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②お正月LIVE(NHKホール)1月19日

2020年01月20日 | ライブ・公演・舞台

インフォが発送されたそうです。⇒JULIE INFORMATION 2020年1号を1月20日(月)に発送致しました。



続きです

MCのあとは「ダーリング」
もちろん、この曲を歌っていた頃のジュリーを、今も鮮やかに思い出せます。1978年、その前年に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を受賞して、ジュリーに怖いものなどない!そんな勢いがあった、何度目かの絶頂期を迎えたジュリーが歌った曲でした。
あの頃の伸びやかで高い声の「ダーリング」と比べたら、NHKのジュリーの声は最初から、ちょっとガラっとしていました。
最後のキメの「ダァ~~リ~ン」の声が伸びずに、ダー、リーンと、二つに分かれてしまったの。あ~・・と思ったら、も一度「ダ~リン」と歌い直し、そこにジュリーのプライドを感じましたね。

それからは、もっと声が出るようになってきて「恨まないよ」の頃には、曲の重いテーマとは裏腹に感じられるような、甘~い声でした。

海深くに沈んでいった哀しい恋の物語を歌う「パールハーバーラブストリー」は、その情景が目に浮かんできますが、曲が長すぎる・・というお声があります💦 
私も かつては、ジュリーの思い入れは分かるけど、やっぱ長いよね。と思っていたの。J友さんの話を聴くまでは。

もう長い事お逢いしていない、そのJ友さんは、ジュリーよりちょうど二回り上、今年で96歳のはずです。当時、まっ白な髪に鮮やかなスカーレット(緋色)のスーツを着こなし、背が若者よりもスラリと高く、堂々として威厳があって近寄りがたい雰囲気がありましたが、喋ると気さくでジュリーが大好きで「パールハーバーラブストーリー」が大好き!歌ってくれて嬉しい!と言われていた。

その時は、ふーん、私はそうでもないな、と思っただけ。でも今にして分かる、J友さんは戦争を経験した世代だったから「パールハーバー」にいたく共感していたのだと。その気持ちをやっと分かった時から、この曲は私にも特別な曲になりました。

もうずっとそのJ友さんとは連絡がとれなくなってしまって、お住まいも取り壊されて、そこに別の家が建っています。お元気ならば、ジュリーがライブで「パール」を歌いましたよ!とお伝えしたい。

「つづくシアワセ」は、ネスカフェのCMソングでした(2002年)。穏やかに包み込むように優しい曲で、好きです。短いワンフレーズでも、ジュリーの歌声がCMで流れるのが嬉しかった。東芝EMIよりJULIE LABELへ移籍シングル第1弾。なんでジュリーはインディーズになるの?💦という、思いはあったわ。CMとCDバージョンは違っています。 

※ネスカフェのCMソングに起用され、『つづく幸せプレゼント』として限定で生産された。こちらは90年台のCMプレゼントの概要です⇒「ネスカフェつづく幸せプレゼント」とは   続くお花のプレゼント。私は応募はしていないわ。

「6番目のユウウツ」のジュリーはカッコ良くて~!カッコ良くて~! 1982年の曲。この当時のヒット曲は全て、西暦で何年に発売とわかります。ジュリーはシャドーを入れたメイクが綺麗で、光るスパンコールの衣裳、一筋ハラリと落ちた前髪が色っぽかったねぇ 71歳のジュリーが歌うと、やっぱり 超カッコよくて素敵です~! 38年前の私は、71のジュリーが歌う姿など、微塵も想像して無いと思いますけど。

アンコールの「サムライ」は、歌う前にさっと仁義を切り、決まり過ぎて何度見ても、身もだえしちゃいそう。
今さらこの曲については、書く必要もないですが、先日のシングル人気投票ではベスト10には入りませんでしたね。入ってもいいと思うけどな~ 衣装や演出、ヒットスタジオで畳の上で歌うジュリーのあまりの素晴らしさに、思わずのけ反ったのは、もちろん私だけではないでしょう!

涙では
「それでは大昔に作った曲ですが、涙 2020」

涙のない人は 悲しい人
悲しい涙は こらえちゃダメ
嬉し涙も 沢山流そう
それはキラキラと結晶です
きっと 甘い味がする

やったかな。悲しい涙も、嬉しい涙も流しましょう・・ ジュリーに言われるまでもなく、年齢のせいかしらん、すごく涙腺がゆるくなっちゃって・・恥かしいほど涙が出るようになりました。去年はクイーンのボヘミアンラプソディの映画と、京都の国宝の仏像の美しさに涙がポロポロ・・

レコ大の大衆賞受賞がすんごく悔しかった「危険なふたり」は1973年。あの時はジュリーが大賞に決まっている!いまだに悔しいです 
お着物姿で華麗にステージを横走りするお姿に、あのころの軽くて若い「危険なふたり」もいいけれど、今のジュリーの迫力と風格に、勝てる者はないと思いましたわ。

最後に横っ飛びで足パッチンを何度も何度も!雪駄を履いて横っ飛びは凄すぎる!とのJ友さんのお言葉に、ほ、ほんまや~ そこまで気がつかなかった💦 でも怪我しないかと、ちょっと心配です。

歌い終わり、退場するジュリー。周りの観客の皆さんが、一斉に立ち上がって帰り支度を始める方が多数で、え?もう帰るの??ウソ~💦 再びのアンコールを願う拍手も少なくて、え~ これだけで終りだなんて、信じられない
それからようやく、だんだんと拍手が大きくなっていって、まとまって・・大きな拍手が威勢よく続いて、ジュリー出てきて~!!

そこへ、ようやくジュリさま再びの登場、ジュリ~!!と叫ぶ女性ファンの甘えるような黄色い声援が若い。NHKに集合のファンの平均年齢は、えーっと・・ 女は、好きな人の名を呼ぶときには、若い女だった頃と同じ声が出せる、その声はひたすら蜜のように甘いのよ~ ジュリーさま聴こえてますよね?絶対に茶色いなんて言わせないから!

ジュリーは笑顔で、それでは「関東一本締め」
会場中がひとつになって、盛大にパン!と手を打って終わりました。

お正月LIVEが、たった6回しかなかったのは、やっぱりもったいない。もっと多くの全国の方に聴いていただきたかったです。

 

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①お正月LIVE(NHKホール)1月19日

2020年01月20日 | TV・ラジオ・CM・映画

お正月の1月5日から始まったお正月LIVEも、昨日の19日のNHKホールで千秋楽。

松の内から始まったので、選曲も衣装も華やいだ、本当に久々にお正月らしいライブになりました。

 

入り口でお逢いしたmadameHの、目にも眩しい迫力のあるGOLDのセーター姿に感嘆の声をあげちゃいました~ スゴ~イ 

 

お正月LIVEの参加は、お仕事の為に今回は一回限り、ジュリーとの逢瀬を目前にし、背筋をピンと伸ばしたmadameHの気持ちの昂ぶりが、GOLDの輝きに現れているようでしたわ。カッコイイ

年齢に背中を丸める事など無く、女性もジュリーに負けずに輝かなくちゃ!そんなmadameHからのメッセージが、ビンビン伝わってきました。


 

私はこれまでNHKホールには、わずか数回しか参加はしていないけど、今まで3階と2階の後方席ばかり。今日の席は、後ろから数えた方が早いけど、NHKでは私にとってお初の1階席でした。

センターなのでジュリーが真正面!勘違い光線には遠すぎるけれど、ジュリーがず~っとこちらの方面を、まっすぐ見て歌ってくれているような気になれたのは幸せでした(^-^)

それにしても、ライブが始まる前のガランとして たいして広くも感じない、自分の席から見えるホールのステージの、なんと簡素で味気ない事・・大晦日に紅白歌合戦を、自宅のTV画面から見た会場とは大違いです。あの紅白出演のスター達が居並ぶステージの大きさや、キラキラした華やぎは、どこにいっちゃったわけ?

画像はホールの天井より

ところがジュリーがステージに登場した途端に、何もない白い床や白い背景は一度に輝きを持ち、発光し始めるのよね。そこにはジュリーという、輝くスターの大きな存在があるからこそ。何もなかったステージは、一気に熱を持って動き始める。

 

ハローパンダさん作

一着目の白いジャケットは、上着丈が短いので、下の白いパンツのヒップラインや脚の線が強調されるデザインです。下半身を臆せず隠さず見せたデザインに、体型を出して見せる自信のほどを感じましたわ♥ カッコイイ~! 

アンコールのシャッキリした白大島の着物地がライトに照らされて、シットリとした気品のある光沢を放って、その美しさには惚れ惚れと致しました(^-^) 年齢を重ねた着物姿は、若い時にはまだ出せなかった、品格が有りました。

 

「お前にチェックイン」を発売した1982年、ジュリーはインディアンルックで、チュルル♪っとTV画面の中で、軽やかに飛び跳ねていました。その頃の私は何をしていたのか何を考えていたのか、今でもハッキリと思い出せます。チェックインのジュリーと自分の記憶が、まさにくっきりと重なり合っているから。

眼の前のジュリーはあれから38年、やっぱり軽やかに・・いや、チョッとドタドタしてるかなぁ~(笑) 71歳にもなって、チュルル♪っとステージで跳んでいた。その少し丸くなった体の動きの、何と愛おしいことよ ジュリー頑張れ!声援を送りたくなります。

ここはTOKIO、お江戸のジュリーなのに、何故かジュリーは関西弁のお喋りで、関西人にはそれは嬉しい限りです。でも「まいど!」と言われたら、つい「おいど」と返したくなるのよ~ あかんあかん、ここはTOKIO、まさにお江戸やった。



サンキュー 有難うね♪
寒中お見舞い! まいど おえど・・まいど おえど
有難うございます

紅白歌合戦をやっていたこのNHKホールも
まいど菌で充満しています。
お運び頂いて誠にに有難うございました
今年も始まりましたが、あっという間に
正月ライブも千秋楽となってしまいました。
名古屋 福岡 東京 大阪 大阪 NHK・・
怪我無くこのNHKホールに辿り着いたこと
本当にありがとうございます。

今年も始まりました、今年は良い年になりますように
頑張ってお届けしようと思う。
お正月ライブはヒット曲を出し惜しみというんじゃないんですけど
実は出し惜しみというつもりじゃなくて
他にも歌いたい歌があるということで
ヒット曲も歌い切らないうちに、何やってるか
分からないことに。やれる時にやっておこう
ヒット曲を私にしては多めにということで
私にしては始まって、3曲目でもう2曲もヒット曲を
やりました(笑)



アンコール後

有難うサンキュー有難うね~
(カズさんい向かって)
カズさんもしあれだったら・・
(カズさん???)
話が長いのにずっと立っててもらって悪い
一旦 はけてもらって
(カズさん、舞台袖に退場)

名古屋も大阪も ずーっと、大阪を終わった時に気が付いた
いつも立たせたまま喋ってて、
カズさんがなんとなく・・・・
真面目を絵にかいたような
笑いたいときは笑ってくれていい
今年も始まりました。
今年も早々から世界中が大変な事になっていて
どないなるかわからんよ皆さん
出し惜しみする場合じゃない

今年はツアーもやるんですけど
新曲もお陰様で東京フォーラムでレコーディングさせてもらった
それが出来たんですよ
ライブ盤じゃなくてライブの時にコーラスを入れる
どれだけ せこいんや、自分のことやから考えたんです。
大勢のコーラスは人数が多くなると単価が・・
5人くらいより30人くらいいる、30人頼むのは大変なんです。
ところが東京フォーラムは4000人
フォーラムでレコーディングして良かったら使います
必ず使いますとは言ってない
エンジニアの腕でどうでもなる
それが4000人のコーラス!
ワンツースリーフォー ヘルプ .....
とっといたら、いつか使える
いちおう、私が権利をもっている
もうひとつは、東京では おえどと言っているが
まいどを、まいど まいど まいど・・・
この曲のタイトルは「がんばんべーよ」私の作曲
ヘルプはカズさん それが3月11日に出るんです
(買う買う!絶対に買うから!!買いましょうね!)

そのシングルを引っ提げて、5月13日のNHKホールから
今年はオリンピックがあるから、この会場では重量挙げ、
なかなか今年はとれない、
最後の11月の13、14、15 渋谷公会堂
本当はあした、発表になるんですけど

大した事ない仕事だけど
大したことないなんて、くれた人に申し訳ない
TVをやってるわけでも、インスタグラムもやってない
ライブはごく一部の熱烈な人がきてくれだけるのに、
有り難い神様のような人が
昔の名前という事かも知れません
僕の場合はタイガースの頃から生意気やと言われていた
ジジイになっても生意気、生臭いと言われ
ずーっと「やってきたことなんやからそうなんやから
いつまでも有ると思うな人気とフアンと言われてね
人きというものは、昔ほどのことは無いけど
そら― 昔は凄かったで。どんだけもってんの
71や、71やからというて
正月ライブは6時から、そのペースに慣れてしまっている
16時、4時や2時間も早い、身体が起きてない
前の日に早く寝て、10時頃から寝なあかん。
寝られるか?寝られるんですこれが
元気な証拠、胸がいっぱいでご飯が食べられない
そういう事がないんです。食欲があるんです
痩せる気がないんです、自分で望んでこうなったわけじゃないんです
リバウンドがあるわけじゃないんです
この身体は一日にしてならずです。
健康には十分に気を付けて
自分がアルコール依存症じゃないことがよくわかった。
カズさんと旅を廻っていると、旅先に友達がいないと
飲むことが無い。般若湯ですから
休肝日を取れるときはとって、1週間ぐらい休肝日を取って
7日目に飲む、飲める飲める、自分でもビックリするくらい。
そんなに飲めたかな。身体から排出する、そういう能力があるんやね。
お酒飲むんも能力ですから。
カズさんを呼びたいと思います。
カズさん・・

本年もどうぞよろしくお願い致します。

続く

 

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