12月23日の木曜日の週刊文春「ジュリーがいた」では、演出家の蜷川幸雄さんが登場しています。文中に
『蜷川のエッセイに「ジュリー」というタイトルの一文がある。1985年8月3日、沢田研二が個人事務所ココロを設立した時、1年ぶりのコンサートの演出を託され、日経新聞に寄稿したものだ。』とあって、ジュリーとの出会いを書いています。60年代末、ショーケンとジュリーの二人と出くわし、3人で帝国ホテルでお茶を飲んだ。ショーケンは映画や演技の話をし、ジュリーは一言も語らず、黙ってコミック雑誌を読んでいた(日経新聞 第二部)」というもの。
これ読んで、あれ? 日経のエッセイと、ほぼ似たような蜷川さんのエッセイを朝日新聞で読んだけど・・ 日経新聞掲載と、全く同じ日の朝日新聞・第二部の蜷川さんのエッセイ。うちは日経はとっていないので、朝日新聞の間違いじゃないのかなぁ~??
まあ、日経新聞に掲載だろうが朝日新聞だろうが、どっちでもいいですが(^^;
このエッセイは私のお気に入りで、スクラップブックに貼っていましたが、蜷川幸雄さんが2016年に亡くなった時にブログで紹介していました。一部を再び載せます。※以下の文は、2016年5月のままです
ステージの片隅から 蜷川幸雄(2016-05-19)
亡くなった蜷川幸雄さんが1985年に朝日新聞の土曜別版に寄せたエッセイです。
寡黙でおとなしいジュリーと、無邪気なほどに屈託のないショーケンとの対比が面白く、蜷川さんのジュリーを見る目の温かさ、お互いの心遣いや、尊敬を感じました。
そして、若い時から大スターであるジュリーでさえも、舞台の前では緊張するという、人間味の溢れる姿を描いていて、朝日に発表当時からずっと好きなエッセイでした。
1985年のジュリーは、順風満帆な時期では有りませんでした。次第に落ちてゆくレコード売り上げ、私生活での噂、マスコミとの葛藤。奇行だのなんだのと散々にいわれ、その後休養を経て、レコード会社を移籍、ナベプロからの独立がありました。
エッセイは蜷川さんの演出のステージで復帰したばかりの時です。ジュリー自身が、復帰のステージに賭ける思いは いかばかりか。そんなヘビーな心境の時の人間的なジュリーの姿が、さりげなく蜷川さんの手で描かれていて、私のお気に入りのエッセイです。
ジュリーは1975年、蜷川さん演出のアングラ演劇「唐版 滝の白糸」に出演していますが、残念ながら私は見に行っていません。
「唐版 滝の白糸」をご覧になったのですね(^-^)
>『舞台中、突然ジュリーが目の前まで駆け上って来たんです。』
うわ~!それは大興奮ですね
ジュリーは、観客のお煎餅踏んじゃった!と少なからず焦ったのでは(笑)
素敵な忘れられない思い出を有難うございました
板張りに座布団をしいて座って観ていました。客席に少し傾斜があって、舞台中、突然ジュリーが目の前まで駆け上って来たんです。
友人のおせんべいが踏まれてくだけましたが、友人は宝物にするといっていましたっけ。
美しい生ジュリーを見られて、幸せでした。