禁酒をやった事がある。これでアル中でないと わかりました。別に酒がなくても生きてゆける。僕はできる!(笑) 大したことではないですけど。(水を飲みながら、ペットボトルを見つめて)これがお酒だったらなぁ。いいねぇ お酒は、いいねぇ・・ すいません。 無駄話でした。
色んな想い出がある渋公です。今日、終わると明日 関係者が集まって、明後日から解体が始まる。見納めですから・・どこを見ればいいの? 次は新曲です。
ジュリーの思いのこもった新曲は、カスレた声ながらも心に深く突き刺さる。「きわどい季節」歌うジュリーが可愛い・・・と、メモに書いてある。何がどう可愛かったのか、どういう気分だったのか もう覚えてないけど・・。
MC続き「どうぞ皆さん、立ってないで お座りになったままでけっこうです。」 ※とジュリーが言うので、私は座ろうとした。周りの人達も座りだした。が、私の前の人たちが座ってくれないので、ジュリーが見えない。「座ってください」と思わず座れコールを前の人に言いたくなりました(´ε` )
歌の時は気持ちが座ったままでは とてもいられないけど、MCの時は座っていてもいいんじゃないの?もう若くないし、ジュリーもそう言っているし。この先、もっともっと歳を取るのに無理はやめましょう。昔々の40年前はアンコールまではおとなしく座っていた。いつからオールスタンディング状態になったんだろう?
それにつけても、風邪をひきながらも3日間連続で、渾身の力を振り絞り舞台に立つジュリーの凄さ、その力を改めて感じました。
この三日間は渋公にお別れの三日間。加瀬さんが亡くなって新曲以外は加瀬さんの曲でやろうと。それについては押し付けがましいと思われているかも。ご清聴有難うございます。渋公の舞台には何度も立ちましたが、忘れようとしても忘れられない、強烈に覚えていること。
雪の降る2月26日のこと(2・26事件のことね?)、ザ・タイガースとして渋公でコンサートをした。アンプのトラブルがございまして、私はそれをしらなかった訳ではないですが、一生懸命歌っていた。そのころは歌詞も忘れることも無かった。
二階に控え室があり(今回のバックステージツアーで、見学の皆さんが控え室に入って備品等、貰ったそうで裏山椎茸! )カツミが「お前、あんな下品なことするなよ!」 「何が下品や!」つかみ合いの喧嘩になった。すぐさま止めに入ったのは岸部一徳さん。喧嘩両成敗にも関わらず、カツミの首を持ち「お前らエエ加減せー!!」(すんごい大絶叫!)
ペラペラの座布団がいっぱい重ねてある所に、カツミを首投げした。1m80cm以上もあるサリーが(背の低い)カツミを、グーの音もでない。そこでタローが言いました。「二人とも暴力はヤメロ!!」・・・すいません、話に尾ひれがついています。尾ひれの部分は2月26日です。そんな事はよくあった。暴力はヤメロ!と言いながら、タロー君はカツミの方を向いて言った。(笑)尾ヒレ ハヒレが付いていますけどね。
渋公は最初キャパは2500~600、その頃は消防法はなく、立ち見もあった。サンケイホールなどがあった中で、タイガースが人気が出てここでやるようになった。
ほんとはここは一度、改修しています。タイルが変わった。名前がCCレモンホールになった。ニッサン、味の素スタジオなどややこしい。渋谷公会堂の古い建物が終わってしまい、2019年の前年くらいにこの辺が再開発されて世界になだたるスゴイものになるかも。渋谷公会堂というホールができましたら、木をふんだんに使って老人に膝にやさしいホールにしてもらいたい。それを挨拶にしておきたいと思います。
舞台の四方八方に、丁寧に腰を折って有難うございましたと、ジュリーは挨拶しました。アンコールの終わったあと、ジュリーは名残惜しさもみせず、振り向くこともなくサっさと退場しました。
観客の方は、また顔を見せて欲しいと、ジュリーの再登場を願う拍手を、ずーーーっと諦めずにし続けたのですが、再びの登場は有りませんでした。珍しく、諦めない長い長い拍手ではありましたが、再度出てきてくれなかったのは、ジュリーなりの思い出の詰まった渋谷公会堂との、鮮やかな決別だったのでしょう。
思い出はあるけど、その思い出に浸るよりも、新しい公会堂でまたライブができること、それこそが次の願いです。夢をまた次に持てるってことは、本当に素敵な事ですね・・・。
渋公の壁
これでようやく渋谷公会堂のライブも終わりです(^^ゞ
ジュリーの話した「タイガースの226事件」J友様から一冊の本を譲っていただきました。帰りの新幹線で、その本の中にジュリーの話とソックリな箇所をJ友様が発見してくれました。おお!ほんとになんて偶然なんでしょ
几帳面なタローさんの日記(昭和43年1月27日)T「he タイガース 日本の青春より」
日記によると、マナーが悪いのはトッポの方だったんですね(^^ゞ 確かに、ジュリーの話には尾ひれがついていました。
1月の渋谷公会堂のライブに行った日、始まる前にグルっと公会堂の周りを巡ってみたら、公会堂の裏側辺り税務署の前に226事件の碑がありました。ここに存在しているとは、全く知らなかったので、へー!!と感動して写メしましたが、他の人が興味を持つとは思えず、ブログには簡単に書いただけです。ジュリーは歩いてみて、この石碑がある事を知っていたのでしょうね。
やっとこさの渋公レポはこれで終わりです。
渋公では大変親切にしていただいたJ友の皆様に、ろくにお礼も申し上げていないことに、今頃気がつきました もう10月も下旬というのに、お礼が大変遅くなりました。
皆様、気持ちのこもったお土産をいっぱいいただき、本当に有難うございましたm(_ _)m ご親切は、ジュリーの歌声とともに忘れません