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ザ・タイガースが誕生するまで

2020年03月22日 | タイガース・GS

kisaragiさんから、ご案内をいただきました。

『ナンバ一番のブログを数年前に制作しています。
ビルの件は http://nanbayade.blog130.fc2.com/page-1.html
に記載しています。後ファニーズを中心とした写真等です。
トップページは、http://nanbayade.blog130.fc2.com/』 

改めて⇒トップページ

  ⇒ナンバ一番の歴史  

 

読ませていただきました。胸躍る、若き日のファニーズのこと、懐かしいGSたち。登場する中には、今も活躍している方もいましたなかには驚きの事実も!!・・

一部、抜粋させていただきました⇒『ザ・タイガースが誕生するまで
昭和41年のオーディションで京都からやって来た二組のGSが鉢合わせした。ファニーズとアイビーウエスト二組の少年達はなんとかオーディションに受かろうと熱演した。オーディションでは、わずかだったがアイビーの方がプレーが上手なんですね。 そこでアイビーを合格 ファニーズは準合格ということにしたわけです。いかにも京都のボンボン達が集まったグループという感じで審査員達も好感を持ったものでしたよ。落ちたファニーズの連中ががっかりした表情で京都に戻った姿を今も覚えていますもんね、」梨羽マネージャーの話』

ええええ~ ファニーズはナンバ一番のオーディションに すんなり合格したんじゃなかったんですか?! 皆さん、ご存知でしたか?知らないのは私だけ?? でもナンバ一番のマネージャーさんのお言葉は、信じない訳にはいかないです。

さあ、落ちた失意のファニーズはどうなったんでしょうか?? いや、合格したんですよね、やっぱり(^^ゞ でないとタイガースが存在しなくなります。この続きの顛末は、Kisaragiさまのブログでお読みください。※画像を拝借しています

★感銘を受けたのは、いじらしくもけなげなファニーズ・ファンクラブの女子たち。⇒『影から見守り前には出ない、ファニーズファンクラブ女の子達の精神』

★ファニーズの東京への旅立ちを語る「ヤングミュージック」の当時の記事をアップして下さっているのは、大変貴重です。ともすれば、ヤングミュージックの筆者のペンは突っ走り気味です。面白かったのが『超特急「こだま」が音も無く滑り込んできた。』こだまは、新幹線と言えども各駅停車、東京まで時間がかかったと、ジュリーがこぼしてましたよね。 お別れ会で女子が騎馬戦やったのはほんと?いや、若いからやるかもね。

★遅れてきたGS、オックスについての箇所は興味深く読みました。オックスの失神と熱狂がGSへの世間の評価をいっそう厳しくしましたが、オックスの曲は名曲揃いで 私は大好きでした。

ナンバ一番の『司会の浜村 淳ちゃんや横山プリンちゃん』 関東の方にはお馴染みではないかもしれない、浜村 淳さんは80を越えた今もラジオで活躍されています。

ジュリーは昔は浜村さんの朝のラジオ番組に、よくゲスト出演していました。「魔界転生」の映画宣伝の時は、浜村さんの立て板に水の語り口に、ジュリーが引いていました(笑) 映画の粗筋を調子に乗って、ほぼ全部しゃべってしまい、浜村さん喋りすぎ! ジュリーが立て板に水ですね、と言外に(そこまで内容を喋らなくても)と、それとなく制しているのに全然気がつかず「僕は映画を見ましたから」と真面目に返していました。いや、そうじゃなくて内容を喋り過ぎでしょ。

浜村さんは京都のバンドコンテストの司会者でもありました。半世紀をとうに越えて、浜村さんは今でも関西のラジオの朝の声です。

横山プリンさんは、去年ブログで取り上げました。横山ノックさんの弟子、70年代の一時期、関西のTV番組でえらい勢いで、その勢いをかって東京まで進出したものの、そこまででした。裕也さん、梶光男さん、克己しげるさん・・ナンバ一番に出演していた懐かしいスターの名前も多数登場して、ワクワクしながら読ませていただきました。

★ナンバ一番の入り口の画像を貼らせていただきました。「GS界異色のモップス」の名前が懐かしいですが、当時はムサイ男たちの集まりだと思っていましたわ(笑)

kisaragiさん、貴重なお話を 有難うございます。✨

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