火曜日のラジ関、Playlist of Harborland、「ジュリーにチェックイン!」コーナーは「死んでもいい」と「ポラロイドGIRL」の2曲がかかりました。
番組冒頭でパーソナリティの田名部さんが、刻々とジュリーのコンサートも近づいていてきました。ライブは不要不急ではあるけれど、実家のご両親がビッグバンドのライブに行き、とても楽しかったと言っていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ジュリーにチェックイン!」
クリス松村さんの番組をラジコ聞いていますが、ファンは「さわださん(さにアクセント)」と発音するんですか?(クリスさんはさわださん)
(※黒柳さんもさわださんですが、ファンはそうは言いません。呼ぶならフラットかな? だいたい、ファンはさわださんとは殆ど呼ばない。私は絶対に言わない、それ他人行儀だもん!)
twitterや、SNSなどで、ジュリー情報にアンテナをたてているから情報を拾いがちなのかと思っていましたが、毎日新聞の「沢田研二が再びきているわけ」という記事に、錯覚ではないと思いました。社会現象として、改めて注目されているんだなと思います。
若い人の「ジュリーが素敵」のつぶやきを見ると嬉しくなります。
こんな歌唱ぶり、パフォーマンスの2曲
★昭和47年、4枚目のシングル オリコン9位「死んでもいい」 作詞・山上道夫 作曲・加瀬邦彦。禁断の愛は「許されない愛」がありますが、それより控えめ、ウブ、若さが際立っています。
★平成元年 53枚目のシングル 「ポラロイドGIRL」オリコン64位
紅白には、ポラロイドが商標だということでNGになり、まだリリースされていない「ダウン」を歌いました。
作詞:サエキけんぞう、作曲:奥居香、当時若者に人気の二人のチャレンジの一枚であったと思います。サエキけんぞうさん、奥居香には緊張もあったと思いますが、彼ららしさもちゃんと残ってる楽曲だと思います。もっとやんちゃな曲でも、ジュリーは歌いこなしはったと思います。
ここでは「ポラロイドGIRL」にこだわりたいと思います。
ジュリーがこの曲をリリースする際に、ラジオだか何だか忘れましたが「ダーリン ダーリン♪」という歌詞に、奥居さんは僕の「ダーリング」を知らないのかな?と言っていたのが、印象に残りました。
もしヒット曲の「ダーリング」を知っていたら、同じフレーズは使わないだろう・・という意味ですが、決してジュリーはそれを気にしている風では有りませんでした。知ってか知らずか、臆せずに「ダーリン ダーリン」と繰り返す奥居さんを、ジュリーがかえって新鮮に感じたように私は受け取りました。
それにしても、オリコン64位という順位に、今更ですが ちょっとガッカリ・・(^^;
「ポラロイドGIRL」の前作の、1988年のTRUE BLUE、ストレンジャーStranger、1989年のMudaなど、いまひとつジュリーの曲の中でも影が薄い中、「ポラロイドGIRL」は明るくノリのよい曲で、久々に楽しい!良い!と思ったんですけど。64位どまりでしたか。なんちゃって、この辺りは長い事 全然シングル盤は買っていませんでした。アルバムは必ず買うから、ま、いいか。と思って(-_-;) この曲あたりから、レコードがCDになっていった頃のようです。
こちらのサイトに⇒レビューが下の方に有りますが、ノブさんのレビューにまったく同感です。
「ポラロイドGIRL」は、初めてジュリーがプロモーションビデオを作った作品です。そのビデオ撮りに参加しました。
次に続きます。