志村けんさんが主演の予定だった原田マハさん原作の「キネマの神様」返却日の当日になって読了しました。映画は撮影を見合わせているそうで⇒『キネマの神様』撮影見合わせを発表 (新型コロナ影響で2週間程度)
「主人公の現代パートを志村さん、若き日の主人公のパートを菅田が担当するとされていた。」と、ネットにありますが、原作には「若き日の主人公」は登場してこないのですが・・ 映画版は原作とは違う脚色があるのかな?
ギャンブル依存症で映画を愛し、家族を困らせる主人公が、まるで志村けんさん そのもののように思えて、これ以上ない配役だったのに・・ とても残念です
※以下、読んでない人には、ちっともわからない感想文。
原作を半分以上も読み進んでも、いまいち お話はゆっくり・・としか動いていかない。アナログな主人公が映画ブログを遅々と綴ってゆくのだけれど、特別に感動的・・と言う訳でも無い、読んでいたら だ~んだん眠たくなってきて💤
それほどの内容とも思えないけどね? もう寝ようかなぁ と思った。が、本を返さなければならないので、必死で目を無理に開けて読み進むと、突然 私の目を覚ます展開が待っていた。
(ネタバレするので、詳しくは書けませんが)
ネット社会の目に見えない巨大な渦から、突如飛び込んできた、攻撃的な一つの声。それは世界の反対側からやってきて、主人公と、時代にすっかり取り残された、閉店寸前の名画座を巻き込んで、事態は大きく動き出す。
世界の反対側からやってきた攻撃的な、でも心を覚ますその一撃の、豊富な知識に裏打ちされた知性と深い精神性、親子の心情と機微を語る想像力に富んだ声が、一気に私の眠たい目を覚まさせた。凄い!!✨ これこそが批評と言うもんだろう。いや、目が覚めました!
だけど、主人公と攻撃的な相手との感動的なやりとりを、どうやって映画の映像で伝えるのだろう?? 口で話すのではない、文字で読むからこそ読者に深く伝わると思うのだけど・・
このやりとりを、出演者に喋らせるのかなぁ? あの細かい機微が含まれる一言一句を、映画の観客に完全に伝えることは出来るのだろうか?観客は一言一句も聞き逃してはいけない。でないと原作の心が伝わらない。
山田監督はどう映像化しようというのか?原作の心を伝えたいからこそ、言葉が無くても身体全体で語る事が出来る、志村けんさんという類まれな喜劇人を配したのか。志村けんさんを失った今、原作の映画化に関して、今は疑問符?というしかないです。
お正月コンサートでジュリーが言っていた「今は言えないお仕事」、もしかして「キネマの神様」は、ジュリーと関わる何かがあるかも・・と、ごく淡い期待を持って借りた本です。しかしコロナ禍のこのご時勢では、映画の進行も大きくずれ込みそうで、今後の撮影の予定も何もたちません。
で、原作のネットの批評を見てみましたが、泣けた泣けたのオンパレード。 そ~お?そんなに簡単には泣けないなぁ、良かったけど。。 「ボヘミアン・ラプソディ」では滂沱の涙を流した私ですが、「キネマの神様」を一読しただけでは、それほど泣けるほどのこともないと思うな・・。 ケロリ