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岸部四郎「消えゆく昭和の音楽の星たち」

2021年02月22日 | タイガース・GS

昨日、2月21日(日)の <BSフジサンデースペシャル>『HIT SONG MAKERS〜栄光のJ-POP伝説〜2020年追悼スペシャル 「消えゆく昭和の音楽の星たち」』
2021年2月21日(日) 18:00~19:55 〜筒美京平、なかにし礼から渡哲也まで〜

筒美京平さんや、なかにし礼さんの数々のヒット曲のエピソードは面白かったですが、時折 挿入される、去年 亡くなった方々のエピソードも興味深かったです。守屋浩さんの、ぼくはないちっち♪は、子供時代よく歌っていました(^^♪

そしてシローのエピソードが、タローさんの思い出と共に、思った以上に丹念に辿られていて、見てよかったと思いました。

タローさんがシローと初めて会ったのは、サリーに弟ですと紹介されて、狭い部屋でラジオで洋楽を聴いていた。中学生なのに洋楽・・「いい曲あるよ、タローくん。」と言われて、4歳も年下なのにタメ口。(ジュリーが、シローがタロー君と呼ぶのを聞き、自分もタロー君と呼んでもいいのかと、おそるおそる呼んでみた、と言っていましたね。)

トッポの抜けたザ・タイガースに加入、懸命にギターを練習した。

Fだけ覚えた。ある時、目の前で見ていたファンに、シローはFばっかり弾いてるやんか!と言われ、時々ズラして弾くように。。(^^;

でも話したら面白い。シローコーナーがあって、15分くらい1人で喋っていた。シローは一番の弟分として、あとの4人の潤滑油のようだった。

その後 、ドラマや司会で活躍してゆく。

やがて、病魔に侵された。2015年のスーパースター再結成の舞台に誘ったら、出ると言ってくれた。しかし練習では弱弱しい声しか出なかった。

ところがステージに出たら、声が出ている。

※(その時の歌声が流れました。2013年のザ・タイガース再結成の時の歌声に比べれば、その時よりもさらに弱弱しくはなっていました

番組で、1993年のフジテレビの番組で披露した「若葉の頃」のシローの歌声が流れました。

ブレッド&バターは、ザ・タイガースの解散後にシローとユニットを組んでいた仲間たち。

シローの声が本当に優しくてナイーブで、雑味という濁りが全く感じられない、澄みきったものがある。そこに都会的な軽さも持ち合わせ、とても素敵でした。トッポの突き抜けるような高音が抜けた後、ギターは弾けなかったけれど、シローの優しい澄んだ声が加わったことはザ・タイガースには幸せでした。タローさんは役割が重くなって大変だっただろうけど(^^;

もっとシローの心に染み入るような歌声が聴きたかった。歌手、MC、俳優として、他の人にはない持ち味を持っていたのに、晩年は病魔に侵されてしまい、本当に残念なことでした。

タローさんが、「本当に歌が好きで歌いたかったんだろうな。もう1回、歌でカムバックしたかっただろう。」と語っていました。

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ジュリーとじょり

2021年02月22日 | JULIE メモリーズ

再びですが、「超秘蔵映像!懐かしの昭和芸能ニュースSP」にメールしてくださいね⇒メール(下の方に有ります)

お名前などの個人情報は不要。簡単に安心してメールできます。その際は、「超秘蔵映像!懐かしの昭和芸能ニュースSP」の続き希望、ジュリー(PYGでもザ・タイガースでも)の映像が見たい」と、(ちょっと文面は替えてね)よろしくお願いいたしますm(__)m

昔、映画館では本編の始まる前に、芸能ニュースを流していました。「超秘蔵映像!懐かしの昭和芸能ニュースSP」は、そういう映像を流していたのだと思います。

調べてみたら、BS.TBSは、系列にスポニチクリエイツ(過去の芸能やスポーツニュースフィルムなど、1961年~1997年の素材約25000タイトルを取り揃えています。)がありました。こちらの⇒アーカイブには、長嶋茂雄、美空ひばり、スパイダース、西城秀樹と、数人の名前のみと放送の日付けが、少しだけ載っていました。

何故、白黒なのか?とコメ欄に書かれていましたが、1960年から1973年までモノクロで制作していたそうです。但し、伊藤咲子さんのデビューは1974年ですが(^^;


昔昔、芸能人のやらせっぽい姿を、能天気に明るい口調で語る、短い芸能ニュースは映画館だけではなく、TVでも放送していたのを見たことがありませんか??

私がいまだに覚えているのは、世の中がザ・タイガースの熱狂からは、かなり静かになった1970年前後のこと。実は私も、GSからはちょっと醒めていました(^^;

学校から帰った4時ごろのサンテレビ(兵庫県のローカル局)、TV画面に突然現れたのは普段着のジュリー。歌っている時の緊張感などは皆無で、どこを歩いているのか、商店街をブラブラ・・。とある店の前で立ち止まり、「わらじ」を見つけたジュリー。「これ買うよ〜」と言って、「わらじ」お買い上げ。

「わらじ」なんか買って、そんなもんどないすんねん。履くのか?履けるのか?と思ったことだけ覚えております。今思えば、いくらやったんやろ。しかもなんで「わらじ」なんか売ってたんやろ??と、半世紀たっても不思議です・・・

誰か見た記憶は有りませんか?ないだろな(^^ゞ きっと、ジュリーご本人ですら覚えていないでしょう。


☝ブログをご覧になった、ジュリーと同世代のJ友さんからメールがありました。以下、J友さんより

『ジュリーがわらじを買ったのは、懐かしかったのかも・・。私達の子供の頃、京都と和歌山の田舎では比べられませんが、小学生位の時はまだ、わらじをはいてる子供がいました。私も夏なんか家ではいていました。気持ち良かった~✨』

え、マジにわらじを履いてた?!(笑) しかも、わらじは履いてて気持ちがいいんですか!(^^; ジュリーの小学生時代なら、世の中はまだまだ戦後の昭和20年代末から、30年代の初めです。京都の街中とはいえ、物資も不足していただろうし、お坊さんが多い京都でもあります。J友さんの言われるとおり、ジュリーは本当に「わらじ」が懐かしかったのかも知れませんね~!

しかも、J友さんの和歌山では「わらじ」を「じょり」と呼んでいたとか。

ジュリーがじょりをはく・・。

おそまつさまでございましたm(__)m

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