夜が明けて朝になれば「おちょやん」は最終回を迎えます。終るのが惜しいと思う朝ドラは「カーネーション」か「あまちゃん」以来かもしれません。
しかし、千代が鶴亀新喜劇に戻って演じる役は、てっきり「桂春団治」の春団治の妻、おたまだと思っていました。春団治の子を宿したおときがやってきて、妻のおたまは 産まれてくる子供のためにと身を引きます。「妬くべき時には 妬かんとあかなんだ」と、おたまは一人去っていきます。これはまるで、千代の身におこった事と同じではありませんか。
YOUTUBEで見られます。おときの直美さんと、おたま役の土田早苗さん
土田早苗さんのおたまは、潔く身を引く凛とした女性で、素敵でした
ジュリーの春団治は、女にとっては身勝手極まりない、いい加減な男。
でも、女がほっておけない愛嬌と色気があるのよね。
コメ欄で、赤い長じゅばん姿が色っぽいと話題になった、ジュリーの女物の長襦袢姿。私が探せ出せないパンフを、J友さんが代わりに探してくださいました。
勘三郎さんの「浮世噺桂春団治」には、この愛人宅での長襦袢のシーンはありませんでした。その代わり、評論家から酷評されて、芸に悩むシーンが有りました。
蜜月時代の春団治とおとき、しかしその期間は短いものでした。
藤山寛美さんの追悼公演では、直美さんが二度目の妻のおときを演じるために、おとき役を膨らませたようです。
再びの画像は、クライマックスの白い人力車
あるJ友さんは、南座の花道の真横の席で、白い人力車は目の前だったそうです。ジュリーだけをしっかり観ているつもりが、車夫を演じる曾我廼家文童さんの涙が、花道を濡らすほど はらはらと落ちてきて、名演技に思わずジュリーから文童さんに眼を移したことを思い出します。と言われていました。派手な春団治に対して、地味ながら文童さんの心に残る名演は、私もこの先もずっと忘れません。
桂春団治は、芸道、親子の絆、夫婦の情愛、家族の繋がりなどが、大阪の劇場街の灯の下で細やかに描かれた素晴らしい舞台でした。
2002年の読売新聞、劇評
2009年の御園座のチラシから